幕間 見せつけられた英雄譚

 俺が生まれたのは辺鄙な、それでいてどこにでもある村だった。

 貧しい生活は日々の糧を得るために子供ですら働いても毎日腹いっぱい食べられないこともあり、誰もが心の中にどうにかしたいという渇望を抱いていた。

 そんな中でも俺は村で唯一の宿屋兼食堂の息子としてまだマシな生活を送っていたと思う。


 町と町を行き来する金の匂いがする商人たちの話を食堂の片隅で聞き、冒険者たちの危険に満ちた会話にじっと耳を傾け、吟遊詩人の胸を打つ英雄譚に心躍らせる。

 いつしか大人になったら村を出て冒険者になるんだとぼんやりと思うようになっていた。

 それが具体的に固まったのは、十二歳になったあの日だ。


 家の手伝いをしながら空いた時間にお手製の木刀を振るのが日課。

 歳の近いミーシャとオリビアとは親が仲が良いこともあって物心着くようになってからずっと一緒につるんでいて、ほとんど兄妹みたいな絆を感じていた。

 ある日そのオリビアが、さらに年上の村のガキ大将のようなやつに無理やり山に連れて行かれたいう話が耳に入ると、すぐに木刀を持って追い掛けた。

 

 今から考えれば、大体家の手伝いか俺たちと一緒にいるせいで話す機会も無かったオリビアに、そいつは単にアプローチがしたかっただけだったんだと思う。

 でもその時は悪者に連れていかれるみたいに感じて、ただ夢中で二人を探しに向かった。

 ただ冷静になれば分かるが、山で子供が人を探すなんて無茶もいいところだ。

 やがて帰る道も分からないまま夜になり、山を彷徨さまよってしまう。

  

 運良く、根元が穴になっている記憶にある大木に辿り着いたときには、もう足が棒で泣きべそをかいていた。

 しかし、いつの間にかそこはゴブリンの住処すみかになっていた。

 穴から夜の暗闇に光る二つの目が三セット。

 

 そいつらは住処を守ろうと、外に出てがむしゃらに爪を振りかざしてくるのに、俺はというとあまりの怖さに持っている木刀で応戦することも考えられず震えた。

 


「アレン!!」



 唐突に俺の名を呼ぶのはオリビアで、探しにやってきたらしく自分を省みず身を挺して守ってくれた。

 彼女の腕に裂傷が走る。

 たいまつでけん制するも、疲れて動けない俺と怪我で動きに精細に欠けるオリビア。どちらも弱者の側でしかなかった。

 

 その時だ。負傷しながらも自分のことより俺を優先するオリビアを守りたいという意思が、恐怖をまさる。

 イメージしたのは強い騎士だ。木刀一本あればゴブリンたちを一振りで退散させるような強い騎士。

 ふいに木刀が宙に浮き、たどたどしくもゴブリンたちに向かっていく。

 

 あまりに仰天したゴブリンたちはそれを見て慌てふためき逃げていった。

 びっくりしたのはこっちも一緒だったけど、自分でそれを動かした自覚があったのでオリビアに説明すると、二人で笑い合う。

 ゆっくりと山を降りて親にゲンコツで説教されながら俺は冒険者になろうと決めた。

 誰かを守れる人になりたいと切に願った日だった。



 それから三年が経った。

 宿に泊まる冒険者たちに剣の扱いを教えてもらいつつ、自分の異能である『天恵』についても学んだ。

 最初は長年の相棒である木刀だけで、それから少しずつ幅が広がっていく。

 動かすには長く連れ添うという条件だったけど、成熟するにつれてその期間が短くなっていくのを実感した。


 能力の名前も俺の好きな英雄が持つ剣『ガルトムント』から名前をもらいガルトムント英雄の剣と名付けた。


 実家の宿については何度も親と喧嘩して納得をさせた。やっぱり天恵というアドバンテージは効果覿面で、村長たちの説得もありようやくといったところだったけど、宿を継ぐには妹がいた存在も大きかった。


 驚いたのはミーシャが村の猟師に弓を習い始め、オリビアが教会で素質を見出され魔術を学んでいたことだ。

 どっちも俺の旅立ちに着いていくためだと言う。

 保護者同伴の独り立ちみたいなもんで気恥ずかしくて最初は断ったけど、俺ができることと言えば剣を振ることとベッドメイキングと料理ぐらいで、色々と俺の足りないところを指摘され渋々了承することになった。


