phase2.1

 科学館に来るのも久しぶりだと、美月は展示物を目にしながら思った。こういう場所にはなかなか学校の友人達とは来られないし、未來や穹も恐らく興味が無いだろう。何より美月が、一人でゆっくり見たかった。


 とは言っても、書かれている説明を理解できるかと聞かれたら首を横に振るしかない。なので、楽しんでいる、とは違うかもしれない。実際、展示物の説明文を読んでみても、内容をほぼ理解できず、頭が痛くなっている。


 もともと科学館には時々来ていたとはいえ、中にあるプラネタリウムが目当てであり、メインである展示物に興味はなかった。むしろ難しそうだと避けているくらいだった。


 今日も本当はプラネタリウムの為に来ていた。だが見終わった後、目的は果たされたというのに、そのまる気が起きなかった。いつもなら、流れるように出口に向かうのに。


 プラネタリウムと同じフロアの、天体や宇宙に関する展示物を見ていこうと思い立ったのは、間違いなく魔が差したとしか言えない。


 気まぐれが奇跡を呼び、書かれていることや展示されていることの理屈が全てわかる、ということはもちろん起きなかった。頭痛は段々と増していく。


 ただ、それでも自分の頭で理解できる部分を繋ぎ合わせた結果、何かが見えた気がした。


 脳裏に浮かぶのは、夏の海で見た星空だ。あの星空に、目に見えないほどほんの少しだけ、近づけた感覚がした。


 知るというのはこういうことなのだろうか。手を伸ばしても伸ばしても近づけない星の光は、見ているだけで満足だった。近づきたいとも思わなかった。無理だと理解しているからだ。

 けれど、距離を詰めることが出来るのだろうか。美月の中に芽生えたその感覚は、わずかながらも、無視できない存在感があった。


「……でもごめんなさい! 私はもう限界だ!」


 ついに頭が停止し、美月はこの場から退散することに決めた。苦手な勉強の克服がこんな簡単にできたら苦労しない。


 頭を使いすぎたからか、本能が甘いものを求めていた。出口に向かいながら、何を口に入れようかとあれこれ画策する。良いタイミングなのかなんなのか、小腹も空いていた。


 外に出ると、まだまだ夏の色が濃い日差しが、狙い撃ちのように照りつけてきた。暦の上では秋になっているはずなのに、まだまだ残暑は厳しい。

 軽く手で仰いだ後、財布の中身を確認する。交通費を抜いても、一人分ならある程度のものは買えそうだった。


「やっぱりアイスかな!」


 使いすぎた脳味噌が、熱暴走を起こす寸前のような感覚があった。体も頭も冷やしたかった。なんのフレーバーにしようか考えながら一歩を踏み出した瞬間。


 物凄い速度で、何かが隣を通り過ぎていった。それは風圧とうっすら見えた影からして、人だった。危ないじゃないですか、と叫ぼうとした口が、ぽかんと開いた。


「未來?」


 馴染み深いボブカットが見えた気がした。だがもう一度確認する間も呼び止める間もなく、未來と思しき人影は、文字通り風のように去ってしまった。

 突然降ってきた出来事に、しばらくの間愕然としていたとき。


「あそこまで自由を体現した方だったとは。要報告の事項です」


 雪解け水のような澄み切った声が、後ろから聞こえてきた。いつの間に人がいたのかと振り返ると、そこには声の雰囲気をそのまま体現したような人物が立っていた。


 漆黒の長い髪をハーフアップに纏めた、清楚な少女。穹と同い年くらいに見えた少女の持つ青色の瞳と、目が合った。深海の色とはこういう色なのではと感じた。その海の色を持つ目が、微弱に見開かれた。


「ミヤザワ ミヅキさんですね」

「へ? あ、はい。ん? なんで名前を?」


 薄い口から唐突に出てきた自分の名前に、戸惑いを前面に出してしまう。すると少女は大人相手にするように、綺麗な角度で礼をした。


「申し遅れてすみません。私はアイといいます。あなたの弟である、ソラの知り合いです」

「穹とあなたが?!」


 つい人差し指でアイと名乗った少女のことを指してしまった。が、アイは気にする様子を見せず、はいと頷いた。


 大人っぽい印象があるが、その裏にあどけなさの残る少女の顔を、じっと見つめる。


 あまり人付き合いが苦手で、家に友人を連れてきたこともほとんどない穹の顔が思い浮かんだ。その友人に至っても全て同性で、異性を連れてきたことは美月の知る限りではない弟。そもそも穹が業務連絡以外で女の子と話している姿を見たことがない。恐らく、歳が近い姉以外の人と親しくなったのは、未來が初だったと思う。


