八雲京語り 宮廷に鈴の音ひびく
羽根川牧人/富士見L文庫
第1話 美郡川の戦い 其の一
「弱かね、男は」
女は馬上で、刀から血を振るい落とした。
流れた血と夕焼けで平野は紅く染まり、鉄の匂いを帯びた空気が、
西の武家と、東の
対立する二つの勢力は、緩やかな
刀を打ち合う音、斬られし者の悲鳴、己を鼓舞し、恐怖をかき消すための
まだまだ死人が増えるのは明らかだ。
女は雨でも降れば良いのに、と天を仰ぐ。
血と憎悪と欲を洗い流し、戦に幕を下ろすような、土砂降りの雨が。
けれども、空には腹立たしいほど雲がない。
雲が幾重にも連なるという公家の都、
「弱かねえ……」
他者に向けたものか、それとも戦に疲弊した己に向けたものか、分からぬままに
武家を束ねる一族、
名は
むしろ、彼女は美しかった。
背筋を伸ばして
鎧を着込んでも、決して無骨さを感じさせぬ細い
かといって、
きりりとした太い
決して折れず、
そして雲雀はひたすらに、紅という色が似合う女であった。
頰を染めた返り血ですら、化粧のように彼女を彩る。
戦場こそ、女の生きる場所だと言わんばかりに。
「うらああああ!」
叫び声がした方を見やると、敵兵が
その槍先は栗色の愛馬に向けられている。
まずは馬から落として、首を
「
雲雀は馬の名を呼び、軽く手綱を引いた。それだけで
直前まで貫けると確信していた敵兵は、前のめりによろめく。慌てて槍を引き戻し、体勢を整えようとするが、遅かった。
雲雀が、刀を振るったからだ。
力を一切かけることのない、演舞のごとき所作。
だが次の瞬間、敵兵の首は
ごろごろと転がった頭は、他の
ふう、と息を吐く。これで今日は何人仕留めただろう。
数えてはいなかったが、おそらく三十は下るまい。
「あれ、言わないんですか。雲雀様」
後ろから声をかけられ振り向けば、馬に乗ってきたのは
「なんかいね?」
「いつもの『弱かね』ってやつ」
「ああ……、言い飽きたっちゃ」
そうですか、と有宗は肩を
雲雀とは対照的に下がった
後方に控えていたからか、鎧の汚れは少なく、体力には随分と余裕があるようだ。
「それに、今のはうちに挑んできた勇気を褒めるところね」
雲雀は懐から小さな
香木、
「確かに、雑兵にしては気概がありましたね。私には
「
雲雀を婚姻から遠ざけたのは、皮肉にも彼女の強さであった。
例えば、後ろに控える有宗は実のところ相当の手練れだ。櫛灘家は武に秀で、戦場にて敵を百は斬らねば、勘当を言い渡されるとの噂さえある。
だが、それでも雲雀の相手は務まらない。
真剣勝負となれば、雲雀は有宗を、鳥を射落とすより楽に
男は女より強くあらねばならぬ──そう教え込まれた武士が、己より強い女を
雲雀もまた武家の伝統に従って「自分より強い男にしか嫁がぬ」と公言してきた。
誰か一人くらいは、自分を超える強者がいるだろうと信じて。
しかし、そんな男に巡り会うことはついぞなかった。
──この日、この時が来るまでは。
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