経緯
振り返ってみると、夢莉は『両親』と共に過ごした時間が普通の人より極端に少なかった。
――思えば父さんは、根っからの『仕事人間』だった。
それこそ夢莉が生まれた時、父さんは仕事が忙しくて結局抜けられなくて病院に駆けつけることが出来ず、母さんは一人で生んだと聞いていた。
思い返してみると、夢莉は物心ついた頃から父さんと一緒に遊んだという記憶はほとんどない。
しかも小学校に上がってすぐに両親は離婚し、それ以降夢莉は『母子家庭』となった。
だけど、夢莉の母は夢莉が保育園にいる間は少し仕事をセーブして、寂しい思いをさせない様に頑張っていた。
それこそ、お金の面なんて本当に大変だったはずだ。
小学校の中学年になってからは、夢莉も出来る限り家事に参加して、主に洗濯や掃除をして、暇な時は極力母の手伝いをする様にしていた。
夢莉の知っている母はなんだかんだいつもパワフル。
そんな母のおかげで特に大きな病気をする事もなく、元気でなおかつ健康に育つことが出来た……と夢莉は感謝している。
そして、そんな母に育てられた事もあったか、お陰様で夢莉は無事に成人し、大学に入ってから始めた一人暮らしも現在進行形で順調そのものだった。
しかも、一人暮らしをしていたのは実家からはそんなに遠くなかった。
だから、たまに夢莉を心配して……なんて、話は私が大学に入って一年くらいまではよくあった。
でも、あれだけパワフルだった母は今、病院に入院している。
今まで頑張ってきた跳ね返りが今更になってきたのか、それとも夢莉が成人した事によって気が抜けたのかは分からない。
でも、母が入院してから夢莉は母のお見舞いにアルバイトや大学の講義のない時間の中、ちょっとした暇がある場合は出来る限り行っていた。
それでもやはり会う度に母の元気がなくなっている様な気がしてたまらなかった。
『最後くらい……家族みんなで過ごしたいな』
そんな時、母は病室で窓の外をジッと見ていた独り言を偶然聞いてしまった。
普段はそんな弱気とも取れるような事を一切言わない母さんだったが、やはり『病』というのは人を不安にさせるのだろう。
「……」
いつもは若々しく見えていた母も、その時ばかりは珍しく年相応に思えた。
そして、母のそんな言葉を聞いて「何もしない」という選択肢が夢莉の中には存在していない。
だからこそ夢莉は今までの感謝も込めて、その願いを叶えたいと思った。
それに、いくら一緒に遊んだ記憶がほとんどなかったとは言え、
ただ色々と話を聞いて驚いたのは、夢莉が小さい頃に一度引っ越しをしていたという事だ。
夢莉自身も覚えていなかった事には驚いた。
多分、母が父と離婚した後に引っ越しをしたのだろうと思うが、別にそれに対してとやかく言うつもりはない。
それよりも、問題は「父さんがまだそこにいるのか」という点だ。
「……よし」
ただ、元々夢莉はあれこれ色々考えて立ち止まることが苦手なところがあった。だから、結局。とりあえず「行って確認した方がいい」という考えに至った――。
「…………」
これまでの経緯を聞いた賢治が「そうなんですか」と呆れ顔で言われるか、はたまたそこまで深刻に取られず笑顔を返されるか……この二つではない何かしらの反応をされるだろうと思っていた。
「なるほど……」
しかし、どうやら賢治はかなり真面目な性格らしく、夢莉の話を深刻に捉えてくれたようだ。
「あっ、あの。そこまで深刻に考え込まなくても……いいですよ?」
ただ、ここまで真剣に考えてくれるとは思っていなかったので、むしろ夢莉の方が戸惑った。
「いえ、女性が一人。泊まる場所もなくお金もないというのは問題です」
賢治はそう言って、ずっと拭いていたグラスを置いた。
「いやっ、あの」
「それに……」
どうやら思っている以上に夢莉の置かれている状況は大変らしく、その証拠に賢治は少し怒っているようにも見える。
「行く当てがないという事は、ネットカフェに入るお金もましてやホテルに泊まるお金もないと言っている様なモノですよ」
「そっ、それは」
言われてみれば確かにそうだ。どうしてこの『事実』に気が付かなかったのだろう。
ここまで言われてようやく気が付くなんて、自分がいかに今の状況を楽観的に思っていたのか分かってしまい、途端になんだか夢莉は自分が情けなくなった。
「しかし、そう言ったところでどうしようもありません。そもそも、ここら辺でそういったホテルはおろかネットカフェやカラオケもありませんし」
「えっ。そう……なんですか?」
腕組みをしながら呟いた賢治の言葉に、夢莉は思わず心の言葉が出てしまった。
確かに適当にウロウロして『娯楽』と呼べそうな場所はパチンコくらいだとは思っていたけど、まさか「そもそも存在していない」ほどだったとは。
夢莉が住んでいる場所もけっこうな『田舎』だと思っていたが、さすがにネットカフェやカラオケはある。
それすらないという事は、つまりここはその更に上をいく『田舎』だ……と夢莉は失礼ながら思ってしまった。
「ふむ。そうなると、このままではあなたは宿無しになってしまうという事になってしまうという事ですね」
「そっ、そうですね」
「そうなると、ふむ……ここはやはりまず『住む場所』から、いえ。まずは『金銭面』をどうにかするところからでしょうか……」
そんな夢莉に気が付いていないのか、賢治は一人で何やらブツブツと呟いている。
「?」
その間もしばらく何かを考え込んでいる様に見えたので、そのまま何も言わず様子を見ていると。
「やはり……そうですね」
「?」
「あの、もし。あなたがよろしければ……ですが」
「はい」
「ここで働きませんか?」
「……」
何やら一人で納得したように「うん」と言って突然目を見てきた様に感じ、思わず身構えた夢莉に、賢治は突然こんな提案をしてきた。
「え」
「幸い。ここにはたくさん空き部屋がありますし、もちろん各部屋に鍵もキチンと付いています」
「えっ、ちょっ」
「もちろん給料もお支払い致しますし、お食事も『まかない』という形でお出しますが……どうでしょう?」
「えぇっと?」
夢莉としては、今の話はただの『軽い相談』いや『雑談』のつもりだった。
確かに「あわよくば仕事先を紹介してくれるかも」なんて甘ったるい事も考えてしまってはいた。
でも、まさか……まさか、自分のお店を紹介するとは思ってもいなかった。
「どうでしょう、もちろん。無理にとはいいません。あなたのお父様が見つかるまででも、お金のめどがたつまででも私は全然かまいません」
普段からなじみのあるお店とは違う雰囲気の外見で最初は驚いたけど、このお店の雰囲気はいいと思っていた。
だから、この提案は願ってもない話。それに今の夢莉はお金の事はともかく、行く当てがない。
今日……いや、日付が変わってしまったから昨日はどうにかはなったが、こんな親切な人に出会えるという保証はどこにもない。
「…………」
ただ、賢治の話は本当にありがたかったのだが、この時の夢莉は分かりやすく困惑の表情見せて、なおかつ落ち着かない態度をとっていた。
その証拠に、ナポリタンを食べていたフォークが手から滑り落ち、床に落ちてしまったのだから――。
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