飛龍二種は取得が難しい

雛菊

序章

龍も飛べば空賊に当たる

「すいませんお客さん、今休憩中なんですが」


 青々とした芝生の上、島の外苑でのんびりと休んでいる青年が大きな荷物を抱えた商人風の男に迫られていた。その場所、本島とは少しだけくたびれた橋で繋がれ、運送業をやっている人たちの休憩所として有名な場所である。

 ふわふわとした芝生の絨毯と一本の大きなパラソルツリーの葉が適度な木漏れ日の陰を作りだし、心地のいい空間を提供していた。普段なら十組くらいは休んでいる物なのだが、こういう時に限って青年と商人以外に人はいなかった。


「本当に頼むよ! ベネアまでお願いだ運転手さん!」


 芝生の上に膝を立てて今にも土下座しそうな勢いの商人の気迫に思わず青年は怯んだ。少し離れたところで休んでいる相棒に青年が目をやると、かまわない、と言った風に瞳を細めた。

 それを見てこの青年、デュランは立ち上がって商人も手を掴んで立たせた。よく見れば青年が抱えるくらいの大きな荷物が脇に置いてあった。


「交易島のベネアまでだと……ここからだと基本料金で七千ガルド位になるがいいかい?」


 事前に料金説明をしておかないとトラブルの元となる。結構な距離が離れているため七千ガルド程の成ってしまうのだ。大量運送の大飛だと二千ガルドもしないのでべらぼうに高い。

 だが、大飛は安い代わりに定時出発が基本であり、遅れたりすると待ってくれない。また、目的地は確定しており、一度乗ってしまえば忘れ物をしようが何だろうが目的地まで一翼飛びである。

 それに比べれば交渉次第ですぐに飛んでくれる彼のような運送屋は中飛と呼ばれており、しっかりと供給に対する需要があるのである。

 時間が惜しいのか、それでもかまわないとばかりに商人は二つ返事で了解した。


「ウェルズ、お客さんだ。いっちょやるか!」


 その潔さにすこし感銘を受けたデュランは相棒に声をかける。

 それを聞いた相棒が、寝転がった姿勢から首をこちらに向けてから、両手を前に着いて姿勢を起こす。鱗同士がこすれる小さな軋みのような音と共に、ウェルズは立ち上がった。

 両手からや翼骨が折り畳まれるように突きだし、その間には翼膜が見え隠れする。鉄を鏡のように磨いた色の鱗は青空と芝生の青を写し、長い尻尾を振って身震いをするだけで美しく幻想的な色を生み出していた。のんきに丸まって芝生で日光浴をしていた姿勢と打って変わった堂々とした姿に、それを見た商人は思わず息をのんだ。

 彼等運送屋の必須条件であり、中飛と呼ばれる由来。


「驚いた……ここまで綺麗な飛龍ヴルムは初めて見たかもしれないよ」


 デュランに荷物を渡しながら、ため息が出るような美しさに思わず商人が呟く。

 上半身を持ち上げ、後ろ脚を降ろした、人間でいえば両手を着いた蹲踞のような姿勢の飛龍ヴルム、ウェルズの胸の部分には鞣した皮で包まれ、鎖で編んだ大型のバッグ。飛龍に乗る人々からはトランクと呼ばれている場所へ先ほど受け取った荷物を入れ、トランクの留め具を固定して、引っ張って完全に固定されていることを確認する。


「よし、荷物は大丈夫。お客さん。乗ってくれ」


 ウェルズはデュランの言葉に続いて起きていた姿勢を崩し、前足を曲げ、胸の荷物を地面に付けないように四足歩行に近い状態にまで体を伏せる。顎と首の境目あたりに付けられたランタンが揺れて鱗とぶつかりからからと音を立てた。

 デュランが先にウェルズの首付け根の鞍に跨って手綱を握る。あと安全のため鞍から伸びた安全紐を腰のベルトに取り付ける。腰にベルトをしている人ならばそのままベルトに、つけていない人には一度腰で巻くことのできる安全紐なので便利だ。


