承:女神クロハ




「ようこそ、明暗院飛鳥さん。飛鳥とお呼びしても?」


「え? あ、はい…」


 気がつくと机を挟んで向かい合う形で私は椅子に座っていた。対面の彼女は扇で顔下半分を隠し、目元を優しく微笑ませて話を続ける。


「落ち着いていますね」


「そ、そうですか?」


 相手は赤い着物を着ていた。そこには黒い鳥が数羽はばたいており、普通のより足が1本多いのではと見受けられる。


「ええ、大抵の方は挙動不審ですもの。辺りをきょろきょろしたり、上から下まで不躾に私を観察したり…。それに比べ、あなたは真っ直ぐと私の目を見てくれますね」


 女性は首を軽く傾げにこりとする。


 これは褒められているのだろうか

 よし、好印象だ

 …って違う違う


 中学を卒業する前に私は職を求めた。

 家は豊かでなく、成績がよいわけでもない。将来払い続ける奨学金をもらってまで勉学に勤しむ気のない私は、3年の初め頃から勧められるままに職活を始めた。

 

 そう、私は度重なる面接で、椅子に座ると条件反射的に背筋を伸ばし、面接官もとい不可思議な女性の目を真っ直ぐ見ていたに過ぎない。相手が私の名前を知っていても履歴書を出してれば当然のことなので、割と疑問に思わなかったのもそのためだ。


「私の名は黒羽くろはです。以後お見知りおきを」


「よろしくお願いします」


「…さて」


 首を軽く斜めに降ると、扇を狭くたたみ、口元だけ隠される。整った顔だが、なぜか奇麗とか美しいとかの感想を抱けない不思議な顔立ちだった。


「すみませんが、世俗の話に花を咲かせている暇はございません。手短に済まさせて頂きます」


 その瞳が鋭さを増す。


「あなたは、死にました」


「あ、はい。おっしゃる通りで」


「疑問は?」


「いえ、あれは即死だと思います」




 ガタンゴトン ガタンゴトン


「あへ?」


 はっと目が覚める。


「次は嵐山駅~、嵐山駅~」


 垂れる涎を拭っていた私は、放送を聞いてほっとする。

 今日の面接の手応えもいまいちだった。日に日に面接への緊張はなくなっていくが、何より私に魅力がなく、売り込めた感じがしない。


 上達したといえば、スーツを着るのが速くなったのと、寝てしまっても降りる駅の手前辺りで起きれるようになったぐらい。


 読もうと思って広げていた本が膝の上で広げっぱなしだった。本を畳み鞄にしまうと、それを肩にしょって、父から借りた旅行ケースを転がしながら席を立つ。


「あ、お土産お土産!」


 扉付近まで来て、頭上の荷物置きスペースに入れていたお土産袋を思い出す。慌てて取りに戻り、どうにか扉が閉まる前に急いで電車を降りるのだった。




「ふぁあ」


 あくびを隠すこともなく大口を開ける。時刻は夕時。コツコツと響く足音が夕闇に響く。特に何か考え事をするでもなく、ぽけーっと歩いていた。寝起きは弱いのだ。


 カンカン カンカン


 踏切に引っかかる。丁度良いと手荷物を置き、ひとつ伸びをする。


 んぎぃー、ふう

 今日のご飯何かなぁ

 まだ挽肉って残ってたっけ

 そぼろ丼がいいなー


 闇がかかる赤い空をなんとなく見上げていると、


 わー わー


「まだ間に合うぜ、いけるし」


「俺知ってるー。踏切が降りてもすぐは電車こねーもん」


「ちょっと待ってー」


「わあ、危ないって」


 わー わー


 隣をダダッと少年少女達が駆けていき、先頭にいた2人は迷わず踏切の下をくぐって向こうへ走っていく。


「こらー、危ないぞー」


 一応私は注意する。彼彼女らは近所の子供達だった。内何人かは顔と名前が一致する。

 遅れた2人はちらっと私を見るが、特にためらわず踏切を越えて行ってしまう。


 これは常習犯だ

 後で言って回らないと


 帰宅後の用事が増えたと子供達の行動にため息が出る。


 …あっ


「あっ!」


 それはスローモーションのように私の視界で起こった。最後尾にいた女の子が転ける。名前は知らない。ゆっくり動く世界の中で、視界の端のずっと遠くに捉えたのは迫り来る電車。


