エンジェルズ・フォール

村田掏摸

第1話

 最終的に殺人という行為に行き着いてしまうこと。残念ながら賢明な判断とは言えない。是非ともやめておくことを勧める。何も道徳的な説教や善悪の話という訳ではない。

 厳密に言えば、単独で殺しを行うのはオススメできない。

 あなたが創造する以上に後始末が大変なのだ。

 単純に面倒くさいというレベルは優に超えてくる。

 それが職業になって、日々の中でやらざるを得ないとなると、もはや手に負えない。

 どうしようもない理由がない場合、そんなモノに手を染めることがない世界で生きていくことが肝要だ。つまり、モラドは理由が存在したため、暗殺という行為を生業としているのだ。


 物心ついた頃、モラドは暗殺しか知らなかったのだから。


§ § §


 とある政治家の資金集めパーティーが現場だった。表向きには環境保全に対する意見交換会らしい。

 これだけのスーツ姿が一堂に会しているのは、さすがに目にうるさかった。だが、彼にはどうでも良いことである。目的とは何ら関係のない話であったし、モラドはすでに仕事中だった。

 彼はアイリ・フォックスと名乗り、名門大学に通う女生徒で、農家を営む両親に迷惑を掛けたくないため、奨学金の審査をお願いできないか。という最近では珍しい孝行娘として、今日のパーティーの主役である対象に近づいた。

 その名門大学とやらが対象の母校。後輩という設定らしい。マクミリアンからの資料に記載されていた。後輩というポジションが功を奏したのかはわからないが、今日の交渉は気持ち悪いほどにスムーズに進んだことは確かだ。


 パーティー会場の三階にある薄明かりの部屋の中。対象の執務室に併設されていた休憩室。いつものルーティーンのように慣れたリズムで、奨学金を盾にそこまで連れ込むのが対象の手口だった。 

――多少の抵抗を感じつつも、意を決したように向かうこと。

 マクミリアンからのお達し通り、対象は嬉々としてルーティーンを始めだした。モラドは労せずしてスタートの場所に辿り着く。あとは、彼の仕事でここをゴールの場所にするだけだった。

「これで奨学金は安心なさい。さぁ、君も今は楽しんで」

 その言葉からスタートして、モラドは対象の興奮を高めるように動いた。

 対象は現在、モラドに覆い被さりながら、額に汗をかき、息苦しそうに腰を振っている。デカい腹肉が邪魔をしているのだろう。息苦しさよりも腰を振ることへの興味が上回っているようだった。

 モラドとしては適当以外の何物でもないのだが、それっぽくあえいで見せた。目の前の興奮状態の男には「このぐらいでいい」と感じたからだ。

 モラドは演技力というものを仕事を遂行するための重要な能力と位置づけている。

 常識とはほど遠い世界に生きてきたとは言え、普通を振る舞うことができなくては彼の仕事は務まらない。恐怖を利用したり、不安をかき立てたりすることで成功率を上げていくこともあるからだ。

 自らの経験から、多かれ少なかれ、対象となる人間は狂っているとモラドは考えている。

 目の前の政治家も例に漏れることはない。単純な狙撃による暗殺をすることもあるが、モラドの特質上、対象に近づいて仕事を行うことが多い。

 時間のかかる案件では、親密さを積み上げていくこともある。その中で、対象になる人間は「どこかしらが欠けている」と感じることが多い。いや、この対象を見てると、欠けているというのも言葉として相応しくないように感じた。

 歯車が噛み合わない。この表現が一番近いように思う。

 噛み合わないことが違和感ではなく、生理的な気持ち悪さでポツンとそこにあるのだ。

 そのことが自分の仕事を正当化させるとは思わないが、気持ち悪さによって、少なくとも躊躇することはなくなる。何よりも、ためらいは生まれない。モラドにとって都合のいいことだった。