「お客さん、一応安全紐つけてくださいな?」


 急いで跨った商人はベルトをしていなかった様で、少しもたつきながらも安全紐を腰に巻いてきっちり固定した。

 空ではおちたら即死に等しいので安全紐はまさしく安全のための命綱なのである。ただし、あくまで飛龍から落下しないだけで鞍についたバーと鐙にしっかり足を掛けていないと酷い目にあうこともある。


「それじゃあ行きますよ!」


 大きく開かれたウェルズの両腕、翼骨の間に張られた翼膜が空気を掴み、ひとはばたきで大きな風を生み出して芝生を大きく揺らしながら空へと飛び立った。お客に恐怖心を与えにくい垂直離陸である。

 芝生の青を超えた先もまた青だ。しかしそれは遥か下方の景色である。

 大地から離れた眼下は、大きく広げられた翼が生み出した影が、彼らと太陽と対照の雲海へと投影されている。大きく広がる淡い影は雲海よりさらに高い所を飛んでいることを商人に想像させた。

 その姿はまさしく龍。この世界の天空の覇者たる種族。

 ウェルズは、飛龍ヴルムと呼ばれる内、翼龍種ワイバーンと呼ばれ親しまれる種族だ。小型から中型の個体が多く、個人所有の飛龍の中では二番目の人気を持つ。

 ウェルズは翼龍種ワイバーンの中でも大きい方で、商人の後ろにはもう一人乗る用の鞍が設置されている三人乗りの飛龍ヴルムなのである。


「結構先のクロスストーンの辺りで上昇風アッパーベルがあるはずだから、そこから高速に乗れないかい?」


 かなり下を雲海と青海が見えているものの、周囲に比較対象となる物がほとんどないため、速度を遅く感じた商人が高速の使用を提案したが、デュランは申し訳なさそうに首を振った。


「お客さん、急いでるのはわかるから上昇風アッパーベル高速気流ハイウィンドに上がってさっさと行きたいんだろうけど、今日は奇数の日だからベネアの付近の高速気流≪ハイウィンド≫がこっちに流れてる日なんだ。できる限り飛ばすから我慢してくれ。ただ、もうクロスストーンは通り過ぎるよ」


 前方クロスストーンと呼ばれる小さな岩場には木の看板が突き刺さっている。上昇風が付近にあることを知らせる大切な目印エアマークなのだ。それが瞬く間に後方に流れていくのを見て商人は息を巻いた。振動なく快適に飛んでいたので速度感覚がずれていたことに気付いたのだ。


「こ、これくらいなら間に合うかな?」


 下手な飛龍ヴルム高速気流ハイウィンドを飛んでいるよりもよっぽど速度が出ている。ここまで早いと空中での衝突事故が怖いが、目下の所、対向の飛龍たちは上の高速気流ハイウィンドを使っているのでそういうことはない。


「それは良かった。おっと、上昇風アッパーベルに雲海が巻き込まれ始めてるんで、避けていきますね」


 前方の雲海から立ち上る白い雲の柱を見て、進路を少しずらして飛行する。

 上昇風アッパーベルは彼等の飛ぶ一般空域の上に存在する高速気流に乗るため利用されている現象だ。四六時中、その空域で発生しており、あまりに小型の飛龍でなければ難なく天空へ舞い上がることのできる便利なもの。しかしその上昇気流に棘の雲海が巻き込まれると乱針雲と呼ばれる気象現象に変化してしまう。この状態となった上昇風アッパーベルは中型のウェルズや大型の飛龍でなければ侵入不可能となってしまうのである。ちなみにだが、突入した場合飛龍は無事だが大体の場合乗り手と装備品が台無しになるので普通の飛龍乗りは突っ込まない。

 上昇風の近くを通ると、巻き込まれ始めた棘の雲海からベルのような美しい音が響き伝わってくる。音色こそ素晴らしく澄んでいるが、上昇風で棘同士が激しくぶつかり合っている音であり、この風が上昇する鐘アッパー・ベルと呼ばれている理由でもある。

 棘の雲海は島の浮力に影響を受けて生まれているとされているため、乱針雲は島の近くで発生することが多い。クロスストーンの乱針雲は主に先ほどまで休んでいたシッパル島由来の棘の雲海が原因である。


