第32話
都から兵士に守られ、皇帝及び皇太后、皇后候補たちの輿が道を進んで行く。
行列は皇帝を筆頭に、劉皇太后、でここと劉麗、ちびっ子こと康慧星、小動物こと洪周、そして旬果という順番。
向かう先は、瑛国を代表する五嶽の一つ。都の南にある芳春山である。
芳春山の麓には、
これは瑛国の高祖が国が統一されたことを祝し、国中から見事な海棠を集め、ここに植えた箏に由来する。別名を建和園とも。
薄桃色の霞が見渡す限り、まるで雲海のようだという話だ。
旬果は、輿の上から行列を眺める。
(すごい兵士と従者の数……)
旬果が輿としては最後尾とはいえ、その後ろにはたくさんの荷物などを車で引く人々が、何十人と続いて、最後尾が霞んで見えた。
一刻ほどで海棠園に、無事にたどりつく――が。
(……気持ち悪い)
輿に乗り慣れないせいか、旬果はすっかり酔ってしまった。
すでに海棠園には宴の準備がされていた。しかし旬果にとっては、目の前に広がる海棠の花の幻想的な光景に感動するよりも、ようやく自分の足で歩けることへの喜びが先に来た。
旬果の様子に気付いていた泰風が、そっと右腕を支えてくれる。
「酔われましたか」
「……うん。そのうち治ると思うけど」
泰風の助けを借りながら、旬果は花びら舞い散る下を歩いていく。
たくさんの海棠の樹木の植えられた中に、ぽっかりと空いた広場がある。
そこが宴の舞台である。
鳳凰や龍を図案化した緻密な文様の毛氈の敷物が広げられ、お酒や大皿に盛られた食べ物などが運ばれてくる。
南面には玉座が二脚あり、そこに旬果から向かって左側に瑛景が、右側に劉皇太后が座った。
そして瑛景側に劉麗と康慧星が、それと向かい合う格好で劉皇太后側に洪周、そして旬果が並んだ。
旬果は目の端で洪周をちらっと見たが、彼女は昨夜のことなど一切なかったかのように真っ直ぐ前を向いている。
女官が杯に酒を満たす。甘酸っぱい香りの果実酒だ。
瑛景が立ち上がれば、旬果たちも倣う。
瑛景が杯をかかげる。
「皆、このたびは宴を思う存分、楽しもう。――劉麗、慧星、洪周、旬果。たとえ誰が朕の皇后となろうとも、朕はお前たちが常にお互いを信じ合い、仲良きことを望む」
旬果は、瑛景の言葉にうんざりしてしまう。
(互いを信じ合い? 私たちから最もかけ離れた言葉ね……)
そんなことを考える旬果をよそに、劉麗が声をあげる。
「陛下。もちろんでございますとも。私たちは、仲睦まじい関係をこれからも続けていきます。ねえ、皆さん!」
劉麗からの呼びかけに、慧星や洪周が応じ、そして少し遅れて旬果も頷いた。
(何がこれからも、よ。一度だって仲睦まじかった事なんてなかったじゃない!)
瑛景が嬉しそうに、「乾杯っ!!」と声を上げた。
乾杯――の合唱が行われる。
(これが皇帝の時の瑛景なのね)
いつもは私室での素の姿しか見たことがなかったが、こうして見るとそれなりに堂に入っていた。
そして楽士たちが演奏を始める。
楽器は五絃琵琶や笙、笛、箏や鼓、
その楽曲の音律は伝統的な天人合一の響きに、魁夷たちの伝統的な音色とが混ざり合ったものだ。
魁夷に支配された時代を暗黒時代と呼んで忌避する一方で、優れたものは貪欲に取り込んでもいるのが、この国の特徴でもある。
旬果の向かいでは、劉麗や慧星が瑛景に酒を勧めていた。
瑛景は嬉しそうに笑いながら、酌を受ける。
旬果は、洪周に話しかける機会を窺うのだが、
「旬果」
突然、話しかけられ、びくっと過敏に反応してしまう。
すると声の主、劉皇太后は艶然とした笑みを覗かせた。
「お前もお酒を」
「あ、いえ、皇太后様からは酌を受けるなんて……!」
「良いのよ。是非、酌をさせて」
「……はあ」
旬果は恐縮しながら酌を受けた。
「実はね、あの時のお前の怒りも最もだと思ったのよ。確かに見世物の為に命を奪うことは、あってはいけないことだから」
劉皇太后の厳しい面しか知らない旬果は、唐突な笑顔に虚を突かれてしまう。
「……あの時は突然席を蹴ってしまい、皇太后陛下には大変な無礼を……」
「良いのよ。この宴は私達の和解のために、陛下が開いて下さったもの。もうお互いにあの時のことは全て水に流しましょう」
「は、はいっ」
(皇太后陛下って意外に良い人……? ううん、違う。絶対どこかで私を罠に嵌めようと――)
はっとした旬果は、嫌な考えを打ち消した。
(駄目よ。もっと人の好意はちゃんと受け止めないと。裏読みをし始めるなんて、宮廷に毒された証拠だわ)
今日は精一杯楽しもう。
そういう気持ちで旬果は、洪周にも酌をしようとするのだが、
「私はあまりお酒は」
そう一瞥されることなく、拒絶されてしまう。
(さっきの瑛景の演説は何だったの!?)