 初めて村を離れ町に着く。

 村とは何もかもが比べ物にならず、人混みを見るだけでずっと口が開きっぱなしだった。

 ぼんやりと知っている通り、まずは冒険者ギルドに登録して意気揚々と冒険者生活が始まる……はずだったのだが。


 ――現実はそう甘くなかった。


 魔物が現れているから退治してくれという依頼に、巣がなかなか見つからず無駄に時間を食い赤字ギリギリになった。

 難癖を付けられ依頼料をゴネられることがあった。

 報告より多い数の魔物と戦わされても依頼料が変わらないこともあった。

 ハーレムパーティーだというやっかみから一緒に行動するパーティーの嫌がらせで失敗したことがあった。


 一つ一つ失敗をしながら学ぶ毎日で、憧れていた生活とは程遠かったけれど、それでも拳を握って耐える日々。

 特にミーシャやオリビアは家に仕送りするのが村を出る条件ということもあって、食事を抜こうとする日も少なくなかった。

 そういうときは実家で学んだ料理の腕を活かして貧乏料理を作って腹を膨らませたし、宿は三人で一室を借りたりと工夫もした。

 まぁそれがハーレムだという悪態を吐かれる一因になったりもしたんだが。


 冒険者仲間は敵ばかりではなく、ジ・ジャジさんのように後輩を可愛がってくれる人もちらほらいて、彼らのおかげで軌道に乗ったと思った頃にはすでに村を出てから一年も経っていた。

 苦難の日々とはお別れして、今度は名声を高める段階に入る。

 がむしゃらに働いたおかげで期待もされ、ランクも上がり少しずつ一目置かれるようになっていった。

 貯金も増え、ミーシャなんかは装飾品などを買い始めたが、そんなごてごてした物で着飾るより何にもない素の方が魅力があると思う。軟派なやつみたいで絶対に本人には言わないけど。


 そんなときに目に入ったのが『ゴブリン退治』の依頼だ。

 やや割りに合わない仕事だったが、そういうのを積極的に消化して覚えを良くしてもらいランク上げるという目的があったので一も二もなく受けることにした。

 オリビアは他の旨味のあるのにしようと少し反対していたが、俺とミーシャで押し切る形になった。

 ただ、今から思えば挑んで良かったと思う。

 

 なにせ、あのんだから。



 

 第一印象は変な格好をした生意気そうな女、だった。

 移動でのストレスが溜まって多少不機嫌になっていたことは認める。

 それにしたって誤解とはいえいきなり初対面の相手に短剣を投げつけるやつがいるか?

 

 模擬戦を挑んだ理由は、半分は依頼を横取りされた鬱憤晴らし、もう半分はまったく強そうに見えない同年代の女が一流だと言われた実力を確かめるためだった。

 だけどその目論見は文字通り粉砕された。

 最初のやり取りだけで身体能力や技術の違いを思い知らされた。

 引くに引けなくなって出した天恵も通用せずあしらわれる。

 

