Ep.7-2 乙女の貞操


「リディアさん、こっちです!」


 食堂の入口そばの光がさしこむ窓側の席で、赤毛の彼がリディアに手をふる。

食堂は、席取りは禁止。どんな偉い人でも、空いている席に座るのが基本。団長ならば執務室に持ってこさせることも可能だろうが、ディアンは面倒がって、たいてい食堂で済ませている。


 まあ流石に彼の姿を見れば、誰かしらがすぐに席を譲ってはいたけれど。

でも、彼だって席取りパシリはさせていない。


 トレイも持っていない赤毛の新人仲間の三人が、六人がけのテーブルを陣取っているのは異様な光景。そこに団員の一人が座ろうとして、あわててダメです、と言ったせいで、喧嘩になりかけている。


 そりゃそうだ。


「……えーとね。それやめない?」

「何言ってるんですか! またムチで打たれますよっ。リディアさんも逆らいすぎです。僕たちは、もう打たれたくありません!!」

「――何だよ、リディア。お前の知り合いかよ。何遊んでんだか知らねーけど、邪魔」


 新人たちが取っていた席に座ろうとしたのは、経験が長い顔見知りの団員だった。


 どう説明をすればいいかわからない。そのまま彼は座り込んで、前のめりで牛丼大盛り飯をかき込んでいく。


「ああ、そこ座っちゃダメですってば」

「あん? このガキ。喧嘩売ってんのか」


 険悪な雰囲気だ。リディアもバイソン帝王の事をはじめて知ったが、どうやら新人パシリは師団ルールではないらしい。よかった。


 お尻にアイスノンを当てながら、どうしようかなと肩をすくめていると、不意に入口がざわめく。


 何かと思えば、妙に汚れた戦闘服の一団がにぎやかに入ってきた。


「すごいですね。僕らとは格が違うや」


 赤毛がリディアに向かって、羨望の眼差しで同意を求める。薄汚れた戦闘服は、迷彩色。どうやらどこかから帰ってきたらしい。


「新人の中で魔力、戦闘力を見込まれた選抜メンバーですよ。特殊訓練から帰ってきたみたいです。僕らみたいな席とりが仕事の地面に這いつくばるアリとは違いますね」

「その考えは、違うと思うけど」


 そもそも、師団に入れただけでエリートだ。

 自分の魔力は底辺のほうで、蘇生魔法があったから特殊なルートで入ってしまっただけだが、この青年だって本来はかなり実力があるのだろう。

 

 ただ、あまりにもすごい存在達の中にいると、巨人に対する蟻のように感じてしまう気持ちはわかる。新人はみんなそうだ。そして、この先どうなるかは自分次第。


 疲れたように(実際疲れているのだろう)笑う赤毛の青年に、リディアが口を開きかけると、その一団から一人の青年が飛び出してきた。


「――リディア!!」


 活気づいたざわめきで満ちている食堂で、その声はリディアの耳にしっかり届いた。


「ウィル?」


 橙色の髪は日に焼けて赤茶けた色になり、肌もやや焼けている。けれどバカンス帰りのようなチャラい雰囲気ではない。肩幅はやや広くなり、腰回りの骨格に筋肉がついたのだろう、重心が下に降りた揺るぎない足取りで、ウィルが駆け寄ってきた。


「すっげー久しぶり!!」


 ウィルの瞳の色は太陽のようなトパーズ色。だが、やんちゃさよりも自信が根付いた瞳が、リディアをしっかり見つめて太い笑みを浮かべている。


「元気そうね――」


 リディアが返す前に、ウィルは迷いなく抱きしめてくる。


「ちょっと、ウィル!」

「ご褒美くれって。充電、充電――」


 ウィルは明らかにたくましくなった腕でリディアをしっかりと抱きしめ、髪に鼻をうずめてくる。


 任務のたびにご褒美なんて甘やかすわけにはいかないけど。


 感慨を込めてつぶやかれた言葉に、リディアは仕方ないなとその背を叩いた。

 確かに新人訓練は地獄だっただろう。半年で身体のつくりがここまで変わったのだ、半分以上が脱落する中で、戻ってきたウィルの頑張りを認めて、リディアは「お帰り」と優しく返した。


 やっぱり彼は生徒。成長を嬉しく思わないわけじゃない。


 鍛えた体躯は基本だ。これで実戦をつめば明らかに彼は魔法師としても師団の団員としても有力な戦士になる。ディックやセシルに近い実力者になる。

 もう手合わせしてくれ、なんて頼めない。まだ経験としては自分のほうが上だが、純粋な力比べだと敵わない。


 成長を嬉しく思いつつ、悔しさも寂しさも胸に宿しつつあやすように背を撫でていたが、そろそろ終わりにしない?

 

 赤毛の青年含め新人仲間のぽかんとした顔に凝視されていて、リディアは恥ずかしくなってきた。


「ウィル、そろそろ――」

『おい、ウィル! 何してんだよ! さっそく女に手を出してんじゃねーよ』

「うるせーよ。ほっとけよ」


 ウィルがリディアを離してチームの仲間から飛んできた声に叫ぶ。


「――いい匂い」

「ウィル、匂いは嗅がない!」


 そう言えば、あの訓練で汗かいたままだ。リディアが焦って身動ぎすると、不意にウィルがリディアの両肩を掴んで覗き込んでくる。


「リディアって、結構華奢だったんだな。それにすっげー柔らかくて癒やされる。マジ地獄、あの教官ってやつがディアンよりも鬼でさ――」


 また抱きしめてこようとするから、リディアはこらと声を出す。終わりだってば。


「……リディアさん、彼がいたんですね。しかも選抜メンバーに」

「彼じゃないけど」

「僕らとは世界が違うじゃないですか……そういう人は僕らとは……」


 赤毛の青年が恨みがましく言うけど、ウィルはウィル。彼がどうであろうとリディアも赤毛も全然関係ない。


「リディア。誰こいつ?」

「いずれは幹部じゃないですか! 僕らは一生、団長の姿さえも見ることは叶わない永遠の蟻なんですよ!」

「いつかは見ると思うけど……」


 結構ふらふらしてるし。望んでない時にばっかり現れるし。


「リディア、誰こいつ」


 ウィルもしつこいな。

 そういえば、名前訊いてなかった。だって、お互いにゴミとかクソとしか呼ばれてない。


「リディアさんやあなたと同じ新人の同期ですよ! あなたとは違う底辺の仲間ですけど!! 」

「新人? リディアが?」

「直視できないし、視界にも入れてもらえない存在ですよ、ええあなたにも……」

「なんかよくわからねーけど、アンタ目の前にいるじゃん」


 ウィルはまっすぐだな、と思う。そして差別もしないし、優越に浸りもしない。

 ウィルだって拗ねていた時もあった。でもディアンのしごきに耐えてきたのだ、すごく努力してここまで来たんだよ、なんてリディアが言うことじゃないか。


 未熟な自分を知って努力をしてきた人は、できない人を理解することができる。ウィルはきっとバイソン帝王のようにはならない。


 成長したなーとしみじみとリディアはウィルを見つめる。


「ま、なんでもいいや。リディアの彼だって仲間に広めといてよ。よろしく」

「ウィル。それは違うし、そろそろ手を離して」


 癒しタイムは終わり。そして本当に、そのなごみ時間は終わった。


「――おい、このクソ! 俺様の席はどうした!」


 ――バイソン帝王が、取り巻きを従えてやってくる。


「すみません、すみません!」


 赤毛の青年がひょこっと立ってぺこぺこと慌てて頭を下げる。


「このアマ。飯も、席もねーじゃねーか!!」


 バイソンは訓練の最中もリディアを集中攻撃してきた。アマにやり返されたのがよほど腹に据えかねたのだろう。「アマじゃないわよ」と言いかえしたらよけいに、「このアマ」と言ってくる。


 女性に差別発言をする団員は残念ながらいる。ディアンも、その周囲もそういうのを嫌うから少ないはずなんだけど、訓練という隠れた場じゃなくて、ここまで平気で発言してくる奴は珍しい。


「――はあ? アンタ何?」


 リディアに向けられた言葉に、ウィルが色めき立って前に立ちふさがる。


 一瞬だが、確かにバイソンは、怯む様子を見せた。

そう、ウィルの放つ魔力はかなり高いし、存在感も確かなものになっている。学生のときのような甘えた雰囲気はない、すでに団員としての自信の片鱗も見せている。 


「なんだ、この新人が!」


 バイソンは三流の見本そのものだった。ウィルに怯んだ自分をごまかすかのように、腕を振り上げる。その腕には、常に携帯しているムチ。


 反撃よりも防御を取ったのは人で賑わう食堂だから。避けたら他の人にぶつかる。テーブル上のご飯を巻き込んだら、団員たちに恨まれる。


 飛んでくる電流付きのムチの軌道に合わせて構えていたけれど、その鍛え方の足りないデブ、もとい巨躯の後ろに人影がさす。


「っ、う―――いててっいてえええ」


 音も立てず淡々とバイソンの後ろに差し込んだ影は、全く無駄のない動作で三流悪役の腕を背後から掴み床にねじ伏せ、顔をあげる。


 その感情を宿さない瞳の持ち主は、黒髪のカーシュだった。

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