門の娘アイラ
文月 郁
1章 隊商の護衛
1-1 護衛の依頼
バザールに隣接するキャラバンサライでは、いつものように多くの隊商を見ることができる。バザールの喧騒を聞きながら、隊商やその護衛たちはそれぞれの目的地や経路に関する情報を交換しあったり、品物の取引をしたり、中には些細なことから言い争いになったりしている者達もいる。
その一角には、冒険者の宿や傭兵団の詰所、更には護衛の口入れ屋などが軒を連ねている。その中の一つ、入り口に赤布と白布を垂らした小屋の前に、まだ四十代には少し間がありそうな男が立っていた。中から一人出てきたのを見て、その男は白布をめくって小屋の中に入る。中は意外にも広く、幾人か武装した者の姿もある。
「何の用だね?」
座っていた禿頭の老人が、じっと男を見て問いかける。その目は鷹のように鋭い。
「護衛を一人頼みたいのですが」
「ふむ、どちらまで?」
「ヤスノ峠を越えて、オルラントまで」
質の悪い黄色がかった紙にがりがりと聞いたことを書きながら、老人の眉間にしわが寄る。
「ずいぶん長距離ですな。申し訳ないが、今のところ紹介できるような方はいませんな」
「そうですか……」
男はがっかりした様子で肩を落とした。そのとき、赤布をめくって口を覆うようにスカーフを巻き、頭にも細くバンダナを巻いた、灰色の髪の女が入って来た。珍しげな、あるいは怪訝そうな視線が向けられる。女は老人を見て頭を下げ、男の後ろに並ぶ。男が慌てて場所を譲った。
「アイラさん、何の用だね?」
「護衛の口を探しています」
「どちらまで行かれる?」
「空き口があるなら、そこで」
老人がさっきの男に声をかけ、手招いた。
「こちらのバルダさんが護衛を探しているそうだ。ヤスノ峠を越えて、オルラントまで向かわれるそうなのだが、どうかね?」
「……報酬は?」
「支度金として五ジン、無事にオルラントまで行けたら更に五ジン。これでどうだろうか」
少し考え、アイラはうなずいた。バルダもほっとした様子だ。
「出発は明後日、八の刻までに東門に来てくれ」
「おいおい、ちょっと待てよ」
突然、太い声が話を遮る。声の主は壁にもたれかかって立っていた、筋骨たくましい男。
「こんなちっさい奴に護衛が務まんのか? おい小さいの。お前は帰って家の手伝いでもしたらどうなんだ?」
「私に帰る家は無いし、あんたが口出しすることじゃない」
男に背を向けたまま、アイラが即座に言い返す。男の顔には不愉快だと言わんばかりの表情が浮かぶ。
「ザールさん。アイラさんは優秀ですよ。それにアイラさんの言う通り、貴方が口を出すことではない」
老人の言葉を聞いて、ザールは更に強い疑いの目でアイラを見た。対するアイラは、ザールなど眼中にない様子でバルダと打ち合わせをしている。
バルダが出て行ってから、ようやくアイラはザールに向き直った。灰色の瞳が静かにザールを見る。しかしアイラは何も言わず、老人に会釈をして外へ出て行った。ザールが自分を睨みつけているのも構わずに。
支度金の入った革袋を懐にしまい、口元を覆うようにスカーフを巻き直したところで、アイラは素早く振り向くと同時に後方へ跳んだ。アイラの鼻先をかすめて湾曲した剣が振り下ろされる。剣を持つ手から腕、首と辿っていくと、ザールの顔が目に入った。
「へえ。反射神経はいいんだな」
「……何か用でも?」
「ここはお前みたいなちっさい野郎の来るとこじゃねえって教えてやるよ。餓鬼は大人しく家に帰って、ママと一緒に寝てなってんだ」
「訂正が四つと要望が一つ。まず私は女だし、とっくに成人済み。それに帰る家もなければ迎えてくれる親もない。要望の方は、鬱陶しいからこれ以上関わらないで欲しい。こっちは準備で忙しいんだから」
「臆病者め」
