悶絶躄地。




 翌日、先輩は学校に来なかった。


 仲のいい友達から、何か知らないかと問い詰められたが知らないと言い張った。





 先輩が休んでいるのはやはり昨日の事が原因なのだろうか?


 体調を崩しているんじゃないかという心配はあるが、私は出来る限り興味が無い振りをする。





 その翌日も先輩は学校を休んだ。


 何かあったのだろうか?


 私が冷たくしたから精神的に落ちてしまったのかもしれない。





 またその翌日も、先輩はこなかった。


 私にはもうあまり時間がないのに。





 …覚悟を決めたとはいえ残された時間を少しでも先輩と一緒に過ごしたいという気持ちもあった。





 だけど、これはこれでちょうどいいのかもしれない。


 私の中の未練を断ち切る意味でも、先輩がこのまま私から離れられたらそれが一番いい。








 八月四日





 あれから私はなんともいえぬ罪悪感を腹のうちに抱えたまま薫ちゃんとの友達付き合いを続けている。


 全てを打ち明けてしまいたい気持ちと、絶対にそんな事をしてはいけないという気持ちがせめぎあって思考を腐敗させていく。











 八月十日





 今日は薫ちゃんと遊びにでかける約束になっていた。


 駅で待ち合わせをして、少し遠出をした。


 薫ちゃんが買いたい物があるからつきあってくれと言うので、ただ付き添いとして行っただけだったのだが、一日終わってみればまるでデートのような一日だった。


 勿論そんな風に思っているのはこちらだけだろうが。








 八月十二日





 なんの連絡もなく突然薫ちゃんが家にやってきた。


 親に呼ばれて外に出て見れば薫ちゃんが居るので驚いたものだ。


 なにせこちらは寝間着のままだったのだからみっともない所を見せてしまった。


 少しだけ待ってもらいすぐに着替えて部屋を軽く掃除して薫ちゃんを通す。


 今日の事は多分一生忘れる事はないだろう。それと同時に、出来る限り思い出したく無い日でもある。


 今日は早めに寝ようと思うので詳しくは明日書くことにする。








 八月十三日





 昨日は私の誕生日だった。


 自分ですっかり忘れていたのだが、薫ちゃんが訪ねてきた時私にプレゼントをくれたのだ。


 銀河鉄道の夜。そして、奇麗な鼈甲の栞。


 嬉しかった。薫ちゃんは私の為にプレゼントを用意してくれたのだ。


 それはこの前一緒に出掛けた時に買った本だったのだが、私に贈るための物だったのか。


 薫ちゃんからの贈り物ならなんでも嬉しいのだが、もう一つの栞も私にとっては特別な物だった。


 それは薫ちゃんがずっと使っていた物だったのだ。


 薄く、細長くて銀杏の葉のような形をしているもので、本来はかんざしとして使う物らしいのだが、薫ちゃんは栞としてちょうどいいからどうぞ。と言ってそれもくれた。


 昨日の事は一生忘れられない日になった。





 そして、昨日は











 …何故かその日の日記はそこで途切れていた。


 忘れられない日になって、そして思い出したくない日だっておじいちゃんは書いてた。


 悪い事も何かあったのかもしれない。








 八月二十日





 やっと、少しだけ気持ちが落ち着いてきたので記録を再開する事にした。


 この数日薫ちゃんからもらった銀河鉄道の夜を読んでいて、つい先程読み終わった。


 この本を薫ちゃんがどういうつもりで私に贈ったのか分からないが、こんなに読むのが辛かった本は他に無い。


 何度も途中で投げ出してしまおうと思った。


 なぜ、今銀河鉄道の夜だったのだろう。


 分からない。








 …?


 銀河鉄道の夜ってそんなに読むのが辛くなるような本だったっけ?





 私はいまいち銀河鉄道の夜のあらすじを覚えていなかったので、おじいちゃんの荷物の中から探してみる。





 さっき段ボールの中身をぶちまけた時に見かけたのでそれはすぐに見つける事ができた。





 パラパラとページをめくりながら自分の記憶を呼び覚ましてみる。





 そう、確か主役の少年と、カムパネルラ、そしていじめっ子。なんとなく思い出してきた。





 そして、ページをめくっていくと栞が挟まっている所に辿り着く。





 …あっ。


 そうか、銀河鉄道ってそういう話だったっけ。


 主人公はカムパネルラと銀河鉄道に乗って旅をする。


 だけど、最初カムパネルラは何故かびしょ濡れで、旅も唐突に終わっちゃう。


 現実世界ではいじめっ子のザネリが溺れてしまい、それを助けるために…。





 うーん…確かにこれは読むのに精神力を持っていかれるかもしれない。


 気持ちが落ちている時に読んだらそのまま沈み込んでしまいそうだ。





 勿論このお話は、最後には主人公が悲しみを乗り越えて前向きに生きて行こうという話だ。





 だけれど、そこに至るまでが辛い。





 どういう訳か、これを読んだ時のおじいちゃんにはとても読むのが辛かったようだ。





 正直今の私にもちょっとしんどい。





 おじいちゃんは薫ちゃんからもらったこの本を今までずっと大事にしてきたんだろう。





 それは…なんていうか、素敵だなって思うけれどおばあちゃんに対して少し失礼なんじゃないの?





