2章 2話 キッカケ

「放てぇ!」



 突然、胸鎧とローブに身を包んだ男の命令と同時に矢が放たれた。

 十人程度いる射手からの凶弾は、容赦なく逃げる男たち降り注ぐ。



「ひぃっ! や、やめてくれぇ!」


「降参だ、降参する!!」


「や、矢が刺さった、痛ぇぇぇよぉ!!」



 被害者たちはここいらの地域を根城としている山賊たちだった。

 総勢四十人近い大所帯だったが、突貫工事をして修復した昔の砦跡をねぐらとしていた。だが夜明けと同時に踏み込まれ、もう半分以上が物言わぬ骸か捕虜になっている。

 残された賊たちは裏口から逃走を開始し、そこに潜んでいた伏兵の洗礼を受け三々五々に散っていくところ。今も先頭を駆ける山賊のリーダーの後ろから、手下たちの悲鳴が聞こえてくる有様だった。

 


「あいつら、教会騎士ジルボワだな……」



 手下をいくら一方的に虐殺されても、同情の心が一切湧かない冷徹なその男――『ラッド』は逃走しながら襲撃者の正体を反芻する。


 全員が全く同じ鉄の兜と胸鎧、その下に着込むインナーのローブ姿の出で立ちは特徴的なものだった。

 それに小さく彫られている意匠も教会を意味する鳥のマーク。間違いはなかった。



「ちぃっとばかり派手にやり過ぎたか?」



 ラッドの脳裏に浮かぶのはここ数ヶ月のことだ。

 冒険者としてそれなりに活動していたが、ある日、ギャンブルで負けた腹いせにカッとなって酒の勢いのまま一般人に斬り付けてしまう。

 当然のようにそれまでに築いた信頼や財産を全て失い逮捕された。

 だが幸運にも護送中に馬車が横転し、命からがら逃げることに成功したのをキッカケに、それから山賊生活がスタートすることになる。

 絵に描いたような転落人生だったが、意外にも才能があったのか同じように落ちぶれたやつらをまとめ上げ、温泉街として名高い『カッシーラ』の近くの山を拠点として好き放題やっていた。

 ここ一帯は森も山も深く、それに昔の遺跡も多いので身を潜めるのは容易く、また街道も賑わい山賊家業としては絶好のスポットだった。



「しかしこんなに早く教会騎士に目を付けられるなんてな……」



 山賊退治は領主の仕事である。

 街道に不安があるとそこを通る商人や旅人が寄り付かなくなり、物、人、情報の流通が途切れてしまうからだ。

 しかしながらどこの世界にも直接自分が被害に合ったり、よっぽどの事態にならない限り動かない人間もいる。

 そうなると今度は町の自治体が身銭を切り冒険者たちに依頼をするのが通例だが、それも人手も費用もかなり必要となるのでやはり腰が重い。

 

 そもそも山賊に襲われた被害者はそれと知られるまでに時間が掛かる。

 街道に遺体や痕跡を置いていく馬鹿は三流以下。まともな頭を持っているなら、荷物もその身も全て奪って森の中に隠すのが当たり前だからだ。

 ひとたび目を付けられれば旅人が助かる見込みは無く、襲撃されたこと自体がそうそう町には伝わらないし、魔物の仕業という可能性もある。

 だから冒険者ギルドが初期段階の調査をするにもまだ時間があるはずだった。ラッドは元冒険者という立場からそのことは熟知しており、もう少し稼いでから他の地方へ移動する腹積もりだったのだが。


 けれど何事にも例外はある。

 ――教会騎士ジルボワの存在だ。


 教会騎士ジルボワとは名前の通り、教会が護民のために鍛え上げた武装集団で、報酬は受け取らず、魔物や盗賊狩りに精を出し銅貨一枚にすらならないことを平気でやってのける者たちだった。

 ただし人数がそう多くなく、それでいて大陸上に散っているのでお目に掛かるのはどちらかというと珍しい存在だ。

 それなりに栄えているカッシーラとはいえ、総本山からは遠いこの場所にいたのは山賊たちにとっては不運としかいえないだろう。

 彼らは近くの村人の話す確証の無い噂話に真摯に耳を貸し、山賊退治へと出向いたのだった。



「係わり合いになりたくねぇなぁ」



 ラッドは命からがら砦を出たときの光景を思い出す。

 まだ多くの者が眠る夜明け直後に奇襲を掛けられ、いくら地の利はあっても練度や装備の差があり、次々と手下がやられていく様は縮み上がる思いをした。

 それでも幾人かの騎士に剣を突き立てた気概のある者もいたが、矢が刺さっても怯まず、剣で刺し貫いても絶命するまで反逆してくる凶戦士っぷりは今まで数十人の人間を手に掛けてきたラッドですら忌避するほどだった。