 もちろん今まで剣を合わせた中で同じように天恵の技術力の無さを突いて俺に勝った人はいる。

 でもそれはあのときよりももっと扱うのが下手なときだったし、町でも有名なランク4の熟練した戦士たち限定だ。

 それにここまでいとも簡単に捌かれた記憶はない。

 俺と同じ年代の女が、引くどころか初見で前のめりに対応するとは誰が予想したか。



「じゃあ少しだけ本気出すよ」



 ハッタリだと思った。でも見誤った自分を殴ってやりたいぐらいにその数秒後には違うことが理解させられた。

 本当に今までの動きがなんだったんだという神速。力も俺どころか力自慢の男すらも越える筋力。すべてがありえなかった。

 剣を破壊したのは圧倒的な力の違いを見せたかったのかどうかは知らないが、俺の心が一緒に折れたことだけは確かだった。


 能力だけで言えばランク4以上は確実。だというのに常識知らずでこんなあやふやな存在がいることも信じられなかった。

 見た目も珍しい黒髪黒目、その上着ているものや使う武器も異質。

 だからアオイという謎の女に興味が湧いた。


 俺は自分が天恵という特殊な力を持って生まれたことに、物語の主人公のような特別感があったし自信もあった。

 なのにそれを軽く凌駕しても何でもないことのように振舞うアオイという女の子に、劣等感を抱く以上に気になる存在へと昇華したんだ。

 いや恋愛感情じゃない。あんなちゃらんぽらんな女にそれはない。それだけは否定しておく。


 もう少し丁寧に言うなら、あの桁外れの女に憧れを抱いたんだ。


 アオイという人物を知って欲しくてギルドの依頼報告の時にそれを話した。

 きっとこいつはどでかいことをする、そんな予感があったからだ。

 だけどその想いはすぐに不安に反転した。

 

 ガルドレアとのいざこざを訊いているとひしひしと理解した。

 こいつはどでかいこともするかもしれないが、‘どえらい’こともしそうだと。


 天災みたいなもので、アオイと一緒にいるとすごいことが起きそうだが近くにいるだけでこっちも吹っ飛ばされそうになる。

 そんな感想をオリビアとミーシャにこぼしたら「私たちも思ってるよ」と言われ、三人で笑った。 


 すぐに新しい依頼を受けることになり、しばらくアオイという嵐を見届けられなくなることは残念だったけど、こっちも今はランク4に上がるかどうかの正念場だった。

 それにあいつならすぐに4ぐらいは追いついてくると思った。先に待っているのも悪くない。


 依頼は近くの村の調査だ。しかし村が壊滅するほどの蜘蛛の魔物が跋扈ばっこしているという。

 ただ集まったメンバーを見ると心配は杞憂だったと知る。

 ジ・ジャジさんはちょっと短慮な節もあったけど、実力も人柄も申し分ない人たちばかりで失敗する気は起こらなかった。


 旅程は順調に進み予定通りに村に着いた。

 百数十人規模の村が魔物に占拠されたという話しだったのに、虐殺の跡も無く閑散としていて気味の悪さを感じた。


 広場まで進むと教会に大きな繭が見え、そこで蜘蛛の集団に襲われることになる。

 一匹一匹は大したことはないけどあまりにも数が多かった。

 毒があるのかかすり傷程度の攻撃を受けて動けなくなる仲間たちは次々と糸に巻かれ連れ去られていく。


 そしてついにミーシャにもその魔の手が押し寄せる。

 だがそれを身を砕いて守ったのはオリビアだった。

 前方の蜘蛛を相手している間にオリビアはあっという間に糸にぐるぐるに巻かれる。

 いつだってあいつは自己犠牲が強い。

 無理やりにでも追い掛けたかったが、自分がここを離れると後ろの面子が危険になる、そんな葛藤の間で揺れた。

 


「一旦逃げて体勢を立て直せ!!」



 炎の渦が村の入り口の方角に飛んでいく。

 ファイアーストームのリーダーがそのチーム名になった奥の手で魔力すべてを使って道を切り拓いてくれた。代わりに彼は途中で捕まってしまう。

 泣き喚くミーシャを強引に抱えその場を後にする。


 悔しさに怒気を叫びながら思うのはあの嵐のような女、アオイのことだった。

 あいつほどの強さがあれば……。

 

 それから森の中にある山小屋を見つけそこを拠点にして、何度もアタックした。

 応援を呼ぼうにも連絡の付く魔道具を持っていたファイアーストームのリーダーは蜘蛛に捕らわれ、馬車を走らせるにも往復の間にオリビアたちが衰弱死するのは目に見えていた。

  

 しかし村に辿り着く前に毎回蜘蛛たちがやってきて奪還を阻む。それどころかさらにこっちの人数を減らすこともあった。分かったのは一定の距離までしか追ってこないことぐらいだった。

 時間差や囮など色々試したが、どれも結局があの物量の前に功を奏さず、駆り立てる焦燥感にだんだん口数も少なくなってくる。

 ふいに違う町から調査に現れたという怪しい出で立ちの『カゲヤス』という人が現れた。

 

 うさんくさい出で立ちでしかも子連れ。目的は同じで村の調査らしく、仲間を救出するのを手伝ってくれるとは言うものの、むしろモチベーションは彼が来る前よりも下がってしまった。

 

