第3話 結婚相手は未来の帝 其の一

 武家は、公家の住まうくものみやから馬で三日下った場所に居を構えていた。

 なりがたけ

 家々は山の傾斜に沿って建てられ、頂上には一際大きな城がそびえる。

 さんろくには背の高い森と水辺が広がり、自然が城の守りをさらに堅固にしていた。

 武家一族の地位は、住まう屋敷の高さによって明確に定められている。故に、武家の位は『合』で示され、最底辺が一合、最高位が十合となる。

 十合はつなつき家ただ一つ。その長女、雲雀ひばりは父である頭領の呼び出しを受け、城に出向いていた。白の間着の上に羽織られた打掛は、彼女の怒りを表すかのように真っ赤だ。

 機嫌の悪さは当然、いきなり結ばれた和睦に起因していた。

 勝利は目前、そう信じていただけに水を差されたという思いだ。

 不毛な戦いにんでいた一月前ならまだしも、今はくれあきとの再戦という楽しみもある。

 それを奪われて、雲雀は憤慨せずにはいられなかった。

「雲雀、参りました」

 廊下にて手をつくと、奥から「入れ」と声が戻ってくる。

 障子を開けて入れば、質素な室内には上座で書き物を続ける父、いわうしの姿があった。

 父は、娘である雲雀とは似ても似つかなかった。背丈は六尺三寸あり、筋骨隆々で闘牛を思わせるふうぼうである。頰から首にかけて刻まれた刀傷も、彼の武勇を輝かしく物語る。

 いかめしい面構えの頭領に呼び出されたとなれば、家来達は何事かと一様に震え上がる。

「なんね」

 が、場に父しかいないとわかった途端、雲雀の表情はふてぶてしく変化した。

「用事ならさっさと済ましい。それが終わったら、うちも文句言わしてもらうけん」

 巌丑は書き物の手を止めて、じろりと粗暴な態度の娘を睨みつける。

「お前、その態度はなんだ」

 自分は父である以前に、武家の頭領だということを思い出させるように、強い口調で。

「それに言葉遣いを直せと、何度も言っているだろう」

 綱月家、そしてそれに次ぐ有力武家は、雄成岳よりもさらに西へ下り、海を渡ったもんいんという地を故郷とする。東へと侵出してきたのはごく最近のことで、雄成岳もまた、三年前に敵から奪い取った都なのである。

「うちらの言葉を方言だなんて卑下する必要はこれっぽっちもなか。なのに、近頃の雄成岳はなんね。わざわざ公家を真似て、八雲流のしやべり方をして。気色悪い話し方で反吐へどが出るたい」

