第53話 偽物ではなく、本物の天使は翼をしまう 3

 ビヴァリーは、完成したばかりのクレイヴン厩舎の様子を隅から隅まで眺め、ここに馬たちが入る日のことを思い浮かべてにんまりした。


 真新しい馬房は空だったが、寝藁や飼い葉、手入れのための道具などは既に揃っている。


(あとは、馬がいれば完璧)


 ビヴァリーとハロルドが出資者兼共同経営者となるクレイヴン厩舎は、稼働させるための準備をすべて終え、あとは馬たちを迎え入れるだけとなっていた。


 ギデオンが住んでいる侯爵家の本邸と区別するため、ハロルドはビヴァリーの厩舎やかつて暮らしていた館には『クレイヴン』の名を冠することを決め、正式な書類にはすべてその名が使われることになっていた。


 準男爵位はなくなっても、その名前が残ることをラッセルも少しは喜んでくれるだろう。


「ビヴァリーっ! 遊びに来たわよっ!」


 しみじみと感慨に浸っていたビヴァリーは、聞き覚えのある声にパッと振り返った。


「マーゴットっ!」


 厩舎の入り口にいたのは、小ざっぱりした青いドレス姿のマーゴットだった。


 ひと月ぶりに会う友人に駆け寄り、ひしと抱き合う。


「ようこそ! テレンスさんは?」


「偽物天使様と話し中よ。ようやく、全部の罪状について取り調べが終わったみたいだから、その報告でもあるんでしょ。もう、半年ちかく連日新聞はそのことばかりで、みんな飽き飽きしていると思うわ」


 マクファーソン元侯爵とバルクール担当官が犯した数々の罪は、大きな話題となり、取り調べの様子や様々な人物の証言など、偽の情報を含めて毎日新聞で取り上げられていた。


 ビヴァリーも、タウンハウスにいるときは目にしていたが、厩舎が完成間近となった先月、ハロルドと共に王都を離れてグラーフ侯爵領へ戻って以来、すっかり世間から取り残されている。 


 一番気になっていたラッセルの死については、証拠となる品も目撃者もいないが、マクファーソン元侯爵と取引のある商会について調べて行く中で、父ラッセルの死は母デボラと共に殺害された商人の男の仕業であること。その男の背後にマクファーソン元侯爵がいたことがわかったと、ハロルドから聞かされた。


「まぁ、どちらも処刑台行きは免れないと思うけど」


 取り調べが終わっただけで、刑が確定しているわけではないので、先は長そうだとマーゴットは肩を竦めた。


「ところで……偽物天使様は、いい夫になりそう?」


「うん。こっちに戻ってからも忙しくしてるけど、出かけるって言っても領内だし、夜はちゃんと家にいる。王都と違って、毎日毎晩どこかでパーティーが開かれるわけじゃないから。本当は、王宮勤めは忙しすぎるから、早く足を洗いたいみたいだけれど、当分は無理かも」


 正式にギデオンの跡を継いでグラーフ侯爵となったこともあり、これを機にハロルドは王宮での職を辞するつもりだったようだが、ジェフリーとコルディア担当大臣の陰謀により、大臣の顧問役に任命された。


 王宮務めをする必要はないが、何かあった際には呼び出されるということらしい。


「そうじゃなくて、ちゃんと優しくしてくれているかってこと! もし違うようなら……」


 ビヴァリーは苦笑しながら大丈夫だと頷いた。


「ハルは、ちゃんと言うこと聞いてくれているよ。ドルトンとは仲が悪いけど」


 アルウィンのように、簡単に餌やおやつでは釣られないドルトン相手に、ハロルドは苦戦中だ。未だ一人では乗せてもらえない。


「……でしょうね」


「でも、冬の間、一生懸命世話をしてあげれば大丈夫だと思う」


 来年の春には頭数を増やす予定なので、馬丁や調教のできる人物などを雇うつもりでいるが、今年の冬はドルトンとその子どもたちだけだ。


 ビヴァリーとギデオンの厩舎で働く馬丁を一人借りて、乗り切るつもりだった。

 もちろん、ハロルドも作業をする人間の頭数に含まれている。


「それにしても……想像以上に大きいわねぇ」


 マーゴットは、少し離れた場所から建て直された煉瓦造りの頑丈な厩舎を見て、目を丸くした。


「そうかな? 王宮のは、この三倍くらいあるけど」


 火事で焼失してしまった王宮の厩舎は、ダメになった部分を取り壊した後、新たに建て直された。


 夏に完成し、家を失った馬たちはアルウィンを除いて王宮暮らしへ戻った。


 アルウィンは、ブリギッドとジェフリーと共に、他の馬たちが去ったあとも離宮に留まっている。


 妊娠していることが発覚したブリギッドが、無事出産を終えるまで王宮には戻らないことになったからだ。


 身重のブリギッドに代わり、ジェフリーがアルウィンの世話を買って出たようだが、角砂糖を持っていないと振り向きもしないと、自分のことをすっかり棚に上げたハロルドが笑っていた。


