#君・僕・死で文を作ると好みがわかる らしいから小説書いた
「お兄ちゃん、忘れ物忘れ物!」
どたどたどた、と妹がリビングから走ってきた。
レースのついたクマさんのエプロンを揺らしながら、その手には黒い携帯を持っている。
「もー、どうやったら携帯を忘れられるの? ゆかり、信じらんない!」
妹は自分を名前で呼ぶ。小さい時からのだ。
親は高校に上がっても治らないこの癖を嘆いていた。俺は、そのままでいいと思う。
「ごめんごめん、ありがとう」
苦笑すると、妹はもう一度、もーしっかりしてよね、と唸った。
ぷりぷりと顔をしかめながら、けれど態度は柔らかい。
「はい」
と手渡してくれる。
受け取ると、妹は心配そうに肩を落とした。
「お兄ちゃん、本当に大丈夫? お仕事、休みにならないの?」
最近、毎日こんな言葉を聞く。
特に昨日は寝る直前まで問い詰められ、職場に電話をかける勢いだった。
無理もない。それほど、最近は物騒なのだ。
『十七日未明に遺体で発見された——』
テレビキャスターが、また一昨日の事件について話している。
その日、このあたりの商店街で裸の女子高生が横になっているのが見つかった。
一番初めに店を開けた布団屋の店主が彼女に気づいた。七十代ほどの男性によくあるように、彼もまたそれなりの頑固オヤジだった。
当然、淫らな格好で場所もわきまえず眠りこけている彼女を叱りに行った。
だが、何をしても起きない彼女を不審に思って通報し、調べてみると寝ていたのではなく死んでいた、ということらしい。
死因は窒息死。首を絞められた跡があったという。
「仕方がないよ、仕事だから」
僕だって休みたい。怖いとか関係なく、仕事をしたくないから休みたい。
だが、現実はこの通りだ。
近くで殺人事件が起きようが、お構いなし。
「……何かあったら、絶対連絡するんだよ? 携帯、どっかに置いてきたりしたらダメなんだからね?」
そして、彼女の高校は本日休校のメールが昨夜届いた。
当然だ。この事件が初めてではないのだから。
「気をつけるよ」
行ってくるね、そう言って家を出る。
普段なら、この時間になるとランドセルを背負った子供やセーラー服を着た女子校生が歩いている時間だ。
だが、今はうつむきがちのサラリーマンと、時々通る車が世界の異常さを物語っていた。
ふと、空を見上げる。
この空の下に、そして多分、すぐ近くに、連続殺人鬼が息を潜めている。
それは恐ろしいというよりも、とても奇妙なことのように思えた。
実のところ、俺が職場にいて何か意味があるのかはよくわからなかったりする。
「おい、ぼさっとしてんな!」
叫び声が聞こえて、顔を上げる。
「は、はいっ」
叫びかえして、荷物を運ぶ。
サービス業、の裏方。それが俺の仕事だ。
人前に出る仕事はやめた方がいい、というのは妹の進言だった。
そして事実その通りだった。
知らない人の前に出ると、口が回らなくなる。ちょっと普段と違うことが起きただけで頭が真っ白になる。
一ヶ月も持たなかった。
もっとも、それは単に合わないというだけではなかった、というのも今になればわかる。
何せ、今の仕事もそれこそ死ぬほど嫌々やっているのだから。
世に言う、向上心がない、というやつなのだろう。
「もっと早く動け!」
また、怒鳴られる。
「はい」
けれど、もっと早く動いた結果、とんでもないミスを連発したことがある。
これが限界。
駄目な人は、駄目な人なりにやるしかない。
ただ、俺はあの上司が去年の健康診断のときに血圧が高すぎる、とぼやいていたのを知っている。
どうしようもないことだが、それだけで少し心の平穏を保つことができる。
妹に世話を焼かれるわけだ。
仕事をしている間、時間はとてもゆっくり流れているように感じる。
けれど、終わってしまうとあっという間だったような気もしてしまうのが人間というものらしい。
暗い空を見上げると星が出ていた。
いずれにせよ、時間は流れている。妹が心配し出さないうちに、帰らなければ。
そう思いながら携帯を見て、もう遅いか、と苦笑した。
いつ頃帰ってこれる? 大丈夫? そんな内容のメールが、昼過ぎから二十数件も届いていた。
今から帰るよ、大丈夫だよ、とメールを送って歩く。
本当に大丈夫だろうか、とふと思った。
もちろん、大丈夫ではなかった。
「……えっと」
一時間後、俺はどこだかわからない場所にいた。
きっかけは、妹が突然買い物に行く、とメールをしてきたことだった。
学校の宿題で工作をしていたら、カッターナイフを切らしてしまったのだと。
妹は切り絵が趣味だから、そういうこともあるのだろう。
殺人鬼がいるかもしれない中、当然妹を一人で外に出させるわけにはいかなかった。
俺が買いに行く、と言い張ったのが、一番の失敗だった気がする。一度家に帰って、妹と一緒に買いに行くべきだったのだ。
コンビニでカッターナイフを買ったあと、しばらく歩いていたらこのザマだ。
どうしよう、完全に迷ってしまった。
見透かしたように、妹からメールが送られてくる。
『お兄ちゃん、ちゃんとカッター買えた? ちゃんと帰ってこれてる?』
カッターは買えたけど、ちゃんと帰ってこれてないです。
『どうしよう、迷った』
『もー、お兄ちゃんたら…携帯で地図見たら?』
妹の反応に、苦笑する。ぷりぷりと怒っている表情が目に浮かぶ。
しかし、地図か。それは思いつかなかった。
『あっ、そうか! そうするよ』