 直感があった。


 これはヤバい


「手、手が抜けない!」


 女の子が叫び声を上げる。それを聞く前に私は踏切内に入っていた。


「兄ちゃん! お兄ちゃーん!」


 涙ぐみ叫ぶ。見ると先頭にいた少年が驚愕しあたふたしている。その子には覚えがあった。


 ということは


「美咲ちゃん!」


 名を呼びながら駆ける。この子は隆司君の妹、美咲ちゃん。いつもお兄ちゃんの影に隠れていて記憶に浅かった。


 彼女の元へ辿り着く前に、手を掴んで離さない路線へと目をやる。その手元を見て、察した。


「手をパー! ジャンケン! パーしな!」


 転んだときに路線へ手を突っ込み、そのまま力んで拳のぐーだった。抜けない理由はなんてことない。緊張と焦り。私が初期の面接で何度も失敗した原因だった。


 走り寄り、彼女の脇をぐっと引っ張る。手元を緩めた美咲ちゃんはすぐに路線から解放された。


 投げるより走る!


 その判断は正しかった。投げるために、私が助からなかっただろう。


 …あ!


 だから、遅れが命取りだった。

 運動靴とは違い、高めの踵を持つ革靴では、駆け出す後ろ足がうまく地を蹴らなかったのだ。簡単に言えば、後ろ足が滑り、走り出せず横転した。


 まずい!


 胸元に持ち上げていた美咲ちゃんも一緒に倒れそうになる。だから私は、彼女の背を押した。


 もちろん、踏ん張っては私が助からない。




 故に私へ、最後の務めが発生した。




「目を、つぶれ!」


 倒れる途中、ポケットに入れていた、お土産のおつりを鷲掴む。そして彼 彼女たちへ投げつけた。

 横に傾く景色の中、逃げられずとも、それぐらいの時間はあった。

 私の言葉もあったからか、中身の小銭を ぶち撒けられた3人は反射的に顔を腕で覆い目をつぶった。


 これで、私の死ぬ瞬間が脳裏に残ることはない。事故のトラウマは残るだろうが、その瞬間を見たか否かでは大きな差に違いない。それに、


 私も女だし、そんなひどい最後が身近な人の記憶に残るなんて、ちょっとね


 パッパッパパーーーー!


 警笛と共に電車が迫る。


 …あ ―― 。




「……」


 着物の女性にじっと見つめられ続ける。


 その視線を正面から受け止めていたが、居心地が悪くなり少し苦笑いした。


「ええ、あなたは即死だったわ」


「はい」


「でも死に方を確認したかったのではないの。あなたに死の自覚があればそれでいいです」


「はい」


 ばっと扇を広げ、最初の様に口元を隠す。


「それじゃああなた、転生しなさい」


「は、…え?」


 女性がすっと手を伸ばし、机の上をそれが横切る。するとそこには急須と湯飲みがひとつづつ置かれていた。そして引く手をテーブルに降ろすと、そこには帳簿のようなものが出ている。


「本当ならあなたには選択権がある。今までの世界に才能を身につけて輪廻するか、別世界に女神の加護を受けて転生するか、はたまた天国へ導かれ魂の安らぎを得るか。あなたの自由」


「女神?」


 聞き慣れない言葉があった。


「あなたの目の前にいるのがそうよ」


「……」


 女性をまじまじと見るが、ここまでくれば嘘もへったくれもないだろう。そういうことなのだ。なんとも不思議な死ぬ間際の夢だった。これも走馬燈と呼ぶのだろうか。この女性をどこで見たのか思い出そうとしていたが、いまだ誰だかわからない。


