◆男と女とコークスクリュー。




「お前は…僕がもともと柿が嫌いなの知ってるだろう?今更柿にアレルギーが出たところでなんとも思わない。嫌いで食わないんだからなんの問題もないのさ。知ってるよな?」





「…はい。それはよく知ってます。でも、僕が先輩の柿嫌いを知ってて、牡蠣のアレルギーを知ってたとしても、実際それを知る方法はあるんじゃないですか?」





 中島は未だに犯行を認めようとはしない。


これ以上言い逃れを繰り返す事に意味があるとは思えないのだが…。





「ふむ…確かに僕が救急車で運び困れる所を偶然見かけただとか、それを見た人から偶然僕の話が出ただとか、偶然僕が運ばれた病院の関係者と話す機会があって偶然僕の話題が出ただとか紅茶君の家に盗聴器を仕掛けるだとかいろいろ知る方法はあるだろうな」





 ぴくっ、と中島の肩が震えた。





…盗聴器…?


仮にそれが正解だったとして、そんなチャンスはあっただろうか?


いや、奴が家に来たのが紅茶が居る時だけとは限らない。





俺達が外出中に来て盗聴器などを仕掛けていく事は可能だろう。


それか紅茶の母親に聞き込みと称して家に上がり込んだ可能性だってある。





「そこまで言うのならそれなりの証拠はあるんでしょうね?」





「当然だろう?紅茶君の家の中から既に五つ程の盗聴器を発見している。それらを調べていけば入手経路が解るだろう。そうすれば自ずとお前に辿り着くだろうよ」





「…ハッタリですね。先輩は昔からいつもそうだ。さもそうであるかのような口ぶりで相手を脅迫するように自白を促そうとする」





「おや、バレてしまったか。確かに今の僕の発言は全部が正しいという訳じゃない。いつ購入したものかも分からないしな。運が良ければ犯人に辿り着くだろうが…その辺は五分五分といったところか」








「それなら僕が犯人とは断定できませんよね?」





 中島は余裕が戻ってきたのかヘラヘラと薄ら笑いを浮かべている。


相変わらず気に入らない奴だ。


そもそもこいつは最初に会った時からムカつく奴だった。


それがまさかカナメ…珈音最本人だったとは。


こんな奴に俺は、そして紅茶はずっと振り回されてきたのか。





改めて中島に対して殺意が沸き上がる。





「残念だが…警察の総力をあげて先ほど購入先を突き止めたところだ」





 公園に、聞き覚えの無い声が響く。


低く、それでいて良く通る声だった。





「さ、坂本…さん」





「おぉ、早かったじゃないか。正直僕は警察の捜査力を舐めていたかもしれないよ。そこまで特定できるかどうかは賭けだったからね。万が一の場合は証拠捏造も止む無しかと思っていたのだが」





 今捏造って言ったかこの探偵…。


恐ろしい事をさらっと言ってのける奴である。





「急に夜中に電話でたたき起こされたからな…内容が内容だけに俺達も動かないわけには行かないさ。しかも身内の不祥事となれば尚更だ。しかしまさか貴様が犯人だったとはな…」





「はははははっ…坂本さん、随分先輩と仲がいいじゃないですか。貴方達は犬猿の仲だと思っていたんですけどね」





 中島は額に片手を当ててまいったまいったともう片方の手で膝を叩く。





「俺達だっていつまでも昔のままじゃないって事さ。お前みたいな奴を掃除しなきゃ今の警察は変わる事ができないからな。…それにしても今日は彼女の親御さんに挨拶に行く予定だったんだぞ…?これで俺の人生が狂ったらどうしてくれるんだ畜生め…」





「なっ、お、お前彼女なんかいたのか?嘘だろ…」





 どうやら中島よりも探偵の方がダメージを受けたようだ。


それは失恋したというよりも先を越されたとか、信じていた相手に裏切られただとかそういうような様子に見えた。


…知った事ではないが。





「そりゃ俺だって恋愛くらいする。結婚を前提に付き合っててな、やっと結婚の目途がたってきたから相手の親に挨拶しに行こうと予定を立てていたのに…なんでよりによって今日なんだよ。とにかく急げなんていうから今日は一日丸潰れだぞ」