 軽く村を見ておきたいというちょっと浮いた彼に誰も構う余裕すら無かった。

 ただ俺はあの見たことの無い変な格好で黒髪という姿に、既視感が拭えなかった。


 そんな折、現れたのは本当にアオイだった。

 カゲヤスが連れてきたらしく、まさか……という想いが募り弱音を吐き出す勢いでペラペラと話してしまう。

 どれだけの数の蜘蛛がいようと何とかしてしまいそうなあいつにすがりたかったんだ。


 ジ・ジャジさんと少し揉めたが、あれは援軍の可能性がゼロという肩透かしが重なったせいだ。それに内心ではいかにも新人っぽいアオイを巻き込みたくなかったんだと思う。

 あの人は口が悪くて誤解されやすい。というかわざと強く言ったようなフシもある。



 当日、ありえないものを見た。

 どこにでもいそうな凡人そうなカゲヤスがドラゴンを召喚したと思ったら、何十という氷柱を途切れさせることなく発射し、あれだけ俺たちを苦しめた蜘蛛を蟻でも潰すように蹂躙していく光景だ。

 たぶんそれなりの魔術師でも数十も生み出せばその時点で魔力が尽きる。それを何度も繰り広げ、しかもあれを小手調べとのたまうのだ。冗談っぽく言ってたがやっぱりアオイに関わると常識なんて吹っ飛ぶばかりだというのを再確認した。 

 きっと黒髪の人種はどこかの戦闘部族に違いない。千年ぐらい山奥で戦うことしか考えず脈々と研鑽を磨いてきたとかそういう背景だろう。

 

 つーかあいつらが数人いたら国一つと渡り合えるだけの戦力があるんじゃないか? そんな不穏なことが頭を過ぎった。

 

 音を立てず教会へ近付き繭を開けるとまだ息があるオリビアを見つけた。

 肩の荷が下りたかのように綻んだが、まだ終わりじゃない。町に戻るまで安心しきってはいけないんだ。


 次々にジ・ジャジさんが運んできた馬車に乗せていく。

 村の人たちは気の毒に思う。俺たちがもっと早く到着してもっと強ければひょっとしたらギリギリ間に合った可能性はあったかもしれない。

 けれどこれが今の俺たちの精一杯だった。やるせない気持ちで一度だけ振り返り頭を下げる。


 そして馬車に乗り込みあとは逃げるだけとなった瞬間、魔物の絶叫が響き渡り心臓を鷲掴みにされたようなプレッシャーを感じた。


 思わずその場でうずくまり顔を抑え身を守ることしかできなくなってしまう。

 今までにも命の危険はいくつかあった。でもそれとは全く違う根源的な、まるで神様か悪魔がその場にいるかのように自分の矮小さを自覚させられる威圧。

 視界に収めることすらおこがましい。あれと比べれば自分は道端の雑草以下でしかないと思い知らされるほどの怪物。

 ガタガタと冬でもないのに震え上がり涙が止まらず、あれがどこかへ行くのを怯えて待つしか選択肢が無かった。

  

 その後、急遽やってきたカゲヤスの魔術によって一応は回復したらしかったが、それでも体はなかなか言うことを聞いてくれない。

 丸腰で檻の中で飢えた魔物たちと対面しているようなものだ。体が完全に屈服していた。

 それでもなお立って俺たちを逃がそうとするアオイとカゲヤスは本当に別格だと思った。物語に出てくる英雄とはきっとこいつらのことだ。

 そんなやつらの足手まといになることだけは避けたかった。

 みんなに声を掛けて憔悴した体で馬車に乗り込む。


 発車した馬車からあの二人を見た。

 規格外の化物にたった二人で立ち向かうその背中を目に焼き付けるしかできず、あの化蜘蛛から離れられてほっとした自分がいて悔しかった。

 俺は一体なんのために村を出たのだろうか?