「あの」


 どこか舌っ足らずで平坦な声がかかった。そこで美月は、アイのことをすっかり無遠慮に眺めていたことに気づいた。

 アイはどこか人間離れしたような、派手ではないが混じりけの無い清廉さを持っていた。二重の碧眼が、人形を連想させる。


「アイ。今時間あるかな?」


 気がついたら、口が動いていた。もう一度アイが頷いたのを確認すると、自分の目が輝き出すのを自覚した。


「ちょっと来てくれないかな!」

「了解しました」


 珍しい受け答えの仕方だった。俄然興味が沸いてきた。この子と穹が友達だとは。


 美月はアイを連れ、目的の場所まで歩いて行った。確かこの辺りに、と予測していた場所に停まっていた移動販売車を発見すると、後ろから黙ってついてきていたアイを振り返った。


「アイス好き?」

「食べたことがありませんので、答えられません」

「そ、そうなの?!」


 衝撃の一言に尽きた。だがアイを上から下まで眺め、納得した。クラシカルなデザインの、上等そうな丈の長い黒と紺のワンピース。知的かつ物静かな佇まいに、丁寧極まりない言葉遣い。とても育ちのいい娘なのではという予想にいきつくまで、さして時間はかからなかった。物語の中にしか出てこないと思っていたが、こういう典型的な箱入り娘が実在していたとは。


「じゃあこれが初アイスだね! 気になる味とかある?」


 メニューの書かれた看板を示したが、当の美月が迷い始めた。どれも魅力的な味に見えて仕方なくなったが、気になったものを網羅できるほどの手持ちはない。

「特には」


 コピー機のスキャンのように看板をさっと眺めたアイが首を振った。どれを食べたらいいかわからなくなっているのだと伝わった。


「私にお任せでいいかな?」

「構いません」

「それじゃ、そっちのベンチで待ってて!」

「了解しました」


 アイを見送った後、彼女に食べさせるフレーバーをどれにするか、かなり迷った。定番かそうでないものか。迷いに迷った末、結局自分と同じものにすることにした。


 ベンチに腰掛けるアイは、両足をやや斜めに揃えていた。上品な座り方が実に様になっている彼女の横に座りつつ、カップの一つを差し出してきた両手のひらの上に乗せる。


「ありがとうございます。それでこちらは」

「ふふふ。お芋とバニラのアイスだよー!」


 定番の味か、季節限定の味か。ここは間を取るしかないだろうと判断した。白く丸いバニラアイスの中に、小さな黄色が幾つも混じっている。この黄は、全てさつまいもだ。

 9月になったことで、芋を使った料理がぐんと増えた。まだ暑さの残るこの時期と芋のアイスは、まさに黄金の組み合わせだと美月は思っていた。


「いえそうではなく、代金ですが。おいくらでしたか」

「あ、いらないよ。大丈夫」


 手を顔の前で振って遠慮すると、アイは両手のひらの上にカップを乗せた状態のまま、硬直した。奇妙に思いつつも、木のスプーンをアイスに突き立てる。掬って口の中に入れると、途端に顔の筋肉が緩むのを感じた。口内に緩く広がっていく、ひんやりとした空気。舌の上であっという間に溶けていくバニラのまろやかな甘みと、それとはまた違うお芋の優しい甘み。


「美味しいー! 幸せーー!!」


 気がついた時には叫んでいた。左手にカップ、右手にスプーンを持った状態で、大きく万歳のポーズを取る。


「この瞬間のために私は生きてきたっ!!」

「そうなのですか?」


 まじまじと食い入るような目つきになったアイが、堅く真面目な声で尋ねてくる。


「ご、ごめん、ものの例え……」


 万歳の反動で、今度は体を小さく縮込ませる。アイが隣にいることをすっかり忘れていた。

 ふと隣を見て、アイがまだアイスに口をつけていないことに気づいた。柔らかい黄色の混じったアイスは、わずかにその形を崩してきている。


「気になることがあるのですが、尋ねてもよろしいですか」


 カップを渡した状態の時のまま体勢を変えていないアイが、口を開いた。


「どうしてミヅキさんは、私にこれを奢ったのですか? 私は奢られるに値する対価を支払っていませんよ。これからなのでしたら理解できますが」


 半ば予想していない台詞、そして単語が飛び出してきた。美月は大きくかぶりを振った。


「対価とかいらないよ!」

「え」

「穹の友達がこんなに可愛いくて良い子だったから、テンションが滅茶苦茶に上がったからっていうのが大きな理由だし。だから、気にしなくて良いんだよ! 遠慮無く食べちゃって!」