 幼少期を過ごした府門院を好む雲雀は、まるで動じることなくひようひようと言い返す。

「お前の言う八雲流とやらが、我々の文化の源泉なのだ。少しはあちらの良いところを見習おうとは思わんのか」

「ふん。それはやつらが、うちら武家にこうべを垂れてきてからの話たい」

 巌丑は外見に似合わず、優れた為政者であり、知将であった。己を知り、敵を知れば負け戦などなくなるとは、幼い頃から耳にタコが出来るほど言われてきた。

 それでも、どうも敵方を真似るというのは気にくわない。

「どうしても言うことを聞かせたいんなら、うちと勝負するたい。父者が勝ったら、八雲流でもなんでも、真似したるっちゃ」

 あくまで雲雀を除けば、の話ではあるが、武家の中で最も強いのは巌丑だ。真剣勝負でなくとも、相手してもらえれば少しはうつぷんも晴れるだろう。

 そう思って提案してみたのだが、巌丑にはその気は一切ないらしく、やれやれと頭を左右に振るばかりである。

「今更だが、育て方を間違えたな。……その考えでは、苦労することになりそうだ」

「苦労?」

 首をかしげる。武家流を貫くことで、女ではなし得ぬほどの名誉を勝ち取ってきた自分が、どうして苦労などしようものか。

 そこでようやく雲雀の中で、和睦に対する怒りより、巌丑がここへ己を呼びつけた用件への興味が勝った。

「実はな雲雀、お前には犠牲になってもらうことにしたのだ」

 よほど言い出しにくかったらしく、巌丑の言葉はいつになく重々しかった。

「なんね。やつら、うちを恐れとると?」

 だからこそ、雲雀はその空気を笑い飛ばした。

「まあ、無理もなかね。先の戦でいっちゃん多く向こうさんをたおしたのはうちやし」

 女だてらに戦場に出ると決めたときから、覚悟している。

 家のために生き、家のために死ぬと。

 それは巌丑自身もまた、そうなのだ。いざとなれば娘を差し出す非情さも、頭領という立場であれば持ち合わせねばならない。

「ええよ。向こうさんがうちの死を和睦の条件にしとるなら、もうやないの。平和のために死ぬんは本望やし武士の誉れたい、あたっ!」

 だが、武士の誇りを胸にしく決意を表明した雲雀の額に飛んできたのは、父の握っていた筆だった。

「早とちりするな、馬鹿娘が」

「なにしよんね。人が己の覚悟を語っとうときに」

「その覚悟が的外れだというのだ。お前が死んだところで、なにが変わる」

「武家の戦力が半減する」

「お前のごうまんさは誰に似たのか」

 あきれたとばかりに、はあ、とため息をつく巌丑。

 雲雀としては本気で口にしただけに、その反応は腹立たしい。

 しかし、差し出すのが命ではないとすれば、犠牲とはどういうことだろうか。

「我ら武家はな……、あちらの公家と血の契りを結ぶことにしたのだ」

「まさか」

 一気に、己の体温が下がるのを感じた。

 後に告げられる言葉が、完全に読めたからである。

「お前、あちらの東宮と結婚しろ」

「いや!」

 即座に返事が出た。もはやそれは、本能的な拒絶であった。

「なぜだ。命を捨てることに比べればましだろう」

「いやなものはいや。武士として死なすならまだしも、うちを姫のように嫁がせようとはどういう了見たい」

「姫のようにも何も、お前は姫だろうが」

「姫は姫でも、他の男共より強い。だからこそ、父者はうちに武家を継がせるつもりだったんじゃなかと?」

 雲雀は常々、こう公言していた。

 自分を超える男はついに現れなかった。

 で、あるならば、自分こそが武家を導くに相応ふさわしいと。

 一生未婚のまま、この雄成岳を治め、死にゆくときには弟か、あるいはおいに継承する。

 それこそが雲雀の描いていた己の未来図であった。

 公家の男の妻になるなど、一度たりとも頭をよぎったことはない。

「確かに、わしはお前に家督を譲るつもりであった。弟達どころか、雄成岳に住むどの武士よりも、お前のほうがはるかに強い。それは認める。武力で太刀打ちできない以上、お前の継承に反対できる者もおるまい」

「では!」

「しかし、これからの武士は強さだけではやっていけぬ。それに……」

 巌丑は珍しく、その岩のような表情に笑みを浮かべる。

「これは鬼姫が人の女に戻る、絶好の機会ではないか」

「親が娘に向かって鬼言うな」

 戦場で知ったときには愉快だったが、この状況では皮肉にしか聞こえない。

 ありむねめ。なにが八雲京ではそう呼ばれている、だ。

 父にまで異名を知られているではないか。

 これはもう絶対、雄成岳のあいだでも広まりきっている。

 いや、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。弟ばかりなのが恨めしい。妹が一人でもいれば、譲ってしまいだと言うのに。

「結婚なんて今更。うちがいくつになったと思っとると」

 公家でも武家でも、十代のうちに嫁がねば行き遅れだ。相手方も喜びはしないだろう。そんな理屈を投げかけてみるが、父はまるで動じない。

「二十二が遅いとは言わせんぞ。まだ充分に子は産める」

「子」

 思わず雲雀がはんすうしてしまったのは、あまりに思いもよらぬ単語だったからだ。

「は、話が飛躍しすぎばい」

 一気に顔が熱くなる。幼少より剣を振り続けた雲雀にとって、男はたたきのめす相手でしかなく、男女の営みにはとんと疎かった。

 むしろ意識して、遠ざけていたと言ってもいい。

前の少女でもあるまいに」

 婚期をとっくに逃した雲雀の初心すぎる反応に、巌丑は顔を覆う。

「大体な、結婚の話ならこれまでいくらでもあったではないか。なのにお前ときたら、己より強い男しか認めぬなどと言って拒絶してきたであろう」

「当然たい。うちより強い男とじゃなきゃ、結婚なんかせんけん。そんな男、これからも現れるとは思えんがね」

「ほう。では、暮明親王は」

 父の口から飛び出したその名に、雲雀はギクリとした。

「話に聞けば、お前と互角にやりあったそうだな」

「それは……その……」

 雲雀はしどろもどろになる。

 確かに、父の言うとおりであった。刀を打ち合い、命のやりとりを超え、その強さを認め合った暮明ならば、相手に不足なしということになる。

「えっと、ち、違うたい。あいつは……、ううう」

 あのとき、暮明と戦っていなければ、まだ言い逃れるすべはあったかもしれない。

 だが、長年うたい続けた、たった一つの反論を覆されたとき、急いで新たな論理を構築できるだけの機転を雲雀は持ち合わせていなかった。

「八雲京までの護衛には、有宗をつける。しばらくは奴にも都の外れに居を構えてもらうつもりだ。困ったときは、武家との橋渡しに使え」

 言い返せずにいるうちに、口論の雌雄は決してしまっていた。

 巌丑はこの話は終わりとばかりに、再び書き物に目を落とす。

 こうなっては雲雀も立場上、退出せざるを得ない。

 誰のせいで言い逃れられなくなったのか。

 城を後にしたときには、怒りの矛先はもう決していた。

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