Ep.7-4 乙女の貞操

 食堂が静まり返る。

 今や全員が、リディアを――いやリディアの背後の団長であるディアンを見つめ、誰が彼の発した疑問にその返答をすべきか、静かに目線で押し付けあっている。


「リディア。――この尻は、どうしたんだ」


 ええ!? 私が答えるの!?


「ええと。その――」

「昨晩は、なんともなかったな」


(――言わないで!! 真顔で言わないで!)


 こんな公衆の面前で。


 しかし赤面しかけたリディアは表情を凍りつかせた。なぜなら、全員がディアンの放つ魔力だかなんだかに、リディア以上にフリーズしていたからだ。


 恥じらっている場合じゃない。


 カーシュが詠唱を中断させて説明しようとした時、アーベルが前に進み出て物怖じせずディアンに向き直る。


「その蛙がやったんだよ」

「何の用だ」


 ディアンは蛙を見向きもしない。団員が蛙にされたことに全くの関心を払っていない。


「そうだったね」とアーベルは呟いてディアンに向き直る。背の高さも、体格もまるきり敵わないのに、その堂々とした態度は貫禄さえ感じる。


――対等、だ。

まさかと思ったら、そのまさかだった。


「第一師団団長ディアン・マクウェル殿。この度、第二師団ランスの次期団長就任となるアーベル・ヴァンゲルだ。以降、貴殿の第一師団と我が第二師団がよりよい関係を築けるよう、よろしく頼む」


(――まさか、と思ったけど)


 本当だった。彼の放つ気配、堂々とした態度からちらりと予想したが、まさか当たるなんて。

 でも、正直アーベルの能力を考えるとおかしくはない。

 驚くリディアをよそに、ディアンが軽く頷いた。


「聞いている」

「後々には協力体勢を作りたいからね。協定を結ばせて頂きたい。まだ排膿の最中だけど、それも早々に終わる」


 ディアンがわずかに顔をしかめる。


「それは、団員の出向要請も含むのか」

「勿論。それこそが最重要項目だ」

「治癒魔法師は数が少ない。“うち”のは不可だ。第三師団から借りろ」

「治癒魔法師の独占禁止は、全師団で共通だ」


 これ食堂でする会話なの? 団長同士の駆け引きはよくあるとは思う。でも食堂で行うのは聞いたことがない。

 

 ここを壊されたら、今日のランチどころかしばらく食事にありつけなくなるんだけど。


 皆が、ヤバい、という顔をしている。

 ディアンの不機嫌さが増している。全く動じないアーベルは、さすが団長。すごいと称賛してもいいけど、就任おめでとう、と言える雰囲気じゃない。


「じゃあ、はっきり言う。“うち”のリディアは貸さない」


 えええ、そういう話!?


(――ていうか。いつまで私はお尻を捕まえられているの?)


 ぐっと押さえる力が、ますます強くなってくる。


「必要時は正式要請するよ。――ねえリディア。緊急要請時には、すべての治癒魔法師が応じなくてはならない、とあるよね。それには所属団長の許可は必要としない」

「……ええと、そうね」


 アーベルが見上げてくる。その眼力には、すでに答えないといけないような迫力がこもっていた。


「――リディア。お前は黙っていろ」


 ちょ、私の貸し出しでしょ? 

 リディアは反論しようとして黙った。この二人の魔力が渦をまきはじめて怖い。

 

 ――唐突にカーシュの詠唱が止まる。途端に、顔を真っ赤にしたバイソン帝王が煙と共に出現する。

 

 彼は目の前のリディアを捉えて、吠えながらリディアに指を突きつける。


「この、クソアマ! お前のケツを後ろから犯してやる。何度も、何度も、覚えて――」


 場がこれ以上になく凍りついたせいで、彼の聞くに耐えない暴言が食堂に響きわたったが、それは唐突に終わった。


 え、という顔で、開いたままの彼の口からは鉄串の先っぽが覗いていた。


「つきは、どしらの目がいいか、えらへよ」


 シシケバブの肉を頬張りながら、ディック不明瞭な言葉を放る。その指にはもう一本の鉄串が挟まれていた。


「――ディック」


 必殺仕事人みたいに鋭い眼差しで鉄串を構えていたディックが固まったのは、ディアンのひどく低く響く声音のせいだろう。


「このミンチがうちにいるのはなぜだ」


(ミンチ!)


「え……、あ、いや。……AIじゃねえの?」

「――なるほど。じゃあ、そのシステムを俺がスクラップにすればいいのか? それとも開発した奴らもミンチにすればいいのか」


 奴ら“も”!?


