第五話

 デュランが意識を取り戻した時初めに感じたのは、体の冷たさだった。浮遊感と、何かに捕まる自分と、水音。

 火炎を浴びたにしては体に火傷はなく、服の隅が少し焦げている程度だ。咄嗟にウェルズが風の防壁でデュランを包みこんだ為だ。包んだ瞬間に密封された風のあまりの圧力にデュランは気絶してしまったが焼け死ぬのに比べれば安いものと言っていい。


「クソっ、ウェルズ、大丈夫か」


 頭を振ってみるがデュランの意識ははっきりとしない。水面に落ちたとはいえかなりの高さから落下しているのだから人の身にダメージは深刻であった。

 

「ヴォオオ!」


 ウェルズが悔しそうに咆哮をあげた。デュランはウェルズが水面に広げた翼膜の上で背につかまっていたが、翼膜の上に覚束ない足取りで立てば、ウェルズには数本の矢が刺さっている。致命傷には程遠いが、そういう問題ではない。


「ウェルズ、どうにか飛べるか?」


「ヴォ」


 問題ない、と言わんばかりにウェルズが頭をあげる。乗り込むのにも一苦労ながらなんとか鞍に跨ると安全ベルトを締める。体を起こしているのも辛く。ウェルズにもたれ掛かった。水面付近は断空の付近にもかかわらず無風であった。


「……やはりこの青海は海龍がいな……っ!?」


 周囲を見回せば、巨大な海龍の影が周りを渦巻いている。食われていないのが不思議でならない。


『その組紐は実に良い品じゃ。いいことあると思うからの、はずすでないぞ』


 ふと、ボタンの言葉が再生される。


「……たしかにいいことあったな」


「ヴォオオオオオオオアアアアアオオオ!!」


 ウェルズが大きく咆哮をあげた。するとデュラン達のいる真下からさらに何か大きな影が迫ってくる。


「うおっ」


 ドンとまるで地面が生えたかのように水がはじけ飛び空へと持ち上げられる。飛び上がったウェルズの背中越しに青海を見れば巨大な海龍がその鼻先を水面に沈めるところであった。

