3章 5話 闘技場でお金稼ぎ

「おう、おはようさん。よく眠れたか?」


「おはようございます。寝れはしたんですけど、やっぱりモヤモヤしちゃって……」


「まぁ無理はないがなぁ」



 私とジロウさんは朝の混雑のピークは過ぎたそこそこ空いている宿屋の食堂で顔を合わし、挨拶を交わす。

 互いに席に着いて周りを見渡しながらこれからのことを相談しなければならない。


 玄武と出会ったのはもう昨日のことになる。

 慌てて追い掛けたんだけど、人混みも多いせいで結局見つからなかったのだ。

 無理やり屋根の上に登って捜そうとしたら、「隠密行動中だぞ」と言われそれはジロウさんに止められた。

 忍者ならスキルを使えば昼間でも見つかる可能性は限りなく低くなるはずだけど、ゼロではない。

 口酸っぱく言われれば断念せざるを得なかった。


 痛し痒しというか何だか正体隠すのって私たちの持つアドバンテージをかなり制限されてしまっている気がするよ。

 仕方ないんだけどね。

 

 それからもかなり捜し回って無駄足で時間を消費した後は、冒険者ギルドに寄って職員に例の闘技場のチャンプの話と、二日ほど前に街の中で被害が出るほどの喧嘩や事件が無かったのかを訊くことになった。

 


『今話題になっているチャンピオンですか? 私も人並み程度しか知りませんが一ヶ月ほど前に現れて連戦連勝中だとか。この街を治めるアジャフ・ゲノン様に見出されてボディガードもやっているとか。それぐらいしか分からないですね。ただ雇われてからも闘技場にもたまに顔を出しているはずですよ。街に被害が出た事件ですか? 確かにありましたね。西部地区の人が少ない場所でありましたがあっちの方は治安が悪くて揉め事自体はよくあることなので詳細な調査は行われていませんね』



 すでに知っていること以外で新しく仕入れられたのは、今もそのチャンプが闘技場に出没するということぐらい。

 時間的にも中途半端なので昨日はもう宿で寝て、日を跨いでからそっちにも顔を出してみようという流れになっていた。

 

 あぁいやもう一つ関係無さそうだけど情報があったか。



『今、他の街の領主様方が視察で滞在されておりますのでできる限り揉め事は起こさないで下さいね。それでなくても最近少しずつ物々しくなってきている感じがあるので』


 

 なんちゃら氏族の別の領主たちが来ているらしい。

 特に関わる気はもちろん無いけど頭には入れておいた。



「それで今日はとりあえず闘技場に向かうってことでいいですか?」


「あぁそれでいいと思う。少なくてもそこで聞き込めば昨日のギルド員よりは詳しい話が聞けるだろうしな。もしそのチャンピオンがプレイヤーなら様子を見つつ、話が分かりそうなやつなら接触って感じでいいだろ。追跡は【忍者】ならお手の物だろう?」


「それは任せてもらって構いません。でももしその人がたまたま強いだけのこっちの人だったら?」


「手がかりゼロ。振り出しに戻るだな。その陰陽師が争ったという場所に行ってみるぐらいしかないんじゃないか?」


「そうですねぇ。匂いも消えてそうだけど最悪、豆太郎に頼ってみるか……」



 もしそれでも駄目だったら本当にお手上げになる。

 もちろんこちらから景保さんにビデオチャットの連絡は何度も送っていた。けれどその全てが不通だった。

 繋がらない状態にあるのか、あるいはあえて繋がないのか。そこは不明のままだ。



「ところでお嬢ちゃんが会ったことのあるプレイヤーはその【陰陽師】とカッシーラの【巫女】だけなのか?」


「えぇそうです。ジロウさんは?」


「儂はまだ他に会ったことはないな。お嬢ちゃんが初めてだった。メールの文面からは他にも何人かは来ているんだろうなとは予測していたがな。正直、この街に二人もいたなんてニアミスしている感じは否めないし、まさかカッシーラにもいたなんてなぁ、儂がいたときは聖女の話なんて無かったもんだからよ」