 アイはじっとアイスを見つめた。スプーンに触れようとしない辺り、まだ納得がいっていないようだった。再度勧めると、ようやくカップを両手から左手に持ち替えた。


「では、いただきます」


 スプーンで一口分掬われ、流れるように口まで運ばれる。スプーンが口から抜かれ、喉が上下しても、アイの顔色が変わることはなかった。


「甘みの割合が強い食べ物ですね」

「甘いの苦手だった?」

「いいえ。美味しいです」


 そう言ったときも、眉一つ動かなかった。平坦な声が出た口が、アイスを食べていく。


 特に美味しそうに食べてもいないが、不味そうなわけでもない。むしろ食べ進めている速度は冷たいものを口にしている割にはかなり早かった。とりあえずお気に召さなかったわけではないらしいと、ほっとすることにした。立ち振る舞いからして、あまり感情が表に出ない性格なのかもしれない。


「そんなに早く食べたらお腹冷えちゃうよ! ハッピーな気持ちからからブルーな気持ちになるんだからね、気をつけて」

「問題ありません。時間効率のため、ものを早く食べられるようになっているのです。しかしその言い方、まるで経験済みのような物言いですね」

「あ、じ、実は調子に乗って食べ過ぎて酷い目にあったことがあるんだよね、子供の頃……」


 あの頃は若かったからと言うと、今も若いと言える年齢ですが、と当たり前のことを突っ込まれた。苦笑しつつ、美月も食べることを再開する。


「これはさつまいもの味だけどね、もっと秋が深くなったら、お芋そのものが食べれるようになるんだよ。焼き芋っていうんだけど」


 アイの動きが止まり、記憶を探るように視線が漂う。


「焼き芋……。食べたことが無いですね」

「お、じゃ絶対食べなきゃ損だよ! あれはね、シンプルなのにね、物凄い美味しいんだから! 幸せになる魔法の食べ物なんだよ! これもアイスと一緒に食べたらね、もう、もう死んでも良いかもってなるんだから!」

「記録しておきます」


 お芋の味がするアイスを噛みしめながら、早く焼き芋を食べたいなと、記憶の中にある湯気の立つ黄金の植物に思いを馳せる。

 と。横顔に視線を感じた。もしやと思い見ると、やはりというべきか、アイが見ていた。


「ミヅキさんは食べ物の話の時、非常に笑顔になりますね。食べ物は、人を幸せにするものと判断して良いのでしょうか」

「当たり前じゃない!」


 それはどんなことがあっても揺らがない持論であり、変えたくもない持論だった。


「美味しいもの食べると幸せーってなるよね! 私は食べることが大好きなんだ。自由に好きなものを好きなように食べたいし、自由に幸せーと感じていたい」


 けれどハルが言っていた、AMC計画が遂行されれば、そんな世界は永遠に失われる。少し考えただけで一気に背筋が凍り付き、反射的に身震いが起きた。大丈夫ですかと聞くアイに、平気だと示すため軽く笑う。


「ミヅキさんは、ごはんが大好きなのですね」

「もちろん! あっという間に人と仲良くなれるからね。人と距離を詰めるにはごはんが一番、これ鉄則! だから大好き! あと何より、美味しいって幸せだし!」


 ハルともクラーレとも、料理で繋がることが出来た。美月はごはんという概念に、絶対の信頼を置いていた。

 では、とアイが少しだけ目を伏せた。


「例えばの話ですが。もし、“幸せー”とならないごはんを食べた時は、ミヅキさんはどうなりますか」


 美月の言った「幸せー」のトーンを、アイは巧妙に真似してきた。やや面食らいつつ、美月は考えを巡らせた。


「それは……、落ち込むかな……」


 子供の頃初めて料理を作ったとき、それは失敗に終わった。食べても全く幸せな気持ちにならなかった。悔しかったし、悲しかったし、使った材料に申し訳なくなった。

 また外食でも、あまり美味しくないと感じる料理を食べたことは何度かある。その度に、勿体ない、ここをこうすればもっと美味しくなるのに、とやるせない気持ちになる。


「落ち込みますか。そうでしょうね」


 当然とばかりに、アイは神妙に頷く。一呼吸置かれた後、こちらを見てきた。美月の目を通して、心の中を覗き込むような目だった。


「では、この世の中にあるごはん全てに対して、“幸せー”以外の気持ちを感じない世界は、どう思いますか」


 少女の目が、一瞬光ったように感じた。


「その世界の人の心は、ごはんを不味いと感じることがない。全てのあらゆるごはんに対して、美味しい、幸せとだけ感じている。それ以外の感想はない。浮かぶことそのものが起きません。

