5-2
あくる日、用事を済ませた後に時間があったので、ほたるのところを訪れようと思った。彼女と親しくなったのは聖蓮の死後だが、聖蓮のことを少しだけ覚えていてくれる。
ほたるの意識は回復していた。だが、なかなか歩けるようにはならなかったし、箸を握るのも大変らしかった。脳の深部に微細な損傷があるのか、リハビリには時間がかかっていた。杖を突く彼女を見るたびに修は罪悪感に襲われる。自分の体の痛みなら耐えられる。だが、無関係だった彼女がつらい思いをしなければいけないのは納得できない。
それなのに、彼女は修が訪れるたびに尊敬の念をこめて見つめ返してくる。そんなほたるに対して、機神の中にいたからやむを得なかったとはいえ拳を振るったことが思い出され、なぜもっと彼女を仲間に引き入れなかったのか、とますます苦しめられた。
外を歩こうとすると大抵はアンドロイドの仰々しい警護がつくのだが、今回はただの青年のふりをしたかった。それでも、最低限一人はついてこさせるように春香からは要請された。彼女はいまや、タルタロスのシステム全体のインターフェースだ。逆らっても面倒だと思い、修と同じような背格好の個体を選んだ。
体裁としては、仲間と友人の見舞いに行く青年といったところだ。サングラスや帽子で顔を隠すと意外と気づかれない。修にそれだけ軍人らしさがないのか、それとも人々はまさか目の前に修がいるはずがないと思っているのか。
ほたるの入院先は設備の最も充実している病院が選ばれていた。部屋も個室があてがわれている。受付に尋ねると、彼女はリハビリ用の部屋にいるそうだ。だが、いざ行ってみるとどういうわけか作業療法士が廊下にいた。訳を尋ねると、客が来ているとのことだった。リハビリ中だと言って追い返さなかったのか気になったが、有無を言わせぬ様子で、やっとのことで会えたのだから邪魔をしないでくれ、と釘を刺されたらしい。
覗いてみると、確かに先客がいる。何かを頼みこまれているようなのだが、それを断り切れずに困っている様子だ。
修は部屋に入る。その人物は物音に驚いたようだった。何もそこまで怯えることはないだろう、というほどだった。
「ああ、あなたでしたか」
和田だった。ひどく汗をかいていた。安堵するような言葉とは裏腹に、修の姿を認めると急に姿勢を正し、ほたるに背を向けた。頭を下げようとしているのだが、同時に面と向かって話をしたいようでもあり、教師の威厳を捨てきれない様子もある。それらが合わさってぎこちない動きになっている。
「槻に何か用ですか」
別段詰問するつもりはなかったのだが、それが和田をひどく慌てさせた。
「いえ、あのですね、じつはあなたには謝罪を申し上げたいと思っていたのですが、どのようにしてお目にかかればいいのかと混乱しておりまして。地位も身分もあるあなたですから、なかなか接点が持てませんで」
そこにいたのは教師というよりも、上官に不始末を見つけられた兵士のようだった。目的がわからない。その上どうしてほたるの部屋にいたのか。疑問に思っていると、しどろもどろになりながら和田は続ける。
「一度あなたのお姉さまに対して、大変失礼なことを申し上げてしまい……、それであなたがひどくご気分を害されてしまったように思われまして」
何の話をしているのかわからない。沈黙していると、相手はますます冷や汗をかき、言い訳を繰り返す。ときおりほたるのほうを横目で見ているが、彼女もどうしたらいいのかわからないらしい。
「学校にお戻りになった最初の日のことでございます。あのときは大変なご無礼をいたしまして」
なるほど、と修はやっとのことで理解する。そういえば和田が久しぶりに修が登校したとき、姉の死に言及した。修が腹を立ててその後の授業を休んだ日のことだ。そのことを謝罪したいのか。
どうやら和田は、ほたるに取り入ることで修にことづけを頼もうという魂胆だったらしい。いつ罰せられるか戦々恐々としていたのだろう。今や修は最高権力者のすぐそばにいる英雄であり、軍事に関しては彼に一任されているのだから。
だが、四度の戦いと交渉を潜り抜けてきた修にしてみれば、彼のことなど、もはやどうでもよかった。彼の慌てぶりも馬鹿馬鹿しく思われた。
「もう、いいですよ」
和田は恐怖の底に突き落とされた顔をした。だが、すぐに修の様子から、自分の身の破滅ではないと気づいたらしい。