 そんな事を思うのは当然でしょ?


 おじいちゃんはおばあちゃんと結婚して幸せに暮らしたんだよね?


 なのに当時の思い人からの贈り物を後生大事にとっておくっていうのはおばあちゃん的にどんな気持ちだろうか。





 …って、勝手におじいちゃんに対して怒っていたのに、次の日記を読んだら全部消しとんでしまった。











 八月二十二日





 なぜ、薫ちゃんは銀河鉄道で会いに来てくれなかったのだろう。








 …え?


 は?どういう事?


 なんでそんな話になっちゃうの?








 八月二十五日





 私はジョバンニのように、一人でも強く生きて行く事が出来るだろうか?








 八月二十六日





 辛い。


 どうして薫ちゃんは私を置いていってしまったんだ。








 八月二十七日





 出来る事なら変わってあげたい。








 八月二十八日





 薫ちゃんと会えなくなった人生に何か意味があるのだろうか。








 八月二十九日





 こんな事なら私の思いを全て伝えてしまうべきだった。








 八月三十日





 もし私の想いを知っていたら薫ちゃんはどうしただろう?最後にそんな事言っても困らせるだけだっただろう。








 八月三十一日





 きっと言わなくて良かったのだ。


 そう理解はしている。


 だけれども、私は自分の気持ちを伝えられなかった事を深く、深く後悔している。


 伝えない覚悟をする事と、どう足掻いても伝える事ができないのでは状況が違うのだ。





 たとえ薫ちゃんに嫌われてでも伝えるべきだったのかもしれない。


 どうするのが正しかったのかは分からない。


 だけど、今の私はこの思いを伝えたかった。


 薫ちゃんに伝えたかった。


 伝えるべきだった。


 薫ちゃんが死ぬ前に。











 …嘘でしょ?


 なんでいきなり薫ちゃん死んでるの?


 そんなの…





 そんなの悲しすぎるよ。





 暫く頭が働かなくなって呆然と部屋の隅を眺めた。


 ふと脇に置いた銀河鉄道の夜に目をやる。





 その、後に…銀河鉄道の夜を読んだの?





 無理だよ。


 私には無理だ。





 万が一先輩が死んでしまったとして、その後にこれを読む事は出来ない。





 途中で投げ出してしまうだろう。


 きっとおじいちゃんだって辛かった筈だ。


 だけど、薫ちゃんからプレゼントされたものだから、頑張って読んだのだ。





 これは、捨てる事なんて出来ない。


 その後どんな恋愛をしても、幸せな暮らしを手に入れても





 これは捨てられないよね。





 勝手におじいちゃんに怒ったりしてごめん。


 おじいちゃんも辛かったんだね。





 私が知っているおじいちゃんからはまったく想像する事のできない過去だった。





 ふと、怖くなる。





 もし、先輩が死んでしまったら…。





 私はどうなってしまうだろう。


 おじいちゃんのように気持ちを伝えなかった事を激しく後悔するのだろうか。





 万が一にもそんな展開はある筈がないが、ないのだが…私だって後悔するかもしれない。





 だけど、そんな展開はそうそう有る筈がないのだ。





 それにおじいちゃんの恋と私の恋では…いろいろ違う。





 私は隠し通さなきゃ。


 銀河鉄道の話と薫ちゃんの件で揺らいでしまったが、もっと心を強く持て。





 それこそ、カンパネルラを失ったとしても私は前を向かなければならないのだ。








 これだけは持って行こうと思っていたけれど、やっぱりこの銀河鉄道の夜も、処分しよう。





 私が持って行ったら…これを見るたびに辛さがぶり返してしまう。





 前を向いて生きなきゃいけないのに、この本があったら私はいつまでも前に進めないしその都度先輩の事を思い出して後戻りしそうになってしまう。





 だから…。








 その時、スマホが振動した。


 人がいろいろ決意しようとしてる時にいったいなんなんだ。





 …でも、私はなんとなくその相手が分かっていた。


 そもそも私に連絡してくるような人は限られてる。


 それにこんなに間が悪いのは先輩くらいなものだろう。








 スマホの画面を見ると、案の定雫先輩だった。





 ただ、いつものメッセージじゃなくて、珍しく電話だ。





 今の私が電話に出ても冷静を保てるだろうか。


 いや、出来る筈だ。頑張ろう。





 もしもし。先輩?ここの所学校に来てないみたいですけど大丈夫ですか?