すると、再び劉皇太后が声をかけてくる。
「旬果」
「は、はい……」
「そう緊張した顔をしないで。お前が皇后になれば、私達は義理の母子になるのだから」
「……そうですね」
「ところで旬果に付いている武官、あれが魁夷であることは知っていて?」
「はい、存じております。陛下がつけて下さって……」
「旬果は、魁夷が好きなの?」
「はい。普通の周りの人たちと同じように……」
劉皇太后は白い歯を見せた。
「フフ。なるほど。村の人間となると魁夷には、こだわりがないということなのかしらねぇ」
(また村理論、ね)
若干うんざりしつつ、旬果は小さく咳払いする。
「皇太后陛下。見るべきものは、その人の中身であると存じます」
「中身?」
「魁夷でなくとも悪人はいるものです。清い心を持っていても、魁夷だからと遠ざけることは、誤りであると思います」
反論され、劉皇太后はかすかに眉を持ち上げたが、すぐに笑みを浮かべた。
「なるほど……。それが旬果の考え方なのね」
「そうです」
「旬果と話していると、とある子を思い出すわ。あなたと同じ名を持った、者よ。まあ、その子はもういないのだけれど……」
「さ、左様ですか」
「その子のお気に入りだったのよ、あの魁夷は」
じっと見つめられると、蛇に睨まれた蛙のように身動ぐことも、呼吸をすることすら、ままならなくなって、心臓が胸の内で暴れ回ってしまう。
しかしその見つめ合いの時間は、不意に終わる。
瑛景が、おもむろに立ち上がったのだ。
「仁傑よっ! そなたの見事な弓の腕前を見せて欲しいぞ!」
「はっ!」
一礼した仁傑は馬に跨がる。そして用意された弓を手に手綱を握ることなく、両太腿の力だけで馬を乗りこなしていた。
旬果は辺りを見回す。
(どこにも的はないけど……)
そう思った矢先、仁傑は「はっ!」と馬腹を蹴り、馬を走らせる。
馬の躍動に身を任せ、ゆっくりと弓を構え、矢を放った。
風鳴りの音を響かせ、勢いよく矢が飛ぶ。そして海棠の花を射貫き、彼方に消えていってしまう。
(外した!?)
と、背後の泰風が呟く。
「――見事です」
「え? 見事? 思いっきり外しちゃったんじゃ……」
「よくご覧下さい」
泰風が指さした方を見ると、海棠の木から落ちた一房の花が、劉麗の黒髪の上にそっと落ちたのだ。
周囲からは、拍手が湧き起こった。
旬果も手を叩く。
「すごいっ」
瑛景も声を上げる。
「さすがは仁傑。見事っ! 近うっ!」
仁傑は馬から下りると、瑛景の前に進み出て、拝礼した。
「杯を遣わすぞ!」
仁傑は深々と頭を垂れ、そして杯を勢い良く飲み干す。
さらに拍手が轟く。
しかし兄の勇姿を、洪周は見てはいなかった。
俯いて、わざと見まいとしているかのように見えた。
さすがにこれには訝しく思い、無視されようが何でも構わないと話しかける。
「……洪周、大丈夫。どうしたの?」
しかし洪周に無言で睨まれ、伸ばしかけた手を払われてしまう。
洪周は皇太后に中座することを謝罪し、女官に付き添われて立ち去った。
(洪周……)
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