phase2「本当の決意」
「宇宙は広い。恐ろしいまでに広いが……どこも、同じようなものだ」
ハルはざっと部屋の中を見回し、言う。
「十の星があるとする。熱すぎたり、寒すぎたり、そもそも着陸出来ない環境の星が五。着陸出来たとしても、ロボットのことを知らなかったり、よそ者を受け付けないという星だったり、あまりにも治安が悪かったりで、すぐに出て行かなければいけない星が二。残りの三の星が、無事に着陸出来て、しばらくの間過ごせる星だ。この本は、その三の星から手に入れたものだ」
言いながら、指を三本立てる。
「私に友好的に接してくれる人達も多くいた。実に過ごしやすく、居心地の良さを覚える星も多くあった。だが、決して長居はしてはいけないんだ」
その指が、すっと下げられる。手がぐっと固められる。
「ダークマターは宇宙全体で見ても一番に大きく、莫大な影響力を持つ企業だ。それを敵に回してるとわかると、途端に追い出される」
ハルは、淡々とした物言いを崩さない。
「そんなだから、試験合格者も断る。親しくなった者も、離れる」
それが余計に、美月の心をざわつかせた。
「悪く思わないでほしい、と」
ハルが、ゆっくりと顔を伏せた。
「もっと他に頼りになる人がいる、と言われながら」
何かに撃たれたような気がした。気がした、のではなく、本当に銃か何かに撃たれたのかもしれない。それ程までの衝撃を受けたように、心臓が嫌な音を立てる。
美月は体全体が、どこかはわからないが、故障を起こしたように感じた。
「あるいは、私が人間だったとしたら。有機物だったとしたら、違っていたのかもしれない」
え、と言いそうになった口を閉じる。今何か言ってはいけないと、美月の心はそう警告を出していた。
「ミヅキ。実は私にはね、“心”が無いんだ」
ハルは心臓に当たる部分に手を当てた。いつものように機械的に、無機質に、抑揚なく言ったものだから、重々しい響きは感じ取れなかった。
台詞だけ見たら、そんなことはないはずなのに。
「あるのは、知能だけ。心は、無い」
ハルは手を、テレビの部分に移動させた。
「私は、完全な無機物。完全な、“ロボット”なんだ」
美月は目を見開いた。後ずさりそうだった。しかし、足は動かなかった。
これは一体何だろうか。
後ろ髪を引かれるような、とは違う。心がちくちく痛む、ともまた違う。
そんなものではなかった。そんな生易しいものではなかった。
思い切り頭を引っ張られたような。心を鷲掴みにされたような。
心臓の辺りに、何かとても重いものが、どっしりとのしかかっているようだ。
「とはいえ、私は心を欲したことは無い。無機物のロボットとして作られた以上、有機物特有の心を持ちたいと考えたことは、そもそも一度も無い。一時期、感情のプログラムも入れてみようかと考えたこともあるが、やめた。ココロを守るためには、逃げ続ける為には、感情は不要と判断した」
すう、と息を吸い込む音が、ハルから聞こえた。
「それに、関わりたくないと思うのは、至極まともなんだ。生き物はずっと、何かを探し求めている。それを見つけようと、日々を必死になって生きている。人は皆、旅人だ。変わるため。取り戻すため。探すため。精一杯なのに、誰が好きこのんでこんな面倒事を引き受けるだろうか」
降り積もるようにして、ハルの声が部屋の中に満ちていく。美月にはそれが見えるようだった。
「だが、私はそれを嘆くつもりは毛頭ない。これが現実である以上、嘆いていたって事態が好転するわけないからな。私は逃げ続ける。そう考えたから。絶対に、逃げ続ける」
一度目と二度目の「逃げ続ける」の喋り方は、全く同じだった。
このままずっと、同じ言葉を繰り返し言い続けるのではないかと思った。
ハルがトートバッグの中に手を入れ、中をまさぐろうとした、その時。
美月がバッグを奪い取るようにして手を伸ばした。コスモパッドが中で揺れ、こすり合う音が聞こえる。
「ミヅキ? 何を……」
美月はそれには答えなかった。黙ったまま、バッグの中から黄色いコスモパッドを取り出した。
左手首に回し、とめる。まるであるべき場所に止まったように、きっかりとした音がした。
「決めた」
つけている部分に、熱が集まっていくような気がする。
液晶画面に映る自分の顔が、今までと少し違うように感じられた。
「ごめんね、ハル。返すって言っておいてなんだけど、やっぱりこれは返せないや。だってこれ、もう私のものだからね」
美月は前を向いた。自分が今どういう顔をしているのか、見えないのに見えたような気がした。
「私は、守る。ハルとココロのこと」
言った瞬間。美月は、すうっと自分の心が軽くなったような、そんな感覚になった。
