かくしごと。

monaka

銀河鉄道。







 祖父が死んだ。





 三日前の事だ。


 私が高校から帰ってきた時には元気そうだったのに。


 いつもの、年齢に似合わない艶のある声で、おかえり。今日もお疲れさま。なんて声をかけてくれたのに。





 私が自分の部屋に入って買ったばかりのアイドルの新作アルバムを一枚まるまる聞いて、トイレに行こうと部屋を出たら、祖父が廊下に転がっていた。





 こんな所で寝ちゃダメだよ?


 なんて私は祖父の体を跨いでトイレに行き、その帰りにもまだ転がっているのを見て流石に布団に引き摺って行こうかと、その手首を握った。





 今でも鮮明に思い出せる。


 この掌に残っている。





 祖父の体温。





 硬くなった祖父の手から伝わるひんやりとした感触が。





 私は呆然として、その場にへたり込んでしまい、意味もなく、おじいちゃん?と何度も呼びかけていた。





 三十分くらいした頃だろうか。


 母が仕事から帰ってきた。





 廊下に転がっている祖父に話しかけている私を見て母も、祖父が廊下で寝てしまったんだと思ったらしい。





 私が、お母さん。おじいちゃんが冷たいの。って言うと、顔を真っ青にして駆け寄ってきて祖父の体をぺたぺた触る。





 母は何も言わずその場でぽろぽろと涙を流して、静かに居間へ消えていった。





 しばらくすると救急車がうちに到着して、祖父を乗せて行こうとするので私もついて行こうとしたら母からお留守番を頼まれてしまい、その日は一人で過ごす事になった。








 夜中に母から携帯に電話が入って、祖父が亡くなったと言われた。





 解ってた。


 本当はあの冷たい手首を握った時から解っていたんだ。





 翌日の朝、目を赤く腫らした母が帰ってきて、私に向かってこう言う。


 責任を感じる必要はないからね。





 私は一瞬何を言っているのかよく分からなかった。


 でも、母がお医者さんからいろいろ聞いた事を伝え聞くうちに、ああ、そういう事かと分かった。





 母が言うには、もし倒れてすぐに病院に搬送されていたとしても助からなかっただろうと先生が言っていたそうだ。





 つまり、すぐに救急車を呼ばなかったあなたのせいで死んだんじゃないのよって言いたかったらしい。





 そんな言い方をされると、逆に私のせいで死んだって言われているみたいで胸の中がもやもやした。





 私が気付いた時にはもう硬直が始まっていたので、あの時点で既に死んじゃってたって事を私は知っている。





 でもいちいちそんな事言わない。





 母にとっては、私のせいかもって思ってた方が救いがあるかもしれないから。





 それに…


 私がヘッドホンをして音楽を聴いていなかったなら、廊下で祖父が倒れた音に気が付いていたかもしれない。





 そういう意味では私がすぐに気付けなかったから…っていうのはある。





 すぐ運び込まれても助からなかったなんて医者の方便かもしれないし、むしろ私に気遣った母の嘘かもしれない。





 そこまで考えてからやっと私の中に罪の意識が芽生えてきた。





 いや、実際問題私に落ち度があるかどうかは微妙だと思う。





 だけど、すぐに気付いてあげられずに、もしかしたら祖父は一人廊下で苦しんだかもしれないのだ。





 そう考えるとなんだかとても怖くなった。





 もし私が同じ立場だったらどうだろう。


 急に意識が朦朧として倒れてしまう。


 すぐそこの扉の向こうに家族がいるのに、うまく言葉が出せない。


 出たとしても部屋の中にいる家族は気付いてくれない。


 そのまま一人寂しく意識を失い、そして冷たくなっていく。





 その日は眠る事が出来なかった。








 しかし、人間とは悲しい事に眠くなったら眠ってしまうのだ。


 私は次の日学校へいつも通りに登校し、我慢できなくなって授業中に爆睡してしまった。


 いびきをかいて寝ていたらしい。





 教師が呆れて放置したくらいだったそうだ。








 目が覚めると机に付箋が張られていて、放課後職員室までくるようにと書いてあった。