 それからどうやって蜀剣に戻ったのかさえ怪しい。

 デュランが目覚めたとき初めに目に入ってきたのはくせ毛だった。


「おはようデュラン。こっ酷くやられたじゃん」


「……ようユオン。俺は何日寝てた?」


 書類を椅子の隣に大量に積んだユオンが安心したように微笑む。


「ほぼ一週間だな。何があった?」


「ツバキが攫われた、助けないと」


 起き上がろうとするデュランをユオンが制する。


「まあまずは情報収集と行こうじゃん」


「情報収集なんて暢気なこと言ってる場合か!! 一週間もたってるんだぞ!!」


「まずはお前が落ち着けデュラン・ディル!! 今のお前だけで何ができるっての!?」


 怒鳴るデュランにユオンが怒鳴り返すと顔に水差しを押し付ける。すこし目を伏せた後水差しの中身を一気に飲み干した。


「らしく無いぞデュラン、お前が寝てる間の下の世話だってタダじゃないだぜ。まあやったの俺じゃないけど」


「ぶはっ……悪い。襲ってきたのは黒い翼龍ワイバーンだ。後鳥龍もたくさん」


「黒い翼龍に鳥龍多数……龍環ニーベルン空賊かな?」


「聞いたことがないな」


「マイナーな空賊団だかんね。襲うのも輸送龍に限定されている上にここ最近はベネアでの被害はゼロだし」


 書類を漁りながらユオンが呟く。手に持った書類は蜀剣の龍騎士たちの報告書の物の様だった。


「空賊風情が図に乗りやがって……」


「でもなんでツバキちゃんが攫われたんだろうね。書簡見てもテプールはツバキちゃんの身分保障する気マンマンだったけど人質?」


「空賊がそんな迅速に情報手に入れられるわけないだろ……まてツバキがそもそもベネアまで来た原因の奴隷商人はどうした?」


 一週間も寝ていれば伝令の連絡龍も飛ぶ。全速で飛ばしたなら二日程度しかかからないだろう。


「一応ティティアに連絡したらしいけどこっちに何もないってことは情報が出ないんじゃない? あ、あった。どうやらあいつら蜀剣付近に活動を移してたっぽいねコレ」


 ベットに落とされた紙をデュランが見せてもらえばどれも鳥龍による空賊被害の報告だ。


「それにしても、鳥龍を主体にしている空賊の癖に未だにアジトの島を見つけられないのは妙じゃん? なんなら蜀剣の方がベネアよりも龍騎士自体は強いんだし、鳥龍じゃ常套手段の雲に隠れるのだって無理だし。うちらで有名な空賊の渡り鴉レーヴァンの奴らだって名前の癖に主体にしてるのは腕龍だかんね詐欺だよ全く」


「……そう言えば、あいつら雲の下から来てたな」


 前回の襲撃は違ったが、それ以前の襲撃では青海付近の雲海に隠れていた。


「何を馬鹿なこと言ってんの。んなことしたら海龍の餌だよ。ほれこれ、最近のだけど空賊探して低空飛んで龍騎士が一人食われかけてんのよ」


「そうは言われてもな……大体俺だって襲われた後は青海に落ちて気絶してたんだぞ」


「はん? じゃ今喋ってるお前は亡霊か何かじゃん。幽霊が喋ってんのか」


「生きてるわ!!」


「ま下から出るもん出てるしな」


「……まてよ」


 デュランが思い返す。ツバキを狙った理由はではないのか?手に付けられたままの組紐を見つめる。断空の付近でさえ、青海間際は刺の雲海も無く無風に近かった。一つ、可能性を感じる場所がある。


「おいユオン、お前口固いよな」


「うちの龍騎士長が奥さんの尻に敷かれてることはめちゃくちゃ言いふらしてる位だな」


「よし、一つ奴らのアジトに思い当たりがある、軸だ」


「軸? 蜀剣手前の空の裂け目ガガプのことか?  あんなところ俺でも入ったら死んじゃうぜ」


「だからだ。ツバキはそういう所に入るための鍵の様なものになってるのかも知れない」


「なんだ? あの子が居ると開けゴマと言わんばかりに空の裂け目に穴でも開くのか?」


「違う、青海付近は雲海の影響がないどころか風もないんだ。アジトはあの軸の中の島、入り口は下からなんだよ」


 ユオンとしては常識の範疇から外れたことを言われて理解に苦しまざるを得ない。彼の常識から言わせれば、空の裂け目があるということは中に島があるというのはまあ分かる。だが青海付近を飛んで下からなら入れるというのは意味不明であった。これを言っているのが目の前にいるデュラン・ディルでなければ狂人か病人の戯言と切り捨てていただろう。


「まあ、お前が言うんなら間違いは無いかもしれねえが、余りに荒唐無稽だぜ? そんなんじゃ蜀剣の龍騎士達に協力してもらうのは無理だ」


「別にいい。代わりになるべく早い連絡龍で土龍の社シュラインモールに連絡してくれ。例のやつこっちに寄こしてくれって」


「いや? そんな面倒なことやらんが?」


 そう言って肩を竦めるとユオンが立ち上がる。


「おいどういうつもりだ?」


 若干殺気を放っているデュランをモノともせずユオンが戸を開ける。そこはリビングなのだがソファーやテーブルが壁に追いやられ、ど真ん中に大量の木箱が鎮座していた。


「一週間あったんだ。もう持ってきてあるよ」


「ナイスだユアン」


「おいそのまま立ち上がんな野郎の全裸なんか見たかねえじゃん!」


「おいまじか服は!?」


「気づけよ!! 下の世話もされてたって言っただろ気絶してるからその方が楽だったんだよ!!」


 扉が閉じられるとデュランはいそいそと服を着た。

 そうしてリビングへやってくると鎮座している木箱に手を伸ばす。


「人の客を攫った落とし前、龍環ニーベルンの奴らにきっちり払ってもらわないとな」


「おうおう怖い、やる気満々じゃん。なんともう一つ、とある商人からも協力の品が届いてるんだぜ」


 デュランの様子にユアンは笑いながら玄関の戸を開いて外に出るのだった。

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