巨大魔物討滅作戦

広畝 K

帰郷ー1

「え? ソルト、君、面接全部落とされたって本当か?」


「……まあね」


「この魔法学校に通っている人間で、就職に難儀している奴がいるって話は初めて聞いたよ」


「たぶん、僕がこの学校初の就職浪人じゃないかな。学校史に載るかもね」


 ソルトは目を隠すほどに伸びた前髪を気にも留めずに、手元の手紙をハサミで細かく裁断してゆく。それは彼が応募した企業からの返事であり、不合格の通知であった。百の数を越えた時点で、彼は応募と不合格の回数を数えるのをやめている。それほどの回数であるから、手紙の処分という地味な行動も洗練され、無駄に鮮やかで手馴れた所作となっていた。


「で、本当のところはどうなんだ?」


「どうって、何が?」


「就職できそうなのかって話さ」


「……どこかの面接官に言われたことだけどね、組織という枠組みには緊張に弱くて口下手な人間を必要としないんだとさ。つまりはそういうことだよ」


 紙くずとなったそれを手の平に乗せ、音も立てずに一瞬で焼却させる。灰となった塵は宙をゆるゆると舞い落ちて、床の埃と抱擁を交わす。


 そんな彼の不貞腐れている様を見ながら、ノイルは気の無い返事で相槌を打った。


「いや、面接官の君を見る目は確かだったと思うよ。だってさ、そんな格好じゃ駄目だよ。技術とか能力とか、それ以前の話だよ。身だしなみがなってないんだ、君は」


「……どこがだい?」


「鏡を見なよ、鏡を」


 ソルトは軽くため息をつきながら、指を軽く弾いた。瞬間、彼の背丈を映すに十分な大きさの姿見がその場に現れる。彼は姿見の中に映る自分を見て、異常がないかを注視した。しかし彼の自覚によると、特に変わった部分はない。


「……普通じゃないかな?」


「おいおい、冗談でしょ? どこが普通だよ?」


 ノイルの目に映るソルトの姿は、控えめに言って浮浪者だ。


 焦げ色の混じった金の髪は伸ばしっぱなしであちこちに跳ねており、しかもそれが腰にまで至っている。掛けている眼鏡のレンズは厚く、鈍重な印象を相手に持たせることだろう。黒いローブはしわくちゃのよれよれで、ところどころ煤けてもいるから、汚らしい印象を抱かせること請け合いだ。


 彼は遠慮も容赦もせずにソルトの駄目な点を指摘すると、当の本人はますます首を傾げた。


「……いや、面接時にはちゃんと髪を整えて行ったし、問題は無かった筈だけど」


「まさか、そのローブで行ったりはしてないだろうな?」


「これが僕たちの正装だろう?」


 よれよれのそれを摘まんだソルトを見て、ノイルは呆れたように天を仰いだ。そんなノイルではあるが、彼もまたローブが正装であるという点を否定はしない。ただ、ソルトのローブは長年に渡って着古していることが見て取れるため、ノイルの清潔感溢れるローブとは比べ物にならないのである。


「人に会うのに、そんな格好じゃ見下されるだろうよ」


「君は人間を着ている物で判断するか? しないだろう? 相手が何を考え、どういう思いを持って日々を過ごしているか。過ごそうと努力しているかが重要じゃないか?」


 そっけない口調のノイルに対して、ソルトは淡々とした口調で言い返す。それは一見すると喧嘩に見えるが、しかし二人にとってその程度のやりとりなどは日常茶飯事である。


 互いに相手の優秀さを知っているからこそ、気遣いのない口調による言葉を投げかけるのである。無論、ときには思いがけず相手の精神にダメージを与えることも幾度かあったが、幸いにして険悪に陥るほどには至っていない。