ずっともやつき、ぐずついていた心が、今やっと晴れた。
こんな短い言葉で。
ハルは口を少し開けたかと思うと、ため息をつきながら首を振った。
「だから嫌だったんだ。……ミヅキ、それは同情だ。これは、同情で動いていいものではない」
「そうだね、確かに同情かもしれない。でも、私、ずっと迷ってた」
二択があって、一方を選択した。なのに、ずっと迷い続けていた。
ということは、もう一方の選択こそが、自分が求めていたものなのだ。
やらない。そう選択を取った。決意した。でも、心はずっともやもやと煙っていた。
本当は自分でもわかっていたのだ。この選択に納得がいっていないことに。
でも、気づかないふりをしようとしていた。しかし、ハルの決意に触発され、言葉で決定的になった。
元となる感情は、使命感や責任感といった、立派で真っ直ぐなものではない。
罪悪感。同情。良心の呵責。そういったものであることに違いない。
だがそうだとしても。美月の心に、もう迷いはなかった。心に芽生えた何かが、どんどん堅さを増していくのがわかるのだ。
「私はミヅキの選択を責めようなどとは考えていない。今の話も、同情を誘うつもりで言ったのではないぞ」
「わかってるよ。私が言わせたんだもんね。これは、私が勝手に決めたことだよ」
美月はわずかに俯いた。しかしすぐに、顔を上げる。
「ずっと迷ってた。本当にこれでいいのかって。もしこれでこのまま帰ったら、私、一生後悔するって思った。怖くないって言えば嘘になる。でも、それよりもなによりも、私は絶対に後悔しない選択をとりたい。だから、守るって決めた」
旅先で仲良くなる人ができる。だが、追われているとわかると。大きくて強くて怖いものを、ダークマターを敵にしているとわかると、すぐに離れていく。ハルにそうしてきた人達の気持ちは、よくわかる。
美月も怖かった。正直な話、関わりたくないと思った。平穏を壊さないでほしいと感じた。早く出て行ってほしいと願った。それでも、そう思っていても、“迷い”があった。
それでいいのか、と。
ハルはずっと一人だった。たった一人でココロを守り続けていた。旅をしていた。誰にも頼ることができずに、たった独りで。
恐ろしいまでの小さな偶然が積み重なっていった果てに、この地球に辿り着いたのだ。
そして、美月は、ハルと、ココロと巡り会った。この奇跡を、このままふいにしていいのか。
したくない。そう、思った。
「私が悪い存在とは思わないのか? ダークマターのほうが正しいのかもしれないんだぞ」
「思わない。だってあいつら怖いもん」
ダークマターのロボットや、人と会った時。怖い、と感じた。
けれどハルと初めて会った時は。ダークマターを相手にした時のような恐怖は、無かった。
「あとね。ハルやココロといたら、凄く楽しいんだ。この気持ち、まだまだ味わってたいんだ」
美月は少し膝を折り、ココロの顔を覗き込んだ。
ココロがにっこりと笑う。純粋で、真っ白で、未来への希望で溢れる笑顔だった。
「たの、しい?」
一字ずつ拾ってきて継ぎ接ぎしたかのような、ハルの口調。うん、と美月は頷く。
「私は、ロボットなんだぞ?」
「え、でも楽しいよ?」
そう、楽しいのだ。ココロはなんといっても可愛らしいし、一挙一動に癒やされる。
ハルは理屈すぎて訳わからないところがあるが、そこが正直、面白く感じるのだ。
「それにほら、前に、言ったでしょう? ごはんをご馳走するって約束。果たせてない」
美月は上を向いた。ね? と笑いかける。ハルの顔が見えた。
うう、と低い唸り声がする。
「じゃあ友達になろう、ハル、ココロ! 守りたい友達を守ろうって考えるのは、普通でしょう?」
美月は、右手を差しのべた。ココロにも、ハルにも、握りやすい位置に。
ココロがゆっくりと、手を伸ばしてきた。そして美月の人差し指を、握った。
小さくて、ふわふわとした、とても柔らかい感触だった。
ココロの手が離れたときだった。美月ともココロとも違う別の手が、美月の手に触れ、握ってきた。
握ってわかった。これは、人間の手では無い。手袋越しに伝わってくる、堅い感触と冷たい温度。形はこんなにも人間のそれと似ているのに。この手の向こうを流れているのは、血ではないのだ。
ロボットと言っていた。信じていないわけではなかったが、初めて、実感がわいた。本当に機械なのだと。
「よろしくね、これから!」
その相手に、美月は笑った。友達に、家族に、親しい者相手に向ける笑顔。
今まさに、自分はそれと変わらない笑顔を向けている。美月はそう感じた。
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