打ち込んで、地図アプリを開く。
ついでなので、現在地から家までのナビゲーションをしてもらうことにする。
その時、妙な音が聞こえた。
今まで、全く聞いたことのない音。
ただの雑音。そう思えなかったのは、それが人の呻き声に聞こえたから。
もっと正確に言うならば、ゾンビの呻き声。
気がついたら、音の出所を探していた。
そして、すぐに後悔した。
電灯の少ない、真っ暗な道の角。
そこにいたのは、一組の男女だった。
古びた塀の前で向かい合っている。
やっているのが、壁ドンだったら絵になっていたと思う。
男が、上半身裸の女の首を締めていた。
ひ、と俺の喉から音が出る。
多分、それを聞かれたのだろう。
まず女と目があった。
涙と涎を流しながら何かを訴えようとしている。
何を、というのは考えなくてもわかった。
だが何か行動を起こそうと思うより前に、男と目があった。
端正な顔立ちの、青年。
その顔は、笑っているように見える。
人の首を締めながら、笑っている。
それに気づいた時、俺は回れ右をして走り出していた。
メールが送られてくる。
『もー、心配だなぁ』
地図以外は見ていなかった。
とにかく、ナビゲーションの通りに走る。
いや、本当に走っているのかすらよくわからなかった。
恐怖で、魂だけが体から抜け出して走っているような気さえする。
けれど、俺の体はきちんと走っていた。少なくとも、抜け出した魂にちゃんとついてきていた。
目の前に、我が家。
電気はついている。きっと妹が携帯を片手に俺の帰りを待っているはず。
妹が。
「——ッ!」
失敗した。
家には、妹がいるのだ。
今家に帰ったら、妹も巻き込むことになる。
思わず後ろを振り返る。
わからない。物陰に誰かがいるような気もするし、誰もいないような気もする。
目眩がする。
呼吸が、呼吸が止まらない。
だが、今倒れるわけにはいかなかった。
倒れれば妹が殺される。その光景が、脳裏に焼き付いた。
走る。
もう、携帯なんて見ていられなかった。
手の内で何かが震えたことに気づいた。
訳がわからなかった。
走りながら見ると、そこには携帯があった。
画面には、ゆかりの文字。
一瞬、記憶が飛んだ。
気がついたら携帯を耳に当てていた。
「ゆ、ゆ、ゆかり!」
絶叫する。
笑い声が聞こえた。
全身に毛虫が這い上る。
胃が、反り返る。
男の声だった。
「どうして逃げたのかな?」
ゆっくりと、男が言う。
「あ、う、あ」
言葉が出てこない。
何か言わなければならないのに、正しい言葉が浮かばない。
男の顔と、上半身裸の女の目が、頭の中でぐるぐると空回る。
また、男が笑う。
そして、魔女のように高い声で言った。
「まあいいよ。君の代わりに、この子が死んでくれるんだって。いい子だネェ、可哀想だネェ。僕だったら、止めに行くんだけどナァ」
その言葉はまるで、雑音のように思えた。
「ゆ、ゆかりに、何を」
答えは、くぐもった呻き声だった。
うう、ぐう。
ゆかりだ、と気づく。
「まだ死んではないよぉ、よかったね?」
男が笑う。電話が切れる。
思い浮かべたのは、カッターナイフだった。
買ったばかりのそれを、パッケージから取り出す。
ポケットにしまって、ふらふらと来た道を戻った。
家は静かだった。
物音一つしない。
そのくせ明かりはついていて、生きた人間の息遣いを感じる。
嫌な気持ちになるくらい、不気味だった。
気配がして、リビングに向かう。
濃厚な、カレーの匂い。
「やあ、待ってたよ」
瞳孔を開いて、顔を赤らめている男と、
「……ゆかり!」
妹が、テーブルについていた。
いや、つかされていた。
「お、おにいちゃ……」
身体中が、傷だらけになっている。
細い、一直線の傷の全てから、だらだらと血が流れている。
それで初めて、テーブルの上に食器と一緒にナイフが置いてあることに気づいた。
う、く、と妹が喉を鳴らす。
「なんで、こんな……」
顔まで傷が付いている。かわいい顔が、めちゃくちゃに……。
「この子に、君が死ぬって教えてあげたんだ。そうしたら、ゆかりが死ぬからお兄ちゃんは殺さないでって言ったんだ。いい子だよネェ、感動しちゃったよ」
ゆかりはいい子だ。
こんな目にあってはいけないくらいに。
「でも、この子のために君は来てくれたわけだし、やっぱりそっちの気概を買おうかな?」
男が立ち上がり、ナイフを手に取る。
俺もポケットに手を入れる。
そして、
「おっ」
近づいてきた男に、カッターナイフを突き刺した。
「……すごいネェ、君も」
それが男の最後の言葉だった。
抜いて、刺す。抜いて、刺す。
刃が折れたらその都度出して、そして刺す。
それを繰り返していると、いつのまにか男はただの肉塊になっていた。
「お、お兄ちゃん……」
声が聞こえて、ゆかりを見る。
う、う、と合間に声を出す妹。
その顔は、こっちを見ていない。
ああ、そうだ。どうしてこんな、どうでもいい肉塊に構っていたのだろう。
「どうしたの?」
と駆け寄る。
「ごはん……食べよ?」
妹の言葉に、うん、と頷く。
テーブルについてカレーをしばらく眺めてから、ご飯食べている場合ではない、と気がづいて携帯を取り出した。
##君・僕・死で文を作ると好みがわかる らしいから小説書いた アスカ @asuka15132467
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