第一部 XXXX=バトルロイヤル

第一章 呪いの血 Curse of Blood

1-1 side:砂原恵一《顕在化》

 その日、恵一は格安アパートのベッドの上で目を覚ました。

 ベッドと言ってもマットレスの厚さは大したことはなく、その下のおんぼろすのこの硬さが背中にダイレクトに伝わってきて寝心地がよくない。


「……最悪の寝覚めだ」


 お世辞にも健康的、衛生的とはいいがたい部屋を軽く眺めまわして、嘆息する。いつかこの部屋を片づけなければいけない日がやってくると思うと憂鬱になるので、目をそらした。

 夏休みというものはなかなか便利のようで不便なものだ。特にこの少年のように趣味もなく夏休みにともに出かけるほど親密な友人もない天涯孤独の人間には、暑い中ネットサーフィンをして過ごすくらいしか時間の使い道がない。

 こんな時に備えて彼女の一つでも作っておけ、とぼやいてみるが、スクールカースト最底辺陰キャポジションの彼に女の子と会話するほどの話題がないのはあきらかである。


「朝飯にするか……」


 孤独をきわめて独り言が多くなっている自分に嫌気がさしながら、今日こそ外に出ようと決意する恵一。ここのところ天気だけは馬鹿みたいにいい。

 トースターに食パンを二枚、洗い物のたまったシンクに雑に突っ込んであったフライパンを洗い流して目玉焼きをこしらえる。


「まともな朝食なんて一週間ぶりくらいじゃねえか。うーん、成長を感じる!」


 言った後に急激にむなしくなったので、黙って食べることにした。


「……ここまでは異常ナシ、と」


 起床してから三十分ほど経った。

 何も起きていない。至って普通、一人暮らしの学生が少し早めに起きて朝食を作った。

 その事実に安堵し、大きく息を吐いた。

 ふいに、ベッドのほうから軽快な電子音が響く。メッセージアプリの通知であった。


「誰から……あ? 蒲田からか、珍しいな」


 ちょうど出かけようと思っていたところにタイミングがいい。

 待ち合わせは駅前となっていた。

 久々の外出に少しだけ胸を躍らせながら、身支度をして玄関の扉に手をかけた。

 ――ポキ、と間の抜けた音とともに、回転式のドアノブが根元からへし折れる。


「あっ……」


 同時にめまいが襲ってきた。だんだんとひどくなり、恵一は立っていられなくなって壁にもたれた。

 またこれだ。ここ数日、外に出ようとか、料理を作ろうとか、そう思い立つとことあるごとにこうなってしまう。


「幽霊にでも憑りつかれてんのかな……」


 ずるずると座り込み、焦点の合わなくなった視界でうずく両手を見やる。異常はなさそうなのに、血管の中で何かが暴れているような、そんな感覚が這いずり回っていた。

 つい最近、この夏休みに入ってからのことだ。少しばかり占いの結果なども気にするようになったが、別段凶とか星座占い十二位とかではないのである。

 やたらと『不幸』。そのせいでやる気も起こらなくなっていたわけである。

 しばらく待てばこの発作もだんだん収まってくるのだが。


「……やっとかよ。ほんと、嫌になる」


 発作さえ収まれば、この不幸は襲ってこなくなる。なんとも不思議なことだ。

 先ほどの感覚が嘘のように、恵一の手は自由に動かせていた。

 せかすようにスマホが震えた。われに返り、彼は壊れた――と言うより壊したドアと向き合ってみる。


「……ノブ壊れたドアってどうやって開けるんだ? タックルか? タックルすればいいのか?」


 思い立ったがなんとやら、軽く助走をつけてドアに体当たりをかましてみるが、金属製のドアはぴくりとも動かない。クーラーによって冷やされた鉄扉の無情な冷たさにむせび泣く十七歳。

 どうにもならないので、とりあえずさっきからスマホをぶるぶる震わせている元凶の蒲田に電話してみることにした。


「もしもし?」

『どーしたんだよ。さっきから全然既読になんないじゃん。女か? 朝っぱらから女か?』

「いやそうじゃなくて……」

『そうだよな、お前に女なんてできるわけないもんな』


 少し拗ねているようだ。なかなか真面目にとりあってくれないので、少し深刻な声でこう言ってみた。


「……じつは今、監禁されてるんだ」

『なっ……!? す、すまねぇ! どこだ、どこにいるんだ?』


 スマホから電話できるのに監禁はありえないだろ、というツッコミは心の中にしまっておいて、恵一は一段と低い声で言った。


「今から住所を伝える。ドアノブが修理できそうな業者を連れて助けに来てくれ」

『わ、わかった! 待て、今メモの用意を……OK、いいぞ』

「いいか。いくぞ?」


 いかにも犯人に聞かれないようにしてますよアピールをするために、声を潜めて寮の住所を伝える。

 馬鹿だから住所なんぞ理解できないだろう、と思っていると、蒲田がメモし終わったのか切羽詰まった様子で返してきた。


『待ってろよ、必ず助けてやるからな!』


 本当に理解できていないようだ。あまりの馬鹿さ加減に笑いまで出てくる。


「馬鹿につけるクスリ、開発されねえかなぁ」


 いくら技術が進歩しても、馬鹿は馬鹿のままなのである。純粋と言えば聞こえはいいが。

 とりあえず救援が来るまでやることもない。電子の海に身を投じることにして、恵一はパソコンデスクの前に座ったのだった。

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