その世界に生きる人は、全ての料理を美味しいと感じるという、全員同じ感想を抱いています。そんな世界を、どう思われますか」


 アイの目に影がかかる。目の青色が、濃く、深くなる。言葉遣いは淡々としていた。ニュースを思わせるその口調は、例え話なのに本当に起きていることを語られたのではと感じさせた。


 美月は、すぐ答えることが出来なかった。予想だにしていなかったことを唐突に聞かれ、頭が空回るばかりだった。


「良いかもしれない、けど……」


 無意識の内に、スプーンを歯固めのように噛んでいた。


 全部のごはんに対して美味しい以外思わないのは、正直、憧れを抱く。しかしそこに生きる人全員が、同じ食べ物に対して、同じ感想しか言わないのは。口を揃えて、美味しい以外を口にしないのは。


「それって、なんか、怖いような気もする」

「……怖い」


 アイが確認するように、小さく呟いた。

 ふと、頭の一部が明滅した。今アイが例えに出した世界は、AMC計画によってもたらされる世界の一部なのではないか、と。


「皆が皆同じこと考えてる世界って、気味悪くないかな?」


 アイは答えなかった。美月から目を外し、顔を伏せた。


 それを合図に、会話が途切れた。どうしたのだろう、と戸惑いを抱かざるを得ない。何か癪に障ることでもあったのか。しかしその割には、機嫌を損ねているようには見えなかった。


「穹って、アイの前ではどんなふう?」


 ここで共通の知り合いの話題を出すことにした。アイが目を合わせてきたので、安堵の息を零しそうになった。


「どんな、と仰いますと?」

「何か迷惑とかかけちゃってない? 嫌なことされたとか不快なこと言われたとか……」


 口下手な穹では、何かうっかり口を滑らせ余計なことを言ってしまっているのでは、と少なからず不安があった。だがアイは否定した。


「いいえ、全く。むしろ私のことを気遣っていらっしゃいます。それに、いつも色んなことを話して下さいます」

「へえ、意外! やるじゃない!」


 宇宙船では、穹はあまり自分から話すことをしない。基本聞き手に徹している。その穹が話し手とは意外と感じたが、アイは穹よりも更に聞き手に徹するタイプに見えたので、必然的に穹の喋ることが多くなるのだろうと考える。


「例えばどんなことを喋ったりするの?」

「私は小説を読んだことがないので、ソラに読み方を教わっています。なぜこの登場人物は心情と行動に食い違いが起きているのかとか、解説をしてもらっています」

「わかりやすい?」

「正直理解は難しいです。が、それは説明が下手というわけではなく、心というものが複雑すぎるのが原因なので、ソラのせいではないです」


 アイは緩く首を振った。心は難しい、と呟かれた。一人言のようだった。


「穹は、アイの前では楽しそう?」

「機嫌という意味でしたら、いつも良いですよ」


 とりあえず、穹とアイが仲が良いということは伝わってきて、美月は肩の力が緩むのを感じた。


「ソラのこと、気にしているのですね」


 突如、美月の思考を透かして見たように言ってきた。どきりとした心臓を鎮ませるため、空を見上げた。


「まあ弟だからね……。家族の知らないところで悩みとか抱えてたりするのかなと思うと、やっぱりちょっと心配で。穹って、あまり学校のこととか話さないんだ。でも、大丈夫そうで安心したよ」


 中学に上がって以降、穹は学校の話を喋っているところをまず見なくなった。読んだ本の話などは積極的にしてくるのに、学校生活のこととなると、意図的に避けているようにぎこちなくなる。

