不思議な庭

 10年ぶりに来たかつて住んでいた家は、もぬけの殻となった日からほとんどそのままの状態で閑散としていた。芝生の庭は荒れ放題になっていたが、生垣は邪魔になるのかある程度は手入れがされていた。

 僕は何とか庭に通じる隙間を探して生垣の中に頭を突っ込んでいた。いくつか探して入ってみると、ここじゃないかと思える場所があった。ケータイをいじっていたトモミに声をかける。電車の時間もあるから、と2人でトモミのケータイの時刻を確認した。僕を先頭にずんずん入っていく。狭くて暗くて長い道のりだった。

 開けたところで立ち上がると、本当に最後に来たそのままの姿を残していた。後から来たトモミはスカートについた砂を払う。やはり制服で来るところではなかった。

「どこに続いていたんだろう」

 トモミは空を見上げるのに飽きると、ケータイを取り出した。

「ありゃ、圏外だ」

 それだけつぶやいてカバンの中にケータイをしまう。

「で? 私らしき人と会ったところって?」

 僕は噴水の前まで案内した。トモミは「おおー」と感嘆を上げていた。

 何回か来たことあるので声こそ挙げなかったものの、当時と全く変わっていなかった。大小さまざまな岩にぐるりと囲まれた、なかなか大きい池から噴く小さな噴水、その周りをぐるりと囲む、雑多に植えられた4つの花壇、その間から伸びる道、そして虫たちが現れるタイミングまで……。

「で、私がこのあたりにいた」

「うん、最後に来た時だけ」

 トモミは噴水の周りを静かに歩き始めた。ただ黙って花壇の花を眺めていた。声を発したのは、そろそろ帰ろうか、と言い出そうとした時だった。

「これ、もう絶滅したって言われているんじゃないっけ」

「え?」

 トモミはとある花を指さした。白くて可憐な花を咲かせている。

「これね、私たちが生まれる前に確か日本から姿を消したって言われている」

 よくよくその花を眺めてみた。確かに近所ではまず見かけない花だ。

「よく知ってるね」

「家に図鑑があるの。よく眺めてたから」

 彼女の表情はあまりうれしそうな顔じゃなかった。もしかしたら彼女も幼いころは独りぼっちで暇を持て余していたのかもしれない。

「ここ来てよかった」

「へ?」

「特技とかもないし。部活とか熱心にやってるわけじゃないし、辞めちゃったけど。勉強も好きじゃないし。でさ、特にやりたいこともなくてさ。友達はみんな部活とか塾とかで忙しいから誰も遊ぶ暇もないし。何となく暇してたから、今日は時間が潰せてよかった。

 それにさ、こんな珍しくてかわいい花、見れたし」

 彼女はちょっとずつ足を進めていく。

「植物のこと、知ってたじゃん」

「たまたま。生物だってテストの点そんなにいいわけじゃないし。別に好きってわけでもないし。タカユキは何が好きなの?」

 トモミはくるりと僕の方に体を向けた。

「うーん、どっちかっていうと、花より虫の方が好きかな。ここ来てずっと追いかけまわしていたわけだし」

「私はヤだな」

「かもね。でも特別好きってわけでもないし、それに小学生の頃、昆虫博士がいたからさ、研究者になるとしたら、彼みたいな人かなって」

「その彼は何してんの?」

「もっといい高校に行った」

「へえ」

 疲れたのか噴水の岩にもたれかかるようにしゃがみこんだ。僕も片腕ほどの距離をとって腰かける。

「私たち、もう少しで進路とか決めなきゃいけないんだよね」

「うん」

「何になるとか、決めてる?」

 少し間をおいて、「何となく」と答えた。

「いいな。決まってるなんて」

「本当にその道に進むかわからないし」

「でもマシだよ。私なんかなーんも決めてない」

 トモミはそろえていた足を組んだ。少しだけ健康的な足が姿を見せる。

「で? その女の人ってどんな感じだったの?」

 トモミは唐突に聞いてきた。返答できないでいると「だってさあ」と話し始めた。

「その人私より年上なんでしょ。未来の私、なんてオチだったりして」

 まさかね、とトモミは笑う。僕もまさか、とほほ笑んだ。

「髪が今の君より長くて、うん、肩にはついてた。で、柔らかい感じ」

「柔らかい?」

「何て言うか、温かそうっていうか、優しそう、でもあるけど」

 まじまじと彼女を見つめると、トモミとはイメージとかけ離れていると思った。

「別人かもね」

 トモミが言った。

「よく考えたら名前も住んでいるところも知らないのによく探そうとしたよね」

「確かに」

「……帰ろっか」

 トモミはスッと立った。僕らは元来た道をずんずん行く。やがて見覚えのある住んでいた家の庭に出た。

「どのあたりに出たんだろうね」

 トモミが周囲をきょろきょろと見回す。

「ついでだからどこだったのか確認する?」

 そうだね、と僕が言う前にトモミはケータイを開いた。

「え?」

 トモミはケータイの画面を見ながら固まった。また圏外だったのか、と彼女に尋ねようとした。

「時間が戻ってる?」

 すぐにトモミの言っていることが分からなかった。

「ケータイ壊れた?」

「いや、動くよ。そうじゃなくて。時間が巻き戻ってる」

「そんなことあるわけないよ」

「ううん。生垣のところを見つけた時間よりも5分前になってる」

 あまりに言うので僕のケータイの時計も見てみた。トモミのケータイが示す時刻になっている。

「2人してケータイが壊れた?」

「そんなことってある?」

 僕たちは駅まで駆け込んでケータイの時計表示と駅の時計を比べてみた。どちらのケータイも狂っていない。どういうことだろうか? どう考えても答えは出そうにない。結局僕ら2人で夢を見ていたんだろう、という話になった。そんなことある? とトモミは言ったけれど。

 あの日以来、トモミとは会っていない。もう受験生なのだ。そろそろ勉強に集中しなくては、という思いもあっただろう。お互い、そんなことを考えている余裕は、これっぽっちもなかった。

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