 信仰心のおかげか死をも恐れぬその覚悟と強さは冒険者だったときには心強かったのに、敵に回すと心底恐ろしく、

 


 ――頭がイカれてやがる。


 

 本心からそう思うほどのおかしな集団だった。

 あんな化物たちに捕まるぐらいならいっそ自殺でもした方がマシだと、ぶるりと震う体を押さえつけながら目的地を目指している。



「急げ! そんなに引き離してないはずだ。ここで捕まれば命は無いぞ!」



 数名、後ろにいる着いてきた手下たちを急かす。



「お頭、そっちはまずいですぜ?」


「うるせぇ! こっちでいいんだよ、黙って付いてこい」



 手下の一人が逃げる先の危険を訴えてくる。

 ラッドもそんなことは百も承知だった。この先にフォレストビースト森の魔獣の群れがいることは知っている。

 これまでは山賊側に数がいたから争いにはなったことはないが、いつだって木の影から単独行動をするやつがいないかラッドたちを窺っていた。

 

 教会騎士たちは部分だけとはいえ重量のある鎧を着て、自分たちは普段着程度の軽装で土地柄も知っている。だから普通に考えれば逃げ切れるはず。そう思考していた。

 しかしラッドの脳裏に刻まれたあの異常な行動をする教会騎士たちに常識を当てはめていいものなのか? 釈然としない気持ちが死中に活を見出すしかないこの危険なルートを選ばせたのだった。



「もう少しだ!」



 走る。走る。走る。まだ少し薄暗い森をひた走る。

 

 砦では見張りがギリギリ役目を果たしたようで、大きく鳴る鈴の音を目覚ましに、寝ぼけ眼での乱戦に突入し、運良くラッドたちはここまで逃げて来ることができた。

 こういう事態を想定して予め用意していた緊急用の手荷物と武器だけを持って逃げ延びたのは、用意周到な心根の賜物だろう。

 けれど追っ手はじわじわと包囲網を詰めてくる。音や気配でそう遠くないことがラッドには分かっていた。


 山道を登りやがて見えたのは洞窟だ。

 石壁にぽっかりと穴を開けたそこはフォレストビーストの住処だった。

 


「朝も早いのに勤勉なこって」



 ラッドは息を弾ませならが、額や首に湧く汗を袖で無理やり拭き取る。その表情はさすがに強張っていた。

 なぜなら彼らの汗の匂いを嗅ぎつけたのか、十頭ほどが勢ぞろいしてお出迎えしてくれていたせいだ。

 何事かとまだ様子を窺っているようだが、縄張りに入られたことで怒りはあるらしく、四肢を伸ばし唸り声を上げ威嚇してくる。

 


「お頭、どうするんですか? この人数だと倒しきれませんぜ?」



 フォレストビーストたちの盛大な歓迎ぶりに部下が次の行動の指示を急き立ててきた。


 指摘の通り、現状はラッドを含めて四人。これで十頭のフォレストビーストの相手は控えめに言っても荷が重い。

 それでも山中を追われ疲弊しきった手下たちは、腰が引けながらも思考停止して何か手があるのだと期待しているようだった。

 ラッドは自分で考える頭が無く、言う通りに従う愚かな手下たちに感謝を捧げる。

 


「あぁ、こうするんだよ!」


  

 近くにいた部下のズボンの腰と服の襟をつまみ上げ、強引に群れの中に投げ入れた。

 突然のことに受身も取れず手下の男は無様に転がる。



「な、なにしやがるっ!? お、おいやめてくれ!」



 ここにきてようやく何の目的で連れて来られたのかを悟ったのか、手下たちの目が驚愕に見開かれていた。

 


「お前らは餌だよ。ここであいつらの足止めをするんだ!!」



 ‘生贄’として差し出され武器を落とした無防備な男に、フォレストビーストたちが一斉に襲い掛かる。



「痛ぃぃ!! や、やめでぐ……だ、だずげ……お、おまえら……だずげでぐ……ぇ……」



 たちまち手や足や首など噛みやすいところに獰猛な歯が食い込まれ噛み切られていく。男の激痛からの悲鳴はそれを一瞬たりとも遅くらせる効果が無く、肉が千切れ骨が見えても捕食は収まらないどころかむしろ盛んになっていった。