 思春期に入ったからだろうとあえて言及していなかったが、アイの話を聞き、案外上手くやれているのだろうと感じた。


「そうですか」


 アイも釣られたように、顔を上に向け空を見た。


「ミヅキさんは、ソラとは真逆ですね」

「あーよく言われる!」


 姉弟だというのに、美月も穹も面白いほどに正反対だと、家族や親類に言われてきた。実際自分でもそうだなと思うし、だからこそバランスが良いという自負がある。


 また横顔に視線を感じ始めた。アイに見られると、なんとなくばつの悪い思いになる。悪いことをしているわけではないのに、悪いことをしたような気分になってくるのだ。


「なんか私が言うのも違うような気がするけど。アイ、これからも穹と仲良くしてね!」


 いたたまれなさを振り払うためにあえて大きめの声を発すると、アイは当然とばかりに深く頷いた。


「それはもちろんです。ソラが望むのであれば、これからも交流を続けたいと思っています。ソラといることは、私にとって大変有意義な時間となっているので」


 今度は美月がアイの顔を見る番だった。アイが流し目で、なんですか、と聞いてくる。


 穹は、騙されやすく流されやすい一面がある。実はこの物静かな少女にも、何か裏があるのではと少し勘ぐっていた。例えば、もし穹をいいように使ったり、騙したり、貶めようとしているのなら、すぐにでも何らかの対処を施そうと思っていた。


 だがそれは全くの杞憂だった。アイからは、穹に対する悪意も敵意も全く感じられなかった。


「私、アイとは仲良くなれそうな気がする!」


 気がついたら声に出していた。アイが冷徹とも言える目を向けてきた。


「まだ私とミヅキさんはお目にかかってからわずかの時間しか経過してません。仲良くなれるとは限りませんよ。判断材料が足りない」

「判断材料? 勘で充分だよ!」


 人差し指を立てると、アイは体を固まらせた。「勘。なぜ人は、そのような不確定要素に頼るのでしょうか」


 うーんと、声を詰まらせることになった。美月は大体、勘に頼って生きてきた。そうしたことにより悪い結果を招いたこともあるが、直感に頼って後悔したことはあまり無い。改めて考えてみた。勘とは、何だろうか。


「勘は、なんだろう。自分の心の声だからかな。心の声に耳を傾ける……ってやつなんだよ、多分。恐らく」

「心。また、心ですか」


 アイの口が小さく動く。理論的な目が、地面の一点に注がれていた。心、とずっと呟く彼女に、美月は「アイ!」と一際大きな声をかけた。


「穹と仲良しになれたのなら、私とも絶対に仲良くなれるはず! これ、私の心の声ね! それにこうしてお話して、もっと話してみたいなって感じたもの。アイ、もしよかったら、私とも仲良くしてね!」


 アイの目が二、三度、瞬きされた。見ているだけで暑さが引いていきそうな青色の目が、かすかに揺らいだ。直後、了解しました、と返された。


「今日お目にかかって、ミヅキさんがどんな人間かを知ることが出来たのは、良い収穫でした。ソラはあまり、ミヅキさんのことを話さないので」

「あれ、そうなの?」


 穹も本格的に思春期街道を走り始めているのか。もっと可愛くなくなる日も近いのかと思うと少し寂しくなった。

 が、いざその時が来たら自分がしんみりしているはずがないとも冷静に感じた。生意気な態度を取れば、即粛正するに尽きる。


 うんうんと、見えない何かに対して頷いていたときだった。


「ソラ」


 アイが、一人言にしてはやや大きい声を発した。青空のことか人名かすぐに判断できなかったのは、その名称が出てきたのがあまりにも前触れがなさすぎたからだ。


「アイ? 姉ちゃん?」


 聞き覚えのある声にはっと前を見ると、ちょうど通りがかったという姿の穹が目の前にいた。美月とアイを交互に見るその目には、強い動揺の色が浮かんでいる。


「二人とも、なんでここに? っていうか何してるの?」

「ちょうど偶然会いまして」

「さて、そろそろ私は行くね!」


 答えるアイの横で、美月は大きく立ち上がった。食べ終わったアイの分のカップを受け取ると、アイはきょとんと首を傾げてきた。


「アイ、お話聞かせてくれてありがとう。また会おうね! あそうだ、私と穹の家はレストランでね、良ければ食べに来てね! もう少し秋が深まったらね、カレーとかに秋野菜が使われるようになったり、秋限定のメニューも出てくるから! お芋とか秋の果物とか十月になるとかぼちゃも、あとはね」

「ちょっと姉ちゃん……」

「じゃあねー!」 


 ミーティアのこととなると勝手に饒舌になる。咎めるような目線を送る穹を躱し、美月はその場から去った。


 川沿いを歩きながら、先程穹が見せていた、なんで姉がここにいるのだと訴えている目を思い出した。気を遣ってさっさと退散した自分は、本当に良く出来た姉だと、自分で自分を褒めた。


 またアイとお話ししたいなと、空を見る。ちょうど太陽が、白い雲の裏に隠れるところだった。

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