落花流水。
私が学校に行かなくなった頃、先生がクラスメイトに転校の話をしたらしい。
仲の良かった友達達から引っ切り無しに連絡がくるようになってしまった。
メールくらいならいいのだが電話だと非常にめんどくさい。
なんで教えてくれなかったんだとか友達だと思ってたのにだとか。
友達だと思ってるのならそんな言い方しなくていいでしょ?
急に転校とか言われたら怒るのもわかるけど、怒ってくれるのは嬉しくもあるんだけど、そんな事よりもお前らの心の中の安堵が透けて見えるんだよね。
先輩といつも一緒にいる私がいなくなるんだからそりゃそうだ。
信者達からしたらこれ以上の朗報はないよね。
私への心配の言葉と同時に、大抵の場合雫先輩は引っ越したりしないんでしょう?とか、なかなか会えなくなっちゃうんじゃない?とか、そんな事ばかり言われる。
どっちかっていうとそっちが本題なのは声のトーンで分かるんだよね。
でもよかったじゃん。
先輩をおかしくしてる張本人は居なくなるんだからきっと今までの毅然とした素敵な先輩が帰ってくるよ。
…でも、逆に言うとまた先輩の周りはそういう人達だけになっちゃうんだよなぁ…。
大丈夫かなぁ。
気になり始めるとどんどん心配になってくる。
…いや、引っ越した後の事なんてもう私には関係ない。
先輩にだっていつか新しい理解者が出来る。私である必要性なんてない筈だ。
私には先輩しかいないって確信が持てるけれど、きっと先輩には私じゃなくたって…。
だから、大丈夫。
万が一にも先輩も私と同じように、この人しかいないって思ってくれてたとしたら、それはとても嬉しい。
だけど…
きっと私の先輩に対する想いと
先輩が私に対する思いは
似てるようでも同じじゃない。
その境界線には越えられない壁があるんだ。
混ざりあわないようにセパレートみたいに分けられちゃうんだ。
私はそんな生活耐えられない。
三日もすると友人達からの連絡もほぼ収まった。
先輩はちゃんと学校に行ってるんだろうか?
明日は先輩と会う日。
そして、明々後日が引っ越しの日。
今の生活も、明後日の昼には終わる。
もう少し。
もう少し隠しきれれば私の苦しみは終わる。
もうちょっと。
もうちょっとだから。
だから、泣くのは…その後にしなきゃ。
九月五日
新学期が始まり、何事もなかったように薫ちゃんの居ない学校生活が始まっていた。
最初こそ皆ショックで暗い顔をしていたが、数日たったらもうみんな薫ちゃんの存在など最初からいなかったかのようだ。
きっと悲しい出来事は早々に頭から消してしまいたいのは分かる。
だけども、そう簡単にクラスメイトが一人消えてしまう事を受け入れられるものなのだろうか。
少なくとも私には忘れる事など出来そうにない。
九月六日
これ以上この日記を記す事に意味などあるのだろうか?この日記自体私の身勝手な恋心を書き連ねた物に成り下がってしまったので薫ちゃんを失ってしまった今特に書く事がないというのが現状である。
九月九日
ここのところ毎日のように銀河鉄道の夜を読み返す。
なぜカムパネルラはザネリなどを助けてしまったのだろう?
無論、その行為はとても尊い。しかし、世の中の為にどちらの命が重要だったかなど考えるまでもない。
そしてそれはジョバンニにとっても。
ああ、どうして薫ちゃんが死なねばならなかったのだろう。
九月十五日
未だに己の中に燻ぶっている恋心が消えない。
消えるどころか、伝える相手を永遠に失ってしまったが故にこの感情は一生このまま抱えて生きなければいけないのだろう。
…いや、もとより自分の中に隠して墓まで持って行くつもりだったのだから本来なら何も変わらない。
それなのに、この喪失感はなんだろう?
九月二十日
今日を最後に日記を書くのを辞めようと思う。
未だに悲しみも薫ちゃんに対する気持ちも何も消える事は無いが、私は、ここに記していく内容からだんだんと薫ちゃんの事が減っていくのが怖い。
悲しみというのは時間が解決してくれるのだそうだ。
だとしたら、この恋心はどうなる?
それも時間が、無かった事にしてしまうのだろうか?
