phase4「迷走」

 プルートことアイからの報告を聞き終わり、会議が終わった瞬間、ネプチューンは軽く吐息を漏らした。


 アイの報告は細かく正確なのに、簡潔でわかりやすい。こちらからの質疑にもすぐ回答し、答えも短く纏められているので理解がしやすい。アイは本当に、秘書として高性能な出来だとつくづく感じる。


 この優秀さなら、今行われている潜入計画も上手くいくことだろうと予測していた。客観的な分析だが、楽観的な推測も大きい。早くまた一緒に仕事したいと、淡く願いが生じる。


 全員それぞれ会議室から退出していき、ネプチューンも例に漏れず、簡単に整理を済ませ出ようとしたときだ。


 ふと、部屋を出て行かない者がいることに気づいた。マーキュリーの体が、先程から座ったまま一切動いていない。顎に手を当てた状態のまま微動だにせず、目は閉じているように見える。「ちょっと、サターン」


 退室しようとするサターンを呼び止めると、相手は振り返り、何用かと視線で問うてきた。ネプチューンは素早くマーキュリーを手で示した。


「この方、寝てますわよ」

「……目を覚ませ、今すぐだ!!」


 目が見開かれると同時に室内を震わす一喝が生じる。自分に向けられたものでないとわかっていながらも、少しだけ身が竦む思いがした。そんな声を浴びせられたというのに、当の相手は動揺した素振りを全く見せなかった。瞼が上がり、黄色い眼光が覗かれる。


「寝てませんよ」


 やや低いトーンで発せられた声に、虚勢や嘘は感じられなかった。首をこちらに向けて見上げてくるその顔は、珍しく無表情だった。笑っている際に現れる糸目が消え、元来の目つきの悪さが顕著に出ている。


「サターン。次の出張ですけど、私に行かせて貰えませんか?」

「珍しいことを言う」


 サターンが腕を組んだ。直後、わかった、と短い了承が発せられた。


「ありがとうございます」とマーキュリーは座ったまま頭を下げた。そして再び正面を向くと、手元にホログラム画像として表示されているアイからの報告書に視線を落とした。


 サターンが退出した後も、ネプチューンはその場に残った。普段と違う様子のマーキュリーに、純粋な疑問を覚えたのだ。


「一体どういう風の吹き回しですの?」

「ちょっと、私が行きたいんですよ」


 曖昧な答えだった。掴めない態度にどこか馬鹿にされているような気がして、わずかに苛立ちが生じたのを感じた。

 なので「さっきから何をそんなに集中して読んでるんですか?」と尋ねた声にも、少しの棘が生えていたのを自覚していた。


「ここですよ、ここ」


 画面をスクロールさせ、報告書の一部分を指してくる。覗き込んでみると、そこには穹という子の隠し事の件が表示されていた。密かに自分が考えた料理を書いているノートを隠し持っていることから、その内容に至るまで、事細かく緻密に報告されていた。


 だがこれが、そんなに集中して目を走らせる部分にはとても思えなかった。


「……え? ここがなんですか?」

「いやあ? プルートさんってとても優秀だなと、そう思ったのですよ」


 やはりマーキュリーの態度は変わらず飄々としており、ネプチューンは首を傾げるしかなかった。


「わかりませんか? 本日送られてきたプルートさんからの報告の重要さに」

「あなたさっきから一体なんなのですか?!」


 わからないと認めるのは自分のプライドが許さず、つい声を荒げてしまった。と、マーキュリーがおもむろにこちらを見てきた。


「すぐわかりますよ。恐らく、そう遠くない未来にね」


 そう言った口が、ゆっくりと弧を描いた。それを目にし、思わず何度か目を瞬きさせた。


「あなた、いつも嘘みたいな笑みを貼り付けて正直不気味に思ってましたけれど。その笑顔はなんだか素が出ているようで、なかなか気に入りましたわよ」

「本当ですかあ? どんな笑顔です?」


 どう表せばいいものか少し考えた。だがすぐに、ぴったりの言葉を思いつくことが出来た。


、ですわ」



***



 アイから様々な人の意見を聞き出してから纏め、それらを取り入れた料理を考えようと思い立ってから、三日が経過した。頭の中で日付を数えた穹は、もう三日も経ってしまったのかと、軽く絶望を覚えた。この間家では、依然として新メニューが思い浮かぶことはなかった。最早諦めの空気が満ち始めているのが現状だった。


 しかし今はそれ以上に、絶望を感じている事態に直面していた。


 何をどうすれば良いのだろうか。それを誰かに聞くことは出来ない。よって、答えも見つからない。


 穹は調理台の縁を掴んだまま、床に崩れ落ちた。


「どうするのこれ……」


 そこに答えが浮かび上がってくるわけでもないのに、宇宙船の床をじっと見た。

 アイから意見を聞いた日、早速どんな料理にするべきか考えた。何も無い所から考え出すわけではないので、その日のうちに案をいくつか思いつくことが出来た。


 問題は次だった。いざ調理に移ろうとして、気づいたのだ。意見を全て取り入れるのは、不可能かもしれないということに。


 せっかくアイが無理な頼みを受け入れてくれて、わざわざ知り合いに意見を聞いてきてくれたのに、料理に活かすことができないかもしれない。それはあってはならない。


 だからこの三日間、毎日宇宙船に訪れ、キッチンに籠もって料理を作った。調理台の上に置かれているのは、その試作品だった。

だが。


 調理台を掴む手に力を入れた。恐る恐る立ち上がり、その上に置かれているものを視界に入れる。瞬間、盛大なため息が漏れた。


 試作品。そのどれもが、料理と形容して良いのか、ただ純粋な疑問しか浮かばないものだった。料理というジャンルに決して分類してはいけないような代物。分類しようという気すら起きない代物。