「お客さん、バチル島が見えたんで、少し進路を右に修正させてもらうよ」


 そこから十分近く飛んでいると見える大きな湖を備えた島バチルが見えた。バチル島には大きな湖があり、湖側の灯台二つを繋ぐように飛ぶと丁度ベネアの方角を向けるようになっているのだ。

 四足の腕龍に乗った同業者が見えたので片手をあげて追い抜きながら挨拶しておく。向こうも軽く手を上げて挨拶を返してきた。

 日差しは最高角度を超え雲平線にむかって少しずつ降下をはじめた。それでも照らしつける日差しは結構強い。


「お客さん、今日は日差しが少し強いが大丈夫かい?」


「ん? 確かに暑いが……そういえば風が無いな運転手さんがなにかやっているのかい?」


 飛龍で飛ぶ際は基本的には防寒着を着ることで気流冷却と呼ばれる物を防ぐのがセオリーだ。それを知っていて商人も厚着をしているが、結構な速度で飛んでいるはずなのに風はなく、微妙に涼しい空気が周囲を漂っている。商人は厚着をしているせいで暑いくらいだ。

 それを聞いてデュランは鞍の先、ウェルズの首の右側を小さくたたく。すると、無風に近かった空間にすこし涼しい風が流れ始める。


「うちのウェルズは冷暖房完備さ、暑かったり寒かったりしたなら言ってくれ」


 ウェルズと呼ばれた翼龍は得意げに咆哮して小さく火を吐いた。その様子はとても愉快で、商人は思わず吹き出してしまった。

 ちなみにであるが冷房のみ、暖房のみを備えた中飛は多いが、両方そなえているのは希少である。


「ハハッハ! 少し高いと思ったが、これなら納得だ。むしろ七千ガルドでこの快適さは安いのでは? えーと、運転手さん、名前は?」


 それを聞いて青年は笑うと手綱を持ったまま振り返って商人に笑いかけた。


「俺はデュラン。万年金欠だから、安いと思ったなら御贔屓にたのむよ」


 そう言って青年、デュランが気前よく笑ってから手綱を振る。するとウェルズが大きく翼をはためかせ更に加速する。

 先ほどのバチル島から二十分。ベネアまでの丁度中間ほどの雲海を一行は飛んでいた。ここまで来るともうベネアまで直ぐなので、商人は安心したように景色を楽しんでいた。このあたりは移住に適さない岩島が多数点在しており、それの影響で棘の雲海が大発生する場所でもある。そして現在、岩島の周りには当然のごとく雲が大量発生しており、視界が結構悪い。あまり高く上がりすぎると奇数日なせいで進行方向と逆の高速気流に乗ってしまい時間ロスになるため、雲の最高度ちょっと上をウェルズは飛んでいる。雲海と岩島の織り成す陰影と青空、そして切れ目からの青海が雲海の白さを引き立てていた。ベネアを拠点とするベテラン輸送者には見慣れた絶景だが、この商人にとっては初めての絶景だったようだ。

 ベテランのみと言うのは岩との衝突事故が多発したため、一部の輸送者や腕に自信のある飛龍乗り以外は通らないスポットのためである、この絶景を知る者は意外と少ない。知ってもそのまま帰ってこなかった者は結構いる。

 デュランものんびりと景色を楽しみながら手綱を軽めに持って飛んでいると、雲海の陰でチラリと何かが光った。日光の反射であると即座にデュランが気付く。

 これがどこかの島の付近を飛んでいたなら同業者や民間人の乗っている飛龍の金具か鱗かと思うところだが、あいにくこのあたりはウェルズなど少数の飛龍の抜け道であまり人の通る道ではない。

 そして光を反射した辺りは、普通に運行されているのであれば近づくことはベテランでさえ無い。

 行く必要がないからである。

 ウェルズもなにか感じ取ったのか、先ほどまでの揺れの少ない飛び方から、少し揺れるが翼を畳んだ飛び方に変化する。これの方が安定性はおちるものの、速度が出るのである。

 快適だった空の旅が突然揺れ始めたことで、油断してバーから手を離していた商人も驚いて鞍にしがみ付く。安全紐をつけているとはいえ急に揺れれば空の上故恐ろしいものなのだ。


