第3話 結婚相手は未来の帝 其の一
武家は、公家の住まう
家々は山の傾斜に沿って建てられ、頂上には一際大きな城が
武家一族の地位は、住まう屋敷の高さによって明確に定められている。故に、武家の位は『合』で示され、最底辺が一合、最高位が十合となる。
十合は
機嫌の悪さは当然、いきなり結ばれた和睦に起因していた。
勝利は目前、そう信じていただけに水を差されたという思いだ。
不毛な戦いに
それを奪われて、雲雀は憤慨せずにはいられなかった。
「雲雀、参りました」
廊下にて手をつくと、奥から「入れ」と声が戻ってくる。
障子を開けて入れば、質素な室内には上座で書き物を続ける父、
父は、娘である雲雀とは似ても似つかなかった。背丈は六尺三寸あり、筋骨隆々で闘牛を思わせる
「なんね」
が、場に父しかいないとわかった途端、雲雀の表情はふてぶてしく変化した。
「用事ならさっさと済ましい。それが終わったら、うちも文句言わしてもらうけん」
巌丑は書き物の手を止めて、じろりと粗暴な態度の娘を睨みつける。
「お前、その態度はなんだ」
自分は父である以前に、武家の頭領だということを思い出させるように、強い口調で。
「それに言葉遣いを直せと、何度も言っているだろう」
綱月家、そしてそれに次ぐ有力武家は、雄成岳よりもさらに西へ下り、海を渡った
「うちらの言葉を方言だなんて卑下する必要はこれっぽっちもなか。なのに、近頃の雄成岳はなんね。わざわざ公家を真似て、八雲流の
幼少期を過ごした府門院を好む雲雀は、まるで動じることなく
「お前の言う八雲流とやらが、我々の文化の源泉なのだ。少しはあちらの良いところを見習おうとは思わんのか」
「ふん。それはやつらが、うちら武家に
巌丑は外見に似合わず、優れた為政者であり、知将であった。己を知り、敵を知れば負け戦などなくなるとは、幼い頃から耳にタコが出来るほど言われてきた。
それでも、どうも敵方を真似るというのは気にくわない。
「どうしても言うことを聞かせたいんなら、うちと勝負するたい。父者が勝ったら、八雲流でもなんでも、真似したるっちゃ」
あくまで雲雀を除けば、の話ではあるが、武家の中で最も強いのは巌丑だ。真剣勝負でなくとも、相手してもらえれば少しは
そう思って提案してみたのだが、巌丑にはその気は一切ないらしく、やれやれと頭を左右に振るばかりである。
「今更だが、育て方を間違えたな。……その考えでは、苦労することになりそうだ」
「苦労?」
首をかしげる。武家流を貫くことで、女ではなし得ぬほどの名誉を勝ち取ってきた自分が、どうして苦労などしようものか。
そこでようやく雲雀の中で、和睦に対する怒りより、巌丑がここへ己を呼びつけた用件への興味が勝った。
「実はな雲雀、お前には犠牲になってもらうことにしたのだ」
よほど言い出しにくかったらしく、巌丑の言葉はいつになく重々しかった。
「なんね。やつら、うちを恐れとると?」
だからこそ、雲雀はその空気を笑い飛ばした。
「まあ、無理もなかね。先の戦でいっちゃん多く向こうさんを
女だてらに戦場に出ると決めたときから、覚悟している。
家のために生き、家のために死ぬと。
それは巌丑自身もまた、そうなのだ。いざとなれば娘を差し出す非情さも、頭領という立場であれば持ち合わせねばならない。
「ええよ。向こうさんがうちの死を和睦の条件にしとるなら、
だが、武士の誇りを胸に
「早とちりするな、馬鹿娘が」
「なにしよんね。人が己の覚悟を語っとうときに」
「その覚悟が的外れだというのだ。お前が死んだところで、なにが変わる」
「武家の戦力が半減する」
「お前の
雲雀としては本気で口にしただけに、その反応は腹立たしい。
しかし、差し出すのが命ではないとすれば、犠牲とはどういうことだろうか。
「我ら武家はな……、あちらの公家と血の契りを結ぶことにしたのだ」
「まさか」
一気に、己の体温が下がるのを感じた。
後に告げられる言葉が、完全に読めたからである。
「お前、あちらの東宮と結婚しろ」
「いや!」
即座に返事が出た。もはやそれは、本能的な拒絶であった。
「なぜだ。命を捨てることに比べればましだろう」
「いやなものはいや。武士として死なすならまだしも、うちを姫のように嫁がせようとはどういう了見たい」
「姫のようにも何も、お前は姫だろうが」
「姫は姫でも、他の男共より強い。だからこそ、父者はうちに武家を継がせるつもりだったんじゃなかと?」
雲雀は常々、こう公言していた。
自分を超える男はついに現れなかった。
で、あるならば、自分こそが武家を導くに
一生未婚のまま、この雄成岳を治め、死にゆくときには弟か、あるいは
それこそが雲雀の描いていた己の未来図であった。
公家の男の妻になるなど、一度たりとも頭をよぎったことはない。
「確かに、
「では!」
「しかし、これからの武士は強さだけではやっていけぬ。それに……」
巌丑は珍しく、その岩のような表情に笑みを浮かべる。
「これは鬼姫が人の女に戻る、絶好の機会ではないか」
「親が娘に向かって鬼言うな」
戦場で知ったときには愉快だったが、この状況では皮肉にしか聞こえない。
父にまで異名を知られているではないか。
これはもう絶対、雄成岳のあいだでも広まりきっている。
いや、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。弟ばかりなのが恨めしい。妹が一人でもいれば、譲って
「結婚なんて今更。うちがいくつになったと思っとると」
公家でも武家でも、十代のうちに嫁がねば行き遅れだ。相手方も喜びはしないだろう。そんな理屈を投げかけてみるが、父はまるで動じない。
「二十二が遅いとは言わせんぞ。まだ充分に子は産める」
「子」
思わず雲雀が
「は、話が飛躍しすぎばい」
一気に顔が熱くなる。幼少より剣を振り続けた雲雀にとって、男は
むしろ意識して、遠ざけていたと言ってもいい。
「
婚期をとっくに逃した雲雀の初心すぎる反応に、巌丑は顔を覆う。
「大体な、結婚の話ならこれまでいくらでもあったではないか。なのにお前ときたら、己より強い男しか認めぬなどと言って拒絶してきたであろう」
「当然たい。うちより強い男とじゃなきゃ、結婚なんかせんけん。そんな男、これからも現れるとは思えんがね」
「ほう。では、暮明親王は」
父の口から飛び出したその名に、雲雀はギクリとした。
「話に聞けば、お前と互角にやりあったそうだな」
「それは……その……」
雲雀はしどろもどろになる。
確かに、父の言うとおりであった。刀を打ち合い、命のやりとりを超え、その強さを認め合った暮明ならば、相手に不足なしということになる。
「えっと、ち、違うたい。あいつは……、ううう」
あのとき、暮明と戦っていなければ、まだ言い逃れる
だが、長年
「八雲京までの護衛には、有宗をつける。しばらくは奴にも都の外れに居を構えてもらうつもりだ。困ったときは、武家との橋渡しに使え」
言い返せずにいるうちに、口論の雌雄は決してしまっていた。
巌丑はこの話は終わりとばかりに、再び書き物に目を落とす。
こうなっては雲雀も立場上、退出せざるを得ない。
誰のせいで言い逃れられなくなったのか。
城を後にしたときには、怒りの矛先はもう決していた。
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