「そ…それは、すまなかったな。まさかお前が…そうか、お前がな…」





 探偵がその後ぼそりと、「お前は僕をどこまで置き去りにしていくんだ」などと呟いていたが、どうやら俺にしか聞こえなかったようだ。





探偵は探偵で何かしら人並みに悩みなんてものがあるのだろう。





繰り返し言うが知った事ではない。








「しかし中島…お前、なんだってこんな事を…」





 先ほどやってきた坂本とやらが、まだ信じられないといった様子で中島に問いかける。





「…ここで、僕が紅茶ちゃんの事が大好きでストーキングしていただけだ、殺人事件なんて知らない…と言ったところで意味がないでしょうね…」





「まぁ、言うのは勝手だが誰も信じる事はないだろうな。ここらで全部吐き出しといた方がいいぞ。事情によっては情状酌量が可能かもしれない」





 坂本は、せめてもの慈悲だと言わんばかりに中島に訴えるが、そんな事はどうでもいいと奴が突っぱねる。





「僕はね、ここで先輩が事件を解決しようと言い出した時点で諦めはついてるんです。この人がそう言えば事件は解決するし、万が一僕が今日この場を乗り切った所でどこかから証拠を見つけてくるに決まっている。疑われた時点でもう終わってるんだ」





「…おいおい、それは流石に買い被りすぎだろう。僕だって無い証拠を見つける事はできないさ」





「無い証拠を作り上げる事は出来るくせに」





 中島は、ゆっくりとすっかり暗くなり星が見えている空に顔を向ける。





探偵は、「そんな事をしたら探偵失格だけどな。やらなきゃいけないと判断したら迷わずにやるが」と少し悲しそうに言った。





この探偵にとってそれは敗北を意味する。


脅しで言うならともかく、実際にそれをしてしまったら自分の探偵としてのプライドが崩れてしまうのだろう。





「まぁ、仮に今この場で証拠が揃わなかったとしてもお前の家を家宅捜索でもすれば事件に関係する物が出てくるだろう。黒い雨合羽だったり凶器だったりな」








「…ご明察です。自分に疑いが向く時の事など考えてもしょうがないですからね。家を探されたら一発ですよ。だから僕は先輩が事件に絡むのが嫌だったんだ。身内も迷わずに疑う女ですからね」





「中島、それは褒め言葉と受け取っていいのか…?まぁそんな事はどうでもいい。僕には今回の動機が腑に落ちないんだが、なぜこうまで紅茶君を追い込むようなまねを?」





「僕が自供した所で罪が軽くなる事は無いでしょう。…だけど、そうですね。ここにいる人達には教えておいてあげますよ。何故僕が一連の殺人を犯すに至ったのかを」





 そんな事はいいから早くぶち殺したい。





…と、言いたい所なのだが、確かに興味がある。


どうしてカナメは、そこまで紅茶に執着していたのか。





俺もカナメだから、紅茶に対する気持ちが同じなのかどうかというところに興味がある。








「…まずは昔の事から話しましょうか。僕は幼い頃、坂の上に住んでた紅茶と仲が良かったのは知っての通りです。ただ、彼女の父親を殺した理由は、少し違う」





 坂の上に住んでた…?


まさかこいつあの婆さんの孫なのか?


だとしたら、それを探偵が調べてない筈がない。


祖母に会いに行っていた事を探偵は知っていた。


なら、この探偵は…おそらく中島が生きている事も、こいつがカナメ本人だった事も、状況証拠だけじゃなくきちんと解っていたのだろう。





「僕が紅茶の父親を殺したのはね、単なる嫉妬ですよ」





「嫉妬だと…?」





 口を挟まずにいられなかった。


あまりに、予想外の言葉だったから。


同じカナメとして理解の外だったから。





「君には分かる筈だよ。同じカナメならわかる筈だ。僕はね、あの父親が紅茶を育ててどうするつもりだったかなんて当時知らなかったんだ。ただ、あのクソ野郎は紅茶に暴力を振るった。僕の目の前で」





 そこまで言って中島は昔を懐かしむように目を閉じる。





「…それで、彼女を守るために?」





「違いますよ。坂本さん、貴方は何も解ってない。あの父親はね、紅茶に暴力を振るうけれどそれは気に入らないからとか、そういう理由じゃないんんだ。あの人は…ただ紅茶の脅える顔が見たかっただけなんだ。そういう、腐りきったクソ野郎だった。あの日、僕が紅茶の家で一緒に遊んでいた時だ。トイレに行って帰ってくると、外出から帰ってきた父親が僕の事に気付かずに紅茶の頬を叩いた。とても計算された、痛みというより恐怖を与えようとする身振りの大きな、それでいて力の加減された平手打ちだった。僕は、僕はその時の紅茶見て、」