「おいおい、急にどうしたんだい? せっかくいい景色を……」


「お客さん、誰かに恨まれたりしてるかい?」


 突然の問いに怪訝な顔をしながら商人が首を振った。

 恨みを買った商人というのは意外と多く、商売敵が事故を装って殺しに来ることが多々ある。人当たりの良さそうな様を見るにこの商人、商売向きではないが商売敵を作る男にはデュランは思えなかった。


「お客さん。積んだ結構でかい荷物、もしかしてなにか狙われるような物?」


 そこでデュランが思い当たったのは、現在ウェルズの胸部分のトランクに入っている商人の荷物である。飛龍運送は売上金や輸送品目当てで襲う奴が居るが、そのケースなのではないかという事だ。

 商人は目を見開いて首を縦に振った。それと同時に雲海から複数の小型翼龍が飛び出してくる。


「たしかに、珍しい品だという話は聞いてるんだが……」


 顔をしかめながら自身の荷物について考える商人だが、相手はそんなことを待ってくれるはずはない。こちらが速度を上げたことに気付き、雲を弾き飛ばして三匹の飛龍が飛び出してきた。その背にはそれぞれ雲の棘対策の鎧を着こんだ人間が飛龍の手綱を握っている。三人乗れるウェルズと比べるとかなり小型の翼龍だった。


「お客さん悪いな、基本料金の話は無しで、空賊対応特別料金だ! 行くぞウェルズ!」


 デュランが吼えて手綱を引く。ウェルズもそれに呼応するように哮えた。

 翼が大きく羽ばたき、翼膜が空気を掴み、太い翼骨がそれを支えて大量の空気を弾きだし、その反動で急上昇を始める。一羽ばたきとは思えないほど急上昇するデュランと商人に微風が流れた。


「お客さん! こっから冷暖房は無しだ! 我慢してくれ!! 後喋ると舌噛むから口閉じてな!!」


 あまりの急上昇に体を重圧が支配してから、それが終わると同時にデュランが叫ぶ。後ろを向いているようだが商人の方は見ていない。

 その眼の先にいるのは追従してくる翼龍だ。上昇中の僅かな直線運動の中で、デュランが運転鞍脇の袋から取り出したるはボウガン。右手に握られたソレは市販のボウガンと形は似ているが、弓の部分と矢が銀の光沢をもっていた。

 それを合図とするかのようにウェルズは縦に急旋回し、重力に従い、いや重力を上回る速度で落下を開始した。追従してきた三匹に向けウェルズが火を吐き、両端の二匹はとっさの回避ができたものの、中央の翼龍はもろに火炎を被った。右へ回避した翼龍に向けデュランがボウガンを構える。相手も同じくボウガンを構えていた。発射は同時、しかし、着弾の結果は違う。

 相手の矢はウェルズの生み出す気流に乱され、鱗にはじかれた。しかしデュランの矢は敵の胸に突き刺さり、手綱を握ったまま絶命させる。無理な回避態勢だったことと矢の質が明暗を分けたのである。

 火炎から飛び出してきた翼龍は焦げ目がある以外無事だ。だが、その背に乗っていたはずの人はいつの間にやらいない。下を商人が見れば、雲に向け火の玉が落下している所だった。


「ウェルズ!」


 そう言って手綱をデュランが横に引いた。ウェルズは翼を畳みローリングをすると、先ほどまで商人が居たであろう位置を矢が通り抜ける。左に回避して難を逃れた一匹だ。加速するウェルズの後ろにしっかり追従し、矢を放ってくる。ウェルズも加速しながら体を水平に戻し、体を左右に振ることで相手から逃れようとする。だが、大型のウェルズより小型の相手翼龍の方が小回りが利くため、突き放すことができない。

 その様は龍が互いの後ろを取ろうと追従しあう格闘戦ヴルムファイトと呼ばれるものだ。飛龍と人が共に戦う際の基本的な戦いである。


「ちっ……! お客さん! 歯ぁ食いしばってろ!!」


 とっくに食いしばってる!! と言いたい商人だが口を開く余裕はないのであった。さっきのローリングでさえ弾き飛ばされそうだったというのに。

 手綱を大きく弾くと、意図を察したウェルズが急降下を開始する。先ほどの比ではない速度だが、小型翼龍も難なくついてくる。限界近くまで加速した所で、デュランが手綱を大きく引いた。