 確かに言われてみればこの人、今までけっこう近くに同じプレイヤーがいたのに全部すれ違っていたことになる。

 わざと避けてたってことはないだろうし単に運が悪かっただけの話だろうけどね。



「同じ街ならまだしも、あそこの村とカッシーラとか、ライラさんの村とシャンカラもそこそこ距離もあるんで行き違うことはあるでしょうね」


「全員が良いやつってわけでもないだろうし、本音を言うなら余計な軋轢を生むこともあるだろうから仮にいるのを知っててもあんまり干渉はしたくなかったんだがな。ただこの街でプレイヤー同士のいさかいが起きてたんなら儂にも累が及ぶこともあるから、日和見ってわけにはいかん。むしろ味方になってくれそうなお嬢ちゃんがいるときで良かったかもしれないとすら思っている」


「利害の一致でやつですか」


「そうだな。ゲームでなら街の建物とかは破壊不能オブジェクトであったり、そこに暮らすNPCなどにも被害は被らなかった。しかしこの世界でレベル百同士が本気で戦った場合、余波ですらどれだけのものが出るか予想すらつかない。そういう意味では二対一というのは事を収めやすいだろ?」


「おっしゃっていることは何となく理解できます」



 PvP(プレイヤー間の戦闘)は大和伝ではシステムのうちに組み込まれている。

 大きく別けて、『フィールドでのPKプレイヤーキル』と『果し合い』による腕試しの二つだ。


 PKはそのまんま、プレイヤーを襲いアイテムなどを奪う行為のこと。

 しかしそういった悪行を重ねると【名声値】がマイナスになり指名手配され、町に居づらくなったり買い物も値段が上がったりする。

 依頼クエストも悪党方面に変化していくのだとか。


 私には何が楽しいのか分からないが、そういう盗賊プレイを愉しむ人もいるらしい。

 逆に指名手配犯を追い詰め賞金稼ぎプレイをする人もいる。

 そこはなぜか需要と供給のバランスは噛み合っていてどちらもいなくなることはない。

 よく分からない世界だ。

  

 ちなみに果し合いは単に腕を競い合うものもあれば、アイテムを賭けたりもできたし、旗取りフラッグ戦のチーム戦だってあった。公式イベントで個人戦とチーム戦の一番を決める催しもあるぐらいだ。

 それは専用のフィールドで行われ周りの被害など気にすることはない。

 されどこっちの世界ではそんな専用フィールドや破壊不能オブジェクトなど無いので、ジロウさんが憂うように例えば私の広範囲忍術が敵に当たらなくて違う場所に被弾でもしたらそれだけで災害となる。

 力ずくで抑え込み損害を最小限に抑えるには当然、数が多い方が有利。

 彼の言わんとしていることは分かる。

 


「あぁその前に一つ訊いておきたいことがある」



 ジロウさんは組んでいた腕を外し、テーブルに肘を置いてやや前のめりになる。

 重要そうな話をするときの仕草でちょっと身構えてしまう。



「何ですか?」


「もし、その闘技場のチャンピオンが……あぁいや別のやつでもいい。とにかくこの街でプレイヤーと敵対することになったとして、嬢ちゃんはどうする? どこまでやれる?」



 その質問で私の胃がぎゅっと掴まれたかのように収縮する感じがした。

 「どこまでやれる?」それはつまりHPの全損について示唆していたからだ。


 河原で殴って倒して拳で友情が芽生えるなんてことはなく、もし戦闘になるのならきっとどちらかのHPがゼロになるまで戦闘終了にはならないだろう。

 回復アイテムや術がある私たちの間では痛めつければ入院で決着ということもあり得ず、とことんまでやり合うことになる。

  

 これは昨日、私も考えた。

 されど未だに答えが出せていない。でもとても重要なことだと思う。

 いざその間際になってからじゃ遅いだろうし、覚悟というか腹をくくる必要はある。



「確認したわけじゃないですが、この世界で私たちが死んでも死亡になるわけじゃなくて、元の世界に帰るだけらしいですよね」


「あのメールを信じるならそうだな。ポーションとやらも効果を発揮したそうだし、信憑性はあると思っていいだろう」


「なら……」



 かと言って人に刃を向けられるかはまた別。

 せめてレベル差があって手加減できる余裕があるのであれば気は楽だが、それを期待するのは良くない。

 もしくはHPを全損させても絶対に死なないという確証があれば良かった。

 でも万が一でもその通りにならなかったら?

 それはもう立証不可能な悪魔の証明だ。



「なら……なんだ?」



 そこで言葉が続かない私に、ジロウさんが続きを促そうとしてくる。


 

「……分かりません。やっぱり、すみません」



 いくら考えてもやっぱり答えは出なかった。

 仮にそいつがめちゃくちゃ悪いやつならまだ免罪符はある。

 けれども悪いやつだから命を取っていいという理屈もまたこちらの主観的なものに過ぎない。

 抗うことはできる。しかしながら、私には倒し切るところまではまだ覚悟が決まらなかった。



「そうか。まぁまだ十代の女の子にこの質問自体が酷だったなすまない」



 見た目は十歳の少年に慰められる図というのはまた奇妙なものだ。



「ジロウさんはできますか?」


「やれるよ」



 あっさりと彼の小さな口からは私の出せなかった解答が出た。

 あまりに自然だったからこっちの思考が止まってしまう。

 ほんのちょっとだけ恐れを感じて上目遣いにジロウさんの顔を見るが、気負いもしていない普段通りの彼だった。



「軽いですね」


「まぁな。嬢ちゃんが悩んでいるのはあのメールの内容を全面的に信じられる証拠がないってことだろう? 戦うこと自体はやれる。そうだな?」


「そうです」


「なら、もしあのメールが嘘だったら送ってきたやつのせいにすればいい。違うか?」


「そんな乱暴な……」


「無論、儂だってあたり構わずPKすると言っているんじゃない。敵対するやつイコール、それは儂の守りたいものに手を出そうとするやつなわけだ。なら当然、反撃をするってだけの話だよ。倒し切る前に警告ぐらいはしよう。もしそれでも言うことを聞かないならそりゃ相手の責任だ。これも違うか?」


「個人の理屈の上では正しいと思います。だからと言って割り切れるものでもない……です」



 ジロウさんが気を遣って背中を押してくれているのは分かる。

 ただそれは彼の論理であって、私の論理ではない。

 

 なおももたつく私に彼は鼻から息を出し薄く微笑を浮かべる。



「それでいい。むしろ何の悩みもなく倒せます、なんて言われた日にはこっちが驚いてたし、関係も考え直さないといけないところだったぞ。お嬢ちゃんが責任を持つ必要はない。仮にそんな状況になったら儂が背負う。困ったときぐらい大人を頼ればいい」  



 どうやら私を試していたらしい。

 この人がどこまで本当に考えていたのかは分からない。でも胸は少し軽くなれた気はする。



「その見た目で大人って言われても説得力がないですよ」


「ふははっ、違いない」



 だから冗談で返せた。

 ジロウさんも悪戯小僧のように笑って応えてくれる。

 あわや朝から重たい雰囲気はそれで解消されたのだった。


 

 それから遅めの朝食を摂って件の闘技場に向かう。

 ある程度の方角さえ知っていれば遠くからでもそのシルエットは一目瞭然で道に迷うこともない。

 そこはイメージ通りのコロシアムに相応しい様相だった。


 元は白かっただろう石壁は日に焼け埃を被りちょっぴり茶色の風合いに変色しており、その強固な壁が巨大な円形状の建物として街に鎮座している。

 高さも見上げるばかりで、数千どころか万を越す人を収容できそうなスペースがありそうだった。


 大きな入口にいる係員に入場料の金貨を一枚支払うことで中に入れた。

 最初は子供のジロウさんは止められないかな? と不安もあったけど、そういう倫理とか道徳というのはノータッチらしい。

 