 この男





ダメだ、やっぱりこの男は





殺さないと。





「欲情…したんです。紅茶の脅える顔は本当にたまらなく愛おしくて。それがあの父親が引き出している物だと分かると嫉妬で狂いそうでした。こんな男にこれ以上紅茶のあんな姿を見せたくなかった。僕以外に、見せたくなかった。だからあいつに気付かれないようにキッチンから包丁を借りてきて、必死に襲い掛かりました。でも相手は筋肉隆々の大男ですからね。簡単にはいかなかった。僕は大怪我をしてしまいました。その後は親が体裁を保つ為に無理矢理…。転院した先で回復した僕は村に帰りたかった。でもそれを親は許さなかった。僕はもう死んだ事にしたから村で過ごす事は出来ない。そう言われた僕は絶望しました。大人の都合で紅茶と引き離されたんです。そこからは毎日が地獄でしたよ。本当に、地獄のような日々でした。こっそりね、女の子を脅えさせるような事をした時もあったんんですよ。でも、僕は何も感じなかった。悪いとも思わないし、欲情もしなかった。紅茶じゃなきゃダメだった」





 中島は止まる事なく一気にそこまで語ると、呆然とする俺と坂本と緑茶女をちらっと眺め、満足そうな顔をした後…表情を変えずにいる探偵にイラつきつつ先を続けた。





「生きる意味を失った僕は死人のような日々を送り、一緒に住むようになった両親の命令で優等生として過ごします。やがて警察官になり、両親がそれぞれ病気で他界してやっと自由になりました。それでも…心にぽっかりと穴が開いている感覚がある。。そんな時ですよ。偶然、本当に偶然紅茶と再会したのは。…と言っても、こっちが一方的に気付いただけなんですけどね。何の事件の時だったか…捜査の過程で高校生の取り調べをした時にね、そいつの携帯電話の中に名前があったんですよ。紅茶なんて名前そうそうないでしょう?まさかと思って遠目に確認しにいきました。大きくなっていたしほとんど面影はなかったけれど、僕にはすぐに解りました。あれは紅茶だ、僕の紅茶だ、と」





 何が僕の、だよ。


紅茶は俺のだ。





「暫くは遠目に見ているだけでよかった。だけれど、あの子は昔の事なんて一切気にしていないように明るく元気に日々を過ごしていて…僕はどうしてもまた彼女の脅える顔が、恐怖に歪むあの顔が見たくなった」





「成程な。それで彼女をストーキングしているうちに大樹がラブレターを送った事を知ったのか」





 探偵はもう頭の中で事件の全貌が見えたらしく、しきりに頷いては「さすがにその動機は推測しきれなかった」と悔しそうだ。





 中島はそれを見てようやく満足したらしく、さらに機嫌良く語り続ける。





「そう、そうですよ。あの男が紅茶の家に封筒を放り込んで行くからすぐに中身を確認してやりました。そしたらラブレター。呼び出しの内容が書いてある。僕は苛立ちや殺意よりも、こいつは使える。と思いました。紅茶に告白する奴も手紙を送る奴も今までに何人かいましたけど、必ず紅茶は呼び出しには応じる。なら、呼び出し場所で呼び出した奴が死んでたら?嫌でも昔の事件がフラッシュバックしていい表情が見れるはずだ。僕は大樹を殺害してビデオカメラを片手にワクワクしながら待ちました」





 クソ野郎が。


むしろ何故紅茶のストーキングをしてた癖に俺の存在に気付かなかったんだ?





…いや、もともと俺が出てくるのなんて不届きな野郎どもをボコる時くらいだったからな。


しかも大抵の場合あたりが暗くなってから短時間で一気に。がモットーだったため見つからずにすんでいただけかもしれない。





「そしたら…現れた紅茶は驚いてはいたけれどまったく脅えた様子は見せませんでした。恋に破れたような気分ですよ」





 当り前だ。


あの時殺害現場を見たのは俺だからな。





「だから、次はもっともっと素敵な現場を見せてあげないといけないと思って頑張ってみたんですよ?でも、それでも紅茶はまったくといっていいほど脅えなかった。まさか紅茶じゃなかったなんて思わなかったですけどね。ほんと彼女の中にいるカナメ…なんか変な感じですね。奴のおかげで僕の計画は最初っから狂ってしまった。だけど、家に仕掛けた盗聴器からは脅えた紅茶の様子が聞こえてくるんです。僕は、どうしてもそれを見たくなった。そんな時です。彼女の育ての親、水江さんから記憶を失っていると聞いて…だからダメなんだ。早く記憶を取り戻させないと、と思いました。だから先輩から言ってもらおうと思って相談したんですけどね、あれは失敗でしたよ。ほんとに…」