 折り畳んでいたウェルズの翼が大きく開かれ、上体を起こして進行方向と体が垂直になる様になる。凶悪な加重がデュランと商人に襲いかかり、風を受け止めるウェルズの翼骨でさえも軋みを上げるほどの急減速である。対応できなかった、もしくは小型故に翼の強度の関係で同じことをおこなえなかった小型翼龍がウェルズ達を追い越す。そこへウェルズが減速の勢いを利用した縦に振り回された尻尾が直撃する。

 本体の大きさの扱いは中型だが、尻尾の大きさは大型と言っていいウェルズの攻撃に全身の骨を砕かれるほどの衝撃と共に急停止させられた翼龍の背の空賊は全身骨折と共に安全紐が引きちぎれそのまま雲海へダイブしていった。遅れて翼龍も力尽きたように落下していく。

 ウェルズが大きく翼をはためかせてその場で滞空して状況確認を行う。

 ほかを見れば焦げ付いた翼龍や絶命した空賊を乗せた飛龍はその場で動こうとしない。


「薬かなんかで飛龍が考えるのを絶った結果だ。俺たちに叶うわけねえだろ。なあお客さん?」


 雲海寸前で羽ばたくウェルズの上、商人に向け呟くデュランに、頭のくらくらしている商人はそれどころではなかった。

 結局のところ、デュランとウェルズのコンビネーションには意志を奪った翼龍と空賊一人の技量で対抗できるものではなかっただけだ。


「さてお客さん、それではここからは安全運転に……」


 ヴォッ、とウェルズが小さく吠える。

 ウェルズ瞳の先、その方向をデュランが見れば、いやに速い速度で迫ってくる影が見えた。羽毛がなびくそれは飛龍の種の中で民間人に一番人気、飼うのもお手軽。可愛い。という三拍子がそろった飛龍、鳥龍ククルカンである。

 大昔に翼龍と進化において分岐したとされる鳥龍は愛くるしさから愛玩動物としても扱われるが、たかが愛玩動物と侮るなかれ、軽量で快速の彼らは空においては最速の名をほしいままにする。その機動性は先ほどの小型翼龍の比ではない。

 稀に行われる飛龍のレースでは上位は大体鳥龍である。


鳥龍ククルカンは分が悪い! 逃げるぜお客さん!!」


 ボウガンを持ったまま手綱を引くとウェルズが羽ばたき、急加速する。商人はもう鞍に必死で捕まっているので精いっぱいだ。

 それでも大きい故にウェルズの加速は良い方ではない。トップスピードは負けることは無いだろうが軽い方が当然加速は良いのである。

 下手に旋回などしても先ほどの翼龍の様にはいかないだろうと、ベネアの方へ向け全力で飛ぶ。

 必死で飛んでいると、前方で突然雲海が隆起するように、爆発的に膨れ上がり天を衝くように立ち上った。それを見て商人は顔面を蒼白にし、デュランはたまらず笑った。


「運転手さん! 運転手さん! 前! 前!」


「わかってますって! 大丈夫! お客さんは運が良い!!」


 それは雲海から立ち上る渦巻く巨大な風。今も急速に成長し、数分もせず直径数キロメイルに至る暴風の渦。

 それは空の裂け目ガガプと呼ばれる。

 いかに飛龍に乗っていようと、生身の人間が入ればボロ雑巾のようにに引き裂かれ、並の飛龍では翼膜を裂かれ、重力に引かれ海に落ち食われる、絶対不可侵の空域だ。

 この気象現象も棘の雲海と同じく島の浮力の影響で発生しているとされるが、周期も予兆もなく突然雲海から立ち上り現れることから輸送を生業とする人々から恐れの対象となっている。乱心雲に耐えられる飛龍ヴルムでさえ、死を覚悟する代物だ。

 それがグングンと近づいてくるのだ。正確には立ち上った出来立ての空の裂け目ガガプにこちらが全力で近づいているだけなのだが、商人が青ざめるのも無理はない。

 後ろから迫っていた鳥龍ククルカンが翼を広げ急旋回する。すでに周囲は空の裂け目ガガプの影響空域となり風がうねり狂い、僅かに上昇風アッパーベルに似ている、しかし決定的に違うチリ、チリ、という鐘を鋸でこすりつけるような嫌な音が聞こえ始めている。