 今回の件は将来のことにも関わる繊細な案件であるから、ノイルは言葉の矛をさっさと収め、相手を気遣う態度を見せた。


「それはまあ正論だけどさ、限度ってもんがあると思うよ。俺はね」


「まあ、互いの価値観の相違なんかはどうだって良いんだよ。企業の見る目の無さなんかも、この際どうだって良いんだ。今のところ最大の問題は、これだからね」


 ソルトは懐から手紙を取り出すと、それをノイルへと投げつける。ノイルは慌てる様子も見せずに難なくそれを受け取って、「どれどれ」と言いながら手紙の内容に目を通した。


 どうやらそれは、ソルトの父母からの手紙であるようだった。


 息子の心配を窺わせる文言が丁寧に綴られているものの、特におかしな点はない。気になる部分があるとするなら最後の一文で、それはソルトの現状を見抜いてのものだろうか、と疑問を持ってしまうほど、鋭い言葉が並んでいた。


「なるほどね。『魔法学校を卒業したら一度こっちに戻ってきなさい』の部分が問題なわけね」


「それそれ。就職できなかったら実家の畑を継げば良いって言われててね。わざわざ実家の、それも猫の額ほどもない小さな畑を継ぐために、魔法学校に来たんじゃないからさ。どっかに就職でもしようかねって思ってたんだけど」


「蹴られたわけか。教授のとこで助手やるのはどうなんだ? 君、確か気に入られてたろ?」


「二年前から音信不通。精霊探しを理由に人類未踏の地にフィールドワークへ行ってくるって言ったまま、国家の行方不明者リストに名を連ねてる」


「通信機に連絡は?」


「それがさっぱり。精霊が魔力を嫌うらしいってんで、魔道具の類を一切持たずに行ったんだよ、あの爺さん。二年も連絡がないことについては、『よくあることだから諦めなさい』って、他のところの教授連中はほざくしね。もう諦めたよ」


 詰んでる状況だな、と他人事のように思いながら、ノイルはソルトの表情を見る。


 眼鏡を布で拭きながら愚痴をこぼす彼の目つきは細く鋭く、凶悪とも呼べるほどに切れているが、けれども友人はそれが彼の平常であるということを数年来の付き合いからよく知っている。付け加えるならば、どこか気分が乗っている風にも見える。


(なんだかんだ言って、実家に帰ることそのものに嫌悪感は無さそうだな)


 むしろ喜んでいるように見えなくもないが、無理もないかと彼は思うのだ。


 なにせ、ソルトも彼も故郷には五年以上も戻っていない。


 魔法の才を見出され、子どもの時分に魔法学校へと放り込まれ、自由の少ない寮生活を余儀なくされたという経緯であるから、郷愁が無いとは言えないのである。魔法に関する知識を詰め込んでいくだけで多忙だった日々や、故郷の皆から期待されているという責任感もあって、それに浸る暇すらなかった。


 だが、将来の仕事が決まって僅かな休息が取れている現在、よくよく思い返してみると、どうやら自分も懐かしむ気持ちが擦り切れてはいないらしい。


 そのように僅かな感傷を自覚しながら、ノイルは軽く微笑んで言う。


「ま、顔を見せるために帰るってのもありなんじゃないかな? きっと故郷の奴ら、心配してるぜ? 俺も仕事の暇を見つけたら帰ってみるつもりだし」


「……そうだね。気分転換だと思って、ちょっと羽を伸ばすくらいの気持ちで帰ってみるのも良いかもしれない」


「そうそう。それに故郷で店を開くってのもありかもよ。一国一城の主って感じで」


「……ああ、その発想は無かったな。色々と持って帰るつもりでもあるし、その考えは意外に良いかも知れないね」


   ◇ ◇ ◇


 ソルトの通っているトリントル高等魔法学校は高名な魔法使いを幾人も輩出している有名校であるから、その名に惹かれて大陸中から入校生が押し寄せる。遠方から遥々やってくる生徒も多く、敷地内には高層の学生寮が幾棟も建てられており、ソルトの部屋は寮棟の内の一つにある。


「これはひどい」


 ソルトの部屋は惨状という一言に尽きた。


 足の踏み場も無いほどに紙束と本が散らばり、様々な光沢を放つ金属塊や水晶玉、加工済みの魔石などが転がっている。勉強机の上も、ベッドの上も同様で、足の踏み場もない状態だと言って良い。


 これほど物が溢れている部屋では生活することなどできないだろうと思われるほど、部屋は散らかっていた。事実、ソルトは寮の部屋で生活しておらず、師事していた老教授の研究室にここ数年泊り込んでいたのである。


 寮の部屋はもっぱら、資料置き場として有効に活用していたわけであるが、掃除も行わず、整理整頓もしないで次々と物を放り込んでいったものだから、様々な素材と紙が仲良く居座り、その上に埃を被らせているという有様であった。


「ま、引き払うわけだし。さっさと済まそう」


 ソルトはローブのポケットから手に収まる程度の巾着袋を取り出した。ローブと同じく黒い色に染められているその袋の表面には、糸で幾何学的な紋様が縫い込まれている。中には何も入っていないらしく、見事にぺたんと潰れている。


 彼は巾着袋の口を開いて前に向け、紋様に向かって言葉を呟いた。


「僕の私物を『吸い込め』」


 ソルトが呟いた途端に巾着袋は小さく震え、その口を大きく開いた。部屋ごと丸呑みにできるほどに巨大化した袋の口は、一気に部屋の全体に口を広げたかと思うと、部屋中の物体を吸い込み始めた。


 風も無く、音も無く、一瞬の間で全てを吸い尽くした巾着袋は、その口を元の大きさに戻して再びソルトの手の平にすっぽりと収まる。


 巾着袋の口には紐が結ばれており、袋自体は拳大ほどの大きさになっている。明らかに部屋中の物を吸い込んでしまったようには見えないが、しかし実際、この袋は部屋の中の物を残らず保管しているのである。


「まあ、こんなもんでしょ」


 部屋に残されたのはベッド、クローゼット、本棚、机くらいのものとなった。それらは彼の私物ではなく、元々備え付けられていたものだったのだろう。


 壁や床、天井といった部分は磨いた後にワックスを塗ったかの如くピカピカに輝き、色落ちはしておらず、埃のひとかけらも落ちていない。とてもではないが、十年以上に渡って使われ続けている部屋とは思えないほどであった。


 ひとえにそれは、この部屋に掛かっている魔法の防護によるものである。物理的劣化などは言うに及ばず、攻性魔法による衝撃も散らしてしまうという触れ込みであったから、なかなか侮れない技術であった。


 とはいえ、ある程度の掃除は必要となるはずであったが、長年に渡って蓄積された埃はソルトの私物として巾着袋に吸い込まれてしまったから、新品同様の部屋になっている。


 床に指を軽く這わせて、汚れが付かないか確認したソルトは、一人で軽く頷いた。


「掃除は……別にしなくて良いかね」


 ソルトは巾着袋をローブのポケットに押し込んで、部屋の鍵を手に取ると、そのまま部屋を後にした。部屋の入口の鍵を二つきっちりと閉めた後、ゆっくりとした足取りで廊下を歩いていく。


 赤い絨毯の敷かれた廊下に人気はない。時刻としては昼頃で、他の学生は食堂で昼を食べているか、校内外で昼休みを満喫しているか、といったところであろう。


(おや、あの人は……)


 しかし、ソルトの前方には一人の女性が立っており、壁に背を預けていた。どうやら学生ではないらしく、黒いローブを着ていない。シンプルな上下のジャージを着ていて、その上には汚れ避けのエプロンを掛けている。それは誰あろう、この寮の管理人たる寮母であった。


 彼女はソルトを視界の端で捉えると、勝気な笑みを見せながら、彼に歩み寄っていく。


「よ、ソルト。出るんだって?」


「……ええ、お世話になりました」


「いやいや、お世話になったのは私の方さ。掃除とか洗濯とか、楽で仕方なかったよ。あんたが良ければここで雇いたいくらいだが、どうだい?」


「……それは」


「あっはっは、冗談だよ。あんたならもっと良いところで働けるさ!」


「……ですかね」


 背の低いソルトの頭を優しく撫でる寮母の顔は優しげで、先の勝気な表情とは遠い。彼女は彼が就職活動に失敗し、故郷に戻ると決断したことを知っているらしい。けれども必要以上の慰めや励ましの言葉などを口にせず、大人らしい口調でひとこと言った。