ザールの言葉に、背を向けて去ろうとしていたアイラの動きが止まる。ザールを睨む灰色の瞳の奥で炎が揺らめく。
「貴様、今何と言った?」
アイラの剣幕に、何事かと野次馬が集まって来る。ザールは嘲りの表情を浮かべてアイラを見ている。野次馬はそれぞれに勝手なことを叫んでいる。
「臆病だと言ったのさ。言って何が悪い。言われたくなけりゃ臆病でないと証明して見せろよ」
「ああ分かったよ。目玉がついている癖に何も見えていない貴様を叩き潰してやる」
言うが早いかアイラは左袖をまくり上げた。文字が絡み合い、帯のようになった黒い刺青があらわになる。
「何を――」
「玉破」
言葉と同時に刺青が淡く光り、掌から放たれた白い球体がザールの腹に直撃する。呻いて身体を二つに折るザール。アイラはほとんど足音を立てずにザールに近寄り、ザールの左の肩口に跳び蹴りを入れる。ザールの悲鳴や野次馬のざわめきなど気にもせず、アイラはザールの顎に拳を叩きこんだ。白目をむいたザールの巨体が地面に倒れる。
「口は禍の元だと覚えておけ、デカブツ」
肝が冷えるような声で言い置いて、アイラはさっさとその場を後にした。二人の周囲を取り囲んでいた野次馬が、慌てた様子で道を開ける。
予定の時間より遅れたことを気にしながら、アイラはバザールへ足を向けた。以前受けた仕事の報酬が、銀貨二十五、六枚、つまり二十五、六イン残っている。半金の五ジンもあるため、支度をする金は十分ある。
(とりあえず……何か食べるか。馬鹿に付き合って疲れた)
近くの屋台でハラウという焼き菓子を二つ買い、四トン(銅貨四枚)払って適当な場所に腰掛ける。掌に収まるほどの小さな丸いハラウは、かじると口の中に甘味が広がる。乗せられたオレンジピールがほのかなオレンジの香りと、淡い酸味を添える。 二つとも食べ終えて、行き交う人々を眺めながらアイラは頭の中でこれからの予定を立て直す。
(携行食類は明日、今日買うのは着替えと厚地のマントかな)
傾きかけた太陽を気にしながら、アイラは立ち上がった。オルラントまでは順調に行っても一月近くかかる。これから寒くなる上に、オルラントは北の方にある。うっかり薄着のままでいて、いざというときに寒さで動けないようでは話にならない。
防寒着を売る店はすぐに見つかった。羊毛を織った暖かそうなマントと上衣、そして毛皮の帽子を買う。それから他に買うものは無いかと見て回り、革袋をいくつかと革紐を数本、傷に効く薬草を使った練り薬、下着と着替え、そして淡い黄色のスカーフを買う。それから夕食にと、鶏肉の塩焼きを串に刺したものを二本と握り飯を一つ買った。買ったものを抱えて宿へ戻る途中、声がかかる。
「よう、アイラ。調子はどうだい?」
「まあまあ。そっちはどう、ルイズ?」
「いつも通りさ。そういえば聞いたぜ。ザールの奴を叩きのめしたんだって?」
「耳が早いね。ま、奴は当分満足に腕を動かせないだろうよ」
「相変わらず容赦ねえなあ」
呆れと笑いの混ざる口調でルイズは言い、アイラが来た方向へと歩いて行く。辺りは暗くなり始め、あちこちで店仕舞いの準備にかかっている店が目についた。
宿へ戻り、部屋の窓から外を見ながら買った夕飯を食べる。空には白い月。半月が少し膨れたような形からしても、満月はまだしばらく先だ。
「『大地の母、赤き息子を迎え、白き娘を天の父の元へ出だし遣る』」
小声で呟くアイラ。常人より夜目のきくアイラには、月明かりだけでも外の動きがかなりはっきりと見える。店仕舞いを終えた商人や買い物に区切りをつけた客達が、それぞれの寝床へ戻っていく。
串と握り飯を包んでいた紙をごみ入れに捨て、アイラは固いベッドに潜り込んだ。
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