シスターは今日も死神の胸で眠る

叶望

シスターは今日も死神の胸で眠る


「シスター様。こんな夜にお一人ですか。」



太陽が沈み、月の光もおぼろげな夜。人気の少ない道で一人歩く修道女に話しかける一人の男。声のする方へと身を翻した修道女は誰かいらっしゃるの?と闇の中に向かって声を出す。



「こんにちはシスター様。私です。アルです。」

「まぁ、アルバーノさんでしたか。」



暗闇から姿を現した一人の男。修道女がアルバーノと呼ぶと、はにかんでこんばんはと返した。



「こんばんは。アルバーノさん。」

「いけませんよシスター様。こんな夜更けに一人で外を歩くなんて。」

「神父様のお使いがあって。少し遅くなってしまいました。」

「毎日ご苦労様です。」

「そんな。これが私のお勤めなのです。」

「だとしてでもですよ。」



アルバーノは修道女に近づき、その手を取り、力強く握り絞めた。

手からじんわりと熱が伝わる。その熱はまるで、子が親の抱擁で与えられるような、安心できるような、まるで恋人が相手を求めるようなそんな熱。



なんていう物ではなく、まるで無理矢理心に無断で浸食していくような不安な熱だった。



「あぁ愛しいシスター様。お一人はさぞ心細いことでしょう。」



握っていた手は次第に彼女の肩や腰へと伸び、決して逃がさないといわんばかりに力が込められた。



「よければ私が共に、」

「アルバーノさん。今夜、ここで貴方とお会いできてとてもよかったです。だって、」



熱い熱い。そんな熱。しかしそれは彼女が感じているものではなく、



「あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「会いに行く手間が省けましたもの。」



男の手、正確には手が繋がっていた腕が熱で悲鳴を上げる。その先にあるはずの手はとうに熱を失い地面に転がっていた。


熱い!痛い!死んでしまう!


男が地面に転がりのた打ち回る。彼の視界に自分の手だったモノを見つけると、今起きていることが現実と悟り、全身に余計痛みが突き走った。



「おまえ…何を、」

「アルバーノ・ブラウン。貴方を神の元へと送り返す時が来ました。」



神はきっと現世での貴方の悪行をお赦しになることでしょう。

来世では素敵な人生を送れますように。Amen.





「この時間まで神への祈りか。シナー。」

「神父様。もうお休みになられていたのかと思いました。」



教会の十字架の元、シナーと呼ばれたペストマスクを身に着けた修道女が手を合わせ、頭を下げていた。そこにやってきた神父様と呼ばれた男。神父は近くの椅子に座り、シナーもその隣へと腰を下ろした。



「今日は外での仕事は一つだけの筈だったが。」

「神父様は相変わらず鼻がいいんですね。」



ちゃんと洗い流したはずなのですが、血の匂いはそうそうとれませんから尚更ですねとシナーは再び手を合わせた。



「でも大丈夫です。今夜、神の元へと送ったのはアルバーノ・ブラウンですわ。」

「…あぁ、随分お前にお熱だった哀れな男か。」

「あらそうだったのですか。興味ありませんでしたので気付きませんでした。」

「仕事熱心なのは感心するが周りをよく見るのも大事だと言っていなかったか?」

「私は神の導きの元、命尽きる者を神へと送り届けるのが使命。そう教えてくだっ去ったのは神父様ではありませんか。」



とんっと神父の肩に頭を乗せるシナー。

そうだったなと神父は特にそれ以上語ることなく、ただただ目の前に聳える十字架を眺めていた。


マスクの奥で目を閉じるシナー。隣からは、先程の男のような熱は一切伝わってこず、むしろ冷気に似たような何かが彼女を包んだ。

しかし、彼女は、それが心地良いと思った。それはもう、自然とまどろみを感じるほどに心地良いものと。





「っヒュー、」



さむい。さむい。喉から乾いた声と咳しか出ない。霞みかかる頭でぼんやりと考える少女は肌に雪の冷たさを感じた。道端に倒れているも、人っ子一人通らないのだから誰も少女に手を差し伸べる者はいなかった。仮に誰かが通ったとしても、少女に自ら手を差し伸べる者はいないだろう。ここはそういう所だ。

