4-14

 いつものように自分を吐き出す感触だけではなく、ほたるも引きずり出される感覚もある。二人して液体にまみれ、それを吐き出す。ぐったりしているほたるを見ると、まるで自分のせいでそうなったのではないかと罪悪感まで覚える。ほたるがむせこんでいるのは事実、自分が彼女を飲み込んだからだ。

 修はほたるを揺さぶるが、彼女は間欠的に透明な液体を吐き出すだけで、息をするのも苦しそうだ。修もむせこみ、横隔膜に激痛が走り、思わず声を漏らす。痛みがよみがえっている。近寄ってきた黒江に助けを乞うような目を向ける。僕は機人から降りたときは、こんなに無力に見えていたのか。

「気を失っているだけ。私が面倒を見る」

 黒江は冷静だった。同じ女性だからというのもあるのだろう。

「助かる」

 また痛い。さらなるシーシュポスからのフィードバックか。深呼吸をするうちにそれは落ちつく。霧島はそこに近づく。春香はそこを離れない。霧島に手を上げかけた修のことを警戒しているようでもある。

「二人ともお疲れ様。いや、三人というべきだろうか。それで、あの女の子はどうするんだい。僕らの味方ってことで構わないのかな」

「……いずれにせよ、タカマガハラ族の中に彼女の居場所はないでしょう。だったら、僕らが保護するしかありません」

「だろうね。僕は君のそういう優しいところは買ってるんだ。本当だ。僕にはとてもできない判断だからね。……それにしても反重力装置、もったいなかったなあ。あれがあれば、万物理論についても理解が深まったことだろうし、そうしたらいくらでも複製してあげたんだが」

 余計なことを、と修は思う。だが、霧島は告げる。

「そうそう。たった今、タカマガハラ族側から和平交渉の提案があった」

「本当ですか」

「ああ。こちらの機械に直接アクセスしてきた。……シーシュポスの活動限界時間を過ぎていたから探知されてしまったんだろうね。だが、向こうの機神は残り三体、こちらはティテュオスを修理してぎりぎり二体。これ以上は不利にはしたくないんだろう。……どうする。今すぐにでも返事をするかい」

「ひとまず、相手側の条件を聞きだしてから改めて会談をすることにしましょう。できることなら、私としても体調を整えたい」

 霧島は端末に耳を押し当てたが、首を横に振る。

「……無理みたいだ。今すぐにでも最低限の条件を決めたいらしい」

「強情ね」

「仕方がないだろう。向こうは何が何でも停戦に持ち込みたいんだ。……おっと。海原さん、ご指名だ」

「わかった」

「そういうことだ。そうそう、庵地君。交渉だから腹の立つこともあるだろうけれど、我慢してほしい」

 少しだけ修に怯えていたのだろうか。それにしても、なぜ海原が指名されたのか。修の方が戦いに出ている回数は多いのだが。

 霧島は端末を操作し、相手の姿をスクリーンに映し出す。そこにいたのは、年齢を重ねていて油断ならない印象はあるものの、特に修と違った点のない姿だった。

口調に丁寧さはない。あくまで対等、あるいはこちらが上だというつもりらしかった。

「そちらが代表者か」

「はい」

 これが、修にとっては初めてのタカマガハラ族の姿だ。そこには何の異状も認められない。あれだけ異様な機神を動かしていたのだから、さぞや人間離れした存在たちだろうと、無意識のうちに思っていた。だが、おそらく街の中に紛れ込んでいても、誰もそれと気づかないだろう。