 入り口を潜ってすぐに左右に階段があってそこを登っていくと、三階ぐらいの高さの観覧席に出れた。

 太陽の光が差し込んできたのと同時に大きな「わぁっ!」という観衆の歓声が殴りつけるように私たちにまで波及してくる。

 ビリビリと肌で感じる大勢の人の興奮の坩堝るつぼにある声はこっちの毛穴まで開きそうな刺激を与えてきた。



「どうやら一旦、決着が着いたところみたいだな」



 大勢の雑音によってかき消されそうになるジロウさんの声がギリギリ耳に入ってくる。

 試合場を見ると、せり上がった石畳の上で粗雑な装備を付けた男が倒れていた。

 もう一人、勝者であろう男は観客に手を振って客からの祝福をその身で浴びて浸っているようだった。


 適当に一番上の後列席に二人で座る。

 やっぱり近くで見るのが一番人気のようで、前列に人が集中していて三階部分はまだまだ席が余っていた。

 っていうか午前中からこんなに人がいて、この街は本当に大丈夫なの?



「よぉ、あんまり似てない気もするが姉弟かい? 外套なんて被って顔を隠してるあたりは親に内緒で来たんだろ? まぁ俺は固いことは言わねぇ。社会見学だと思って存分に観戦しな」 



 私たちの傍にいたおじさんが声を掛けてきた。

 こういう馴れ馴れしい人ってどこにでもいるよね。

 昔、映画館に友達と行って開演前にしゃべっていたらいきなり話しかけられたことあったのを思い出した。

 監督がどうたら出てくるロボの設定がどうたら、知らないっての。


 ただの遊び目的なら席を移動するところだけど、ちょうど良い情報源だ。活用しない手はない。



「おじさんはここよく来るんですか?」


「おうよ、暇を見繕ってはもう二十年は通ってるぜ」



 こんな物騒なところに朝っぱらから通うぐらいなら働きなさいよ。

 という突っ込みはバレないようにしないと。

 


「朝から人が多いんですね?」


「闘技場があるのはここぐらいだから他の街の観光客とかもよく来てるからな。三割ぐらいは他の街の人間だろうさ」



 なるほどねぇ。

 しかし観光名物だからって旅行に来てまで見たいもんかね?

 あぁでも娯楽が少ないから見ちゃうか。


 ふいに視線を落とすとおじさんが何か券のようなものを大事そうに持っていた。



「それって何なんです?」


「これか? 当然、どっちが勝つかのくじ券だよ。これがあるから通い詰めてんのさ。これでもけっこう目利きなんだぜ? これで食べてるまでは言わねぇがそこそこ勝ってる。だからカカァも俺に文句言えねぇんだ」



 カッカッカ、と自慢げに胸を反らして笑うおじさん。

 日焼けした肌と皺が良い感じにマッチングしていてここで暮らしているリアルな感じが窺える。


 あー、賭博か。

 まぁそういうのもありそうだもんね。

 でも良い取っ掛かりをもらった。



「その目利きのおじさんから見て、チャンピオンはどう? 私たち噂でしか知らないから一度見たいと思ってるんだけど」



 チャンピオンの話をした途端に今まで大口を開けていたおじさんの双眸が細くなる。

 急にシリアス顔になってびっくりした。



「ありゃー本物だな。ここ二十年で最強だ。強いとか弱いとかじゃねぇ。もう格が違う。世の中じゃあ天恵持ちとかが最強だって言い張るやつもいるが、そういう次元じゃねぇと思う」



 おじさんからの評価はベタ褒めだった。



「名前は?」


「『ファング』って言う。でも偽名だろうよ」


「何でそんなことが分かるの?」


「目がな、過去を捨ててきた人間の目をしているんだ」



 まぁたハードボイルドっぽい格好良さそうなこと言っちゃって。

 普通のおじさんにそこまで察せられるものかしら。



「ふぅん、どんな戦い方をするの?」


「素手だ」


「え?」


「真正面から素手で全身鎧フルプレートの相手をぶっ潰す」



 そりゃまた『プレイヤー』っぽいなぁ。素手なら【僧兵】が一番濃厚かな。

 【武士】でも【忍者】でも【傾奇者】でもやれるだろうけど、格闘戦が一番強いのが【僧兵】だ。


 武蔵坊弁慶のような僧侶を連想すると分かりやすい。

 メインは格闘戦で、槍や薙刀などの武器も使える他のゲームで言うなら【モンク】ポジションだ。

 忍術や符術に相当する『仏気ぶっき』を自在に操り自身の回復やバフも掛けられ、敏捷は【忍者】に次いで速い。

 と言ってもスキル構成的に、一撃が強い豪拳タイプと手数重視の速拳タイプに別れたりするのでそこは人によって振れ幅がかなりある。


 ちなみに【忍者】の女性版を【くノ一】と呼ぶように、【僧兵】の女性版は【尼さん】なんて呼ばれたりもする。

 衣装は別に頭巾を被らなくてもいいから可愛いのもあるんだけど、格闘戦が多いから女性の割合はやや少な目。


 

「その人って何歳ぐらい?」


「歳はそうだなぁ、二十代半ばから三十代半ばってところじゃないか。あんまりにも勝ち過ぎてここのオーナーからは厄介者扱いされているがね。最近じゃどうやってファングを倒そうかと躍起になってやがる節があるが、あいつにそこら辺の冒険者が束になっても敵うもんかってんだ」


「へぇ。ちなみに今日ってそのファングってチャンピオンは来るのかしら?」


「それは分からない。事前に告知することもあれば、突然のイベントのようにして客を盛り上げさせることもあるから。数日に一回ぐらいは見れるから運が良ければ今日も来ているかもな。いるとすれば昼前か、もしくは今日の最終試合かに出てくるだろうよ」


「運次第かぁ。ちなみに泊まってるところって分かります?」


「さすがにそこまでは知らねぇよ。たぶんアジャフの宮殿だろうとは思うがよ。サインでももらいに行くのか? とても子供が好きそうに見えないから追い払われるのがオチだと思うぞ」


「まぁそうですよね。ありがとうございます」



 表面的なことは知れた。

 あとは実際に目で見てみないことにはなんともって感じだ。

 

 それから横でうるさいおじさんの解説を挟みながら試合を観戦することになった。

 たいていは剣とか槍とかの一対一。たまに火の玉を出すような魔術使いがいるぐらいで、ジロウさんなんかはつまらなさそうにあくびを出して半分寝ていた。

 死亡者まではいないまでも、それでも実剣なので血を流して負傷する人は続出なのによくそんなに冷静でいられるよ。

 おじさんの話によると、たまに死亡者も出るらしい。

 

 やがて太陽も頂点に達しようという折、



『紳士淑女の皆様、お待たせ致しました! 現在、立ち向かってきた挑戦者を屠った数はなんと二百人越え! 現れたその日に前チャンピオンを含むその日戦う予定だった闘技者たちを全て蹴散らし、十数人がかりの圧倒的人数差があったバトルマッチも覆し、全身鎧フルプレートの軍人をもその無敵の豪力で凌いだ古今無双の男! さぁ、ここで我らがチャンピオンの登場だぁぁぁぁぁ!!』


 

 司会というか審判のような男が、今までで一際大きな声を会場中に轟かせる。

 それは私の待ち望んでいた相手が来るという報せだった。

 観客も望んでいたんだろう、会場中が割れんばかりの歓声で応える。



「ようやくか」



 ジロウさんもこれにはパッチリと目を開いて覚醒した。 

 


「良かったな、お嬢ちゃんたち。運が良いぜ」


「そうですね」



 最悪、何回か通い詰めないといけないかとも思ってたんだけど一発目で引けるなんて確かに良い引きしてるわ。

 

 やがて円形型の壁から男が一人、姿を現した。


 その格好は黒い法衣のようなものを着て、腕には革の手甲が巻かれており、足は綿が詰まっているみたいにぼわっと膨らんでいた。イメージはお坊さんと修験者を足してニで割った感じ。

 見た目は確かに三十代前後といったところだろうか。

 もうこの装備で分かる。間違いない『プレイヤー』だ。

 私が言うことじゃないけど、これだけの大衆が見ている前で異なる文化の衣服を隠そうともしていない。



「当たりだったな」


「でもまだ犯人かどうかは分かりませんね」



 小さくボリュームを落としてジロウさんと確認し合う。

 件の彼は会場中からの万雷の祝福に満足気な目つきで会場を見回し進んでいく。

 

 ん、今一瞬目があったような……って、さすがに気のせいか。この数千人はいる中でしかも顔もほとんど隠れているのにバレるはずがない。

 私の編み出したフレンド登録リストを使った識別方法だってさすがに距離が離れ過ぎているし、あれではこの人数から個人を特定するのは不可能だ。


 彼は慣れた足取りで舞台上に上がる。



「さぁ今日のファングの相手は歴戦の古強者? 大量の挑戦者? 歴代のチャンプ総掛かり? そんなのではもう彼を倒せないことは誰もが知っている! なら一体、誰なら倒せるのでしょうか? そう、彼を倒せるのはもう人間では無理だと判断しました。ではご紹介致しましょう! 『大砂蛇サンドサーペント』だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」



 大きな銅鑼が鳴らされファングが出てきたのとは反対の出入り口から何台も連なった滑車に載せられてきたのは、手足が無い蛇のような竜だった。竜頭蛇尾という言葉があるがそれに近い。

 サイズは現在は薬でも打たれているのか眠っていてとぐろを巻いているので定かじゃないけど、尻尾の先から頭まではたぶん七~八メートル、胴回りも牛の体高ぐらいはある。

 フォルムとしては青龍など中国や日本の龍に近いフォルムだが、特徴的なのは三点。

 

 一つは目が名前通り砂に潜ることが多いのか退化しているかのようにそのサイズに反比例してかなり小さく閉じたままなこと。おそらく視力は無さそうだ。

 二つ目は青龍のような固そうでもしなやか鱗とは違い、もはやあれの鱗は甲殻と呼ぶのに相応しいほどにゴツゴツとしていて乾燥しきっているのが遠目からでも窺えること。 

 三つ目は細くてピンと張ったヒゲが左右に無数に生えていることだ。おそらくはモグラと同じで視力が著しく弱い代わりに、その触覚で振動などを判断するのに長けているんじゃないだろうか。


 それが出てきた瞬間に、会場はどよめきが渦巻いた。

 おそらくはたいていの人間があれの脅威を知っているのだと思う。

 そしてそれをただの人間一人に挑ませるという暴挙についても。



「おいおいおい、サンドサーペント大砂蛇だと! ついにそういうのに手を出しちまいやがったか! 闘技場のオーナーもキレてやがるぜ」



 あれだけファングについて本物だと語っていた隣のおじさんですらも、顔が引きり太ももを強く握って興奮していた。

 この反応だけでもあれがいかにやばいのかが伝わってくる。

 


「無敵のファングVS|サンドサーペント! 世紀の大決戦です! この一戦を見逃す手はありませんよ! さぁオッズはファングが八にサンドサーペントが三です。現在は薬で眠らせておりますが受付終了後に目覚めさせての対決となります。もちろん場外などありません。生きるか死ぬかのデッドオアアライブ! 皆様、ぜひお賭け下さい! 締切は二十分後です」



