モノゴコロ

@rafa_jun

出会い① 自分の行先を案内する男

《《》》 長い夢を見ていた気がする。

 どんな夢だったかは思い出せない。

 体の倦怠感で長い時間眠っていただろうと悟った。

 しかし、まだ眠っていたい。

 現実から逃避したい気持ち。

 ……現実?

 ここはどこだ?

 意識ははっきりしてきたが、まだ目は開いていない。開きたくない。

 目が覚めたきっかけは体を揺さぶられたからだ。

 地震なんて、この日本じゃ珍しくない。そう思ったが、微細ながら体感できる振動は目が覚めてからずっと続いている。

 担架で運ばれている。というのは嘘で、車内だろうことがわかる。

 倦怠感の主原因は長時間の睡眠じゃなくて、座ったままという楽でもない姿勢でぐったりしていたからか。

 担架などという言葉を使ったが、身体のどこかの具合が悪い実感は無い。

 外傷は無い。痛覚とか神経が麻痺してなければ多分無い。

 だが、寒い。体温が低下しているのは衰弱している証拠だろうか。

 ここはどこだ?

 寝ぼけているのかもしれない。状況を確認しよう。

 目を開く。

 ……。

 いや、何というべきか。

 結論が出ない状況に陥って言葉を失った。

 でも、結論は出ているのか。

 ここはどこだ?

 自分の体を揺さぶっていたのは車で間違いなかった。

 しかし、これはバスだ。吊り皮に運賃を入れる箱、入り口用と出口用にドアが二つ。大型にしては静かに走っている事以外は何の変哲もなさそうなバスのような気がする。

 自分は車両の左手側の一番前に座っていた。

 ちなみに、他の乗車客は誰もいない。

 窓の外の景色は緑一色だった。何もない山道をカーブの連続で下っている所から何処かの峠を越えたのだろうと予測できた。

 そして、違和感を覚えた。

 今、バスで目を覚ました自分は何者なのだ?

 そこで思い出した。

 思い出せないことを思い出した。

「目が覚めたかい?」

 声を掛けられた。いかにもおじさんというイメージがぴったりはまる声だった。

「別に誰でもよかったんだ」

 物騒な事を言われた。

 特に返事を返したつもりはなかったが、男は喋り続けた。

「老いていても若くてもいいし、男でも女でもいい」

 自分は誘拐でもされたのだろうか。

 と、喉まで出かかった言葉は出さずに続きを言わせる事にした。

「誰が乗っても僕の役目は変わらないからね。僕は僕のやるべきことを確信しているだけさ。でも、君はどうかな?」

 受け入れてもらえるのか不安だったが、ありのままの結論を告げてみる。

「何も思い出せません」

 本当に何も思い出せなかった。

 言葉はわかる、状況もわかる。

 だが、自分のことがわからない。何も思い出せない。

 今さっきまで見ていたかもしれない夢の内容が思い出せないように、何を思い浮かべても「あぁ、そうだった」としっくりくる思い出に何一つ辿り着けない。

 好きな食べ物は?

 ……思い出せない。

 両親の名前は?

 ……思い出せない。

 今までの人生で一番嬉しかったことは?

 ……思い出せない。

「どうだい、生まれ変わった気分は?」

 長い沈黙をどう解釈されたのか、男の声は少し上機嫌に思えた。

「自分が自分じゃないような気分だけど、自分が誰かになるだなんてあり得ない。君はあくまで君なのだよ。とりあえず、何から知りたい? 君の身分かな、この状況かな?」

「身分でお願いします」

 知りたい事が多すぎるが、まずは自らを理解しない事には始まらないだろう。

 そして、この男は何を知っていて、どこまで教えてくれるのだろうか。

「自分の胸に聞いてみなさい」

「え?」

「やだなぁ、ジョークさ。胸ポケットとかに何か入ってないかい?」

 自分の服装は白の半袖ワイシャツに黒のズボンだ。いわゆる、夏向けの服装だ。ということは寒いと感じてるのは車内の冷房が強いのか。

 胸ポケットを探るより腕を大げさに擦ってみた。

 何故か口で伝える気になれなかった。

「ごめんごめん。冷房が強かったかな?」

 何故という言葉も出なかった。というより、立場的には乗務員と客って感じなのに、やたらフランクに喋ってくる男だ。男の服装は見れば乗務員にふさわしい服装をしている。角度的に表情は見えない。

 と、生徒手帳を見つけた。

 ん?

 他の所持品がない。何も持っていない。

 他のポケットを探ってみるが金銭の類も何も持っていなかった。

 ここバスだよな。降りる時どうしよう。

 生徒手帳は顔写真付きの身分証明書だが、そこに映っていた自分の顔は特徴的な部位がなくイケメンでもなければブサイクでもなかったが、自分では誰かにしか思えなかった。

 名前には鈴川文也と書いてある。

 学校の名前は県立麻神高校。生年月日的に……あれ?

