2-6

 機人の前に立つ。それは横臥している。見つめていると、急かされるように黒江からスーツを手渡される。すぐに着替えろということらしい。

 同じ年頃の女の子のそばで裸になるのはやはり落ち着かない。自分の身体の弱々しさが気になるし、見透かされているような気持ちになるからだ。

「……衝立くらい用意しておいてもらいたいな」

 そう呟いても黒江は動じない。先ほどの感傷的な彼女の姿などどこかに行ってしまっていて、機人の戦いを見守ることに徹している。修には、彼女の変化の激しい内面を考えると混乱する。自分とは心の働きが異なっているのではないか、とも感じられる。

 下着を制服で包んでからスーツを身につけ、脱いだ衣服を黒江に乱雑に投げる。横たわる機人の肉体の上をよじ登る。全身の装飾だと思っていた突起が梯子の代わりになっているのだと知る。そして、その巨大な口の中をのぞきこむ。以前は高いところから飛び込んだが、今回は顔の上に立っている。そんなことはありえないだろうが、機人がくしゃみをすれば修などつま先まで吹き飛ばされてしまうだろう。

 足元には巨大な裂け目と、それを縁どる唇がある。足の裏からシーシュポスの心臓の鼓動も感じ取れる。間違いなく生きていた。

 修は、その生物に取り込まれるためにそろそろと降りていった。覚悟をしているためかもはや怖れを感じない。それとも、あまりに恐ろしいので現実感を失っているのか。

 喉の奥の肉壁に体をねじ込ませると、シーシュポスは修を飲み込む。徐々に身体が奥へと押し込まれていく。呼吸に困難は感じないが、体が押しつぶされ、ねっとりとした液体で濡れる。意識が伸び縮みし、どこからが自分の身体なのかわからなくなる。境界線がゆがみ、靄のように薄れ、霧のように広がっていく。機人の四肢の隅々にまで意識が浸透していく。

「搭乗者、疑似瞑想レベル上昇。覚醒度は許容値内です」

「了解。シーシュポス、発進」

 強い加速感がある。夢のようであったとはいえ、前回の時と違って多少は意識が残っている。初めての戦いでは気づいたら地上にいたが、今回は自分が、つまりはシーシュポスが地上へと打ち出されるのを感じられた。

 修は全身が硬いものに当たり、それを砕いたのを感じる。まるで卵の殻を破り、あたりの眩しさに驚いているひな鳥のようだった。どうやら、機人は無理やり地面を突き抜けるかたちで地上へと打ち出されるらしい。桜木町で感じた全身の痛みはそのときのものだったようだ。しかし、今回はそれに慣れてしまったのか、それとも全身を覆う装甲が強くなったのか、瓦礫の山から身を躍らせて渋谷を見回したときには、苦痛をまったく感じなかった。

 駅の南側で全身を起こすと、機神は恵比寿方面から接近していた。

「ああ、悪いんだけれど」

 耳元で霧島の声がする。

「機神の肉体からサンプルを手に入れてほしい。調べたいことがあるんだ。余裕があったらで構わないから」

 修はうなずく。黒江はその言葉に続く。

「霧島さん、あまり無理をさせないで。修、とにかく機神を倒すことだけ考えていればいいから」

 修はもう一度うなずいた。そして、初めて黒江から名前を呼ばれたことに気が付いた。姉以外の誰かから名前で呼ばれることには慣れていなかったが、訂正する暇もなかった。

 先ほどまでは、機神は青く輝く偉大な竜のようのように見えていた。長く伸びた首と尾は先史時代の爬虫類のように精妙な均衡を保ちながら、全身の筋肉が古代の海のようにうねっていた。

 だが、実物を見れば数え入れない虫のような脚が付属しており、それらがうごめくことで前に進んでいる。数えきれないほどの体節を持つ節足動物を連想させる。その無秩序な動きには嫌悪を感じた。全身はシーシュポスよりもはるかに長い。ゆらゆらと知性のなさそうな動きで接近する。

 そうしていると、口を開けてこちらを見ているのもだらしなく感じられる。また、建物を避けて進んでいたとはいえ足元の道路は無残に破壊されており、後ろには壊れた車両が数えきれないほど並んでいた。

 機神の第二位格は、シーシュポスの姿を認めるや咆哮し、鋭い歯とうごめく舌を白日の下にさらした。貪欲に涎を垂らしている。そこからは腐ったような臭気が漂っていた。まるで死肉をあさってきたばかりのようだ。

 爬虫類にしてはあまりにも大きな声で吠えると、おとなしかった機神は突然尻尾を振り回して周囲の建物を打ちのめした。それは威嚇であったのか、それとも興奮のあまり理性を失ったのか。そもそも機神に心というものがあるのか。

 修は混乱している。先日のヒト型の機神と違って動きが読めない。長い尾で蛇のように締め付けてくるのか、それともビルを破壊したように強靭な筋肉で殴りつけてくるのか。しかも、修に与えられた時間は五分にすぎず、それも刻々と過ぎ去っていく。焦りばかりが感じられる。

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