五ノ巻 再会、御姉様(二)
化粧のせいか、それともこの世界での日々が彼女を変えたのか。
奈々江は、将吾郎の記憶とはがらりと印象を変えていた。
あまりお洒落に気を使わず、髪の毛は輪ゴムで留め、ジャージでうろつく。
不敵で、強気で、いたずら好きで、喧嘩っ早い。
それが将吾郎の知っていた奈々江だ。
今はどうだ。
艶やかに髪を整え、きらびやかな衣に身を包み、物静かに微笑をたたえている。
裕飛はまだスーツに着られている感が強いが、彼女はすっかり着飾った格好が板についていた。
本当に彼女は、有田奈々江なのか。
なぜだろう――うれしいはずなのに、感情がついてこない。
「ビックリしただろ? オレもそうだったもんな! 死んでるなんてこれっぽっちも思わなかったけど、こういうかたちで化けて出てくるとは思わなかったぜ」
「どういう意味だい、この愚弟が」
昔ならその台詞は、肉体言語と一緒に叩きつけられていたであろう。
今は
「母上」
足元から小さな思念。
カワイイー、と逸花が相好を崩す。
「……このかたも、わたしの叔父上なのですか?」
「違いますよテンロウ。この者は叔父上の友人で、将吾郎というのです。ご挨拶なさい」
「はい、母上。――ショウゴロウ様、お初にお目にかかります。テンロウマルと申します」
「……な、な、奈々江さん、結婚、されたん、ですか」
「ああ」
奈々江は少し照れくさそうにした。
「こっちでいい人を見つけてね」
「…………!」
足から力が抜けるのを、将吾郎は感じた。
「おーい、置いて行くぞー?」
気がつくと将吾郎以外の全員がエレベーターに乗り込んでいた。
将吾郎は慌ててあとに続く。
広いエレベーターだったが、さすがに7人乗り込むと狭い。
奈々江とぶつかりそうになった将吾郎の鼻を、香の匂いがくすぐる。
元の世界にいたときは、コロンさえ使ったこともないのに。
エレベーター壁面の1枚はガラス張りになっていて、そこから市街を見下ろすことができた。
景色に見とれるふうを装い、将吾郎は会話から逃げる。
「――これからみなさんには、フジワラ社専務ミチナガ・ノ・フジワラに会ってもらいます」
ダイヤル式の階数表示がカウントアップしていく中、奈々江が言った。
「ミチナガ・ノ・フジワラ……? それって、
驚く逸花に、裕飛は「なに、知ってんの?」と小声で問う。
「歴史の授業で習ったでしょうが。ほら、平安時代の人で。
「……平安時代に権勢を誇った貴族、藤原氏の1人だ」
いつものくせで、将吾郎は会話に混じる。
「娘3人を天皇と結婚させて、摂政として権力を握った人だよ。他には御堂関白記を書いたり、法成寺を
そこで裕飛が「ソーセージ?」などと返したので、なけなしの気力は尽きた。
「……ああ、おまえはもうそれでいいや……」
「あの、母上」
母の袖をテンロウマルが引っ張った。
「ショウゴロウ様は先程からなんと申されているのでしょう? わたくしめにはショウゴロウ様のお言葉がわかりませぬ」
「なにを言っているのですかテンロウ」
「いえ、ナナエ様。わたくしたちも、ショウゴロウ様の言葉は――」
後ろに控えていた女官たちがテンロウマルに加勢。
「あなたたちまで、いったいどうしたというのです?」
「――いや、いいんだ奈々江さん。どうやらこの世界の人間には僕の言葉が通じないらしい」
「言葉が通じない……?」
奈々江と裕飛、そして逸花までがそれぞれに驚きの表情を浮かべる。
どうやら将吾郎だけらしかった。
「マジでか……。あたしもそこそこ渡界人には会ったけどさ、初耳だよ」
「母上」
テンロウマルが不満げな目を母に向ける。
「ああ、いけませんでしたね、テンロウ。いつも言葉遣いに気をつけなさいと言う母が、荒い喋りかたをしては」
奈々江は苦笑して息子の頭を撫でた。
将吾郎の知らない『母親』の顔。
どこがといわれても説明に困るのだが、幼い将吾郎や裕飛に向ける顔とそれは、やはり明確に違っていた。
自分だけ言葉が通じないことより、そんな奈々江の姿にこそ、将吾郎は嫌な気分になる。
「御心中お察しいたしますが、あまり案じなさいますな、ショウゴロウ殿」
将吾郎の心中などまったく察せていない不快感の大元――テンロウマルが励ますように言った。
「父上なら、きっとなんとかしてくださいます」
「……父上?」
「はい。ミチナガ・ノ・フジワラは、わたしの父です」
「じゃあ、奈々江さんの旦那さんって――」
「そうです。ミチナガはわたくしの夫です」
「…………」
将吾郎は天井を仰ぎ、肺の中の空気を吐き出した。
奈々江がこの世界で家庭を持った以上、元の世界に連れて帰るのはほぼ絶望的。
しかも相手はフジワラ社の幹部。
裕飛にフジワラ社の打倒を持ちかけるつもりだったのに――それでは、奈々江の生活が滅茶苦茶になってしまう。
「それにしても、安心しました。ユウとショウは相変わらず仲良さそうで」
「……そりゃ、約束しましたしね」
奈々江がヘイアンティスに旅立つ直前に託された言葉を、将吾郎が忘れたことは1日だってない。
『ショウ。悪いけど、ユウのこと、頼むよ』。
奈々江さん。僕、うれしかったんだ。誰かに頼ってもらえたなんて、生まれて初めてで。
でもって、その相手が奈々江さんだったのは、本当に良かったと思ってる。
ちゃんと僕、約束守ったよ。
かたちはどうあれ、裕飛のことを守ってきたつもりだ。
その代わり好きになってくれ、なんて大それた見返りは求めないよ。
だけど、ただ――。
はにかむ将吾郎に、奈々江は小首を傾げる。
「約束って? 誰と?」
「…………」
将吾郎はまた足元がおぼつかなくなるのを感じた。
「……なんでもない。……秘密、です」
鈴が鳴り、エレベーターの扉が開く。
この先にフジワラ社の重役がいる。きっと油断のならない曲者だろう。
そう頭でわかっていても、なぜか将吾郎の胸には恐怖も怒りも――、感情と呼べるなにかはまったく浮かんでこなかった。
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