 快速故に耐久性の低い鳥龍に乗った空賊たちはたまったものではないと言わんばかりに全速でその場を離脱していく。鱗ではなく羽毛に包まれた彼等は空の裂けガガプに入ることは基本的には自殺行為なのだ。

 それを見てデュランが手綱を引くと、まさに空が裂け、気流がそこにすべて抜けているかの如く、猛スピードで吸い込まれていく棘の雲海を混ぜた乱気流の寸前をウェルズが無理やり飛ぶ。翼の端々で気流が剥がれ新たな雲が生まれるほどで、がたがたと揺れる乗り心地とすぐ横から鳴り響く針の弾ける金属音は、これ以上なく最悪と言ってもよかった。空の裂け目ガガプ外縁をしばらく揺さぶられながら半周飛ぶと、今度はそこから一気に離脱しベネアの方へと飛ぶ。


「た、助かった」


 乱気流の揺れと棘の雲海の不協和音が収まりようやく一息つけたのは商人だ。


「お客さん、そろそろベネアだ。空賊から逃げたから追加料金で八千ガルド位だが、どうだい?」


 料金変更の場合はすぐさま話すのが礼儀である。料金でのトラブルは中飛では結構あることのためだ。


「むしろ千ガルド足すだけであんな体験ができたなら安いくらいさ……うぷ」


「まてまてお客さん! あとちょっと、あとちょっとだから!!」


 前方に、島を橋でつないだ島が見えてきた瞬間、商人が吐き気を催した。

 緊張が解けたせいか、今までの急制動や急旋回、急加速などの急の付く行動全部をやられていた商人の三半規管が限界を迎えたのである。ここまで何ともなかったように錯覚していたのは気張っていた故だろう。

 ベネアの交易部から少し離れた飛龍の発着用島にウェルズが着地する。木の板で補強された発着場の床が僅かにきしむが、気にすることなくウェルズは商人とデュランが下りられるように頭を下げ座り込んだ。

 商人がその場で安全紐を外して飛び降り、島の縁に手をかけて顔を乗り出した。吐き出されたソレは下の雲海へ向け落下してすぐ見えなくなる。

 その醜態は見るまでもなく、酔った人間の成す当然の行動と言える。

 そんな様子を尻目に、ウェルズは胸のトランクの荷物を降ろすため上体を起こし、中の荷物を紅蓮が取り出して商人に渡す。


「あーお客さんこれ、サービス」


 木の水筒を渡すと商人がそれで口を濯ぐ。吐き出されたそれもしたの雲海へ消えて行った。

 内容物が完全に出きったのか少し楽そうな顔になった商人に荷物を渡す。


「ありがとう……波乱はあったけれど、何とかなりそうだよ」


「それは良かった。本日はウェルデール・トランスポーターをご利用いただきありがとうございます! また御贔屓に!」


 荷物を大事そうに抱えた商人をそう言いながら見送るデュランは満足そうにウェルズの鼻先を撫でた。ウェルズは心地よさそうに鼻息を一息吐く。


「さて、これからどうするかウェルズ」


 ウェルズにデュランが問いかけると、ウェルズは少し島の端によって丸くなってしまった。


「あー休憩の続きな? わかったよ。じゃあ俺はなんか昼飯買ってくるから良い子にしてろよ」


 そう言って広場から本島へとつながったつり橋を軋ませながら歩いていく。

 ここは交易都市ベネア。

 島を木の橋で繋ぎ、交易の中心地として栄える貿易島。

 そこはまさに輸送の要である飛龍たちの集まる場所である。一時はあまりの飛龍の多さに島に問題が起きるほどだったが、ベネアの中心である商工会が発行したある物によって解決することとなった。

 ベネアのテプール商工会の発行するそれは飛龍の飛行許可証。普通は飛龍に乗る際、許可証は存在しない、龍を手懐けることがある種の免許と言えるだろう。

 新たに生まれた許可証。故に、この免許はこう呼ばれた。




――――――飛龍第二種免許ヴルムパスと。

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