第23話

 旬果が白鹿殿に戻ると、すでに玄白が来ていた。

 そして小馬鹿にした笑みを口元に滲ませながら、旬果を見る。

 嫌みったらしく何かを言われる前に、旬果は機先を制する。

「そっちにも噂は届いたでしょう。私が後宮で大立ち回りをしたって」

 玄白は不満そうに、口をへの字にした。

「可愛げのない女だ」

「あら。玄白は可愛げが欲しいの? それは初耳。初めて会った時から、嫌味と皮肉以外のことを口にしたっけ?」

「ますます可愛げがない」

「これだけは言っておくけど、私は後悔してないから。あんな嫌味な連中に好き放題言われるなんて、ありえないっ」

 玄白は何故か笑みを見せた。

 旬果はぎょっとする。

「な、なに……?」

「お前が後宮の女どもに傅いていたら、この役目を辞めてやろうと思っていたからな。なかなか骨がある」

「あ……うん……」

「何だ? その気の抜けた相槌は」

「いやあ……。いきなり褒められて、どう返したら良いんだろうって……。玄白も人を褒めることもあるんだね。あははは」

 玄白は再び嘲る。

「勘違いするなよ、山猿。お前の頭脳はまだまだてんで、駄目だからな」

 旬果はいつもと変わらぬ玄白の毒舌具合に、苦笑する。

「はいはい。それじゃあ、楽しい楽しいお勉強を始めましょ」


 その日の夜、玄白との拷問のような勉学を終えて私室で休んでいた旬果に、泰風がお茶とお粥をもってきてくれる。

「旬果様。どうぞ」

「泰風。ありがとう!」

 お腹が満ち足りれば頭が回らなくなり、だらける――との玄白の考え(いじめ?)により、勉学の間は一切、飲まず食わずなのである。

 泰風が、飲むようにお粥を食べる旬果に言う。

「お代わりなら幾らでもございますから、そう慌てずとも良いですよ」

「あ、う、うん……」

 頬を染めつつ、旬果は本能の欲求に素直に従い続けた。


 食事を終えると、本能の塊の獣から人間に戻れた気がした。

 泰風が淹れてくれるお茶は食事の時にはぬるめに、そして食事を終えた後は熱めに、風味をわえるようにしっかりと考えてくれている。

(至れり尽くせり、よね)

 村では喉が渇いたときに飲めるのは白湯か水くらいで、こうして普通にお茶が飲めるということはなかった。しかしそんな非日常にも馴れてきて、最初ほどありがたみを感じなくなっていた。

(贅沢って怖いわぁ……)

 そんなことをしみじみ思いつつ、頭にあるのは自分の失われた記憶のこと。

 もっと後宮の中を探索すれば、空白を埋められるかも知れない。

 しかし後宮には、劉麗一味ばかりか皇太后までいる。

 あんな騒ぎまで起こしてしまったのだ。

 女官や宦官には旬果の悪名はますます広まり、見つけられた途端、叩き出されないとも限らない。

「はあ……」

 口からこぼれるのは名案ではなく、溜息ばかり。

 泰風は言う。

「後宮のことを、お考えでございますか?」

 あはは、と旬果は照れ笑いする。

「分かっちゃう?」

「……ええ」

 旬果としては、顔にそこまでは出ていないと思ったのだけれど。

 そこまでばれているのならば仕方がない、と旬果は打ち明けた。

「どうすればうまく後宮に、もぐりこめると思う? ……普通に入っていって、捜し回るのは難しいでしょ? 前回のこともある訳だし」

「それだけではありません」

「まだ何かある?」

「もし仮に記憶の手がかりを見つけられたとして、以前のように意識を失われることが、起こらないとも限りません。もしそんなことになれば……。お一人で行かれるのは危険です」

「じゃあ、菜鈴と一緒?」

 泰風は、隣の部屋を気にしながら言う。

「……あれが、どこまで役に立つか……」

「でも、女性で他に頼れる知り合いなんていないし……」

 と、旬果は閃いた。

 突然、じっと見つめられた泰風はたじろいだ。

「旬果様……?」

 旬果は思い浮かんだ名案に、笑みを大きくした。

「泰風が、ついてきてくれれば良いんだわっ!」

「は? いえ……後宮は男子禁制で……」

「泰風が宦官になってついてきてくれれば問題は解決。でしょ?」

「えっ……いや、私は」

「――良いじゃない、宦官」

 そう言ったのは、隣の部屋からいつの間にか、顔を覗かせていた菜鈴だった。

 泰風はキッと、菜鈴を睨んだ。

「お前は黙ってろっ」

 旬果は割って入った。

「泰風。怒らないで。あくまで振り、で良いんだから。女官よりは良いでしょ?」

「……し、しかし宦官など……」

 菜鈴が言う。

「振りじゃなくって、この際だから思い切ってなっちゃえばー?」

 旬果は菜鈴を見た。

「菜鈴。調子に乗りすぎ」

 菜鈴は肩をすくめて、逃げてしまう。

 旬果は告げる。

「私は女官の変装をして、泰風が道案内してくれれば良いのよ。で、私がまた倒れたら、助けて」

「は、はあ……」

「そんな顔しないでよ。お願い。記憶が戻れば、もっと泰風のことを思い出せるかもしれないし!」

 旬果に根負けしたみたいに目を伏せた泰風は、「分かりました」と言ってくれた。

「ありがとっ!」


「――旬果様。これでいかがですか?」

 菜鈴に女官の衣装を調達して貰い、こうして着させてもらった旬果は鏡の前に立って、身体を動かす。女官の服は同じ襦裙だが、飾りっ気は全くなく、動きやすい実用品だ。

 正直、こっちの方を普段から着たいと思った。

「良いわね、この格好。動きやすいし」

 菜鈴が呆れたように旬果を見る。

「そのような格好で、喜ばれるなんて……」

「そう?」

「はい。そんな粗末なもの……」

「……粗末」

 女官の服は村で暮らしていた頃、着ていた物よりもずっと上等だ。

「ま、まぁ、とにかくこれなら、ばれなさそうよね?」

 旬果は意気揚々として私室を出た。

 そこには、黒ずくめの宦官服姿の泰風が立っていた。

 宦官が身につける黒の上下の袍と長袴姿、頭には短い房のついた宦官帽と呼ばれるものを、かぶっている。

「泰風、よく似合ってるわ」

「はあ……」

 泰風は微妙そうに自分の出で立ちを見る。

 菜鈴は、ニヤニヤする。

「本当にお似合い」

 泰風はすぐに目を尖らせる。

「お前は黙ってろ」

「で、菜鈴。何か助言はある?」

 菜鈴は、旬果たちの姿を眺める。

「泰風。あんたは喋らないこと。宦官は大概、声が高いからね。喋っただけで怪しまれるわ。それから旬果様は……まぁ、そのままで良いでしょう。良い意味で村育ちのお陰か、芋っぽいですから」

 泰風が声を低くする。

「菜鈴。お前、旬果様を愚弄してるのか」

 旬果は、泰風の袖を引く。

「ほら。泰風、さっさと行くわよ」

「しゅ、旬果様っ!」

「いってらっしゃいませー」

 菜鈴が頭を下げ、旬果たちを見送った。

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