 咎められる事はなんとも思わなかったが、事情を説明した後の教師の憐みの視線はどうにも耐えられず、人から可哀そうな人と思われる事の切なさに泣いた。





 教師は悲しさがぶり返したのだと勘違いして尚更慰めてくる。


 それが一層情けなくなって涙が止まらなかった。








 祖父が亡くなった時も流れなかった涙が、自分の事になると面白いくらい簡単に流れた。








 私は祖父が好きだった。


 いつも優しくて、母が私を叱る時は必ず私の味方をしてくれた。


 でも私が本当に悪い事をした時は、怒鳴らずに静かに説得してくれるのだ。


 叱るのとはちょっと違う。


 どうしてそんな事をしてしまったのか、それについてどう思っているのか。


 私がどうしたいのかを聞いて、だったらそれを改善するために頑張らないとね。と優しく笑う。





 そんな祖父が大好きだった。


 そんな祖父に、もう会えない。





 私の家は父がいない。


 母が言うには私が幼い頃に病気で亡くなったのだそうだ。


 だから、私にとって祖父は父の代わりだったのだろう。





 今振り返ると私は大好きな筈の祖父の事を何も知らない。


 物心ついた頃から当り前のように家にいて、当り前のように家族として暮らして。





 それだけだった。





 昔話を聞いた事もないし、本人も母も特に語ろうとはしなかった。





 別に特別複雑な過去があるわけじゃないんだろう。


 普通の人生を送り普通に家庭を持ち普通に老いていったのだろう。





 だけど、私はそんな祖父の事を何も知らなかった事が少しだけ悔しかった。





 もっといろんな話を聞きたかった。


 聞いておけばよかった。





 そんなもやもやを抱えたまま半年が過ぎ、私は高校二年生になる。





 高校二年になりクラス替えがあって、一か月もすると自然と新しく仲良くなった友達なども出来る。


 この頃になると同学年だけでなく先輩の中にも知り合いが増えてくる。





 特に三年生の露崎雫つゆさき しずく先輩はいろいろ相談に乗ってくれる非常に便りになる先輩だ。


 元々は私の友達の友達の姉という、ほとんど私には関係の無い存在だったのだが、私が友達と買い物に出かけた時に偶然その姉妹と遭遇し、話が盛り上がって一緒に食事に行ったのが知り合うきっかけだった。





 盛り上がって、といってもその時の私は完全に蚊帳の外だった。


 だって私の友達は、別の友達とその姉との会話に夢中になっていて私の事まで気が回らなくなっていたし、私にとって他人で初対面の二人はいきなり仲良くなれるような感じじゃなかった。





 特に私は社交的な方ではないし、自分から相手と距離を詰めようと動く事はしない。


 そうなるとなかなか顔見知り以上には発展しないのだが…。





 雫先輩は一人で黙々と飲み物を飲んでいた私に何かと声をかけてくれた。


 私は美人の先輩に話しかけられてもうまく返事をする事が出来ずそっけない態度ばかりとっていたように思う。





 今思えばかなり失礼な奴だっただろう。





 それなのに、だ。





 私たちは知り合いになったからとその日の解散直前に連絡先を交換しあった。


 勿論連絡先を知ったからといってこちらから連絡を入れるつもりは無かったし、形だけだった。





 なのに、その日の夜さっそく雫先輩からメッセージが届く。





 急に私たちが合流しちゃって雰囲気壊してごめんね。


 もっと気楽に楽しみたかったでしょう?


 もしよかったらなんだけれど今度個人的に今日のお詫びをさせてほしいな。


 実はあまり私の事を知らない人からの客観的な意見を聞きたい事があってね、出来たらでいいんだけれどそれも協力してくれたらなっていう下心もあるんだ(笑)


 どうかな?もしOKしてくれるならデザートバイキングおごっちゃうよ♪








 あぁ、面倒だな。





 最初はそんな感想だった。





 その時はまだ名前も覚えてなかった先輩からの突然の誘いなんて迷惑でしかなかった。





 勿論断る。





 つもりだったのだが、欲望に忠実な私はメッセージの最後の文面が頭にチラつき、何を血迷ったかOKの返事をしてしまう。





 だってデザートバイキングだよ?


