この庭には来ない
タカユキはこの庭についての考えを話し出した。
「入ってくる場所は違うのに同じ場所に来て、しかも時間の感覚と実際の時の経ち方に随分ギャップがある。過去に戻ってきたことだってあるんだ。で、僕なりにこの庭の仕組みを考えてきた。聞いてもらえる?」
私は口を閉ざした。タカユキなりに自分でこの庭のことを考えていたのだ。
「多分、ここはまず現実の世界とは全く違うところにあるんだろうね。それを前提に、この庭と現実の世界をつなぐ出入口との関係。どういう尺度なのかはわからないけど、たぶん、ピッタリ同じ場所から入れば、こちらの庭の世界の同じ時間に庭に来るんじゃないかな。それを利用して来るんでしょ。同じ時間に同一人物が来たら上書きされるからこちらの記憶には以前来た時に起こしたことは残らない」
そう。醜態がなかったことになっているのは、庭の世界では私の行動がおそらく上書きされているせいだ。
「そして現実の世界と庭の世界の時間の流れ方だけど、おそらく庭から帰るまでの時間から来るまでの時間の差が現実世界との時間差になっているんじゃないかと思う。僕らが過去に戻ったのは行きよりも帰りの方が時間がかからなかったから。マモルが三日も失踪したことになっているのは、入り口から入って庭に到達した時間よりも庭から現実の世界に戻るまでの時間がだいぶかかってしまったから。庭にいる時間はおそらくノーカンなんだろうね」
私の考えとそう変わらなかった。タカユキの雲隠れも、帰りの方は時間がかかってしまったせいだろう。私も長い時間トイレにいると嫌な勘繰りをされそうなので、時間が巻き戻るように行きの時間を長くとってあるのだ。
「そして繰り返しになるけど、同じ時間に行けば同じことが起こる。例えば、今この時間につながる入り口を見つければ、必ず僕たちに会える」
タカユキは、私のことを見上げた。
「無理してここに来るってことは、わざわざ僕に会いに来るのは、母さんがその年齢になっている時、僕は死んでるってことだよね」
私は絶句した。心臓が飛び上がるところだった。
今、目の前にいるタカユキは、まだ歩いて病院内を移動できる。意識があるうちは、ましてや動き回れる体力のあるうちは何としてでも治療を続ける気力を保ってもらわなければならなかった。できなければ、待っているのは死しかない。
「そんなことないわよ」
「嘘。なら何でここで新薬の話をするのさ。僕が死んだ後に発売されたからでしょ?」
痛いところをくじかれた。治療法については何度も医者から説明されているのだ。
あの女の顔を思い出した。
タカユキ君の、お母さんですか。
確かに、タカユキ君の病気を知ったことで、製薬の世界に飛び込みました。
患者がいなければ、処方することはできません。
タカユキ君の病気は、治してあげたかった、未だに後悔しています。
でも、もう、タカユキ君はこの世にいないんですよね……?
ぽたり、と握り締めていた私の手の甲に、しずくが落ちた。
「長生きの何が悪い」
立ち上がろうとしていたタカユキの動きが止まった。
「死ぬ直前はみんなそう。もっと生きたかった、こんなところで死にたくない、人間として当然でしょっ。寿命を全うする? そんなことできた人間なんか、ほんの一握りでしかないじゃない。ましてや、これから夢をかなえる若さの人間なのにっ。
もっと生きたいと言ってよ。どんな手段を使ってでも命に代わるものなんてないでしょ。少しでも長く生きたいと願うことの、何が悪いのよ!」
たまっていた感情をすべて吐き出すと、柄でもないのに我を忘れて号泣していた。こんな姿を見せては、親として情けない。
優しく肩をたたかれたことに気付いた。
「存在することと、生きることは違うよ」
涙で視界が悪くなった目を、息子に向けた。
「ねえ、せめてずっとここにいない? 今の体調はそれなりに良い。ここにいる限り、おそらく何も変化しない。少しでもいい状態は長いほうがいい、そうよね」
「ずっとここにいるわけにはいかないよ」
「どうして?」
「時間の止まったこの庭は、本来いるべき場所じゃないんだよ。寿命に逆らえなかったとしても、僕はこの庭を出て生きていく」
最後の望みまで、打ち砕かれた。
「やれることはすべてやる。病気とは最後まで戦う。そんなの、当たり前のことじゃないか。それよりもさ、母さんは今の生活を大切にしてよ。僕がその時生きているかどうかはともかく。
新薬は受け取らない。僕は自分がいる時間の中で、生きていく」
精一杯ほほ笑んだタカユキは、そのまま庭から立ち去って行った。タカユキが大病を患ってから、もしかしたらその前から夫とすらろくに会話もしていないかもしれない。顔を見せる孫もいないけれど、今度一緒にお互いの実家に連れていこうか。
涙を拭いた後、もうここには来まい、と誓った。
タカユキがいないまま、これから生きていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます