井の中のカエル姫の冒険

ふくいちご

第1話

 井の中のカエル姫の冒険


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 過酷と名高い第七魔法学園の入学試験には、合格は確実だろうともてはやされていた二人の候補生がいた。

 この俺、“赤猫あかねこ”の魔法剣士カジュ。

 そして幼馴染“緑蛙りょくあ”の魔術師グラノールだ。

 俺たち二人は子供ながら大人顔負けの実力を有していた。

 まあ、言ってしまえば敵なしだ。たかが入学試験など楽勝だと思っていた。


 ……試験開始直後の話である。


 魔法使いの卵が挑む入学試験には筆記試験なんてお上品なものは含まれない。

 約二週間かけて“暗い森”を踏破し、“沈む湖”を渡りきり、“火の山”を超え、“大障壁”と呼ばれる崖を登攀とうはんして、その上に建つ魔法学園の城まで辿り着かねばならない。非常に過酷なマラソンレースなのだ。


 入学できる定員は上限で六十名。三人一組なので、つまり二十チームが最大となる。最後の一人がたどり着くのは大体が十四日目前後で、腕時計型の端末に示されている今の時刻は七日目の朝方。ということは、今はちょうど折り返し時点なのだ。

 だというのに。


「おい、グラノールッ! 起きろッ!」


 目が覚めると、俺たち二人はスタート地点“暗い森”の入り口で寝そべっていた。


 俺は地面を這って、幼馴染の元に寄った。


 魔女グラノールはとても美しい外見をしている。

 手入れの行き届いた綺麗な銀髪を“緑蛙りょくあ”の家名に沿ったカエルの帽子で抑えつけており、ミニスカートに半袖のシャツというありきたりな格好でも、不思議と気品があった。

 野外で活動するときの機能性なんてものは度外視どがいしした流行の格好である。

 俺も似たようなものでジーパンに半袖のシャツ、そして“赤猫”の家名を示す赤い猫耳ヘアバンドしか装備していない。


「くぁー。……なんだカジュか。なにケロか? おやつの時間ケロか?」


 グラノールが大きなあくびをして呑気のんきに言う。

 毒気を抜かれるような里の方言、ケロの語尾である。

 おっとりとして気怠けだるるそうな半開きの目が俺を見上げてきた。


「言ってる場合じゃねえ! 読め!」


 俺はあせって、紙をグラノールの前に見せつけた。

 幼馴染の目がその字面を追って、声に出して読みあげていく。


「なになに?


『二人の優秀な魔法使いの卵たちへ


 天から授かった実力の上にり返ってばかりで、

 挫折ざせつらしい挫折をまったくしていない君たちには失望しました。

 よって呪いをかけます。

 “刃脚”の赤猫カジュ君。

 君はこれから三歩しか歩けません。

 “千舌せんぺん”の緑蛙グラノールちゃん。

 君はこれから逆立ちしていない限り魔法を使えません。

 驚きましたか。失意の表情が目に浮かぶようです。

 フハハ。優秀な才能に絶望あれ。


    第七魔法学園理科学教諭:剛虎のテスラキング・ドラクリヤ』」


 グラノールはまぶたをもんで、もう一度文面を読み返した。


「ストレートな嫌がらせケロ」

「ああ。全くその通りだ」

「……えーっと。記憶がさだかじゃないケロ。えっと、私はカジュにおんぶされて猛ダッシュで回り道して砂漠を走って、魔法学園入り口までたどり着いたところまでは覚えているケロよ」

「お前は一発ノックアウトだったから覚えてないかもしれないが、そこに白衣の女教師が待ち構えていたんだよ」


 女は得体の知れない攻撃を繰り出してきて、グラノールは気絶。

 逃げようとする俺を押し倒し、奴は口の中に変な液体を注ぎ込んできた。


 そうして昏倒してスタート地点まで運ばれ、今に至る。


 もしかするとあの理科教諭が試験の最終関門なのかもしれない。そんな試験があるなんて情報はなかったから、今年度から実施されたものなのだろう。


 それよりも時間の経過が気になるな。六日間はどうしていたのだろう。まさか飲まず食わずで寝そべり続けていられるわけがないし、なんらかの魔術で凍結されていたのだろうか。