 この近辺でデザートバイキングって言ったら多分あそこだ。


 私が前からずっと行きたかったお店。


 個人的に行くには値段も高く諦めていた場所だった為に、それを本当におごってくれるというのであれば、心が揺らいでしまっても仕方ないのだ。





 そんな経緯があり、私は雫先輩と時々会うようになる。


 先輩からの相談内容が思っていたよりも面白かったというのもあり、次回の約束も抵抗なく決める事ができた。





 そうやって何度も二人で会ううちに私もいろいろ相談するようになり、今では頼りになる相談相手、という訳だ。








 気が付けば私の中で、少しだけもやもやが薄れていた。








 でも、そんなある日母が引っ越しを決める。


 母が務めている会社の偉い人が以前使っていたマンションを格安で貸してくれる事になったらしい。





 私の家は経済的に裕福とは言えず、母の稼ぎだけでなんとかやりくりしているのが現状だったため、私がとやかく言える立場ではなかった。





 今住んでいる家も賃貸だが、祖父の年金が家賃に充てられていた。


 それが無くなった今、すぐに枯渇しないまでも将来的にどんどん厳しくなっていくのが解り切っているので、母にとっても苦渋の決断だったようだ。





 母は私にごめんねと謝る。





 引っ越しに伴い転校する事になったからだ。





 別に無理をすれば新しい住所から今の学校へ通う事も出来るだろう。





 でも私にはそこまで今の学校に拘る理由がなかった。





 仲良くなった友達ともう会えないかもしれない。


 だけど、死んだわけじゃない。





 会う気になれば会える関係。


 なら何も問題無い。





 そう思えた。





 私にとっては友達と会えなくなる事よりも、先輩と会えなくなるのは寂しいなと感じた。





 でもそれも同じ事だ。





 会う気になれば会える。


 特に問題は無い。





 どのみちあと一年すれば先輩は卒業するのだから、そしたら自然とお互いの距離が開く。





 それが少し早くなるというだけの事。








 引っ越しは少し先で、一か月後の予定だ。


 それまでに私は少しずつ荷物を整理しながら段ボールに詰めていかなければならない。





 自分の荷物を精査して要らない物を捨てていくと、驚くほど何も残らなかった。





 生活するのに最低限必要な物だけ残して全部捨ててしまった。


 未練を感じる物が特に無かったのだ。





 私は以前からこんな人間だっただろうか?


 あの日に聞いていた好きなアイドルのCDも、何故かまったく興味がなくなってしまって中古買取をやっている店に売り払ってしまった。





 自分の荷物を一通り整理し終わって、母に押入れの整理を頼まれる。





 その押入れは主に祖父の荷物をしまってある場所だった。





 私はほとんど見た事がないその押入れの中は、びっしりと書物で埋め尽くされていた。


 どうやら祖父は結構な読書家だったらしい。





 私のしらない一面だった。


 確かに何か本を読んでいたのを見かけた事があるが、ずっと本ばかり読んでいるようなイメージは無い。





 私は少し興味が湧いてどんな本があるのか一冊一冊手に取っていく。





 難しい本ばかりで私にはまったく理解できない物ばかりだった。


 中には英語で書かれた本があったり、経営学関連の本だったり、難しい化学式ばかり書いてあるような本もあった。





 読書家というよりは、勉強家だったのかもしれない。





 そんな本の中で、一冊だけ不自然に目立っていたのが、銀河鉄道の夜。


 小説もそれなりにあったが、大抵が難しい内容の堅苦しい文面の物ばかりだったのに対し、その一冊だけが異質に感じられた。





 宮沢賢治…好きだったのかな。





 だけどその宮沢賢治の著書もその一冊だけで、なぜ銀河鉄道の夜だけなのかは分からなかった。





 パラパラとその本を捲っていくと、ちょうど真ん中あたりに栞が挟まっていた。





 古めかしいデザインの、薄く削った鼈甲の栞だった。


 枝付きの銀杏の葉のようなその形はなんだか栞といいうよりもかんざしとか、髪飾りのように見えた。





 その日から私は少しずつその押入れを整理し、本を段ボールに詰めていく。


 全部を持っていくわけにはいかないので、どう考えても私や母に必要のない難しい本は処分する事にした。





 祖父には申し訳ないが、線引きを必要か必要でないかで考えた時、祖父の本はほとんど残らなかった。





 そして、八割がた片づけた所で、それに気付く。





 かなり古い和綴じの本。





 きっと開いたら漢字だらけの難しい奴なんだろうな。





 そんな事を思いながら開いてみると、予想とは違い、中は手書きだった。


 しかもかなり達筆でちょっと読みづらい。





 読めない程ではないので頭の辺を軽く読んでみて気付く。





 …これは





 祖父の日記だ。








 しかも、祖父が私と同じくらいの年齢の頃の日記。





 出だしはこうだった。





 私も無事高校に入学する事が出来た。


 親に孝行すべく勉学に励むのは勿論だが、もし道に迷ってしまった時の為に初心を思い出すべく日々の生活をここに記していこうと思う。





 なんとも硬い文章だ。





 私は活字を読むのが得意では無いし、読みづらい筆跡なので読み進めるのは大変そうだったが、何故か私はとてもドキドキしていた。





 私の知らない祖父がそこには居たのだ。


 もしかしたら母も知らない祖父かもしれない。


 そんな当時の祖父の生活や気持ちをのぞき見しているという罪悪感と、抑えきれない好奇心から私はその日記帳を自室に持ち帰った。








 それなりに分厚いその日記帳を読み終わる時、少しは祖父の事を理解出来ているだろうか?



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