 彼にとって地獄のように最悪だったのは自分が生きたまま貪り食われるシーンを体験してしまったことだ。あまりに一度に殺到したため立てる歯が浅くすぐに即死には至らなかった。故に脳内麻薬により麻痺した痛覚で体が欠損していくさまを見て、そして息絶える。


 その死に様を前に、他の男たちは恐怖で縛られた体は震えて見ていることしかできなかった。



「さぁお前たちもだよ! 最後に俺の役に立て」 


「お、お頭ぁ、助けて……ぐぇ」


「ひぃぃっやめてく……あがっ」



 背中では世にも恐ろしい残酷な光景がリアルタイムで繰り広げる中、ラッドは仲間の死に顔を歪ませ逃げようとする残り二人も剣の鞘で強引に殴り倒す。

 完全に浮き足立っており、及び腰でろくな抵抗すらなかった。

 

 後ろで音がしなくなったラッドが振り返ると、口を真っ赤に濡らしたフォレストビーストたちが物足りなそうに睨んでいる。

 それにラッドは「ふん」と鼻息を鳴らした。

 朝から食欲旺盛で健啖振りの様子。



「ほらよ追加だ。これで満足するなよ? さらにおかわりはくるからな」



 さらに二人の首根っこを掴んで放り投げる。獣はごちそうにありつくように喉を鳴らしむしゃぶりついた。

 ‘元’手下たちの生きたまま食われる悲痛な喚き声を、右から左に流しその光景を見届ける。



「そろそろ来てくれねぇと俺もやべぇんだけどな」



 最悪、フォレストビーストらと鬼ごっこする未来もありえたが、それは避けたく頭を振る。

 ラッドがイライラとしていると複数人の足音が耳に届いてきた。



「よし、賭けは俺の勝ちのようだ!」



 自分たちがやってきた道から次々と教会騎士が姿を現してくるのを見てラッドは舌なめずりをする。数は八人と拠点で見かけたのより少なかった。しかし彼の頭の中での計算ではギリギリだ。

 その鎧や服には至るところが赤く染まっていた。きっと四十人いた仲間は全員死んだのだろうことは窺える。

 そのことについてラッドには感慨は湧かなかった。どのように死んでいったのかも興味がない。しょせん部下たちとは持ちつ持たれつの関係で少なくとも彼はそういうつもりだった。さらに言うなればラッドにとって



「おう、ご苦労なこって! そんな重そうな装備でよく追いついてきたな。一休みしてもらっても構わないぞ?」



 軽口を叩いてけん制するも、教会騎士たちは感情が見えない顔のまま無言でずんずんと突き進んでくる。

 会話や警告すらも無いということは、どうやら命乞いすらままならないらしいことは察せられる。けれどそれは大体ラッドの予想通りだった。



「あぁ、お前らに一つだけ教えてやることがある。俺もそろそろ神様ってやつを信じようと思うんだ。さすがの俺でもここに来て宗旨替えするに至ったよ」


「……」



 興味を惹けるかという淡い期待は砕かれ、全く意に返されず騎士たちの行進は揺るがない。

 そのノーリアクションぶりに、ぺっと唾を吐いた。



「ちっ、神様ってのは無口な信徒がお好みか? でもな、そんな好き嫌いの激しい神様でも、ここを逃げ切れたら信じることにするよ!」



 身を翻す。

 そしてラッドの代わりにフォレストビーストたちが教会騎士たちに殺到した。

 

 坂の下にいた騎士たちからは突如現れたようにしか見えないフォレストビースト。

 つい今しがた三人の男たちの腸まで食い千切った獣たちは、すでに血で興奮し、血の匂いに敏感になっていた。

 だからラッドよりも、血の匂いを撒き散らす。全て彼の読み通りだった。

 このためにわざわざ手下を昏倒させるのにも剣を抜かなかったのだ。


 いきなりの魔物の襲来に臆することなく、教会騎士たちは剣を抜き対応を始める。

 けれどそもそもここに来るまでにそれなりの体力を費やしていて動きは重い。

 いくら鍛えているといっても、数でも負けていてそう簡単に切り抜けられそうになかった。

 希望通りなら全滅、悪くても相当な被害を受けるに違いない。そうなれば再編に時間を取らせられると考えラッドは邪悪な笑みを浮かべる。


 だから、



「じゃああばよ!」



 この隙に逃げようとした。

 手荷物には換金用に魔石や宝石もいくつか入っていて、街にさえ着ければ逃げるにはそれほど苦労しない。

 頭の中にはこれからの展望がさっそく描き出されていた。


 だというのに、



「ぐうっ!」



 踵を返した直後、彼の左肩に熱く焼ける痛みと衝撃が同時に訪れる。

 咄嗟に振り向くと教会騎士の一人が攻防の隙を縫って腕を伸ばしていた。

 その直線上――ラッドの肩にはナイフが冗談のように突き刺さっている。

 

 傷は見た目より浅い。しかしながらそれなりの激痛を伴い己の不注意の結果を知らしめる。



「くそっ! お前ら全員くたばりやがれ!!」



 一瞬だけ報復を逡巡したラッドだが、無理やり肉からナイフを引き抜き地面に投げ捨てると、捨て台詞を残し尻尾を巻いて逃げ出すことを選んだ。

 一度だけ振り向くとフォレストビーストと教会騎士の戦いは一進一退という感じで、すぐには追って来れなさそうで彼は安心して森に消えていく。

 



「撒いたか?」



 斜面を下るように見せかけ、完全に姿が見えなくなる位置まできてから今度は登り始める。あれからもう彼は一時間は歩きっ放しだった。

 さすがに詳細な位置までは分かっていなかったが、このまま一昼夜も進むと村が見えてくる位置にまで来ていた。

 


「温泉にでも入りてぇなぁ」



 ここら一帯は温泉地帯で源泉が沸く箇所がいくつもある。

 朝から走りづめで汗がベトベトして気持ち悪く、そうゆっくりしていられる身分ではないのは承知の上でもぼやきは収まらない。

 まだじくじくと痛む傷を抑えながら小休止とばかりに立ち止まり、調度良さそうな岩に腰掛けラッドはそんなことを考える。



「まずは怪我の手当だ。魔物に襲われたことにすりゃいい。一日寝て小隊の護衛とかに付いていけばすぐにここから離れられる」



 今後の身の振り方を空想していると、ガサガサ、と意識の隙を突いて葉ずれの音がした。

 ラッドは腰を浮かし武器を取り、身を強張らすように注視する。


 ――数瞬後、出てきたのはウサギだった。



「なんだ驚かすなよ」



 ほっと安堵の息を吐きながら石に座り直す、その矢先――背後から羽交い絞めにされた。

 まるでホラー映画のような展開に顔を無理やり押さえつけられる。喉が圧迫されたおかげでラッドは息がうまく吸えず、パニックになりながら抵抗を続ける。

 


「ぐあががぁぁ!!」



 必死に体重を掛けて身を捻り地面に転倒すると犯人の正体が分かった。

 さっきラッドにナイフを投げつけた教会騎士だった。



「お前ぇぇぇぇ!!」



 もつれながら腐葉土にまみれ上と下を交互に繰り返す。

 左手は傷のせいで力が入りきらなかったが、回転する視界の端から見える騎士の姿は満身創痍だった。

 さしもの教会騎士も体力の限界のようで、せっかく後ろを取ったくせにその得られたアドバンテージはもう無いものになっている。 

 しかし腕はなかなか離れない。意思が体を凌駕しているのか、がっちりとホールドされみっともなく土遊びに付き合わされるしかない。



「いい加減にしろよ!」


「……」



 引き剥がすのに労力を使い荒い息で恫喝するも、やはり返答はない。

 おかしさを感じながらラッドは密着状態を打開しようと、すぐ傍にある剣に手を伸ばす。

 だが指が触れる直前、体の半身を付けた地面が突然揺れだした。

 火山にほど近いここの地形ではたまに地震が観測される。ここで生まれ育ったものならそう驚くことではない。

 しかしながら、ことこの場面ではタイミングが悪いとしか言いようがなかった。


 ラッドが剣を掴もうとするも、揺れのせいで指に変に当たってしまいするりと滑る。

 憎々しげな表情を浮かべながらそれでももう一度取ろうと手を伸ばす。


 その瞬間、


 ――地面が崩落した。


 今まで体を預けていた足元が頼りなさげに割れ始め、暗い穴がぱっくりと飲み込むように開いたのだ。

 あまりのことに為す術なく、二人ともあっさりと地面ごとその穴底へと落ちていく。



「があああぁぁぁぁ、俺はこんなところでぇぇぇ……」



 ラッドの呻く断末魔の声が辺りの森に響くが、吸い込まれるように徐々に小さくなり聞こえなくなった。

 そしてその跡にはぽっかりと空いた穴だけが取り残された。


 これがこの付近一帯を騒がせた山賊団の顛末で、これが葵たちが向かう『カッシーラ』を騒がせることになる『とある事件』が起こる引き金となるのだった。

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