【異世界ファンタジー/魔術師見習い】その涙さえ命の色 1
ロウソクだけが灯る部屋。木板の交差模様が織りなす伝統的な作業部屋にせわしく動く影がひとつ。あたしは慎重に赤トカゲの尻尾の粉末をすりつぶすと、ぐつぐつと緑色の泡を立てている鍋のようすを確認した。
この鍋はあたしが七歳の誕生日にもらった真鍮製の鍋で、貰ったその日から毎日欠かさず磨いている。だからピカピカで鏡のよう。いまはマグマのように沸き立つ緑色の液体がたっぷり入っていて、湯気をもうもうと上げている。
すっかり原型をなくした赤トカゲの尻尾の粉末を半透明な薬包紙の上に乗せると、あたしは吹き飛ばさないよう息を止めて慎重に鍋に入れた。ひゅんと青い炎が上がる。前髪を焦がさないようにタイミングよくのけぞった。ぷわんと鼻先を刺激する臭いが漂い、緑の蛍光色の煙が細くのぼって溶けていく。
うん、ここまでは大成功。あとはスプーン一杯の『色付きの涙』を追加して簡単な呪文を唱えながら丁寧に混ぜるだけ。
柱時計を確認すると時刻はもうすぐ午前二時ってところだった。魔術師見習いでも寝ている時間だけど、大事な試験が近いんだもの、まだ休んでなんていられない。
あたしは黒色のゆったりとしたスモックの袖口を肘までまくると、鍋の底が焦げつかないようにナナカマドの枝で作ったレードルでゆっくりとかき混ぜていった。とろりとした液体は気を付けないとすぐに焦げてしまう。
眉間に力を込めて集中していると、コツコツと窓を叩く音がした。ディックだ。黒羽が濡れたように光っている。今夜は満月だ。かぼちゃのカップケーキみたい月がぽっかり浮かんでいる。あたしの視線に気づいた彼は片翼を「よう」と上げた。
「待って、いま集中してるところなの」
あたしは鍋の中をぐるぐるかき混ぜつづけていた。緑色の液体が徐々に雨蛙のような黄緑色に変化してくる。上出来だわ。さらに根気よく混ぜていると、しびれを切らした大ガラスのディックが黒い嘴の先でコンと不服そうに窓を叩いた。それからドンと強い音。きっと頭突きしたのね。まったく。
あたしは「わかった。もちろん、これは練習よ。あなたを待たせるほどじゃないわ」と声高に言ってレードルを脇に置いた。目をぐるっと回して窓辺に向かう。以前、冷たく無視し続けたせいで彼に窓を一枚割られたことがあるのだ。
しかもこのときのディックったら、あやまりもせずに「もっと割ってもいいんだぜ。おつぎはお前さんご自慢の小さくて優秀な頭をカチ割ろうか」って頑丈な黒い嘴で木枠にギギッと傷までつけた。
いまでもその傷は残ってる。バカニニですって。ニニってのはあたしの名前。何度も消そうとしたけど、やすりでこすっても取れないの。あいつ超深く刻みつけたの。また落書きしたら、あたしの髪はメデューサみたいに動き出しちゃうわ。
この部屋はあたしの師匠のうちだから、いずれは出て行くことになる。そして次に来た弟子が窓枠についた傷を見つけていうのよ、『バカニニって?』。ああいやだ、未来の魔術師協会会長になる(予定)のあたしの経歴に傷がつくなんてゴメンだわ。いつか『ここがあの偉大なニニが見習い時に使用した作業部屋です』って観光名所になるかもしれないのに。
魔術師見習いのあたしは、来週半年に一度ある昇級試験を受けることになっている。今度この試験に合格すると、あたしは見習いから魔術師として正式に登録されるの。まだ下っ端だけど、それでも重要なことよ。誰だって最初は底辺から始まるんだもん。
今回の昇級試験は二つ、ひとつは箒操縦試験――これは大丈夫、あたしは三才の頃から箒に乗っててアクロバット飛行もお手のもの、ぜったい満点なの――もうひとつは魔法薬調合試験。課題の魔法薬を時間内に作って提出する、まあ簡単な試験なんだけど、こっちはいくらあたしの能力が高くても問題がひとつだけあるの。
あたしは器用で集中力もあって冷静。だから今度の魔法薬試験も楽勝って思ってたんだけど、あいにく材料の収集に手こずってるのよね。
材料がそろわなければ、調合試験を受ける前に脱落も同じこと。試験会場では材料も使用する用具も全部自分で揃えないといけないの。試験会場にあるのは、百人は収容可能な部屋に端から端まで伸びる作業台と全員にひとつずつ配置してある簡単なかまどだけ。もちろん火は自分たちで点けるのよ。さすがに薪はあるけどね。
この試験ではこの着火魔法が苦手な子は出だしでつまずくのよね。あたしは同時に三つの作業をしながら頭の中で複雑な『ルルドの呪文』を唱えていても余裕で着火出来るけど、この魔法が苦手な子は多いわ。
親切なあたしは彼女たちの代わりにこっそり試験監督のルービー女史の目を盗んで、かまどに火を点けてあげることもあるんだけど……でも、材料集めだけはあたしの才能だけじゃ不十分。
乾燥したトカゲの尻尾――オッケー、魔女七番通りのマーサおばちゃんの薬局に行けば、100グラム98ゼニゼニで購入できる――ローズマリーのオイル――こっちは自家製。ひいひいおばあちゃんの代から継ぎ足し続けてる秘伝のオイルがあるのよ――西洋ヒイラギの実、野ウサギの前歯、タランチュラの右足も簡単に手に入ったわ。友だちのジュリアと共同購入でカタログ注文したの。練習用も含めて大量にあるわ、それにポイント10倍で買ったのよ。あたしは優秀な魔術師(見習い)だけじゃなく、お買い物上手でもあるの。完ぺきよね。
あと結構入手が難しくて、みんな苦労しているはずの大ガラスの羽根も大丈夫。あたしはディックに善意で沢山提供してもらったから、カゴいっぱいにあるわ。彼、ちょっと背中の部分がハゲたけど、若いからすぐ生えてくるから心配ないの。それに、あたしが作った『スグモサモサ増毛ローション』をたっぷり塗ってあげたもの。ちょっとヒリヒリしたみたいだけど、効果は抜群よ。
大ガラスの中でもディックは体格も良くて羽の艶もいい惚れ惚れする美しいカラスよ。お金をいくら出したって、これだけ濁りのない黒い羽は手に入らないんだから、あたしってラッキーよね。
でも肝心の『色付きの涙』がまだ準備できてないの。今回作る魔法薬『ちいさな恋の媚薬』で使うには、出来るだけ色が濃い涙がほしい。そのほうが効力が上がるし、効力が高いほど試験結果も良くなるもの、是が非でも最高級の『色付きの涙』を使いたい。
試験課題の『ちいさな恋の媚薬』は目薬タイプの魔法薬よ。ポトッと両目に点眼すると、目の前にいる相手が素晴らしく美しく見え、胸が苦しくなるほど恋しくなるの。この魔法、制限時間があって、効力が低いとすぐに魔法は解けてしまうけど、女の子には人気のアイテムね。特に二月になると需要が増えて見習いたちも大忙しよ。去年はあたしも腕が痺れるくらいレードルを動かして大鍋をかき混ぜたっけ。
今回試験では最低でも十分間は効力が持続しないと不合格になるって師匠は言うんだけど、あたしが目指すのは合格じゃなくてトップ合格。だから、三日は持続する媚薬を作りたいの。そんなわけで材料にもこだわりたいんだけど……
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