第36話

「う……っ」

 旬果が身動げば、全身に不自由さを覚えた。

 重たい瞼を持ち上げる。広がったのは闇だ。一瞬、目が見えなくなったのではないかという恐怖に襲われたが、時間が経つと目がゆっくりと暗闇に馴れ、物の輪郭が見えてくる。

(倉庫?)

 自分の身体を見ると、後ろに回された両手首を拘束され、両足首まで縛められている。

 身動ぐと、首筋が鈍く痛んだ。

 痛みを堪えながら辺りを見回せば、そこに自分以外の人間を見つけた。

 それは劉麗と、慧星だった。

 二人は仲良く壁に身を横たえる格好で、意識を失っていた。

(洪周は!?)

 芋虫のように床を這い、部屋中を探すが、洪周はどこにもなかった。

「二人ともっ」

 旬果は意識を失っている二人に、呼びかける。

 何度か呼びかけて、最初に目を開けたのは劉麗だった。

 劉麗は旬果と目を合わせると同時に、自分の姿を見る。

「こ、これは……」

 旬果はかぶりを振った。

「分からないわ。気付いたら、ここにいたから……」

 劉麗は周囲を見回す。

「ここはどこなの?」

「倉庫かな。確証はないけど」

 次いで慧星が目を開けるや、旬果と目が合う。

「あなたっ!?」

「馬鹿! 静かにしなさいよっ」

 慧星は目を剥く。

「わたくしを馬鹿!? 山猿如きが……」

「今はそんなことを言っている場合じゃないのが、分からないのっ」

「そ、そうですわ! あの黒ずくめの賊共! いやああああっっ! 誰か助けてえええええええっ!」

 慧星は混乱して叫ぶが、声は虚しく響くだけだった。

 旬果は、力尽くで黙らせたい気持ちをぐっとこらえ、

「だから静かにしないさってば。あの黒ずくめの連中が来たらどうするのよっ! 馬鹿!」

「だから馬鹿と……」

「言われたくなきゃ、それなりの行動を取りなさいよっ」

 慧星は顔を青ざめさせ、小刻みに震える。

「わ、わたくし達……殺されてしまいますの? 嫌ですわ。まだ皇后にもなっていないのに、こんな所で……ううう……」

 大声を上げたなくなったかと思えば、今度は啜り泣き始める。

 本当に賑やかな人だ。

 旬果は言う。

「とにかく、ここから抜け出す方法を考えましょう」

 劉麗は顎をしゃくる。

「あれは扉?」

 旬果は頷く。

「そうみたいね」

 劉麗は言う。

「……旬果様、あの扉を調べてみて下さらない? もしかしたら鍵が開いているのかもしれないから」

 それはかなり都合の良い考えだった。しかしそれよりも、気になることがあった。

「私も同じ立場なんだけど、どうして私が?」

「お願い。私たちでは、へまをしそうだから」

「……そうね」

 慧星が空気を読まず、声を上げる。

「そうねっ!? 今の言葉撤回――うう!」

 頭突きを腹に受け、慧星は呻く。

 旬果は、頭突きをした張本人――劉麗を唖然として見た。劉麗は頭の痛みに顔を顰めながら、「お願い」と旬果に告げる。

「え、ええ……」

(お嬢様、やるわね)

 そう思いつつ、尺取り虫のように床を這いながら扉に近づく。

 扉は木製である。こちら側に把手らしきものはない。旬果はその場に仰向けで寝そべると、拘束された両足を胸へと引きつけ、思いっきり扉を蹴りつけた。しかしびくともしない。

(開きなさいよっ!)

 もう一度、蹴りつける。もう一度――。 

 その時、扉が外側に開く。

「嘘! 開いた!?」

 呆気なく開いたことに強張らせていた頬を緩めたが、扉の向こうには人が立っていた。

 旬果は言葉を失い、目を瞠る。

 そこに立っていたのは、旬果たちをここに拐かしたであろう黒ずくめの二人。そして洪周だった。洪周はまるで黒ずくめを従えるような格好だった。

 洪周は手燭を持ったまま、室内に入ってくる。

「……目が覚めたのね」

 劉麗と慧星は突然灯りに照らし出され、眩しそうに顔を顰める。

 それでも二人もまた、洪周の姿を認めたようだ。

 劉麗は目を瞬かせたまま絶句するが、慧星は声を上げた。

「こ、洪周! あなた、これは一体どういうことですのっ!?」

 洪周は嘲笑する。

「どうもこうもないわ。そのままよ。あなた達は掴まった」

 旬果は声を絞り出す。

「……ど、どうして。洪周」

 すると、洪周は慧星には見せない、痛みの走ったような眼差しを向けた。

「だから、動物の血を使ってまで警告してあげたのよ。早く村へ帰れって……」

「あれは、あなただったの……? どうしてあんなことを!」

 洪周はそれには答えず、言う。

「もう手遅れなのよ。ここまで来てしまったんだから……」

 劉麗が言う。

「洪周様。こんなことをして一体何が目的なの!?」

 洪周は無表情に告げる。

「あなた達はここで死ぬのよ。そして皇后になるのは、私」

 それだけ言うと、踵を返して部屋を出ていく。

「洪周!」

 旬果は力の限り叫ぶが、扉は無情にも閉められ、室内はあらゆる音を吸いこむような闇に包まれてしまう。

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