1-3 出立の日
翌朝、キャラバンサライの東門にアイラは立っていた。約束の八の刻まではまだ十分ほどある。
堅い黒パンを噛みながら景色を眺める。行き交う旅装の人々、荷を引きながら歩む隊商とその護衛、冒険者らしい武装した者たち。
やがて、そんな人の中から馬に乗ったバルダの姿が見えた。彼もアイラを見つけたらしく、馬から下りてアイラに駆け寄る。その横には、髪に白いものが混じり始めた厳めしい顔の男が並ぶ。
「やあ、アイラさん。よろしく頼むよ」
「こちらこそ」
「それから、こちらがヴァルさん。ヴァルさんたちもオルラントまで行かれるそうだから、一緒に行くことになっている」
バルダの隊商は家族単位のごく小規模なものだ。そのような隊商は道中の安全対策のために、目的地が同じか近い同規模の隊商と共に行くということは、アイラも知っていた。
礼を交わすアイラとヴァル。隊商の元に戻り、紹介を兼ねて挨拶を交わす。
「うん? アイラじゃねーの、久しぶりだなー。覚えてるか?」
「……クラウス」
茶に近い濃い金髪に茶色の目を持ち、長剣を背負った金属鎧の男がアイラに声をかける。この男、クラウス・エレンゼとは以前、アイラは共に仕事をしたことがある。その言動から遊び人のように思えるが、腕が立つし信用もできる人物だとアイラは内心評していた。
更に二人、ヴァルが雇った護衛とも挨拶を交わす。男にしては長い濃茶の髪を纏めているのはメオン。二本の剣を腰に差し、通常の鎧に比べて軽い、革鎧を着けている。顔立ちは戦士と言うよりむしろ学者か。
反対に、顔だけ見れば山賊か、無頼者に見えるのがライ。メイスを背負い、重そうな鎧を着込んだその姿は、戦士と呼ぶにふさわしい。綺麗に剃りこぼされた頭と、傷跡の残る顔立ちで、荒事に慣れているように見える。
アイラとクラウスが左側、メオンとライが右側につき、隊商と共に動き出す。バルダの隊商が先に行き、その後ろにヴァルの隊商が続く。
「これからどこに行くの?」
バルダの娘、リュナが無邪気な声を上げる。
「アルメだよ」
バルダの言葉を聞いて、アイラは前日聞いた幽霊の話を思い出した。
今言おうかと思ったが、リュナのような子供がいる前で口にするような話ではないだろう。そう思い直したアイラは黙ったまま周囲に注意を向けた。今のところ、危険はなさそうだ。
ふと見ると、リュナが大きな目で、じっとアイラを見つめていた。
「寒い?」
「いや」
「じゃあ、なんでそれ巻いてるの?」
「別に」
淡々と答えるアイラを、バルダがどこか不安そうに見る。アイラが子供嫌いかどうか、気にしているのだろうか。
その内昼近くなり、昼食と休憩のために二つの隊商は道の端に荷車を止めた。四人の護衛たちもそれぞれ昼食を取る。
「アルメの方じゃ、このところ幽霊騒ぎが起きているらしいですね」
干し肉を噛んでいるアイラに、メオンが話しかけてきた。
「私も聞いた」
「馬鹿らしいや」
「んでも見たっつーヤツがいるんだろ? オレたちも一応は警戒しといた方がいいんじゃね?」
「なんのはなしー?」
昼食を終えたらしいリュナがとことことやって来る。
「おう、嬢ちゃん。アルメには幽霊が出るんだってよ」
ライの凄みのある顔と口調に、リュナの顔が歪む。アイラはスカーフの下でため息をつき、他の二人も呆れの視線を向けた。
「……子供を怯えさせてどうする」
アイラはしゃがんでリュナと目を合わせ、そっと頭を撫でた。涙の浮かぶ目がアイラを見る。
「大丈夫」
「ほんとに?」
リュナにしっかりとうなずいて見せる。
「ふん。足手纏いにはならないでくれよ」
「その言葉はそっちに返す」
ライが太い眉をひそめる。周りに人がいなければ、アイラは彼の顔に拳の一発も見舞っていたかもしれない。
まだ不安そうなリュナを見て、アイラは荷物を探って何かを取り出した。ウサギのように耳が長い、猫のような顔をした動物の木彫り。
「なあに?」
「お守り」
「うさぎ?」
アイラはそれには答えず、荷物から革紐を引っ張り出して木彫りを結わえ、リュナの首にかけてやった。
「ありがとう!」
リュナが父親の元に駆けて行くのを見送る。
「あれは何です?」
「お守り」
「レヴィ・トーマのものではないですね?」
「私の故郷のものさ」
メオンの言葉に淡々と返す。彼の言うレヴィ・トーマとは、このユレリウス世界で最も広く信仰されている一神教の宗教だ。円環の神とされ、国教としている国もある。しかしその一方で、(神殿では否定されているが)“狂信者”と呼ばれる過激派も存在している。
やがて休憩を終え、隊商が動き出す。四人の護衛もそれについて歩き出した。
こうしてアルメに着いたときには、既に辺りには薄闇が広がっていた。
隊商が通る道筋にあるアルメは、普段ならばこの時間でも人が行き交っているのだが、幽霊のせいか今日は人通りがほとんどない。静けさも相まって、町は不気味な空気に包まれている。
それでも幸いなことに宿を取るのに支障は無く、彼らは無事に隊商宿の一つに落ち着いた。中に入ると早速女中が濯ぎを持って来る。
「いらっしゃいまし。お疲れになったでしょう。どうぞごゆっくりお休みください」
夕食を済ませ、風呂にも入ったアイラが部屋でぼんやりしていると、コツコツと窓を叩く音がした。
窓の方に目をやったが、人影どころかただの影すら無い。
(風の仕業か)
そう思ったとき、今度は部屋の戸を叩く音がした。出てみるとライが立っている。
「何か?」
答えようとしたライが口を開けたまま固まる。何かあるのかと後ろを振り返ったアイラの目にもそれが映った。
窓の向こうに、色の青白い、烏羽色の髪の女がいた。女の額から赤い血が鮮やかに糸を引いて流れ落ちる。アイラと目が合うと、女は口の両端をゆっくりと持ち上げた。
女の口が弧を描くのを見ると同時に、アイラは部屋を突っ切って窓を手荒く開け放した。しかし窓の外に女の姿はない。下の道にも人影はない。
そもそもアイラの部屋は二階にある。普通の人間が部屋の中を覗けるはずはない。
「幽霊……?」
口の中で呟いたアイラは、くるりと振り返ってライを見た。
「……見た?」
「ああ」
答えたライの顔は、心なしか青いように見えた。
「そういえば、何の用?」
「明日のことで――」
ライの言葉を遮るように近くで悲鳴が上がる。二人が飛び出すと同時に、傍の部屋からもメオンとクラウスが飛び出してきた。
悲鳴の元はすぐ隣のリュナとその母、シアの部屋。
ぱっと飛び込むと、部屋の中ではシアがリュナを抱いて震えていた。
「どうしました?」
「窓に……窓に人が……」
会話を背中で聞きながら、アイラは窓を開けた。
見れば隣室――バルダの部屋だ――の真下の壁を、蜘蛛の如く伝い降りていく黒っぽい人影がある。
「後、任せる」
言うが早いか窓枠に足を掛け、アイラは宙に身を躍らせた。空中で身体を捻り、地面を転がる。それから一拍遅れて、人影も地面に降り立つ。
「盗人か」
答える代わりに、人影の手の中で銀の光がきらめいた。
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