 うまく頭が働かない。


 喉もカラカラで腹も空き、体温も冷え切っていた。

 とにかく食べ物と暖かいものが欲しい。


 食料その他サバイバル用品はほとんど持っていなかった。こんな楽勝な試験に持ってくるものなんて適当でいいと判断した俺はただの鋼剣しか持ってきておらず、グラノールなんか徒手てぶらである。こいつの荷物の中身は大半がお菓子だ。俺だって必要最低限のサバイバル用品と読みかけの本ぐらいしか詰め込んでなかったのだ。

 当然だ。俺たちはこのレースを二週間ではなく、一日で踏破してやろうと考えていたし、一日で踏破すること前提でプランを立てていた。サバイバルなんてする気は毛頭もうとう無かったのだから。


 つまり、なめていた。


 俺たちほどの実力さえあれば楽勝だと思っていたから、別に用意なんてしてこなかったのだ。


「三歩までしか歩けないってどういう状況だケロ?」

「コケるんだ。四歩目を踏み出すと絶対にバランスを崩すのさ」

「なんとも微妙な呪いケロな……」


 白衣の女は今頃どんな顔して高みの見物を決め込んでやがるのだろうか。


「そういや……三人目は?」


 寒さにガタガタと身を凍えさせながら、俺は訊ねてみた。


「ケロ?」


 たったいま気がついたとばかりグラノールが顔を上げる。

 俺たち三人チームの最後の一人についてだ。


「あの人は空が飛べるからひとっ飛びとか言って、勝手に飛んで言ったケロね。それきり」

「俺たちのピンチに気がついて助けに来てくれるとか……」

「絶対にないケロ。そういう人ケロ」


 同郷のよしみでついてきたとは言えやつにはやる気というものが根本的に欠如している。今頃どこかでサボっているのかもしれないな。


 俺は試験者に配布されている腕時計型端末を操作して、試験の合格者数を確認した。


「……合格者十七名」


「三の倍数じゃないケロね」


「仲間割れしてリタイアでもしたんだろ。これは人ごとじゃ無いぜ。俺たちもこのままじゃリタイアだ。グラノール、魔法で火を起こしてくれ。凍えて死にそうだ」


「そ、そうケロね。分かったケロ」


 グラノールがパチンと指を鳴らしたが、火は灯らない。


「……おっと、逆立ちしないといけなかったケロか」


 グラノールは立ち上がると、両手を地面についてゴロンと転がって、地面に横たわった。また起き上がって、両手をついてゴロンと転がって、地面に寝そべる。でんぐり返りでもしているのだろうか。下着が見えたがそんなこと気にしてる場合じゃあない。


「なにやっとる」


「……わ、忘れてたケロ」


 わなわなと肩を震わせて、グラノールは言った。


「私は、生まれてこのかた、逆立ちをやったことがないのだケローッ!」


 な、なんだとーっ!


 俺は驚いたが、絶望するほどではなかった。グラノールは魔法は得意だが体術は不得手なのだ。逆立ちできなくたってグラノールはグラノールである。


「……大丈夫だよ。俺が足を持っててやるから」


「そしてズボンに着替えたいケロ」


 まあ、それはそうだ。女子たるもの誰だってパンツは見られたく無い。これから何度も逆立ちする羽目になるのだろう。俺はさっそくジーパンを脱いで、トランクス一丁になった。

 グラノールは渡されたブカブカのジーパンを履いて、すそを折ってベルトでしっかりと締め、ミニスカートをはずして、俺に渡した。


「ケロ」

「いや、着るもんか」

「カジュは試験の間、猫耳トランクス男子でいる気ケロか⁉︎ せめて猫耳は外すケロ!」

「絶対嫌だ! だからと言ってミニスカートは絶対に履きたくない!」


 小さい頃からずっと装備していた愛用の猫耳である。これがなかったら出るやる気も出ない。


「うぅぅ。なんかみじめケロ……。帰ってお菓子食べたいケロ」

「せめて上着があればな……」


 二人で肩を落としたが、そんなことをしている暇はない。ブリーフじゃなくてトランクスだったのは運がいい。ちょっと短い短パンと言い張れば、まあ通用しないこともないだろう。うん。大丈夫。