 昏倒するオリビアを見つめていると、突然馬車が急停車した。

 


「どうしたんです!?」


「分からねぇ。分からねぇが壁みたいなものができてやがる!」



 危機感を煽るような声音に馬車を飛び出ると、確かにいつの間にか紅い壁が前方に立ち塞がるようにあった。

 近付き剣で叩いてみるがビクともしない。

 ただこの壁の中心はさっきまで俺たちがいた場所からなのはすぐに分かった。

 元凶は明らかでも俺たちにはどうすることもできやしない。


 そしてそんな俺たちを放っておくこともしないようだった。

 予定調和のように地面から蜘蛛たちが迫り出してくる。

 数はかなり少なかったが、絶望的状況だった。

 逃げる場所も限られ今も眠る仲間たちを寡兵で守らなければならないのだから。


 唯一助かったのは、理由はよく分からないが最大十匹までしか生まれないことだ。

 馬車を背にして、俺とジ・ジャジさん、リンクウッドさんが壁となり、ミーシャは幌の上に上り弓で援護をする形となった。

 蜘蛛一匹一匹はそこまで大したことがない。みんながやられてしまったのは大多数による圧力だったせいでこれならば耐えられる。

 だが体力的な限界がこっちにはあることはみんなも把握していた。

 

 もう何十匹になるか分からない蜘蛛を切り伏せた頃だった。

 リンクウッドさんが負傷をする。

 それを皮切りに蜘蛛は彼を無視して馬車に侵入しようとした。

 慌てて天恵で剣を飛ばし、側面に張り付いたやつを掬うように斬り上げる。

 剣自体はもう一本あるが、天恵を使いながらだと意識が散漫になる。この弱点はまだ克服していない。


 僅かな綻びを数の暴力でこじ開ける蜘蛛に、俺も足を噛み付かれた。 

 火傷のような痛みが走り膝を折る。そのままその蜘蛛の脳天を剣でかち割ってやったが風邪を引いたみたいに肌が熱く気だるくなった。

 たぶん毒だ。

 すぐに剥がしたから命に関わるほどじゃないと思いたいが、動悸や鼓動が早くなり頭蓋が軋み痛む。

 かなりやばかった。

 

 けれど蜘蛛たちはそんな状況を察しても手を抜いてはくれない。

 ミーシャの矢の射出頻度が早くなり援護が厚くなるが、おかげで有限である矢はもう尽きようとしている。

 ジ・ジャジさんも穴を埋めるべく立ち回るが限界があった。


 まさに万事休すだった。



『――助けにきたの!』



 だが、そこにニ人の味方が参戦した。

 いや正確には一人と一匹か。

 アオイの相棒である『マメタロウ』とカゲヤスの連れている『タマ』だ。


 マメタロウの微笑ましそうなタックルはそれだけで蜘蛛を吹っ飛ばし、爪は頭を砕く。

 実力は知っていたが、改めて顔を背けたくなるほどの強さを見せ付けられる。

 

 タマも幼女と変わらない年齢なのに‘変化へんげ’という術で見たことのないおそらく異国の鎧姿の騎士に化け、その手に持つ曲刀で軽々と切り伏せていった。  

 予め聞いていなければ戸惑うしかなかない変貌ぶり。いや十分に動揺しているが。

 どっちも小さいのに確実に俺たちよりも強く、ニ人だけで蜘蛛たちを押し返していく。


 俺以上に驚いているのはこのあり得ない光景を初めて見るジ・ジャジさんたちで、もう無防備に呆然と繰り広げられる展開に武器を下ろして佇むしかないようだった。

 常識破りの運動量で自由自在に動き回り、この場は優勢に保たれつつある。

 


「アオイは、あの化物はどうなったんだ?」


『まだ戦ってるの。タマたちはこっちが手薄だから景保に言われて来たの!』



 タマはなで斬りにした蜘蛛を蹴り飛ばし答えてくれる。


 なんとも情けない話だった。

 呻くことしかできない俺たちを送り出し殿しんがりを買って出てくれたのに、さらに戦力をこっちに寄越してくれるなんて。

 なけなしのプライドが刺激されて顔をしかめる。



「それで何とかなりそうなのか?」


『それは分からないの。タマたちにできることは信じることしかないの』


 

 思い起こすはあの異質な魔物だ。

 想像しただけでも寒気がくるほどの化物。

 あれと相対しているだけであいつらは本当に次元が違うと思い知らされる。


 この隙に馬車に置いてある荷物から毒消しを取り出して飲む。かなり苦い代物だったが即効性はあってすぐに効果は確認できた。

 楽になるのと同じタイミングでオリビアが意識を取り戻し始めているのに気付いた。

 かなりぐったりとした様子で、すぐに水を与え状況を説明する。

 