私もいつか誰かと恋愛をして子を成すのかもしれない。
そうなれば私は家族を守る事が使命になり、薫ちゃんの事を考えている場合ではなくなるのだろう。
その、いつか来るかもしれない未来が現実になるまで、それまでは私の心は薫ちゃんの物だ。
薫ちゃんはこんな私の心など要らないというかもしれないが、薫ちゃんの意思は関係ない。
私がそうしたいのだ。だから、無理矢理、問答無用で私の心は薫ちゃんに捧げる事にする。
これが私の出した結論であり、これが私なりの前向きであり、これが私というジョバンニの答えだ。
薫ちゃんに恋をするのは家庭を持つまで。
カンパネルラを愛するのは永遠に。
これから、色の無い世界を必死に生きて行こう。
…おじいちゃんの日記はそれで終わっていた。
かなり分厚い日記帳だったが、実際使用されていたのは半分程度で、そこから後ろは何かの走り書きやメモのように使っていたようだ。
おじいちゃんは宣言通り、それ以降日記は書いていなかったらしい。
ただ、パラパラとページをめくり、走り書きを眺めているとその中に気になる一文があった。
おそらく、ふとおじいちゃんが本音を書きなぐってしまったものだろう。
もしも
もしも時を巻き戻せるのならば
失うのを怖がらずに自分の気持ちを伝えよう
言わずに終わるのは、言って後悔するよりも己を腐らせる。
…それを読んでチクリと胸が痛む。
だけれど、仕方ないじゃないか。
私とおじいちゃんは違う。
時代も、性別も、恋愛対象の性別すら。
だから、私は逃げるのだ。
そう、私が全てを隠して先輩から離れるのは、ただ失うのが怖くて逃げだすだけだ。
解ってる。
だけど、怖いんだもん。
仕方ないじゃん。
…仕方ないよ。
翌朝、予定より早く起きて、服を選ぶ。
しかしなかなか決まらない。
先輩と会うのが最後になる。
そう考えると何を着ていいか分からなかった。
だけど、ふと思う。
…久しぶりに先輩に会えるからって何を舞い上がってるんだ私は。
いつも通りでいい。
普段通りの服装でいいんだ。
舞い上がってる事を気取られないようにしなきゃ。
先輩といつもの喫茶店で待ち合わせ。
少し早めに行ったにも関わらず既に先輩はいつもの席に座って私を待っていた。
…久しぶり。やっと会えた。
顔を合わせるなり涙流すのやめてよ。もらい泣きしそうになる。
まだ何も注文せずに私を待っていたようなので、いつものカフェグラッセを二つ注文した。
先輩はただでさえ美しくて人目を引くのに、そんな美少女が人目も気にせず涙を流しているもんだから店員さんがかなり戸惑っていた。
どちらかというとそんな先輩を目の前にして一切気にせず普通に注文してる私に困惑していたのかもしれないが。
先輩。いきなり泣かないで下さい。どんだけ私の事好きなんですか。
…うん、好き。
涙を袖で拭いながらうつむき加減に即答。
どういう意味の好きかちゃんと言えよ誤解するだろ。
怒りますよ?
…ごめん。
私の言葉に過剰に反応してしゅんとしてる先輩超かわいい。
今日は、会ってくれてありがとう。
最後ですからね。さすがに私も会わずにさよならっていうのは嫌ですし。
ありがとう。…あ、そうだ。これ…あげる。
先輩は紙袋に入った何かを手渡してきた。
それを受け取りつつ、私からはこれです。と言ってあの銀河鉄道の夜をプレゼントした。
私は本をむき出して渡したのだが、先輩は目をまん丸にして驚いていた。
…あれ?先輩には銀河鉄道の夜の話ってしてたかな?
してない気がするんだけど。
古い本でごめんなさい。それ実はおじいちゃんが薫ちゃんからもらった本なんです。中の栞も。
そういうと先輩は、これ…もらっちゃっていいのかな?大事なものなんじゃないの?って不安そうにこちらを見つめてくる。
大丈夫です。むしろ…それ私が持っているのもちょっとしんどいので。
おじいちゃんの日記最後まで読んだんですけど、その本は薫ちゃんの形見なんです。
え?形見ってどういう…もうその薫ちゃんっていう人は亡くなってるの?
もう、っていうか…おじいちゃんの日記の中で既に亡くなっちゃってました。おじいちゃんは気持ちを伝える相手を失っちゃって大変な事になってましたよ。
…そう、なんだ。お爺さんは、とても悲しくて辛い思いをしたんだね。…でもそれなら尚更この本を私がもらったりしたら…
いえ、先輩に持っていてほしいんです。その本を見るたびに私を思い出して下さい。
…うん。嬉しい…大事にする。
先輩はそう言って本を大事そうに両手で胸に抱えた。
私はなんて性格が悪いんだろう。
友人ともう会えなくなる話を渡して、私の事を思い出せなんて最低だ。
だけど、あの本はその悲しみを乗り越えてその先へ進んでいくお話しだから。
先輩だってきっとその先へ進んでいけるよ。
そうじゃなきゃ困る。
私も先輩から受け取った紙袋を開けて中身を見ようとすると、先輩は慌てたように、帰ってから見てほしい!と言う。
いったい何が入ってるんだろうって興味がわいたけど、先輩が後で見ろって言うならそうしよう。
これで最後だっていうのに、プレゼントを交換した後二人ともうまく話せなかった。
私はなんだかそわそわしてしまってカフェグラッセのアイスをスプーンで細かくすくっては食べすくっては食べしてたら先にアイスを食べきってしまってを苦いコーヒーが残った。普段ならこんな事絶対にやらないのに。
最後だから動揺してるんだろうか。
逆に先輩の方は、いまだに涙をぽろぽろ流して飲み物には全然手を付けられていない。
先輩にしては珍しく、アイスがどんどん溶けてダークブラウンのコーヒーが少しずつカフェオレ的な色に変化していった。
…本当にこの人はどういうつもりなんだろう?
私の事をどう思ってるんだろう?
知りたい。
私の気持ちだって伝えたい。
だけど、知りたくないし伝えない。
怖いから。
ただただ怖くて、私が臆病だから。
先輩からの返事を聞くのが恐ろしいから言わないで逃げ出すのだ。
出来れば先輩には私の事を、冷たい女だと怨んでほしい。
それくらいでちょうどいい。
本当は先輩が私から卒業できるようにとかそんな事どうでもいいんだ。
怖いだけなんだ。
その答えを聞かされるくらいなら
何も知らずに全部終わりにした方がマシだ。
私は先輩の奇麗な瞳から流れる雫と、アイスが溶けて混ざり合う先輩のカフェグラッセをぼんやり眺めながら、心を冷静に保つために自分のストローをがじがじぴこぴこしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます