◆紅茶と緑茶とボディガード。




 彼女、佐藤紅茶は今気持ちよさそうに眠っている。





俺がここにいる事も気付かずに。








こういう時、俺はいつも自分と戦わなければならない。


何せこの女は一度寝たら滅多な事では起きない。





つまり、





俺が何かしたところで気付かれる事は無い。








鈍いのだ。





俺は彼女を守るためにここにいる。


だから、俺が彼女に何かするなんてあってはならない。





あってはならないのだが、俺にだって悲しい事に性欲という物が存在する。





いや、性欲というのとは何か違う。





ただ、純粋な興味というやつだ。








たとえば、俺は紅茶の着替えも入浴もいつだって見ているし、見たからといって何か特殊な感情を催したりはしない。





思う事といえば


今日も可愛いな。


とか


こんな所に痣が出来ている。


とか


山中大樹の自転車と衝突して転んだ時の傷を見て奴を殺したい衝動にかられる。


とか、そういう事ばかりだ。





だから今も特別そういうエロス的感情に囚われているわけではない。


強がりなどではなく、素直に違うと言える。








のだが、たとえばこのくちびるはどんな感触なのだろうか?


友達と比べて少し小さめな胸に触れたらどれほどの柔らかさなのだろうか?





そんな事ばかり考えている。





触ろうと思えばいつだって触れる。


何かしようと思えばいくらでもできる。





それでも俺は何もしたくない。





興味は尽きないが、それをやってはいけないのだ。





そんな事をしてはあいつと同じになってしまう。





俺の大嫌いなあいつと。








紅茶は幼い頃、父親に虐待を受けていた。


それは暴力という意味でもあるし、それ以外でもある。





幸いな事にあいつは紅茶がもう少し成長するのを待っていたので最悪の事態は免れた。





そして、紅茶が、期待通りの年齢、体型に育つ前にあの男は死んだ。





これ以上紅茶は苦しまなくていい。


彼女はその時の事などまるで覚えていないが、忘れているのとはきっと違う。





閉じ込めているだけだ。





それが何かの拍子で漏れ出してフラッシュバックなんて事にならないようにしなければ…。





その為に俺がいる。





その為の俺が、危険な行為をする訳にはいかない。


万が一という事もあるのだから。





もう誰にも傷つけさせない。


危険は全て排除する。


危険の可能性がある物も。


危険の可能性がある者も。





もちろん俺も場合によっては排除対象になりえる。


そうなってしまったら彼女を守れない。


だから俺は絶対に彼女に害をなす事はしない。





俺の生きる意味は紅茶だ。


紅茶に俺の全てを捧げる。





結果誰かが消えようと


俺が消えようと





知った事じゃあない。








なのに、誰かが消えるという事自体が紅茶にとっては受け止められない事実だったと、数日後に気付く事になる。











「ねぇねぇアッサム。急な全校集会なんて何かあったのかな?知ってる?」





「アッサムちゃうわー。何があったんだろ?」





「ダージリンも知らないのかー。友達多いんだから誰か事情知ってる人いなかったの?」





「ダージリンちゃうわー。それがね、皆もなんでなのか知らないみたい」





「ねぇねぇオレンジペコ。実は校長が無駄話したいだけだったりするのかな?」





「オレンジペコ可愛い♪無駄話したいだけだったらそれはそれで複雑だねー。暑いし」





「そっかー。ウバは元気だからいいけど校長の長話で大抵何人か倒れるもんねー」





「乳母?なにそれ可愛くない。こんな暑い時期に校庭に全員集合してたらそりゃ倒れる人もいるよね」








…紅茶と話しているのは、彼女の一番の友人であり理解者の芥川縁あくたがわ ゆかり。


あだ名は緑茶。命名は勿論紅茶。





名前の漢字を見て緑茶というイメージが湧いたのだろうが茶も緑も間違えているところなど見事なまでに紅茶っぽい。





本来なら緑茶ではなく縁芥になってしまう。








まぁそんな事はどうでもいい。


それよりもこの緑茶女は紅茶の事を毎回別の名前で呼ぶ。


