第3話

 それから一週間。旬果の日常は、何事もなく過ぎていった。

 その日も旬果は森で牝鹿を仕留め、買ってもらおうと街にやって来ていた。しかし街の出入り口にはいつもはいない兵士が周囲に睨みを利かせ、荷物検査を入念にされた。

 それがまた横柄極まりない命令口調。

 さらに、街のあちらこちらに兵士はいた。どの兵士も見かけない顔だ。

 いつものように肉屋の店主夫婦に、鹿を売ったついでに聞いてみる。

「あの兵士たち、何なの?」

 応対に出た店主は、声を潜めろと言うかのように唇に人差し指を当てる。

 女将さんも困り顔。

「みんな、兵士を怖がって外に出ないんで、こっちは商売あがったりなのよ……」

 店主は腕を組む。

「どうやら街に、お偉いさんが来てるって話だぞ」

「お偉いさんって里長さん?」

「いや、もっと偉いんじゃないかなぁ」

「県令?」

 里長は地域の顔役のような人で、それらを統括するのが県令。さらにそれを仕切るのが州刺使しゅうしし

「俺が知るかよ」

 夫の言い様に、女将さんは眉を顰めた。

「ちょっと、あんた。景気が悪いからって、旬果ちゃんに当たるのはやめなさいよ。大人げない」

「へいへい」

 店主は不満そうに、店の奥に引っ込んでしまう。

 子どもっぽい夫に苦笑しつつ、女将さんは言う。

「まあともかく、今日は早めに帰った方がいいわ。兵士と関わると、ろくなことにならないからね」

「そうします」

 旬果は馬を引き、街を出ようとしたその時。

 兵士が駆けてきて、旬果を突き飛ばす。

「ちょっと! 何するのよっ!?」

「黙れ! 勅使様のお通りだぞっ!」

「勅使?」

 旬果がぽかんとしている間に、やたらと装飾で飾られた堅牢な四頭立ての馬車が通っていく。

 その馬車の後を青鹿毛あおかげの馬に跨がった、軽装の青年がついていく。

 青年は黒髪に色の白い肌。灰色がかった眼差しは硬質で、真っ直ぐ前を見ている。

 青地に細身の上衣に長袴姿、六号靴。左前だということから、武官であると分かった。

 馬車はあっという間に、街を出て行ってしまう。

(勅使って、皇帝陛下の遣い、だよね?)

 突き飛ばされた怒りも忘れ、旬果はそのことが気になった。


 旬果が街で見聞きしたことを両親に教えようと家路を急げば、村の出入り口を固めている兵士の姿を見た。

(あいつらっ)

 向こうも旬果に気付くと、横柄な口を利く。

「おい! そこの者、馬を下りろ!」

「うるさいっ!」

 馬腹を蹴り、馬を駆けさせる。行く手を防ごうとする兵士にも、構わなかった。

 止まる気がないと分かると、兵士たちは血相を変えて左右に退く。

「父さん! 母さん!」

 声を上げ、自分の家まで駆ければ、そこには一際兵士たちがおり、そしてあのやたらと豪華な馬車まで止まり、両親の姿もあった。両親は兵士たちの前でひれ伏している。

 旬果は馬を下りて両親に駆け寄るや、兵士たちをきっと睨み付け、腰に下げている鉈に手をかけた。

「父さんと母さんに指一本でも触れてみろ! 私が容赦しないからっ!」

 兵士達の中には、先程の武官の青年の姿があった。

 兵士達の前で跪いていた王義史が「やめなさい!」と声を上げるが、旬果は兵士たちと睨みあうことをやめない。

 兵士たちの何人かは、腰の剣に手をやっていた。

「――やめろ」

 そう声を発したのは、青年だった。凛然とした声だ。身長は六尺180センチはあるだろうか。しかし不思議と威圧感はない。

 目の前の青年は笑顔を見せている訳ではないし、こちらに友好的かも分からなかったが、攻撃の意思はないのだと分かった。

 青年は兵士たちに言う。

「皆、下がれ」

 兵士たちは不満そうだ。すると青年はさらに強く言う。

「下がれ、と言っている」

 ようやく兵士たちは従った。

 青年は旬果に言う。

「お前の名前は?」

「私は王義史の娘、旬果」

 その時、何故だか青年の目が見開かれた。

「……旬果」

 すると、その名前を聞いた途端、兵士たちはその場に跪いたのだ。

(な、何!?)

 青年は、金糸や銀糸で艶やかに装飾された容れ物を持っていた。そこに緻密に描かれているのは、天に昇る龍。

 龍の図案を用いれるのは天下広しといえども、たった一人。

 それをぼんやり見つめていると、義史が「旬果。陛下よりの書状だ!」と声を上げた。

 弾かれるように、旬果が跪こうとしたが、青年はそれを押しとどめる。

「旬果様。そのままで構わない」

(様……?)

 青年は容れ物から書状を取り出すと、それを開く。

「――陛下よりの御下命である。王旬果。貴殿を陛下の妃として、後宮へ迎え入れる」

「は……?」

 そんな間の抜けた声が漏れてしまう。


 日が落ちても、村中は沸き返っていた。

 兵士たちは歓待され、村を挙げての大宴会が行われていた。何頭もの動物がさばかれ、古酒が振る舞われた。

 旬果はそんな喧噪をよそに、落ち着かないまま家の中を行ったり来たり歩いていた。

 その場には両親、そして勅使である青年がいる。

 旬果は言う。

「皇帝陛下の妻だなんて絶対に嫌! 私がいなくなったら、父さんと母さんはどうなるの!?」

 二人の表情は旬果同様、沈んでいる。

 しかし娘を嫁がせたくないと思っている、というのとはまた違うような気がした。

 青年が言う。

「心配せずとも、陛下より支度金がご両親は元より、村にも出る。生活に困るようなことは……」

「私の気持ちは!? 見ず知らずの人に嫁ぐなんてありえないっ」

 目の前の青年はただの使者だと分かっていても、降って湧いた理不尽に噛みつかずにはいられなかった。

 義史がちらりと視線を青年にやる。

「娘と話し合いたい」

「分かりました」

 彼はそっと家を出て行った。

 義史が言う。

「旬果。座りなさい」

「お父さんは、何とも思わないの!?」

「陛下がお前を必要としている、ということだ」

「必要? 会ったこともない人に必要とされても、嬉しくないのよ!」

 しかし義史は、真顔で言葉を繰り返す。

「旬果。座りなさいっ」

 旬果は渋々、その場に正座した。

 母親がそっと席を立つ。

 義史は柔らかな声で告げる。

「……混乱している気持ちは分かる」

「その言い方だと、父さんと母さんは混乱してないみたい……」

「……いつかこういう時が来ると、覚悟はしていた。が、そんな日など来て欲しくはなかった」

「どういうこと……?」

 義史は小さく息をつく。

「お前は皇帝陛下の姉君なのだ」

 一瞬、時が止まったかのように旬果には感じられ、そして頭が真っ白になった。

「え。今、何て……?」

 義史は噛んで含めるように言う。

「お前は皇帝陛下の姉君なのだ」

 それに対して旬果は、何と返したら良いのか分からなかった。

 はいそうですかと、飲み込めるような事ではない。

「皇帝陛下の姉……?」

「そうだ。母親は違うが、本当の父親は先帝陛下なのだ」

「ど、どうしてそんな……」

 確かに自分は両親のどちらにも似ていない、そう思ったことはある。

 しかしだからと言って、そんな言葉を受け容れられる訳がない。

「じゃあどうして私はこの村にいて、父さんと母さんと暮らしてるの? 私は本当の父親に捨てられたってこと?」

 旬果は苛立った。

 皇帝の妻になれと言われた矢先に、お前はその皇帝の姉なのだと言われたのだ。

 本気で困惑し、混乱している自分に対する嫌がらせなのか。父はこの期に及んでふざけているのかと本気で疑わずにはいられない。

 だが義史は途中で笑い出すようなことはなく、真顔のままだった。

「先帝陛下は、お前を心の底から愛していた。だからこそ、禁軍の将軍であった私に託されたのだ。私は怪我を理由に禁軍を辞め、こうして片田舎に身を寄せた」

「それじゃつまり、私のせいで父さんは禁軍を辞めることになったの?」

 義史はかぶりを振った。

「それは違う。すでに実戦には出られぬ身になっていたのだ。それでも情けで将軍の位を戴いていただけのこと。陛下の勅命を受け、この老いぼれの最後のご奉公と思っただけだ。お前と暮らした十年は私たち夫婦にとって、玉の如き素晴らしく、かけがえのない日々であった」

「どうして……皇帝陛下は、私を父さんに預けたの?」

「私もよく知らないんだ。ただ預かって欲しいと、陛下より言われて従ったまでで……」

 義史は顔を伏せた。声は震え、涙に濡れる。

 旬果は胸を突かれた。

 これまで父がこんな表情をしたことなど、一度もなかったからだ。

 膝に乗せられた手が拳を作り、小刻みに震えている。

(父さん……)

 旬果は義史の大きな手の甲に、自分の華奢な手を乗せた。

 はっとして義史が顔を上げれば、旬果は微笑んだ。

「信じるよ。父さんの言ったこと。その気持ちも……」

 義史は顔を上げた。

「旬果」

「でも分からないことがあるの。どうして……その、腹違いの弟は私と結婚なんて? まさか向こうは、私のことを何も知らないの?」

「そのことだが、先帝陛下は今上陛下に遺言を託されたはずだ。助けがいる時、宮中へお前を召し出せ、と」

「……それじゃあ、弟が必要としてくれてるってこと、なの?」

「そうだ」

 そこへ何穂が戻って来る。その手には縦長の箱がある。

 旬果は小首を傾げた。

「それは?」

「あなたが初めて私たちの元に来た時、片時も離さず持っていた物よ」

 恐る恐る箱を受け取り、蓋を開く。

 収められていたのは、綺麗な首飾りだった。白い玉に赤や黒、緑の玉がいくつかついており、一際大きな玉が一つついていた。その玉の表面には精密な龍の紋様が刻まれ、少し揺らすとチリン、と涼やかな音を立てた。

 義史が言う。

「玉鈴――そう呼ばれるものだ。帝室の血縁者のみに与えられるものだ」

 旬果は首飾りをそっと手に取り、揺らす。

 チリン。

 心に響く澄んだ音色だったが、旬果は何も思い出すことが出来なかった。

 それでも笑顔を陰させることなく、両親に頭を下げた。

「これまで育ててくれてありがとう。たとえ本当の両親でなかったとしても、私にとっての父さん、母さんは二人だから……」

 義史は微笑んだ。

「旬果。今生の別れじゃない。たとえ血が繋がっていなくとも、お前は私達の最愛の娘だ。そしてこの村は、家は、お前の故郷であり、家だ。いつでも帰って来なさい」

「……ん」

 その言葉に旬果は胸に迫るものがあり、下唇を噛んだ。

「旬果っ!」

 我慢出来なかったように抱きついてきたのは、母の何穂だった。

 旬果は、自分より一回りは小さな母の身体をしっかり抱きしめた。

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