「あなたがここに来る予定はなかったわ。本来なら男子のはずでしたから」


「男の、子?」


「ええ。現世ではパッとしなくても、とある異世界に適正のある魂よ。寿命を迎える前にいらっしゃるはずでしたが、まあ待つとしましょう」


 帳簿を縛る糸を手でいじりながら答えてくれる。


「それよりもあなた」


「はい」


「あなた、私たちの手帳に載ってないのよ」


 手帳を手で押さえると、それはふっと姿を消した。すると、女性の纏う雰囲気が変わる。目に力が入っており若干空気が重くなるのを感じた。


「普通にいるの。自分で現世に輪廻する生物とか、魂の残らない生物は」


 そこでいったん言葉を切る。


「そして、あなたは後者」


 私はごくりと唾を飲んだ。


「急に出てきた相手を見たくてね。ちょっと、バラバラになってた魂を復元してみたの」


「バラ、バラ?」


 そこで初めて自分の姿へ意識が向かう。

 薄い胸をぽんぽん手のひらで叩いたり、腰を掴んだり、顔や太ももを触って確認したり。

 スーツを着ているという点を除けば、それは至っていつも通りの自分の体だった。


 ほっと一息つき、手を膝の上に戻す。


 ぽたっ ぽたぽた


 鼻血が垂れた。


「…え?」


 右腕が切れてずれ、左腕や左足は折れ曲がり、右足はぐるぐる回転し出す。そして胴からぶつりと音が聞こえた。全身から血が流れ出す。


「ひぃっ!」


 痛みはないが、奇々怪々な現象を起こす自分の体に恐怖の声が出る。そして直感で、このままでは自分が消えるとわかった。


「飲みなさい」


「…!」


 頭からも血が吹き出て混乱極まる中、何を、と思った。


「飲みなさい」


 扇で顔下半分を隠し、落ち着いた口調で繰り返される。


「…!」


 私はいつの間にか液体の満ちている湯飲みを見つけた。それにかぶりつき、どうにか両手で押さえて飲み干す。


「…はぁっ! …はぁっ! …はぁっ!」


 効果は劇的だった。私は元の健全な体へ戻る。削ぎ落とされていた自己の存在感も戻ってきていた。


「理解したかしら」


 首を軽く傾げて問われる。


「…!」


 とりあえずこくこく頷く。そして湯飲みにまた液体が満ちているのに気付くと、それを急いで飲み干そうとした。


「そんなに焦らなくていいわ。ゆっくり飲みなさい」


 無理です、とは声に出さず、びくっと動きを止め、口に入れた分だけごくんと飲み干す。

 机に湯飲みを置くと、また液体が満ちる。私はそれを震える両手で握り締めた。


 話を信じるなら、これが私の命綱


「このままだと、あなたは消滅するわ」


 初めの頃の雰囲気に戻り、そう淡々と告げられる。


「そ、そんな…!」


「これはあなたたち生きるものの責任よ。肉体と精神を鍛えねば、魂は強く実らず、ただ移ろう世に消えるのみ」


「そんな…」


 それでも抗議の声が掠れ出る。


「はっきり言うと、ここに来るはずだった少年の方が、あなたよりしっかりした魂を持っていたわ。あなたどれだけ手を抜いて現世で生きてきたの?」


 顔を背け、蔑んだ視線を送られる。


「……」


 顔を俯け黙る。確かに自分はこれといった努力をすることなく、ただ周りに流され、波風立てないよう生きてきた。みんなが持つような大きな目標とやらもなく、都会に出たいという気持ちもなく、地域のために何かしたいというわけでもなかった。


 熱中するものも特にない。あったのは与えられた道徳、教えられた善と悪、法による義務と権利だった。


「……」


「……」


「…まあ、あんな死に方しなければ、自分で現世に輪廻するぐらいにはなったかもね」


「……」


 私は俯き続ける。


「だから、私はあなたに機会を与えるわ」


「…え?」


 私、消えなくて済むの?


 希望を求めて顔をあげる。


「もう1度チャンスをあなたにあげる」


 彼女は扇で顔下半分を隠し、目元を優しく微笑ませて話を続ける。




「転生しなさい、飛鳥」


 思い返せば、それは最初の言葉にあった。


「…転生? は、はい!」


 先ほどの恐怖がまだ体にこびり付く。消えたくない。こんな終わり方いやだ。私は湯飲みを一口飲むと話の続きを待った。


「あなたは異世界に行きます」


「はい」


 異世界…


「元は少年が行く世界に通ずる穴であるため、女性のあなたでは生きづらいかもしれません。冒険と危険に絶えない世界です」


 危険が、絶えない…


「それでも、が、頑張ります」


 とりあえず今消えてしまうよりましのはずだ。二つ返事で頷いた。


「…まあいいでしょう」


 その返答に女性がにこりとする。


「それでは、あなたに使命と、女神の加護を授けることにします」


「女神の、加護……?」


 そうだった

 この女性は女神


 覗く目元を優しく微笑ませ、女神は話を続けた。


「本来なら選べる所ですが、あなたに用意された加護はこのひとつしかありません」


 そういうと、湯飲みが水面ぎりぎりまで液体で満ちる。


「…水を増やす、加護ですか?」


 くすくすと笑うと、飲み干しなさいと言われた。


「……」


 行儀が悪いが、顔を近づけこぼさないように啜り、そこから一気に飲み干す。


「……?」


 特に変わった様子はなかった。


「あなたへの加護は『再循環』、『再利用』、『再構築』、言い換えるならば『リサイクル』です」


 リサイクル?


 いまいちピンとこない。


 すると突然、湯飲みにびしりとひびが入った。強く握り締め過ぎたかと慌てる。


 ぽう


 こ、これは…!


