第3話 不審死

 パーシヴァルの言う不審死事件――それはここ数ヶ月世間を騒がせている事件であった。

 まるで魂だけを抜かれたように、もしくは全身から養分を吸い取られたように干からびて死んでいる。そんな妙な死に方をする若者が街の様々な病院で発生していた。


 以前休憩時間に新聞を読んでいたブルーノは、その記事を目にした瞬間雷に打たれたような衝撃を受けた。

『まるで魂だけを抜かれたような』――それは紛れもなく両親の死亡に使用した表現だった。

 ブルーノは他になんの証拠もないのに確信する。この事件の犯人は自らの両親を殺害した犯人と同じだと。


 それからは可能な限り事件について調べた。主な情報源は新聞や雑誌。それらを読み漁り殺人の手段や犯人像を掴もうと足掻いた。しかしハッキリとした情報は掴めず、割いた労力の割に分かったことは些細なものであった。

 手段が不明瞭であり凶器の特定などもまだ出来ていない。そんな中ただ一つ分かったのは犯人は女性ではないか、という話がまことしやかに囁かれているということ。

 その理由は、病院を巡回していた警備員が一度だけ細い体に背中まで届く長い髪をもつシルエットを目にし、『あれは絶対に医師でも看護婦でも患者でもない。犯人だ』と断定したからなのだが……それが患者である可能性は否定できない。他の証拠がないまま事件の犯人と決めつけられない。

 犯人女性説はあっという間に広まったが、あくまでも警察は犯人が男性である可能性も考慮して捜査を続けているようだ。


 その事件の被害が、遂にアルフレッドやフェリクスが入院する病院にまで及んでいるということだ。


「あぁ、知っとる。新聞で読んじゃけぇの。……乾涸ひからびとったんじゃろ?」

「その通りであります。18歳と20歳の男女2名が二人。病院は謝罪文出しておりました。あと警備の強化をするとも」

「これでちっとはえい方に行くとええんじゃがのう……。犯人についても噂しかないしなぁ……」

「世に広まっている『女性説』というのも、本当かどうかは不明でありますから」


 ブルーノの言葉に同意したパーシヴァルは、無表情でコーヒーを喉に流して不安げに息をつき目線を泳がせている。数秒ほど逡巡し口にしたのは転院についてだった。

 どうやら彼の周りでは転院を考えている者が増えているらしいが、その予定の有無について投げ掛けられてもブルーノには首を振るしかできない。


「わしはまだ考えとらん。転院言ぅても時間かかるじゃろう? 今のところは……このまんまじゃの。もしくは他に施設でも見つかればええんじゃが。パーシーくんは?」

「自分は、一応以前から病院を探してはいるのですが、これがなかなか……」

「ほうか……大変じゃのう……。そういや、他の御家族は、なんて言ぅとる?」

「……祖父や父、長兄は皆、家で面倒を見ればいいと言っています」

「そうか……わしゃその方がええと思うが……」

「……そう、ですよね」


 顔を曇らせて溜息をつくパーシヴァルと同様に、ブルーノも痛む頭を押さえながら長く息を吐き、頭を悩ませる。

 このまま入院させることはアルフレッドを危険に晒す行為に繋がるのではないかと危惧しつつも、この騒ぎではどこの病院もてんやわんやだろう。それに、転院するにしてもどこに移ればいいのか。様々な要因が絡んで即決は出来なかった。

 コーヒーを口に含んで舌で転がすと、濃い色合い相応の苦味が広がって、ゆっくりと頭を覚醒させていく。

 その最中で、パーシヴァルの実家はかなり裕福であることを思い出した。


 パーシヴァルの実家である『アズマ家』は、この地域では有名な事業家だ。非常に裕福で資産もある彼の実家ならば、わざわざ転院させずとも、パーシヴァルの家族が言うように家にて医師を雇い面倒を見ることも可能だろう。なのに、何故すぐその手を取らないのか? 何故パーシヴァルは顔を曇らせたのか?

 質問を口にしようと薄く唇を開いて――止めた。アルフレッドとフェリクスは友人だが、ブルーノとパーシヴァルはさほど親しくはない。そんな者が家の事情にズカズカと踏み込むようなことをしたくはないし、向こうが話してくれているわけでもないのにこれ以上聞き出そうとするのは不躾だろう。

 二人の間を沈黙と妙な重苦しい空気が支配する最中、コツコツとした足音を立ててやってきた店員が軽食のセットをそれぞれ置いて去っていく。

 小さく礼を述べ、ブルーノは片隅に置かれたおしぼりで手を拭いてハンバーガーに齧り付く。程よく焼かれたバンズとそれに挟まれた肉の旨みや瑞々しい野菜を味わいながら口を動かした。漸く摂取できた栄養素を飲み下す。


「……まあ、もしフェリクスくんが転院するなんてことになりゃあ教えてくれ。せっかくアルの友人じゃけぇのぉ。あたぁあとは、そうじゃの、もし事件についてもなにかわかりゃあ言ぅてくれ」