病が蔓延してしまったこんな土地。自分の身で精一杯な者にとって、肌を黒く覆われてしまった、一目見て、病に侵されてしまっている孤児を救う者なんていなかった。



「(…。)」

「お、なんだ。死人か。」



ざくっと雪を踏みしめる音が少女の頭のすぐそばで鳴る。首を動かしたくも、全身に力を入れる術を失っている少女には無理な話だった。

無造作に髪を掴まれ、無理矢理顔を上に向かされる。全身真っ黒のガスマスクを身に着けた怪しい者。痛いを声を上げようにも少女の口からは咳しか出なかった。



「なんだ、生きているのか。なら好都合だ。」



何を思ったのか、男はそのまま少女を引っ張る様に引きずり雪の中を進んだ。この男が何をしたいのか、そんなの到底理解が出来ない少女は、声を荒げる事も無く、暴れることも出来ないまま、目を静かに閉じた。



「おい、もう目を覚ませ。」



頬を叩かれる感覚に少女は顔をしかめた。ゆっくりと目を開けると、光の眩しさに再び目を瞑った。しかし、目を瞑るなと頬を捻られ、痛い!と声を上げ少女は起き上がった。

が、少女は身体を起せた事に驚きを隠せなかった。あんなに身体を起す事が出来なかったのに何故こうも容易く身を起しているのだろうかと。ばっと自分の手を見ると、肌に所々黒い部分が残っている。一体、何が起きたのかと思っているとおいと呼び掛けられる。そこには先程意識を失う前にいたガスマスクの男が立っていた。



「ったく。目が覚めたんならもうお前に用はない。さっさと出て行けよ。」



ごつごつと足音を慣らし軋む椅子に座りながら男は机に向かった。



「だ、れ。」



喉を押さえながら少女は声を出す。自分の口から乾いた咳以外の音をいつ以来出しただろうか。声を発した時も、喉に痛みはなく少女は自分の身体に起きた事に理解が追い付かなかった。

ベッドの上から動かない少女に男は溜息を零す。やっぱり人が居なかったのだからあの場で取ればよかったと愚痴を溢した。


男は踵で床を何度も踏みながら語りだした。自分は暗殺者であり魔法使いだと。少女に近づいたのは、その身体を蝕んでいた病原体を使って暗殺稼業で応用させるためだという事。その病原体が入っているというフラスコをちゃんぷんと揺らす男になんなら試してみるか?と問われた少女は首を横に振った。

本当にこの男が暗殺者で魔法使いなのが怪しい所だが、現に動けないはずだった少女の身体は、今となって思いのまま動かせ、声も支障なく出せている。魔法でなかったらこれは夢なのかと思うが、さっき頬をつねられた時、確かに痛みが走ったので夢ではないと確信をする。



生きている。まだ、生きている。



少女はその事実に涙を流した。嗚咽を吐きながら己が生き延びた事に、死の瀬戸際から脱出できたことに。



「泣いている所悪いが、やかましくて敵わん。それにお前、泣いている暇はないだろう。これからどうやって生きていく。泣いて生きていける訳でもなしに。生きる術は自分で見出さないといけないぞ。」

「みいだす。…わかった。」

「そうか、じゃあ早く、」

「わたしに人殺しの方法を教えて。」

「はぁ?」

「泣いて生きていける訳がない。自分で見出さないといけない。のなら、あなたから生きる術を学ぶ。だから、人殺しの方法を教えて。」

「病原体を取り除くときに頭のネジも一緒にとっっちまった記憶はねぇぞ。」



失せろ。やだ。の繰り返し。ぐるぐる続く攻防に、先に折れたのはガスマスクの男だった。とんでもねぇもん拾っちまったと溢しながらしょうがねぇと開きなおった。



「いいか。死神と言われる俺がお前に人殺しの方法を教えるんだ。妥協なんて言葉があると思うなよ。」

「分かった。」



その日から、少女は死神と名乗る男から罪人〈シナー〉の名を貰い、彼の元で暗殺の方法を学んだ。

人を殺す方法、実演、己を守る方法。この世界で生き抜くために死神は罪人に教えられることを全て教えた。その数年後、死神に次ぐ暗殺者として罪人の名が馳せる事になった。

もう一人で生きられるまでになった罪人だったが、死神の元を離れることはなかった。罪人がそれを望まず、また死神もいつしかそれを望まなくなった。一人前として、罪人にペストマスクを手渡したあの日から。