 完全に崩れきり、原型をとどめていない形。様々な色が混ざり合った毒々しい外見。味など説明不要で、もし店に出せば風評被害で閉店する。


 試作を繰り返していくうち、なぜかどんどん料理の形を留めないものになっていったのだ。

 今し方作り上げたものなど、やたら濃い色の紫と緑と赤の混じった液状の物体だ。表面にはごぽごぽと泡が沸き立つ外見から、恐らくこれは食用にはならないと直感した。


「ソラ」


 また崩れ落ちそうになった時だった。どんどんと、キッチンのドアが大きく叩かれた。閉じられたドアの向こうから聞こえてきたのは、ハルの声だった。人払いを頼んでいるからか、今までハルがキッチンの近くまで来たことはなかった。


「はい、なんでしょうか……」


 鍵を外し少しだけ開けると、すぐ前でテレビ頭が自分を見下ろしていた。


「どうしたんだソラ。凄い匂いが漂ってきているが」

「えっ、匂うんですかっ?!  外まで?! えええ、どうしよう!」


 匂いは感じていた。明らかに食欲を減退させる異臭がキッチン内に立ちこめていることに気づいていた。それが原因か、何回も足下がふらついた。


「まずは換気だ。ソラは外に出ていなさい。危険だ」


 洒落じゃなく危険性が高かったのか、ハルは次の言葉を待たずに、穹をキッチンから追い出した。


 呆気なく自分の秘密の一つがばれたわけだが、それでも最大の秘密は守った。穹は忘れずにノートを抱えると、大人しく隣接するリビングのソファで待った。

シロもいたが、キッチンから一番離れたリビングの隅に隠れていた。どうやら匂いに怯えているようだった。


 キッチンのドアはしっかり閉めていたが、リビングには微かに、失敗料理達の集合体である独特な匂いが漂っていた。

 申し訳なく思いながら、バッグにノートをしまった。しばらく時間が経ち、匂いが薄れだした頃、ハルが戻ってきた。


「換気が終わった。もうキッチンを使っても問題ない。あと、調理台の上の物体はこちらで処理しておいた」

「すみません……」


 ハルもあれを料理ではなく、物体と認識したようだ。穹は自分の顔に、力の無い笑みが浮かんでくるのを感じた。


「一体、何を作っていたんだ? ソラのことだから、狙ってあの物質を作ろうとした可能性が低いのは確かだが」

「……姉ちゃんから聞いてると思いますけど、ミーティアに今度出す予定の新メニューです。その原案になる料理と言いますか……」


 新メニューを作ってみようとしていることだけは言おうと考えた。嗅覚を刺激するものがなくなってほっとしたのか、シロがこちらまで飛んできた。

 傍らに座ったシロを撫でながら、バッグの入り口からわずかに覗いていたノートを、片手で軽く鞄の中に押し込んだ。


「友達から色んな意見を聞いてきて、それらを踏まえた料理を作ろうとしてたんです。でも、全部取り入れられなくて、ああでもないこうでもないって考えていくうちに、あんなことになっちゃって……」

「意見?」


 ハルが向かいのソファに腰掛けた。穹は頷きながら、アイから聞いた意見を自分で纏めたメモを差し出した。


「せっかくだし、それ全部取り入れたメニューを作りたいんです。でも出来なくて……」


 しばしの間、ハルはじっとメモを眺めていた。だが唐突に、「ソラ」と顔を上げた。


「私の分析だが。全部取り入れるのは無理だ。どれかは諦めたほうがいい」

「え……」


 ハルが返してきたメモを、すぐ受け取ることが出来なかった。


「そもそも対照的な二つの意見を同時に取り入れるなどまず不可能に近い」

「で、でも、そういう料理とかもあるじゃないですか」


 素朴な雰囲気なのに、どこかに煌びやかさが残っているものや。繊細なのに大胆な外見だったりとか。伝統的なのに革新的だったりとか。レトロフューチャーなどもそうだ。相対しているはずの二つのものが綺麗に入っているもの。そういう作品は、世界に多く存在する。料理も然りだ。


 それを形にするのは非常に難しいことだとわかっている。だからといって、ここまできて諦めたくなかった。やるなら自分の思う完璧な形でやり遂げたかった。失敗や挫折で終わるのは避けたかった。やるなら、万人から愛される料理を作りたい。もし自分がそんな料理を作れたらどうだろう。