「勿論であります。そちらも、もしなにかありましたら教えていただけたらと」

「あぁ、勿論じゃ」


 その後も事件について幾つか情報交換等を行ったが特段新しい情報もなかった。食事を終え、ご馳走になりました、と礼を述べたパーシヴァルを見送り重い足取りで店を出る。

 まるで心境を映したような芳しくない色合いの空の下帰宅すると、糸が切れたかのようにベッドに倒れ込み、目を閉じた。

 そのまま速やかに夢の世界に飛び込めたら良かったのだろうが、それよりもまずはぐるぐると今日の出来事が駆け巡る。

 アルフレッドとフェリクスのやり取り、パーシヴァルとの会話、転院、謎の不審死の事件に謎の犯人――自分が過敏なだけであろうことは分かっているが、普段の仕事だけでなく気にかけることが多すぎる。

 体が重い。頭が痛い。一人になってまた嫌なことを延々と考えて体が沈む。

 薄く瞼を開いてまた閉じた。目を閉じているだけでも休息になると思い出し、できるだけ好きなもののことを考えながらゆっくりと息をする。

 今回は珍しく緩やな眠気に誘われそのまま短い眠りに就き――ブルーノはそこで蝶と幼い少年という不思議な夢に浸る。昔どこかで会ったような気がする少年と、広い草原で言葉を交わす。落ち着いた場所で穏やかな心持ちになれる夢だったが、突如何かの衝撃で目を覚ます。

 カーテンを閉め忘れていた窓に目を向ければ、雨が窓を叩いているのが見えて、反射的に顔を顰め頭を抱えた。

 頭痛がいつもより酷くなるから雨は嫌いだ。眠れないと分かっていてもこのままもう一度ベッドに沈みたくなる。

 しかしここに世話をしてくれる誰かがいるわけではないのだ。夕飯も明日の準備も自らやらねばならない。深い溜息を吐きながらベッドから立ち上がった。




 同時刻、とある病院の一室のベッドにてフェリクスは、雨音を背景に分厚い本のページを捲る。

 目を落とす先、紙面に彩られた物語は佳境を迎える。作中で巻き起こった事件の要因となった黒幕が暴走し、これから一体主人公達はどうするのか――そんなところで、扉を軽く叩く音が響き、意識が引き戻される。

 フェリクスの返事を受けてこちらの様子を伺う看護婦に用件を訊ねると、彼女は言った。


「お兄さんが来ておりますが、通してよろしいでしょうか?」


 彼女の言葉を突っぱねてやろうか。そんな考えが頭を過ぎったが看護婦にぶつけるのは筋違いだと自らを諌め、笑顔を浮かべる。


「どうぞ。構いませんよ」


 頷いた看護婦が一旦扉を閉める。数秒後現れたのは、チェック柄のスーツベストを羽織った東洋人風の顔つきの青年だった。黒く短い髪と、赤みを帯びた茶の双眸がフェリクスの方を向く。

 青年は看護婦に礼を述べて扉を閉めると、指輪が嵌められた左手をひらひらと掲げて笑みを浮かべる。


「やあ久しぶり。元気にしてた?」

「失礼ですが、病室をお間違えでは? 僕は尚幸ナオユキなんて名前ではありませんよ」

「お前いつの間に改名したんだ? 扉の札も東の方の本名で書いてあるし、そんな話うちの人からなにも聞いてないぞ」

「伝えてませんからね」

「本当に改名したならちゃんと伝えろよ」

「えぇ、覚えてたら」


 青年を目にした瞬間、フェリクスの表情から笑顔が消える。アルフレッドと話していた際とは全く異なる言い回しを口にしながら、手元の本へと目を落とす。

 フェリクスの興味は物語へと向いていた。事件の黒幕はどうするのか、それを主人公達はどう制御するのか、この後の展開が気になって仕方ない。やはり看護婦の言葉を受け入れず帰ってもらった方が良かったんじゃないかと思うほどには。

 意識の外で青年が何かを言っているようだが、そんなのは気にも止めずページを捲る。しかし突然、本が手から取り上げられてしまった。

 驚きの声と共に顔を上げると、本を取り上げた青年が不満げに声を荒らげた。


「こーら尚幸。人が話してるんだから真面目に聞きなさい」

「…………はあ。……なんの用ですか東さん」

「冷たいなあ尚幸。昔みたいに『清武キヨタケ兄ちゃん』って呼んでもいいんだぞ?」

「呼んだ覚えありませんし、僕には貴方みたいな兄弟はいません。僕のきょうだいはシズ姉さんとパーシーだけです」

「悲しいこと言うなよぉ」


 フェリクスがあからさまな溜息と嫌そうな表情を向ける青年は、何を隠そう、フェリクスとパーシヴァルの長兄である。名は、東清武。

 どう見てもフェリクスから好意的な感情は向けられてないように見えるが、そんなことは意にも介さず振る舞い、笑みを湛えている。

 取り上げた本のページを送り眺めた彼は、特になにも言わずに閉じた本を片手に抱えた。どうやら今のところは返す気がないらしく、そのまま続けて話し出す。フェリクスを気遣う言葉から家の近況などなど。パーシヴァルの様子を伺う言葉がで始めたあたりで何度目かの溜息を吐いたフェリクスは突き放すように強く口にした。