「お許しいただけるのですか」
「……許すも何も」
きょろきょろする和田にため息が止まらなかった。
「別に僕が権力を持っているわけではありません。僕は一介の兵士に過ぎないんです。それに、海原は司法制度を民主化しただけで、彼女に絶対的な権力があるわけではありません。たとえ僕があなたを許さなくても、気に入らないという理由だけで罰したりはしませんし、できませんよ」
「それは、……どうも」
「だからどうか、立ち去ってください。あまり槻に負担をかけないでほしくないので」
彼は頭を掻き、こびるように笑ってからそそくさと立ち去った。ほたるにはまるで無関心だった。そして、許しを得たのだから、この部屋を訪れることは二度とないだろう。それに、修ももはや学生ではない。彼と関わり合いになることも今後はないだろう。彼はひょこひょことと部屋を去った。
滑稽だった。和田が帰ってみれば、彼がほたるに特進クラスをすすめたこと、つまりタカマガハラ族の一員として戦いに参加させたことの方が罪深いように思われた。そのことで責めてやればよかったかもしれない。そのことに気づかなかった自分の身勝手さに腹が立ち、握りしめた手にも痛みが走る。だが、所詮は上から命じられたことを愚直に実行したに過ぎない。彼はその程度の人物なのだし、怒りを燃やすことさえエネルギーの浪費に思われた。
和田がいなくなったのを確認すると、ほたるに頭を下げる。
「槻、ごめん」
彼女はきょとんとしている。
「どうして謝るの?」
「なんだか、こうなってしまったのが僕のせいみたいだったから」
「……?」
「厄介な人が来るのも、君が歩く練習をしないといけないのも、僕に原因があるから」
僕がもっと早く君を仲間に引き入れてくれれば、君は機神に乗せられることはなかった。ずっと安全な場所にいることもできた。怪我なんてしなかった。僕のつまらないためらいが君を不幸にした。
けれども、そんなことは何でもないみたいにほたるは笑っている。
「そうかな。……なんだか、謝られるとおかしな気持ちになるよ」
「でも、君は無理やり戦場に連れていかれた。それに、僕に倒されるときに怖くはなかったのか」
「大丈夫だった。私には、庵地君が私を助けてくれようとしているのがよく分かったから」
「どうして」
「わからないけれど、何か通じ合うものがあったの」
その様子は、修が機人に乗る前から変わらない、優しい少女のものだった。
いや、そうだろうか。感謝を述べるほたるの顔には、隠しきれない怯えがあった。
それは暴力によるものではない。だが、機人や機神を通して感情が流れ込んでくる経験は恐ろしい。そして、戦いのさなか、修にほたるの淡い夢が吹き込まれたのと同じくらい、ほたるにも修の感情が流れ込んできたはずだ。修は理解できない力の使者になってしまった。圧倒的な情動の荒波。修の中の、醜い本音と怒りを目の当たりにしてしまったのか。
ほたるは精いっぱい自然に振る舞おうとしている。委員長としての責任をこの期に及んでも感じている。
「これからも、頑張ってね」
修はぎこちなく礼を述べる。
部屋を出るとアンドロイドではなく、黒江が待っていた。なぜ修がほたるを訪ねたのを知っていたのかはわからない。もしかしたら監視していたのかもしれないと思い、少しだけむっとする。けれどもそれを軽くいなすように黒江は笑う。
「満足した?」
少し皮肉気な笑み。私はあなたがそこで何をしたのかよく知っている、とでも言いたげだ。修は、まったく気にしていないように続ける。
「ああ。元気そうで安心した」
確かにほたるは、修にとっての数少ない友人だ。修がシーシュポスの搭乗者であろうと関係なく接してくれようとする、おそらく唯一の人物だ。黒江と違って何の利害関係もない。
そこに黒江が嫉妬しないはずがない。でも、自分の方が優位だと信じている。その自信はどこから来るのか。おそらくは、修と同じ戦いに身を投じたことによる連帯感。あるいは、ほたるよりも修の心を理解しているという確信。事実、修が悩みを打ち明けるのはほたるではなく、黒江だ。
彼女はこっそり修の体に触れる。触れた場所の服の下には黒江が軽く噛んだ跡が残っている。それも黒江の自信の理由なのかもしれない。
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