「――だから、団長の目に入る前に殺すべきだと言ったのです」


 カーシュが淡々とつぶやく。

 みんなうずくまって呻いているバイソンには、目を向けようとしない。リディアも彼をちらりと一瞥して、固まったまま。


 あの暴言は、流石にないけど、えーとミンチは……。


 リディアはアイスノンをお尻に当てたまま、拘束から逃げようとした。でももがいてもピクリとも動けない。お尻に当たる手はよりぐっと強く押さえつけてくる。


「そこのミンチ。お前が掘ると言ったケツは、俺のケツだ」


 (ちょっと、待ってえええ!)


 なんかすごい恥ずかしいこと言われてるけど。


 でも、だれもが突っ込まない。リディアが心のなかで悲鳴をあげているだけだ。お願い容認しないで!!


「私のお尻は、私のものだよ!」


 全くこちらを見ようともしないディアンに、振り向いて言い返す。

 彼が唯一リディアを意識しているとすれば、お尻に当てている手だけだ。


 精一杯ディアンのほうに背伸びして視界に入るように訴えると、ようやくディアンがこちらを見る。


「違う。お前のケツは、俺のものだ」


 マジなの? 

 甘くない。むしろ怒気を滲ませて言われるから二の句が告げない。というか、周囲のみんなが逆らうなって、目配せしてくる。


 ちょっと待って、訂正させて。


 唯一何かを言いかけたウィルは、カーシュに口を塞がれて抑え込まれている。ウィル、可哀そうだけど、私も今危機なの。


「――まあその話は、二人でじっくり解決したらいいんじゃないか」


 ゆったりと鷹揚に会話に加わったのは、入口から鍛え上げた巨体をのぞかせた副団長のガロだった。その歴戦の戦士という風体に、みんな救世主、子犬のような眼差しですがりつく。


「団長。それよりリディアの問題のケツを確認するのが、先じゃないですかね」


 ちょっと待って!! それ全然私には助けになってない!

 ディアンが、む、と考えるように黙り込む。


「このあとは俺が引き継ぐんで。リディアも。ふたりとも今日は休んだらいい」


(ええええええ!!)


 リディアがその提案に抗議しかけると、カーシュが自らの口の前に指を立てて制止する。


 ディックは必死で首を振って、逆らうなと合図してくる。自分のシシケバブランチセットには、下手な遮蔽膜シールドをかけている。戦闘時には自分にも一切かけたことないのに!


 皆が、ここでミンチはやめてくれという顔をしている。たしかに血みどろは慣れている彼らでも、食堂でスプラッタは勘弁だろうけど。


 串刺しはいいのに、ミンチは嫌なの?


「……わかった」


 ディアンがガロに頷いた。


(納得しないで!)


 皆がホッとした顔で、ディアンを早く連れて行けと手振り身振りで訴えてくる。


「そこのミンチ。早く消え失せろ、三十秒後に言葉通りミンチだ。嫌なら防いでみろ。そこの仲間もだ」


 バイソンが慌てて走り出して、そして転ぶ。取り巻きもバイソンを無視して走り出して、皆が自分だけが助かるためにもがきながら転がり出ていった。


「――リディア、行くぞ」

「私、まだ同意してな……」

「「……」」


 リディアはディアンの放つ雰囲気と、皆が行ってくれと祈るような眼差しに押されて黙る。


「リディア、ごめんね。次は僕も治癒魔法を習得しておくよ」


 アーベルの瞳はリディアだけを見上げているけど、ちょっともう邪気がないとは思えないよ。


「……膿をこちらに送り込むな」


 ディアンがアーベルに言い放つと、アーベルは不敵にほほ笑んだ。


「先ほどのは、期限付き協定で構わない。――リディア、君をうちに迎えるまでに掃除をすませておくからね」


 ディアンに向けてそこまで言い放ちながらも、丸無視してリディアに告げるアーベルに、また食堂が凍りつく。


「……アーベ……」


 彼の名を呼び終わる前に、早く連れてけと皆が手をしっしっと振り払う。


「――団長。早くケツの手当をしてやったらどうですか」


 ガロに言われて、ディアンがリディアを見下ろす。


「リディア。行くのか、行かないのか?」


 顎をくいってあげて、示された出口。

 皆の祈りを込めた気迫には逆らえなかった。


「あの、えーと。……行きます」


 私のお尻、どうなっちゃうの?

 ちょっと、今後の自分のお尻が心配になった。

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