八雲京語り 宮廷に鈴の音ひびく

羽根川牧人/富士見L文庫

第1話 美郡川の戦い 其の一

「弱かね、男は」

 女は馬上で、刀から血を振るい落とした。

 流れた血と夕焼けで平野は紅く染まり、鉄の匂いを帯びた空気が、まとったよろいを一層重く感じさせる。これだけの犠牲を出しながらも、いまだに遠方からはときの声がする。

 西の武家と、東の

 対立する二つの勢力は、緩やかなごおりがわを挟み、激しく対立していた。戦力はきつこうし、時に川を越え、時に押し戻されながら、すでに三年の月日が経とうとしている。

 刀を打ち合う音、斬られし者の悲鳴、己を鼓舞し、恐怖をかき消すためのたけび。

 まだまだ死人が増えるのは明らかだ。

 女は雨でも降れば良いのに、と天を仰ぐ。

 血と憎悪と欲を洗い流し、戦に幕を下ろすような、土砂降りの雨が。

 けれども、空には腹立たしいほど雲がない。

 雲が幾重にも連なるという公家の都、くものみやは目と鼻の先だというのに。

「弱かねえ……」

 他者に向けたものか、それとも戦に疲弊した己に向けたものか、分からぬままにつぶやく。

 いくさにおける紅一点。

 武家を束ねる一族、つなつき家の姫。

 名は雲雀ひばり

 よわい二十二にして独り身──とはいえ、決して醜女しこめではない。

 むしろ、彼女は美しかった。

 背筋を伸ばしてくらに座した姿はりんとして、男のまげを真似て結われた長い髪にも、乱れはまるでない。

 鎧を着込んでも、決して無骨さを感じさせぬ細いたい

 かといって、きやしやという言葉ほど、彼女とかけ離れた言葉はないだろう。

 きりりとした太いまゆの下にある、じりのつり上がった眼は気丈さの塊。

 決して折れず、びず、我を貫くことを信条としたそうぼうである。

 そして雲雀はひたすらに、紅という色が似合う女であった。

 頰を染めた返り血ですら、化粧のように彼女を彩る。

 戦場こそ、女の生きる場所だと言わんばかりに。

「うらああああ!」

 叫び声がした方を見やると、敵兵がやりを構え、突進してくるところだった。

 その槍先は栗色の愛馬に向けられている。

 まずは馬から落として、首をろうという腹づもりらしい。

あらし

 雲雀は馬の名を呼び、軽く手綱を引いた。それだけであるじの意思を感じ取った野嵐は、槍を限界まで近づけ、紙一重でするりとかわす。

 直前まで貫けると確信していた敵兵は、前のめりによろめく。慌てて槍を引き戻し、体勢を整えようとするが、遅かった。

 雲雀が、刀を振るったからだ。

 力を一切かけることのない、演舞のごとき所作。

 だが次の瞬間、敵兵の首はかぶとごと宙を飛んでいた。

 ごろごろと転がった頭は、他のしかばねに当たって止まる。首を失った胴体は立ちすくんだままでいたが、しばらくすると思い出したように地面に崩れた。

 ふう、と息を吐く。これで今日は何人仕留めただろう。

 数えてはいなかったが、おそらく三十は下るまい。

「あれ、言わないんですか。雲雀様」

 後ろから声をかけられ振り向けば、馬に乗ってきたのはくしなだ家の次男坊、ありむねである。

「なんかいね?」

「いつもの『弱かね』ってやつ」

「ああ……、言い飽きたっちゃ」

 そうですか、と有宗は肩をすくめる。

 雲雀とは対照的に下がったまゆじりをした、優しげなひとみの若武者である。

 後方に控えていたからか、鎧の汚れは少なく、体力には随分と余裕があるようだ。

「それに、今のはうちに挑んできた勇気を褒めるところね」

 雲雀は懐から小さなきんちやくを取り出して、死んだ敵兵の胸元に放った。

 香木、びやくだんが入った匂い袋だ。雲雀はほふった敵が賞賛すべき相手であったときは、魂が安らかであるよう、香によって供養することにしている。それがどれほどの効力を持つかなど分からないが、少なくとも雲雀の心はほんの少し晴れる。

「確かに、雑兵にしては気概がありましたね。私には貴女あなたに立ち向かうなんて勇気、持てませんから。いくら勝てたら、武家をべられるとしても、ね」

あきらめの早い男たい」

 雲雀を婚姻から遠ざけたのは、皮肉にも彼女の強さであった。

 例えば、後ろに控える有宗は実のところ相当の手練れだ。櫛灘家は武に秀で、戦場にて敵を百は斬らねば、勘当を言い渡されるとの噂さえある。

 だが、それでも雲雀の相手は務まらない。

 真剣勝負となれば、雲雀は有宗を、鳥を射落とすより楽にたおせてしまう。

 男は女より強くあらねばならぬ──そう教え込まれた武士が、己より強い女をめとるなど考えられないことだ。

 雲雀もまた武家の伝統に従って「自分より強い男にしか嫁がぬ」と公言してきた。

 誰か一人くらいは、自分を超える強者がいるだろうと信じて。

 しかし、そんな男に巡り会うことはついぞなかった。

 ──この日、この時が来るまでは。

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