 よし、大丈夫。


 上手くやれそうだ。








 急に電話しちゃってごめん。声が聴きたくて。





 そんな乙女みたいな事言われたらさ、勘違いするでしょ?いつもの余裕な態度の先輩はどこにいっちゃったんだ。





 声が聴きたくて、って言うなら学校来ればよかったじゃないですか。体調悪いんですか?





 そう言うと、先輩はなんだか消え入りそうな声で、君にどんな顔して会ったらいいのか分からなくて…と呟いた。





 先輩はいつからそんな弱気な人間になっちゃったんですか?私が初めてあった頃はもっと強い人でしたよ?





 だとしたら…きっと私は君に甘えてるんだろうね。今も、君が居なくなるのが怖くて仕方ないんだ。





 胸が締め付けられる。


 先輩が苦しんでいるのが電話越しにもしっかり伝わってきた。





 先輩、だけど私はもうすぐいなくなっちゃいますよ?一人でもしっかりしてもらわないと。





 はは…なんだか君の方が先輩みたいになってるね。…その、引っ越し先はどのあたりなんだい?会えなくなる程、遠いの?





 仙台です。母の会社の支社がそちらにあるので、職場もそちらに移るんだそうです。私はそのままそちらの学校に転校って形になりますね。ちょっと距離的に難しくないですか?








 確かに…遠いね。





 先輩はそこまで言って少し考えた後、でも…会えない距離じゃないね。と、少しだけ声が明るくなった。





 だけど、そういう訳にはいかない。





 私は、もう会うのは辞めるつもりですよ。これで本当にさよならにしようって思ってます。





 どうして?もう会いたくないって程私の事が嫌いなの…?ううん、嫌いって事は知ってるけど…どうして会うのを辞めるなんて言うの?





 私は…それがお互いの為だと思ってますし、考えを改める気はないですよ。





 それに、以前の先輩だったら、嫌がられても時間が出来たら君のところへ押しかけて行くから覚悟しておいてくれよ!って言い放ってたに違いない。





 私はそういう強さが羨ましくて、恨めしかったのだ。





 今の先輩は、なんていうか脆くて儚い。


 これ以上私が近くに居たり、会える環境にいたら先輩はずっとこのままな気がするし、私にとってもたまに会えるような環境がずるずる続いていったらいつまでも諦めきれなくて先輩を想い続けて、万が一それでいつか先輩が理解してくれる男性を見つけてその報告を受けて相談されておじいちゃんみたいに思い悩み続ける事になるかもしれない。





 無理。





 私には耐えられない。





 だから、おじいちゃんみたいな辛い恋愛はしない。





 ここで終わらせなきゃ。








 どうしても、もう会えなくなっちゃうの?





 そうです。もう会えなくなっちゃいますし、先輩が学校へ来ないからもしかしたらもう会う事は無いかもしれないですよ。





 私、引っ越しの準備とかいろいろあるからもう学校いかないですし。








 えっ、やだよ。もう会えないなんて…。





 嫌だって言われても学校来なかったの先輩じゃないですか。もう会う機会がなければこのままさよならになりますよね?





 で、電話とかだったらいつだって出来るでしょ?だから…





 そういう中途半端なの辞めましょう?私も新しい環境で新しい人間関係作らなきゃならないし、私たちってお互いがお互いをダメにしてると思うんです。だから、きっぱり終わりにしましょう。





 どうして…?なんでそんな事いうの…?だったら、お願い。最後に…最後に一度だけ、会う時間を作ってほしい。お願い。








 …うーん。


 きっと会ったら私も心が揺らいでしまうかもしれないし、辞めておいた方が…。





 そう思ったが、良い事を思いついた。








 …そうだ、先輩。最後に少しだけ会う時間作りますよ。その時に、先輩にプレゼントがあります。受け取ってくれますか?





 えっ?なんだろ…。勿論、君がくれるものなら喜んで受け取るよ。会う時間も、…ありがとう。面倒な女でごめんよ。








 …面倒な女でごめんとか。私は彼氏か何かかっての。


 むしろ先輩がそういうつもりだったなら話は早かったのに。





 きっとそうじゃないから私は先輩とさよならしなきゃならないんですよ?





 だから、私が奇麗に先輩の事を忘れるためにも、この銀河鉄道の夜は先輩が引き取って下さい。





 そして願わくば、いつまでもそれを見て私を思い出して下さい。





 私の気持ちとはきっと違うだろうけど、同じくらい辛い思いをしてほしい。








 大好きだから。








 いつか理解者を見つけるまで、出来るだけ長い、長い間。





 いつまでも私を思い出して苦しんでよ。

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