 俺はもう、聞いていられなかった。


もしかしたらこいつも何らかの信念があって、紅茶を守ろうとか、そうじゃないにしても理解できるような理由があるんじゃないかと


そんな気がしたのだが。





こいつはやはり殺さなきゃダメな奴だ。


今後こいつが逮捕されたところでいつかは出てくるかもしれない。


その時の事を考えると、存在を抹消しておかないと安心できない。


俺もいつまでいられるか分からないのだから。








「お前なら分かるよな?お前も僕と同じカナメなら分かるだろう?お前だって、紅茶が鳴き喚く姿に欲情するんだろう?解ってくれるよな?お前は僕なんだからさぁー!」








 …。





幸いな事に探偵は俺のナイフを奪わなかった。


律儀に折り畳んで俺に返したので、それを探偵に気付かれないように後ろ手でカチリと刃を出す。





一撃だ。





一撃で殺す。





俺は踏み込む右足に全力を込めて、一歩。


ただ一歩で中島の目の前まで飛ぶ。





探偵も坂本とやらも緑茶女も反応できない。


中島だけが、俺の手元のナイフを認識してニヤついた顔を硬化させた。





『ダメ』





 …っ!





「びっ、びっくりしたー!死ぬかと思った!」





 俺は一瞬、金縛りにあったように身動き取れなくなった。





その一瞬で、中島は俺から離れる。


探偵が俺に駆け寄り、ナイフを蹴り落とす。





坂本と探偵が俺に対して何か言っているがそんな事はどうでもいい。





今のは、なんだ?





『殺しちゃ、ダメ』





 紅茶?


紅茶なのか…?





「おいおい、これは一体どういう事だ…?」





 事情を知らない坂本が俺の様子を見て困惑している。





俺の口で、紅茶が喋っていた。





「私の、大好きな…かなにぃ。ずっとずっと大好きだった。こんなに、傍にいてくれたんだね。ずっと、見守ってくれてたんだね」





 そんな馬鹿な。


今までこんな事は一度だってなかった。





紅茶が、俺の事を認識してしまったからなのか?





「なのに…今まで私、ずっと忘れてて…ずっと守られていたの気付かなくて…ごめんね」





 いい。謝らなくていい。それが俺のやりたい事だったんだ。





「く、紅茶は…今、どうなって…?もしかして自分の中で…二人で会話してるのか?」





 うるさい緑茶女は黙ってろ今それどころじゃない。





「ずっとずっと私に縛り付けていたんだね」





 それがどうした。俺はお前の為の存在なんだから当たり前だろう?





「…私、少しは強くなれたかな?」





 ああ、俺はお前が記憶を取り戻したら壊れてしまうんじゃないかとずっと不安だった。


だけど、それでもお前はきちんと受け止めた。俺が思っていたよりよっぽど強かったよ。





「嬉しいな。かなにぃが褒めてくれた」





 やめろ。





そんな優しい声で





優しい言葉で





俺を認めるな。





俺は





俺はその一言だけで





満足してしまう。





「私、もう大丈夫だから。これ以上、私に縛られなくていいよ」





 私、もう一人でも大丈夫だから。





私が自分の傷から目を逸らすために作り上げてしまった…嫌な事を全部引き受けてくれたかなにぃ。





ずっとずっと嫌な役を押し付けていてごめんね。





もう、私も現実を受け止められるから。





もう、守られてばっかりじゃいられないから。





だから、





もう大丈夫。





「今までありがとう。かなにぃ、大好きだよ」








 そこで、さんが私を見つめて大声で笑った。





「そんなに!そんなにも僕の事を好きでいてくれたなんて…僕は嬉しいよ!紅茶、僕も僕も僕も僕も君の事を…ッ!」





「中島、貴様いい加減にしろよ。それ以上余計な事を言うようなら…」











 つい


カッとなって。





中島さんを止めに入った葡萄のお姉さんを押しのけて





私は、中島さんの顔面にコークスクリューをぶちかましていた。





吠える。





魂の叫びだ。





「てめぇの事じゃ…ねぇんだよぉぉぉぉッ!」











私史上最高に


踏み込みから腰の回転


腕の振り


そして捻りを完璧に伝えた拳が、彼の右頬に突き刺さって





中島さんは驚くほど吹き飛んだ。





そして彼はそのままゴロゴロと地面を転がって、公園名の書いてある石の看板みたいなのに激突して動かなくなった。








「「「なっ…」」」








 気付くと、緑茶と葡萄のお姉さんとなんかしらないおじさんが、目を丸くして口をぱくぱくしながらこちらを見ていた。





急に恥ずかしくなる。


そんなに見ないでよー。





そこで、自分が何をやらかしてしまったのかに気付く。





大変だ。





とんでもない事をやってしまった。








「あのー。これって、やっぱり…傷害罪とかになっちゃいます…?」








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