 対象の顔を伺うと、酒とタバコ臭い口から、白い歯を見せて笑いかけてきた。

 何も問題ない。

 すぐに仕事ができると改めて感じた。微塵の躊躇も浮かばない。きっと、暗殺をする方も大概、欠けているのかもしれない。モラドは少し自虐的な笑顔を浮かべた。

 モラドの首筋から、微振動によるアラームが届く。準備が整ったらしい。

 最後までさせなくても処理はできたが、何となくモラドはアラームが鳴るのを待っていた。仕事はアラームが鳴ってから。そんなルーティーンが自分にもあるのか疑問を感じたが、単に気分の問題だと解決させた。

 さらに言えば、対象が進んで服を脱ぎ、自らの体を見やすくしてくれるのだ。こんなに都合のいいことはない。どちらも彼の仕事における便宜上の問題でしかなかった。

「長官。私の方からもよろしいですか?」

 モラドが視線を合わせただけで対象は鼻息を荒くした。

「私、タマが好きなんです」

 潤んだ瞳のモラドの発言を聞いた対象は、ギラギラと濁った瞳で興奮を隠さずにいた。先ほど、数百人の前で温暖化がどうこう言ってたヤツが、数分後に自ら進んで、足をM字に開き、これから行われることが楽しみでならないらしい。

 ベッドの上であくせくと仰向けになった対象は、こちらを伺いたいのだろう。両肘をついて、視線は自分の股ぐらに向けた。モラドはその場所に、うつ伏せになりながら顔を近づける。左手で棒を強めに握ってやると対象からは、感嘆の言葉が漏れた。右手の人差し指は、対象の穴の入り口に触れる。

「そんなところまで……最近の学生は過激だな」

「せっかくですからね。私も楽しまないと」

「そんなにやりたかったのかね?」

「えぇ……殺りたかったわ」


 モラドは演技には見えぬほど、自然で柔らかな笑顔を対象に見せた。


 次の瞬間、対象の体が一瞬ビクリと振動した。

 堅いモノが砕ける音、繊維が千切れる音、粘度のある液体が混ざる音。

 それぞれが渾然一体となってモラドの耳に心地よく届いた。

 小鳥のさえずりのような奇妙な破裂音が対象の口から漏れると、シーツの衣擦れの音に合わせて、対象の体は弛緩した。

 モラドは姿勢はそのままに。左手で頬杖をつき、対象の顔を見上げる。対象の頭から彼の右手にあるはずの人差し指を確認することができた。手元に視線を移して、ほかの指でグー、パー、グー、パーとじゃんけんの動きをしてみる。

 動かしながら再び見上げると、人差し指はアニメのキャラクターのように、ヒョコヒョコと愛らしく動いていた。自分で動かしているにもかかわらず、思わずモラドは微笑んでしまった。

 対象の状況確認を終えると、息絶えた人間の入れ物から再びパキパキと音がした。音が鳴り終わると、モラドはゆっくりと指を抜き、ベッドから立ち上がる。

「あらら……」

 シーツで指の血を拭き取りながら対象に目をやる。

 バスタブの栓が外れたような勢いで、コップに水を注ぐような音を立てて、対象の上と下から血液が噴き出し、白いシーツを赤く染め始めていた。どうにも汚れてしまった。部屋を汚してすみません、という気持ちが出てきてしまう。

 滞りなく仕事を済ませたモラドは、アイリとして持ち込んでいた鞄から小型のインカムを取り出し、耳にはめ込む。抑揚なくいつも通りの報告を行う。

「終わったよ」

『ご苦労様です。入り口に車を用意しています』

 モラドの完了報告を受けて、インカムからはマクミリアンの声が返ってくる。 

「いつも通りでいい?」

『はい。迂回不要、解除不要。その姿のまま帰投で構いません』

「了解」

 何で彼は死ななければいけなかったのか、その理由はモラドにはわからない。モラドにとっては仕事を行う必要があり、彼が対象だった。それだけだった。


 まぁ、お互い狂ってるからさ。でも、俺の方は気持ち悪さがなくなったよ。ありがとうね。あと、部屋を汚してごめんなさい。


 モラドは対象に演技ではない素の表情を向けた。とても感謝の気持ちに溢れた笑顔だった。

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