 もう否定されることは起きないのでは。誰の目から見ても明らかなほど、誰かの役に立てたことを意味するのではないか。

自分の存在が、透明ではなくなるのではないか。自分を、認められるのではないか。そういう未来が訪れるのではないか。


「だから、頑張れば。頑張れば、きっと」


 ハルが穹の顔を真正面から見つめていた。口が、はっきりとした動きを見せた。


「できない」


 迷いという迷いが一切ない言葉だった。感情の乗らないその声が、やけに冷たく聞こえた。

 顔が、勝手に下へと向いていく。シロが不安そうに、穹の顔を見上げてきた。構ってあげることは、できなかった。


「でも。甘かったら、辛いのが好きな人が幸せになれない。手早く食べられたら、じっくり時間をかけて楽しみたい人が、笑顔になれない。逆も同様です」


 声が震えていた。言いたいことはどんどん浮かんでくるのに、口からはその全てが言語になって出て行かない。体の震えが収まらなかった。


「取りこぼしが起きるのは駄目なんですよ……。“誰か”が笑顔にならずに店を出て行くのは絶対に駄目なんです……。それは、料理人失格なんですよ……」


 称賛を浴びたいわけではない。ただ、料理を作るのなら、最低限と思う義務を果たさなくてはいけないと考えているだけだ。そう思うことの、何が間違いなのだろうか。


「自分の好きなものが、人も好きとは限らない。人の好きなものが、自分も好きとは限らない」


 また機械的な声がかかった。反射的に穹は顔を上げた。ハルは無機物特有の感情の無さを纏いながら、こちらを見ていた。


「それが心だ。違うのが当たり前、それが心だ。万人に好かれることは難しい。たとえ万人に好かれてるものがあっても、“それ”を嫌うものは一定数存在する。それが、世界の、宇宙の在り方だ」


 ハルは更に背筋を伸ばした。


「だから、万人に好かれなくとも、自分のせいではない。それが、当たり前の姿だからだ」


 当然のことを言っていた。もっともなことを語っていた。それは理解していた。けれど穹は、零してしまった。「けど……」


 家業も、家族も、穹にとって譲れない、大切なものだった。守るためには、相応のことをせねばならない。失敗も中途半端も、自分が許せないのだ。失敗をすれば、自分が更に嫌いになる。


「やっぱり僕は、全ての人を笑顔にする料理を……」

「どのみち全ての人は不可能だ」


 ハルが真っ直ぐ、穹の顔に向かって指を指した。


「ソラが、笑顔になっていない」


 あ、と声が漏れた。自分の顔に触れて確かめた。確かに最近、自分は笑えていないと気づいた。


「……全ての人間を幸せにしたいという考えは、非常に危うい。時に、自らを追い詰めるものだ」


 手を下ろしながら、ハルが言った。穹を見ているのに、穹ではない、別の誰かへ話しているような。そう感じているのは、ハルの頭が少しだけ下を向いているせいに思えた。


「AMC計画が、まさにそれなんだ。心を統一するということは、全ての人が同じものを好きという状況が作られるのだから」

「でも、じ、自分本位になっていいんですかね」


 それはいわゆる利己的な振る舞いであり、つまり人に嫌悪感を持たせるものではないだろうか。強い焦燥感が襲ってきて、穹の口は上手く回らなかった。ハルはゆっくりかぶりを振った。


「自分本位にならないと解決しない物事もある。まず、自分が幸せになる方法を一番に考えるんだ。

何も浮かばないのなら、自分が何を食べたいかを考えてみなさい。相手がいないからアイデアが浮かばないんだ。ターゲットを明確に。ターゲットを、自分に定めてみるんだ。

まず一度、やってみることだ。やってみないと、分析も計算も出来ない」


 ハルは落ち着いていた。無機的な声に釣られ、穹の心も次第に落ち着いていくのを感じた。


「……駄目で元々、ですか」

「そういうことだ」


 軽く頷かれる。その後で、また指を指された。今度は顔でなく、心臓の部分目掛けて。


「ソラ。君の持っている心を、一番に考えなさい。心のままに、だ」


 両手で心臓のある辺りを触ってみた。だが、目を閉じ意識を集中してみても、血液を送り出す音しか伝わってこなかった。

 本当にここに心があるのか。ここにあるとして、自分の思う通りに動いていいのか。


 目を開けた瞬間、勢いよくリビングのドアが開けられた。


「おいハル! ココロが少し熱っぽい気がするんだがどうすればいい?!」


 あまり慣れていない手つきでココロを抱えたクラーレが飛び込んで来た。ハルがすぐ近寄りココロを受け取ると、その姿をじっと眺めた。


「特に問題はないが」

「んなわけないだろちゃんと調べろ! 熱あるだろうが!」

「熱くなってるのはクラーレでは」

「ふざけてる場合かっ! ……あ、ソラ、い、いらっしゃい」


 今まで穹がいることに気づいていなかったのか。ばっちりと目が合った瞬間、クラーレは落ち着かなさげに視線をさ迷わせ始めた。どうも最近、タイミングがいいのか悪いのか、クラーレの意外な一面ばかり見ている気がする。多分、本人は大変不本意だろう。


 穹は苦笑しながら、「お邪魔してます」と頭を下げた。

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