少女を蝕む忌々しい病原体ではあるが、今となっては二人を奇妙な関係で結ぶきっかけであるそれを忘れないようにとマスクに刻んだ。

少女から女となった罪人は、命の恩人であり、師であり己の全てである死神を慕い、このまま近くでいられればいい、そう思っていた。






しかし、幸せは続かなかった。


死神が殺された。

罪人が少し家を離れた隙にやられていた。無残に荒らされた家の中。死神がいつも座っていたあの椅子の上で死神は息をしていなかった。

あの踵を踏む音も、机を指先で叩く音も、罪人のマスクを撫でるあの指先も、もう動くことはなかった。

罪人にとって、命の恩人であり、師であり、全てであった死神の死であったが涙は流れなかった。己の心にあふれる激情で涙が枯れつくしたのかもしれない。もしくは、いつしか死神が言った泣いて生きていける訳でもないという言葉からかもしれない。


一体誰が死神を殺したのだろうか。あぁ慌てるな。情報収集なら、まずこの部屋からだ。犯人が忘れて行ったものなど容易く探し出せる。

探して炙り出して、見つけて、そっと近づいて、隙をうかがって、そして。



「容易くは殺してやるものか。」



自分がしたことの報いを受けるのだ。いや、私から全てを奪ったのだ。この世に生まれてきた事を後悔させる。だって私はただの暗殺者ではない。私は死神が育てた暗殺者なのだから。

家の中を隅々まで手がかりを探し、一段落を付ける。自分を育て上げたこの家と、死神に別れを告げ、火の中に葬り去る。別れを惜しむ間も、過去に思いを馳せる間もなく、ただただ復讐の為だけに前を向いた。



死神を殺した者を見つけ出すのに時間はかからなかった。しかし問題はあった。たった一人の犯行ではなく、組織による犯行だった。

それはあの死神も迂闊に手を出すなと釘を刺すほどの組織。あぁあんなに気を付けろと言っていたのにまさか殺されてしまうんなんて。



「一体、なぜ。」



逆恨み。それとも、組織の方からの釘刺しといった所か。いつ自分達にとって脅威になる存在を見逃す訳もなく…か。

その脅威が一人だけと思っていたのか。あぁ、なんて馬鹿な奴ら。



「雑草は早く摘んで燃やしてしまいましょう。」



今度は、私がお前達の脅威だ。

死神が育てた罪人がどんなに酷い殺しをするのかその目に焼き付ければいい。

例え、この身が朽ち果てようとも、私のすべては死神に捧げるのだ。






さむい。全身を雨風に晒しどれぐらいだっただろうか。腹部を押さえていた手に力が入らなくなってきた。雨と一緒に赤い水が下に流れていくのが視界に入り、より一層痛みが増したような気がする。

しくじった。しかし、殺った。一人残らず、誰が誰とは分からないほどに。頼まれてもいない敵討ち。死神の敵を討ったのだからもう、悔いなどない。



「後はただ、眠るだけ。」



そう。静かに眠る様にしていればいいだけ。どうせ誰かが見つけたとしても、もう誰にもこの命を託すつもりも毛頭ない。

しかし、肌に当たる雨粒の感覚が急に止み、マスクの奥で閉じていた目を開けざる得なかった。あぁ…何故静かに眠らせてくれない。



「死人か。」

「…失せなさい。」

「なんだ。生きているのか。なら好都合だ。」



黒のゆったりとしたローブが自分にかかる。胸元に輝く銀色の十字にあぁ、随分と自分とは程遠い者がやってきたと思う。



「私に…構うな。私は…もう、寝る。」

「悪いがお前の死期はまだ先なのでな。ここで死なれるわけにはいかない。」

「知る…もの、で、すか。」

「私が知っている。」



男の顔が視界に入る。顔に十字の傷をつけた銀髪の男が指先でマスクを撫でる。あぁ、しかし男は何を言い出すのだろうか。神のお言葉か?そんな物は知らない。私が信じる神はたった一人だけ。



「私のすべては死神の、もの。貴様にくれて、や…る義理…、」



あぁ。もう、いい。私は眠る。

目が醒めたその時、貴方に会えるのを、死神に再び会えるのをただ夢に見よう。



刺していた傘を地面に放り出し、気が失った罪人を胸に抱える十字の男。雨に打たれてすっかり冷え切った彼女を抱えて男が一人宙に呟く。



「…。なら私が貰う義理がある訳だな。シナー。お前の全てをもらうぞ。」




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