 受付時間は意外と短く司会の煽り文句もあったのに意外と客の反応は鈍い。

 きっと賭け事よりもあの魔物を連れてきたことへの動揺からまだ冷めきっていないせいだろう。

 オッズはファングの方が高いことからも、常識としてのサンドサーペントの恐ろしさをみんな弁えているっぽい。


 その中で渦中のファングだけは手を組み闘技場の壁に背を持たれかけて平静そうだった。



「あれ一匹を捕まえるのに一体どれだけの犠牲を出したのか……。というかあれを眠らせる薬なんてあったのか?」



 おじさんも呆けていてすぐに賭け事に興じる気は無いみたいだ。



「あぁいう魔物と戦うことってあるんですか?」


「たまにあるな。でも捕獲ってのはかなり難しいから、あってももっと小さくて別のやつだ。オーク豚頭鬼とかリザードマン蜥蜴人かな、俺の知る限りサンドサーペントが出てくるなんて初めてだ。ファングのせいで闘技者たちが片っ端から倒されて、オーナーがファングが出てくるごとに潰そうと今まで幾度も手を替え品を替え無茶苦茶な対戦カードを組んできたがこれはとびっきりだ」


「ふぅん」


 

 よく分からないけど、ファングがオーナーに嫌われていることだけは分かった。



「ふん、あれは子供だ。見掛け倒しもいいところだぞ」



 この温度差のある言葉は私の隣のジロウさん。

 鼻を鳴らしちょっぴり不機嫌そうだった。



「あのサイズで子供なんですか? てっきり大人だと思ってましたけど」


「成体はもう一周りほどは大きい。あれぐらいならそこそこの冒険者が二十人もいれば捕まえられるんじゃないか」



 そういえばこの人、一人で倒しに行ったことあったんだっけ。

 


「おい何を言っている!? お前のような子供があれが生息する場所まで行けるはずがないだろう」


「さてな、別に信じて欲しいわけじゃないからどうでもいい。ただ見たことも無いくせに勝手に怖がるのは滑稽だなと思ってな」


「なんだと!」



 冷静に話す私たちにおじさんは食って掛かってきてジロウさんがそれに噛み付いた。

 こんな程度の言われように感情を露わにするなんてちょっとジロウさんっぽくない。さっきからなんだか機嫌が悪そうなんだよね。何か怒る要素あったっけ?



「まぁまぁ。それよりおじさんはどっちが勝つと思います?」


「うーん、それはだなぁ……。ファングと言いたいところだが、あの甲殻は薄い鉄よりも固いと言われている。偶然あれの破片を見つけて持ち帰るだけで一月は遊んで暮らせるほどに希少なんだ。もちろん巣に取りに行けば生きて帰還する方が難しいという意味でもある。仮に鎧を砕く力があってあの甲殻を破ることができても次に脅威となるのはあの巨体だ。重さはそのまま武器になる。人間なんて潰されたらおしまいだ。しかしファングはフルプレートを破壊するほどの膂力の持ち主であってだな、今までも多勢ですら怪我を負うことなく立ち回って……」



 取り持つように話題を変えるとおじさんは頭の中でシミュレーションをしているのかぶつぶつと語り出してくる。

 目利きがあると自分で自慢してきたからにはその答えは訊いておきたい。

 


「んで、結局どっち?」


「ええい急かすな! そうだな……やはりサンドサーペントに軍配が上がるだろう」



 むむむ、と目を瞑り顔をぎゅっと梅干しのようにしかめ、苦しそうにおじさんは結論を出した。

 ファングは彼にとってかなり贔屓にしている戦士で、それを魔物の方が有利とはなかなか言い出しづらかったんだろうね。



「なら私たちは――」


「あいつに賭けるか」



 ジロウさんと見合い同じ答えを出した。

 あれがプレイヤーであることを知っている私たちにはどちらが勝つかなんて悩むまでもない。

 当然、ファングにあり金を全部だ!! 目指せ億万長者!!

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