 俺はグラノールの足を掴んで、半ば吊るすようにして逆さに持ち上げると、なんとか逆立ちのような形にはなった。


 ぶらんと逆さまになった状態でグラノールがパチンと指を鳴らすと、俺たちの周囲にいくつも大きな火の玉が生じた。暖かい。グラノールはやる気のない怠け者だが、勉強と魔術の才能に関して言えば本当にすごいやつだ。こいつが仲間じゃなかったら俺は寒さに絶望してリタイアしていたことだろう。


 ああ、暖かい。


「カジュ。そ、そろそろ、おろしてほしいケロ。頭に血がのぼって……」


 グラノールがぐったりしていた。


「ああ、すまんな。分かった」


 俺が支えを解くと、グラノールが逆立ちをやめ、必然的に火の玉も消えた。

 寒風吹き荒れる俺たち二人だけが取り残された。

 マジ寒い。


「や、やべぇー!」


 意外とキツイ。このペナルティ、意外とキツイぞ。

 俺が走れないってのが、一番キツイ。

 状況を理解するにしたがって、現実の過酷さが俺たちを強く打ちすえた。

 なんだよ三歩以上歩けないって。どうしようもないじゃんか。


「まずいケロ。リタイアすればお師匠様たちの立つ瀬がなくなるケロよ」


 冗談じゃない。俺たちは遊びでこの試験を受けているわけではないのだ。俺の里は高名な魔術師を排出しているからこそ国から出る資金援助が潤沢なのである。里の看板を背負っている俺たちは、こんなところでくじけてなんていられない。いや、マジで。


「つか、俺はどうすんだよ。歩けないんだぞ! どうやってゴールすればいいんだ!」


 するとグラノールは近くに転がっていた車椅子を指差した。


「あれを押していけって意味なんじゃないケロか?」

「車椅子でトロトロと?」


 時間に間に合うはずがない。


「そこは任せろ。私の魔術でブーストできるよう改造するケロ」

「おおっ。さすがグラノールっ」


 グラノールがキラリと目を光らせて、車椅子の車輪を分解し始めた。

 肩掛けバックのポケットから取り出した木の種を蒔くと、逆立ちして、早口で呪文を唱える。


「“萌芽喝采・育ち腐れ太源車輪ミスネテロル・ロール”!」


 種が芽吹き、グラノールの指示に従って幹を太らせ始め、やがて二対の木製車輪が出来上がった。


「この種を持ってきておいてよかったケロ。これはこの世界の現実の欠落を突いて作成した永久機関の応用。形を微調整し続け、重さを調整すれば、まあ加速度的に転がり続けることができるケロよ。……魔力の供給が切れない限りは」


 わぁ、さすがは生粋きっすいの植物使い緑蛙りょくあのグラノールだ。

 説明されてもさっぱりわからないぞ。


 俺が車椅子に座り、座った状態でグラノールの足のももあたりを掴み、逆立ちにする。

 逆立ちになっている間はブーストができるわけだ。ちょっと不恰好ぶかっこうだが、これでいけるぞ。

 魔力に従って車輪が回り始める。天才魔女たるグラノールから供給された魔力は凄まじい馬力を生み出し、車輪はうなりをあげて回転する。車椅子は俺たちを推し進め、やがて馬車の駆け足よりも速い高速移動を始めた。

 速い。速い。速い。景色が飛ぶように流れてゆく。


「理屈はよく知らんが素晴らしい! これはいける! いけるぞグラノール!」

「あははっ! 私が本気を出せばこれぐらい楽勝ケロっ!」


 喝采かっさいものである。

 この調子ならいけると思った。


 しかし俺はグラノールの体が邪魔で前が見えていなかった。

 そういえば吊るされているグラノールも俺の方を、つまり後ろを向いていた。

 じゃあこの車、誰が運転しているというのだろう。

 一抹いちまつの不安がよぎったのもつかの間、加速の止まらない車椅子は猛スピードで森の大樹に衝突し、車椅子から投げ出された俺たちは華麗かれいに宙を舞った。


「ぐあああああ!」

「ゲロォォォォ!」


 かくして俺たちの冒険が始まった。

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