「ま、困ったらいつでも連絡しなよ。歓迎するからさ」


「……どうも」


 ソルトは生来の口下手を遺憾なく発揮したが、されど寮母はそんなことを気にするでもなく、朗らかな笑みをもって彼を見送ったのだった。


   ◇ ◇ ◇


 トリントル高等魔法学校は大陸でも有数の交易都市に建てられている。ゆえに当然、人材・商品・資金・情報といった諸要素が盛んに流通し、多く集まることこの上なく、どの国の都市よりも魔法技術が発展し、その恩恵が行き渡っているといっても過言ではない。


 流通の大部分を担っている商業ギルドという団体、それが扱う部門の一つである配送ギルドにも、文明の素たる魔法技術の恩恵は行き届いている。


 寮を出たソルトはその足で、配送ギルドの支店の一つに赴いていた。


「いらっしゃいませ……って、なんだソルトか」


「どうも」


 顔見知りの店員に気楽な挨拶を投げられつつ、ソルトは店内を軽く眺める。


 そこには配送札が貼りつけられている荷や木箱、魔力を動力源としている自動二輪車などが整然と並べられている。さながら、倉庫のような印象を感じさせる場所であった。


 分厚い眼鏡の奥の細目で、睨むように辺りを見回す少年の仕草を微笑ましく見守りながら、店員は口の中の飴玉をころころと転がした。


「で、今日は何の用だい? 新型二輪車の分解ならこの間にもう済ませたろ?」


「あー……今日は旧式で良いから二輪車を借りたい感じ」


「へえ、借りるとは珍しい。どっかに小旅行か? 観光ならやっぱり王都が良いって聞くけど」


「田舎の実家に帰るんだよ」


「おやおや、そいつは寂しくなるじゃないか!」


 少しも寂しそうな声を出さずに、むしろ浮き浮きとした様子を見せて、店員は旧式の二輪車を店の奥から引っ張り出してきた。


 持ち手に付いているボタンを押すことで、一定速度を出すことのできる自動二輪車である。決められた速度以上を出すことはできないが、他の二輪車と比べて座り心地に安定感があるため、今でも老人や初乗りをする者にとってありがたく使用されている魔道具だ。


「調子の方は?」


「配送ギルド(うち)の規模を舐めんなよ? まだまだ地方では旧式の方が活躍してるんだ」


 店員が押してきた旧式の自動二輪車もメンテナンスだけはしっかりとなされているらしく、古びてはいるものの不調は見られない。動力音も耳に心地の良い低音が安定して響いており、現役であることを実感させる。


「乗り方は分かるか? ってか、免許持ってるのか?」


「持ってなきゃ貸してなんて言わないよ」


 店の前まで二輪車を押していき、路面に出たところで革のシートに座る。座って、すぐに足が地面に着かぬことを確認すると、ソルトはシートの高さを最低にまで下ろした。


それほどに、彼の背丈は低いのだ。その分、足が短いということでもある。


「これでも、型の小さいのを持ってきたんだがな……」


「僕に言わせれば、世間一般がでかすぎるんだよ」


 憎まれ口を叩きながら、ソルトはシートに腰を落ち着ける。流石の旧式は安定感だけでなく安心感すら覚えるものだ。


 そんな彼の無表情を見つつ、店員はカード型の端末をソルトに差し出した。貸し出しの際に必要となる魔力認証を行う端末である。


 魔力は指紋や声紋のように一人ひとり異なっており、生まれた時点で国に魔力の波長を保存するよう義務化されている。身分証明を必要とする取引において魔力の記録を取るという形式が主流となっているのもその有用さと利便性が重視されているためである。次点では内部機構が複雑な魔道具を使用する際に、消費するケースが多い。


「じゃ、田舎に帰っても達者で暮らせよ!」


「そちらこそね」


 互いに手を軽く上げた後、ソルトはゆっくりと出発した。


 向かうは、遠方の実家である。南方の山中にある小さな村で、旧式の二輪車の出せる最高速でも六時間は掛かる距離となる。


(今日は山麓の町に泊まるか。明日については……明日になったら考えよう……)


 ソルトはこれから先の生活や将来に対して特に思うことも考えることもなく、ただただ風に吹かれるままに、二輪車を最高速で走らせるのであった。

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