そのうち一巡するが、基本的には毎回毎回別の紅茶の名前で呼んでいるらしい。





この女の考える事は俺にも良く解らないのだが、まぁ正直悪い奴ではない。


紅茶の友達の中で一番一緒にいる時間が長い緑茶女だが、この女には殺意を覚えた事がないからだ。





俺にとって害が無いという事は紅茶にとって害がないという事であり、紅茶に害がないから俺に害がないのである。





「おっ、やっとこ校長先生様のご登壇ですぜ」





「できれば早めに終わるといいんだけど。一時間くらいで終われば早いほうだよねー」








 満を持して、校庭に設置された演説台に立った校長の話は今までの最短記録を四十二分も更新し、たった五分で終了した。





普段ならその話の短さに生徒達がざわつきだすところなのだろうが、今回ばかりはそうもいかない。





他の事で大騒ぎになっているからだ。








「さすがに…これは驚いたね。確かセイロンはそれなりに仲良かったよな?」





「…正論?良くわからないけど…うん、仲良かったってほどじゃないけど、ちょっと混乱してる。なんか…頭痛い」





「大丈夫か?保健室行くか?」





「ううん、多分…もう何人か行ってるだろうし渋滞気味の保健室なんて甘くない珈琲みたいなもんだよ」





「…ニルギリが珍しく詩的な言い回しをするじゃないか。意味はまったく解らないけど」





 確かにな。俺にもよく解らん。


多分保健室っていう癒しの場が渋滞を起こしたら全く意味がないんだ、とかそういう感じだろう。


紅茶にとって甘くない珈琲は無価値なのだ。


まったく、珈琲はブラックに限るというのに…解ってない。全くもって解っていない。








「からかわないでよ…。ちょっと心の整理が追いつかなくって自分でも何言ってるか解ってないんだからー」





 意外と何事も無かったかのように話しているが、俺には解る。そして緑茶にも解る。





「ディンブラがそうやってうそ臭い笑顔になる時はかなり動揺してる証拠…。なんか腹立つなぁ。キャンディはいつだって明るくなきゃダメなのにさ」





 悔しいが同感である。


緑茶女は中々見所がある。





紅茶の事を大切に思うのも、紅茶を守るのも、俺だけで充分だ。





しかし、使えるものは使っていく方が効率がいい。


緑茶女は紅茶のメンタル面を整えるのにとても役に立つのだ。








「ありがと…。まだ簡単には割り切れないけど…それでも、緑茶のおかげで少し気が楽になったよ♪」





「そりゃよかった。…さて、めでたく今日の学校はこれで終了になったわけだし帰ろうか。幸い私の家はキーマンの家の前を通るからそこまでは送っていくよ」





「きゃーたのもしー♪でも、そこから先は一人で平気なの?」





「私だぞ?」





「まー平気だとは思うけど。それでも、気をつけてよ?」





 紅茶は一瞬とても寂しそうな顔をして、緑茶女に言葉を放つ。





「大樹君みたいに、死なないでよね」














 …とても複雑な気持ちだ。





山中大樹が死んだ事で紅茶がこんなにも動揺するとは思っていなかったのだ。





この事で紅茶が余計な事を思い出しやしないかヒヤヒヤである。


こうなってくると緑茶女の存在はかなりありがたい。





これからはもっと気をつけないと。


紅茶は明るく元気でいつだって天使のように眩しいが、彼女の持つ神聖さはとても壊れやすい。


壊れてしまった時に、果たしてそれは堕天程度ですむのだろうか?


 黒く染まるくらいならばまだいい。


完全に壊れて消えてなくなってしまうような事にさえならなければ…。





俺はその可能性すら考えて行動しなければならない。





彼女を、佐藤紅茶を危険から守るために。


全ての他人から、守りきるために。





その為に、不本意ではあるが緑茶女には紅茶の臨時ボディーガードをしていてもらおう。





俺にはその間他にやる事がある。








全部終わるまでは止まらない。


全て終わらせるまで止まれない。











さあ、次に俺の目の前に死体となって転がるのは誰だ?

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