 手のひらから淡い桃色の発光が起こる。それが湯飲みを包み込むと、走っていたひびがたちまちに塞がり元通りになる。


「女神様! こ、これ!」


 元に戻った湯飲みを両手で抱え上げる。


「それが私の加護、『再構築』です」


「すごい! これが!」


 驚嘆の声を上げ湯飲みを覗き込み続ける。


「これでもう、あなたの魂がバラバラにほどけることもありません」


「…あ」


 女神の加護、『再循環』、『再利用』、『再構築』、別名『リサイクル』。それは形の変わり行くものを変わる前に戻し、何度も再利用する力である。

 彼女の一時的にしか元に戻らなかった魂は、この加護により生前の形を取り戻したのだった。


 後は彼女がここからどう自分の魂を鍛えていくか。壊れる以外の再利用の仕方をどう模索するかは彼女次第である。


「う、うう…女神様ぁ、…あ、ありがどうごばいます」


 あの恐怖を味あわなくてよい。その安心と、改めて自分を救ってくれた女神への感謝の思いがこみ上げてきて、お礼の言葉にどうしても嗚咽が入る。


「…しみったれたのは嫌いよ、私」


 女神はふいっと顔を背けた。


「う、うぅう、ごべんなざい。でも、うれじくて」


 ぽろぽろと涙がこぼれる。しばらくは止まりそうにない。


「……」


「うう、ぐすっ、ううぅう」


「……」


 女神は静かに目を閉じる。


「…もうお行きなさい」


 そういって女神が席を立つと、


「…!」


 突如全身を浮遊感が襲う。私はどことも知れない、地上のない青空に投げ出されていた。


「女神様あ!」


 その空間の、近くはない一点に、なおも顔下半分を扇で隠し、すっと佇む女神を見つけた。

 女神を見つけた瞬間、世界の半分が夕暮れ時に染まる。


「魂を鍛えなさい、アスカ。…健全な精神は健全な肉体に宿ると言います。暇があれば体を鍛えるのもよいでしょう」


 そして背を向けてしまう。女神と自分との距離がどんどん開いていく。


 そんな、待って


「使命…! そうだ使命! 私はまだ黒羽様の使命を聞いていません!」


 なんとかして話を続けようと、行ってほしくない、別れたくないと考え、返事がもらえそうな言葉を投げる。

 女神は、ああ、といって扇をぱちんとたたむと、振り返らずに述べた。


「生きなさい」


 2人の距離はどんどん離れていくのに、その声は明瞭に耳へ届いた。


「生きる!? それだけ?!」


 女神に対し失礼な返しだった。だがどうしても会話を終わらせたくなかったのだ。


「そう、それだけよ。そして次は、もっと満足に死になさいね」


「…っ!」


 ばさばさと髪が、服が、風で煽られる。落下しているような浮遊感なのに、私はどんどん後ろに引っ張られていた。まだ話していたいのに、もう言葉が見付からないことがもどかしい。


「そうでしたアスカ」


 終わりと思っていたら、女神が扇を広げ、すっとこちらを見た。


「…!」


 その言葉を待つ。


「少女を助ける生き様、見事でした。しかし次は、相手を助けるのなら、自分も

 ―― 」


「……」


「 ―― あなたも、生きなさい」


「……」




 生きること、アスカに生きてほしいこと、それが女神の望みであり、この転生の意味だとアスカは気付く。




「…め、女神様」


「……」


 女神はぱちんと扇を閉じ、もうこちらを振り返ることもない。


「導きの神、八咫烏黒羽が印をもって通す」


 扇を持っていない腕を横に伸ばす。


「この者を転生させん」


 青空と夕暮れが一転し、星降る夜空が現れる。その流れ星に押しやられるように、私はより強く彼方へと飛んだ。


「ありがとうございます、黒羽様! 私、生きます! 生きてみせます!」


 もう女神黒羽の姿は見えない。しかしその言葉が届いているか否かに関わらず、アスカの心はすでに満たされていた。

 夜空でくるりと反転し、自分が進む方を見据える。もう振り返る必要はない。女神黒羽との出会いと別れに、今までの面接にない手応えを感じながら、そんな風に捉える自分にくすりと笑い、異世界を目指す。




 お母さん、お父さん、弟、先生、友達のみんな、それと近所のガキども、……私、死んじゃったよ

 …ごめんね


 でも、私 元気でやるから

 向こうでも、私 元気で生きてるから!


 みんなも、元気で生きるんだよ!




 それじゃあ、私、行ってきます!!




 こうして私は転生した。



 

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