「今日って西暦何月何日ですか?」

 最初に発した言葉がこれだった。

 軽い笑い声が漏れた後に男は西暦と年号の後に今日が八月二十日であることを教えてくれた。

 指を折って計算すると自分は高校一年生ということになる。

 指は折ったが暗算はできるようだ。

「君が何者なのか興味があるけど、今は聞かない方が面白そうだから何も言わなくていいよ」

 え?

「おじさんは自分のことを知らないのですか?」

「僕の役目は君を僕の町へ送ることだけさ。君のこと自体は何も知らない」

 自分が何者なのかはわかったが、状況が見えてこない。こういう時は何をどう質問すればいいのか言葉が迷子になる。

 でも、一つ引っかかった言葉を男が発したのを思い出した。

「生まれ変わったって言いましたよね?」

「おっと、鋭いね~。寝ぼけてるかと思ったが意識の覚醒は十分なようだね。僕が君に教えられるのは、これから向かう麻神町と呼ばれる特別区域へ引っ越すに当たっての経緯だね」

 男は淡々と続けた。

「まぁ、色々と混乱させるかもしれないが聞いてくれ。まず麻神町というか特別区域へ引っ越すにあたり今までの記憶を一部消去させてもらった。君の中で思い出として残っていただろうものは思い出せなくなっていて、それは見事に成功しているようだね」

「思い出だけですか?」

「消去したのは思い出だけで経験として生きる糧や能力となった部分だけ残ってる。パンツの脱ぎ方まで忘れられちゃ僕らも面倒見れないってものさ」

「特別区域って何ですか?」

「敢えて悪く言うなら収容所かな。君は病気を患ったんだよ」

「は?」

「君は病気を患った。だから、それを隔離するために特別区域へ引っ越すことになった」

「病気ですか?」

「そうだね。特別な病気だね。君自身は自分の身に何か不自由を覚える感覚はあるかい? 見た目は五体満足だけど、身体のどこかが動かせないとか聞こえない、見えない、匂わない、といった感覚だ」

 それを聞いて各部間接を色々な角度へ動かしてみるが違和感はなかった。

「僕から見たら君は何の病気も抱えてなさそうな健康的な青少年だ。しかし、病気を患った。それも特別なものだ。特別区域は国家規模で研究しているその病気を解明するための場所だ」

「肉体的でなければ精神的な病気なのでしょうか?」

「どうかな? 人によってそれは違うんだ」

「研究している病気は一つじゃないと?」

「『第六感変性症』という呼称で統一されているよ。僕も含めて特別区域の人の大半はこれを患っている。その症状の現れ方が人によって異なるが、命に別状はないことだけが唯一わかっているらしい」

「だいろっかんへんせ……え?」

「目からビームが出る、手から火を吹く等といった魔法の類だったら愉快なんだけどね。現実はもっと地味なものさ」

「おじさんはどんな症状なんですか?」

「僕の場合だと『左に曲がる事ができない』だね。な、地味だろ?」

 自分がこの男と同じ病気だと実感は何一つ沸かなかった。

「ハンドルを左に切れないわけじゃない。一本道であればハンドルは自由に動かせる。だけど、交差点とかで僕は左含む方向へ曲がる事ができないんだ。左に曲がろうとすれば眩暈や吐き気を催すが気を失う程ではない。でも、こんなことは特別区域の外では誰も信じてはくれないし、理解もしてもらえない」

「国に認可した病気なのに、ですか?」

「この病気は特別区域の外では公表されていないんだ。門外不出の情報規制がされていて、他国でもこれと同じ病気があることは聞いたことが無い。世界のどこかに僕らと同じ病気を持つ人がいるとは思うけど、どの国もこの病気を隠し続けているようなんだ」

「だから記憶を消去したと?」

「君の場合は例外だよ。特別区域の外でこの病気を認めることは稀なんだ。そして、記憶を消去するのは特別区域から外へ出る時だけで入る時に記憶をいじることはない。あ、記憶を消去したのは僕じゃないからね」

「自分から記憶消去を望んだということですか?」

「そういうことかもしれないね。特別区域の外で何かあって君は国から『第六感変性症』であることを認められた。君は隔離のために特別区域へ召致されたが、その必要性が無いにも関わらず君は自ら記憶消去を望んだ。そして今こうして輸送中というわけだ。君に何があったのかは知らない」

「自分の症状というものも?」

「うん? 症状の自覚がないのか? 記憶消去で症状の自覚も消えちゃったのかな。そういう仕様なのかもしれない。それだったら症状ぐらいは僕に教えておいてくれないと駄目じゃないか。僕は君の記憶が消されたってことしか知らないんだ。何の症状か自覚がないと不便だろう?」

「もちろんです」

 即答した。自転車でも乗ってる最中に眩暈や吐き気に襲われたら事故でも起こしかねないじゃないか。

「でも、僕は本当に何も聞かされていないんだ。第六感変性症はその症状を検査することができないんだ。あくまで自己申告からでしか証明する手段がない」

「それで認めてもらえるものなんでしょうか?」

「もしかしたら君は患ってはいないって可能性はあるよ。特別区域内では誰でも最低限の生活を援助してもらえるシステムがある。特別区域の秘密を知ってる外の誰かが君を保護する目的があるのかもしれない。だとすれば、君は本当に例外中の例外になるけどね」

「記憶を消去した理由と繋がらないじゃないですか」

 自分の記憶は誰に何の目的で消えてしまったのだろうか。その記憶は取り戻すことができるのだろうか?