「アレン……アオイちゃんのところへ……行ってあげて」



 今も土気色の顔をしてふらつく体でそんなことを言ってきた。



「俺が行って何になる? お前は知らないんだ。あれは別次元の存在だって。あの場に俺は場違い過ぎる。むしろ足手まといになる可能性の方が高いんだよ」


「それでも、それでもなの。いくらあの子が強くても中身は私たちと変わらない。間違うことだって失敗することだってあるわ。だからサポートしてあげないと」



 無茶苦茶だ、そう反論しようとしたら外で変な声が聞こえた。

 振り返り幌から顔を出すとみんな一点の方向へ視線を向けており、そっちに目を向けたら天井にあの怪物が張り付いていた。

 

 あいつは下を見つめて矢のように地面に自らを放つ。

 遠くからでもその衝突の轟音が届いてくる。



「おい……あんなの当たったら人間なんてひとたまりもないぞ……」



 ジ・ジャジさんの口からもれる言葉にぞっとする。

 そして後ろから肩を掴まれた。 



「アレン、お願い……」



 オリビアが顔だけ覗かせて懇願してくる。 

 その不安な顔はなぜか子供の頃にゴブリンに襲われた時のことを想起させられた。

 あの後、俺は何を思ったのか?

 と思ったのではなかったのか?



「くそっ! 行ってやるよ! でも期待するなよ!」



 馬車から降り遮二無二駆け出す。

 後ろから「バカ、どこ行くんだ!」とジ・ジャジさんたちに引き止められる声がして一度だけ振り返ると、荷台から顔だけ出した満足そうなオリビアの表情が見えた。

 


「ごめん、すぐに戻ります!」



 半ばやけくそ気味に叫び疾走、ようやく現場が目に入るとそこは壮絶だった。

 途中からも見えていたけど空に雨のように無数の氷が発射され、そして氷のドラゴンまで発生するしまつ。まるでおとぎ話の英雄譚だ。

 やっぱり俺がいる必要が無いだろ、とオリビアに文句が言いたくなるほど人外の戦いだった。

 地面に落とされた蜘蛛の化物は痛々しいほどの損傷状態でボロボロの姿になっていて、すでに終盤に差し掛かっているのが伺い知れた。


 セイリュウとかいう龍がその体躯で拘束しアオイがトドメを刺そうと肉薄する。

 急いで駆けつけたのにまったく出番がないことに内心ほっとした。

 あんな化物相手でもたったニ人でここまでやれるなんてすごすぎだろ。やっぱり自分とあいつらは違うんだとむざむざと見せつけられる思いだった。



 しかし――



「っくああああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 

 最初、我が目を疑った。

 あの無敵だと思っていたアオイが悲鳴を上げ貫かれたからだ。


 それでもすぐに立ち直って何とかするだろうと楽観視していた。

 けれどアオイも消耗しているのか、それ以上のアクションを起こせずに苦痛に顔を歪めるのみだった。ならばとカゲヤスに視線を移したが、彼も辛そうに膝を付いていて今にも倒れそうだった。


 それですぐに悟る。

 あいつらだってただの人間だ。ここまで追い詰めるためにきっと大変な思いをしたはずなんだと。

 オリビアの言っていることの方が当たっていた。

 勘違いしていた自分に腹が立つ。


 ならば、やることに迷いは無かった。



ガルトムント英雄の剣!! お前が英雄の証であることを俺に証明しろ!!!」



 即座に剣を飛ばす。

 ここからの距離と角度だと細かいコントロールは効かないし、アオイに当てないようにするのが精一杯だろう。

 それでもなりふり構わず上空から全身全霊の一撃を穿った。唸りを上げ垂直落下する俺の挟持プライド


 結果は剣先がめり込んだだけ。

 しかも飴細工のように剣をボロボロに潰された。

 

 無茶苦茶だった。やっぱり俺が、いや人間が相手していいものではなかったんだ。

 きっと全員殺される。何も守ることができなかったことがただただ悔しかった。


 だというのにアオイはそこからまだ諦めていなかった。



「こんちくしよぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!」



 遠くにいるこっちまで気迫が伝播してくるほどの絶叫。

 そして次の瞬間、世界に光が溢れ――俺は意識が無くなった。

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