「東さん。貴方まさかそんな無駄話をしにこんな所まで来たんですか? もしそうなら、今すぐに帰っていただけませんか?」


 その物言いは予想外だったのだろうか。僅かに目を見開かせて、軽い調子で謝罪をした後漸く本題をである提案を口にした。

 ベッドの脇にしゃがみこみ、フェリクスの顔を覗き込むように見つめて清武は言った。


「なあ尚幸。いい加減うちに帰ってきなよ。そうしたらお前を蝕む病も、足も、全て治してやるからさ」


 予想外であったその甘言は、病に侵された身からすればであれば大願であった。

 フェリクスの体は、幼少期より病に侵されていた。足は上手く動かず病は体を蝕み弱らせる。そのため長期の入院をせざるを得ない。外出も満足に行えず車椅子生活を余儀なくされていることは、致し方ないといえどとても不便であった。

 そんな生活から抜け出せるというなら抜け出したいと、常々フェリクスは思っている。

 だが、フェリクスはそれを断った。回りくどい言い回しなどせずに、きっぱりと。


「お断りします。僕は、あなた達のようなの手は借りたくありませんから」


 躊躇いなく吐き出された弟の言葉を受けて、清武はそれまで上げていた口角を下げると、とある単語を繰り返し呟く。

「悪党、悪党なあ……」そう何度か呟きながら手にしていた本を開き、どこかのページを眺めながらぽつりと呟く。


「尚幸にとってはさあ、俺達はこの話に出てくる悪役みたいな感じってことか?」

「そうですね。えぇ。あなたは悪党ですから」

「……どうして、そんなふうに思う? 俺、ここに出てくる悪役よりはマシだと思うけどなあ」

「…………だって、祖父さんも父さんもあなたも、言ってしまえばヤクザみたいなものじゃないですか」

「なんだ。やっぱ知ってたか」


 静かに溢した清武の瞳は、不気味に細められた。

 


 フェリクスは前述のように幼少期より不自由な生活を強いられていた。ただの移動でも周囲の助けを必要とし、調子が悪い時などは更なる手を必要とする。それがフェリクスはずっと気がかりだった。

 学生時代、フェリクスは学力はあるのだからと健常者と同じように一般の学校に通っていた。車いす故に迷惑をかけるのではと不安はあったが、同級生も教師も皆親切で誰もフェリクスを疎まなかった。だがそれは、フェリクスにとっては違和感しかなかったのだ。

 何故ならフェリクスは車椅子以外にも『東洋人』というどうしようもない問題があった。祖父母と父親が大和人で、母がエマリオン人。例えエマリオン人として『フェリクス・イェイツ』と名乗ろうが意味はない。差別が当然のように蔓延るこの国では、それを理由に心無い言葉が平然と投げられる。

 同級生が偏見なく接してくれていたのだと思うことができれば良かったのだが、彼等はフェリクス以外の東洋人には嫌悪を顕にしているのだから、なんとも妙なものであった。

 何故自分だけ? その答えは意外とあっけなく提示されることになった。


 同級生と言い争いになり殴られたある日のこと。保健室で手当を受けたフェリクスは、付き添いの者と共に帰宅しようとしていた。廊下を移動していた時のこと、教室の前を通りかかった際、とある同級生達の会話を耳にする。


『なぁ、あいつ、アズマにあんなことして大丈夫かな』

『どうだろなあ……正直、いつかやっちゃうって思ってたんだよなあ。あいつ、結構すぐ手が出るからさ……。でももし戻ってこなかったらどうしよう』

『残念だけど仕方ないんだろなあ』


 諦めたように吐き出された声とそれに同意する声に思わずハンドリムを動かす手を止め、付き添い人に目配せをすると、何故か困ったように頷いた付き添い人は足を止めた。

 フェリクスがいるなんて露知らず同級生達は会話を続ける。


『だってさあ、あいつの家ってやばい家なんだろ? なんたらいうヨーロッパのマフィアの幹部の家だとか』

『やっぱその噂本当だったのか?』

『らしいよ。お母さんに言われたんだよ。あの子の家はお祖父さんとお父さんがそういう組織の人だから、迷惑かけちゃダメって……』


――マフィア? 何の話?

 突拍子もないその話に耳を疑うが、付き添い人の明らかな焦りや表情の変化を見て、事実無根の話ではないと確信し、聞き続けることにした。

 彼等の話は唐突かつ衝撃的であることに変わりはないのだが、『何故自分だけ特別待遇なのか?』という大きな疑問を抱えていたフェリクスにとって、それは漸く納得できる答えであったのだ。

 皆フェリクスを気遣い優しくしていた訳ではなく、フェリクスの後ろに着く家を畏れていただけだったのだ。


「……なんだ、そういうことか」


 冷めた表情を湛ええ微かに呟いたフェリクスの後ろでは、付き添い人が悲痛な面持ちで立ち尽くしていた。

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