「改めて問う。君たちは何者かね」

 黒江は冷たく応じる。

「日本国の継承政権、とでも名乗りましょうか」

 相手はその言葉にひるんだようだった。何千年も前にこの一帯を支配していた国家の名が、なぜ彼らを脅かしたのか。

 その人物は、しばらく黒江の顔立ちを観察していた。あたかもその意図を探ろうとするかのように。次に口を開いたとき、交渉者は話題を変えた。

「その顔つき。……もしや海原の娘か」

「ええ」

 黒江の顔が曇る。修は嫌な予感がする。知らなければよかったことが明かされるのではないか、動揺させられて傷つくのではないか、と身構えずにはいられない。

「よくも生きながらえてきたものだ。君が生まれたのは、海原がタカマガハラ族から離反してすぐのことだったはずだが。彼の堕天からすでに三百九十二年が過ぎている」

「……!」

 それは黒江がタカマガハラ族の娘ということか。こんなに身近な女の子が、あの憎たらしいタカマガハラ族と同じ種族なのか。修は全身を固くして、さらに明かされる事実を待ち構えている。

「……長い人生はつらかったことだろう」

「私は平気でした」

「だが、ヒトの一生ほどの間、孤独のうちに正気を保っていたのは大したものだ」

 修は事態を受け止められない。黒江は自虐的に見える微笑を浮かべる。

「私は一人ではありませんでしたから」

「だが、君と友人の間に流れる時間は同じではない。君はとどまり、彼らは去って行く」

「……それよりも、本題に入りませんか」

「結構。まず、これまでにいくつもの流血があったことは認めねばなるまい。みなとみらい、渋谷、港北ニュータウン、それから湘南一帯。被害は甚大だ」

「私の望んだ結果ではありません。もちろん、あなた方も」

「ああ、剣を取るものは剣によって滅びる、と聖典にもあるようにね。私たちは、それを憂いている」

「わかりました。停戦に応じましょう。私たちが望んでいるのは、平和なのですから」

「ありがたい」

「ですが、私たちとしても要求があります。まず、私たちの活動をすべて合法的なものと認めること。次に、私たちの思想を広めることを許可すること。それから、戦いによる損害の賠償をともめないこと。最後に、多摩川以南を、それからいくつかの放送局、衛星を無条件で割譲すること」

「しかし」

 一息に告げられた言葉に相手はひるむ。タルタロスの活動を合法的なものとすることは、タカマガハラ族の教義には瑕疵があると認めるも同然だった。それは、盤石のタカマガハラ族の体制に穿たれる蟻の一穴である。

「嫌ならそれで構いません。交渉は決裂です。あなた方が全軍を投入しても、私たちには対決できるだけの戦力はあるのですから」

 向こうでは何人が固唾をのんでいるのだろう。そして、どんな専門家が背後についているのだろう。黒江の後ろにはたった二人の男しかいないのに。

 相手の沈黙に、黒江は譲歩をしてみせる。

「わかりました。それでは、多摩川以南の復興はこちらが持ちます。ただし、互いの都市圏の往来は自由に認めてもらうことになります。まさか、多摩川沿いに延々と壁を築くわけにもいかないでしょう。水資源は互いに必要なのですから」

 あるいは、もしかしたら最初からそのつもりだったが、有利になるように譲歩という形で表明をしたのかもしれない。相手は沈鬱に彼女の提言を受け止める。

「やむをえんでしょうな。……今回についてはこの程度にしておきましょう。細部については後ほど」

「構いません。停戦の原則が守られることを、私も第一とします」

 通信を切ると、彼女はくたりと肩を落とした。酷なことだった。機人を真っ二つにされるような戦いの後で、修たちの運命を担う交渉に駆り出されたのだから。相手が彼女を呼びだしたのも、その計算があってのことに違いない。

 彼女は放心したように無言だったが、ややあって立ち上がり、どこかに行こうとする、

「どこに」

「もう一度お風呂に。嫌な汗をかいた。修も、疲れているだろうからベッドで休んでて。部屋は準備してある。霧島さんも、もしよければ」

「ああ、僕はソファで横になれれば十分だ。春香と話していれば気分も晴れるだろう」

 そして修は、アンドロイドの少女を後にする。彼女はもう一度コーヒーを入れるために立ちあがっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る