 しかし、自ら望んで記憶を消した可能性もある。それなら、この記憶は取り戻さない方がよかったりするのだろうか。

「そうなんだよねぇ。だから、君は例外なのさ。特別区域の外でよっぽどの事が起こったのだろうけど、真相は不明で君の症状も謎。いやぁ、実に面白いじゃないか」

 男はまた笑い声をあげた。

「自分は全然笑えないのですが」

「とりあえず、君の病気である『第六感変性症』には僕のような『左に曲がれない』といった行動制限が一つ存在する」

「一つだけですか?」

「そうだね、これから向かう特別区域内の人口約七万で、その半数近くがこの病気であると認められている。しかし、制限行動が二つ以上ある人の例は聞いたことが無いね。一応これでも僕は偉い立場の人なんだ、特別区域の外の事だからか君のことは知らないけど、特別区域内での事で僕が知らないってことはほぼ無い。ここは信用してもいい」

「そして、行動制限を破ると眩暈や吐き気に襲われる?」

「いや、そこは人によって異なるんだ。悪寒とか頭痛とか色々あるけど気を失う程じゃないとしか判明していない。行動制限と罰則、第六感変性症の特徴はこの二つだと覚えておいてほしい。もちろん、君がそもそも病気じゃないってことに越したことはないけどね」

「自分はこれからどうすればいいのでしょうか?」

「そうなんだよ。ここからが僕の本当の役目ってわけだね。特別区域内外への案内人としてね」

 それにしてもテンションの高い男だ。上機嫌な口ぶりは自分を緊張させない気遣いなのだろうか。

「君は特別区域内の住人になる。見たとこ学生っぽいから、学生らしく青春すればいいのさ。僕たちから何等かの命令が下されることはない。あ、でも一つお願いしてもいいかな?」

「はい?」

「これから君が向かうのは特別区域の外から来た人だけが住むマンションの一室だ。その隣には二か月前に君と同じように外から移住した女の子が住んでいる。その子に君の面倒を見るようにお願いしてあるのだけど、気難しい子だから君が逆に面倒を見ることになるかもしれない」

「わかりました」

 この男は役目を終えた。そう判断したら後は首を縦に振るだけだった。

「いやに理解が良すぎないか? 何か質問とかないのかい?」

「そう言われましても」

 わからない事がわからない、というのが現状だ。少なくとも、この男から引き出せる情報は全て得たはずだ。

「君は今一人だろ。両親とか気にならないのかい?」

 今の自分にとっては目に入る全ての情報が真新しい。

 疑うことを知らないわけではないが、そういうものだと受け入れてしまう自分は異常だろうか。

 ここがどこかもわからなかった場所から目的の無い人生を「よーいドン」と言われて踏み切れる自信はどこから沸いてくるのだろうか。

「君は生まれ変わった。追いかけるべき背中も無く、背負っていたものも無く、しかし、前へ進む足だけは残った。これから君が誰と出会い、何を思い、何処へ辿り着くのか。応援させてもらうよ」

 あれ?

 このバスに決定的に不足しているものあることに気付いた。

「ボタンが無い」

 今日一番の笑い声が響いた。

 バス停に降りることを告げるボタンが見渡す限り無い。そもそも何故自分一人の送迎がこんな大型バスなんだ。

「上を向いてごらん」

「あ……」

 天井部にたった一つだけボタンがあるのを見つけた。

 運転中ではあるが、席を立ちボタンを押しに行く。行先は決まっているし推す必要がないのはわかってる。だけど、このままだといつまでも揺られるだけのような気もした。

 手すりから手すりへ、バスの中央部へ着いて手を伸ばす。

 が、

「と、届かないじゃない……か!」

 最後はつま先で立つまでした。基準はわからないが自分の身長って低いのだろうか。

 響いた。

 何がって?

 男の笑い声だ。

 かなり長い時間堪えきれないといった様子だったが、落ち着きを取り戻したかと思えば声のトーンはやたらと重かった。

「どうしようなもない何かが君の行き先を塞ぐこともあるだろう。今の君には何もない。だからこそ、いざって時には正しく自分と向き合ってほしい。これが僕からの人生の先輩として最初で最後のアドバイスだ」

「今だって自分の胸へ散々問い詰めてたつもり……です!」

 カーブ手前で減速するタイミングを狙って床を蹴った。

 ボタンのランプが点灯した。

 ブザーが鳴り、それを勝利のファンファーレと満足の余韻に浸ろうと思ったが、

「はぁぁ!?」

 点灯したランプに浮かび上がった文字は「とまりません」だった。

 男の笑い声が響いたのは言うまでもなかった。

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