「全部で十五頭くらいまで入るけど、まずは五、六頭から始めるつもり」


「来年もレースに出るの?」


 甘い匂いが漂って来る館へマーゴットを誘いながら、ビヴァリーは「ちょっと考えてることがあって」と呟いた。


「ドルトンの子たちは、来年ようやく二歳になるんだけど、大きなレースは三歳馬以上が多いの。だから、その子たちにはあんまり乗らないし、各競馬場のコースは今年ほとんど下見できたから、騎乗の依頼も見送るかも」


「一年くらい休んでもいいんじゃない? 稼ぎすぎでしょ。そのうち、他の騎手から妬まれるわよ?」


 ブレント競馬場でのレースの後、ビヴァリーには騎乗の依頼が殺到した。


 競馬場でその日開催される全レースに乗るような時もあったくらいで、週末はいつもへとへとだった。


 泊まりがけで行かなくてはならない競馬場でのレースもあり、ハロルドには、ハロルド自身かギデオンが必ず同行することを約束させられた。


 馬車馬のごとく乗りまくった結果、ビヴァリーはかなりの金額を稼ぎ、銀行の預金額はハロルドの援助も必要ないのではと思われるくらいに膨れ上がった。


「それはないと思うけど……でも、その……繁殖を頑張ろうかなって思って」


「ふうん? 種牡馬はもう用意しているの? ドルトンだけ?……あ、この匂い、アップルクランブルかしら? ベイクウェルタルトもありそうね。あら! もしかして、チョコレートプディングも……?」


 鼻を引くつかせ、見事に本日のメニューを当てるマーゴットは、お針子じゃなくて菓子屋になったほうがいいんじゃないかと思いながら、予定している種牡馬の名前を告げた。


「ハルなんだけど」


「ふうん…………ええっ!?」


 あっさり納得したマーゴットは、玄関を入りかけたところでいきなり振り返った。


「あんた、種牡馬って……繁殖って……」


「上手く種付けできれば、来年には生まれる。人間の種牡馬もいつでもできるっていうし、毎日すれば私の発情期を計算しなくてもいいよね? ハルがあまり王都へ行かない今がぴったりだと思うの! 来年夏から秋にかけて出産して、生まれてから半年くらいで自立するとして……」


 頭の中で立てた繁殖計画を述べると、マーゴットに冷たい目で睨まれた。


「しないわよ。馬じゃないんだから」


「え……そうなの?」


「あんたねぇ……人間は育つのに、ものすごく時間がかかるの! 馬みたいに、生まれ落ちてすぐに立ったりできないでしょっ!?」


「そ、そうかも……」


 マーゴットは「はぁ」と大きな溜息を吐いたが「でも、悪くないわね」と言った。


「子どもが生まれたら、偽物天使様はそっちにかかりきりになって、ビヴァリーはもうちょっと自由に過ごせるんじゃない? 天使様なだけあって、子どもには好かれるみたいだし」


 とにかく、孤児院の子どもたちの、ハロルドに対する懐き具合がすごいのだと、マーゴットは頭を振った。


「あの子たち、完全に見た目に騙されてるわよ」


「騙されてるって……ハルは、パンとかお菓子とかを届けに行っているだけだと思うんだけど……」


 マーゴットとテレンスの結婚式で訪れた教会の孤児院に、あれ以来ハロルドは定期的にお菓子や服、日用品などを差し入れていた。


 もちろん、礼拝堂の長椅子をすべて新品に取り換え、壊れかけていた門を修繕し、板で塞がれていた窓にガラスを嵌めるといったことも手伝った。


 崩壊しかけている外壁は、ハロルドが派遣した煉瓦職人によって綺麗に直され、穴が開いていた屋根も大工がしっかり塞いだ。


「司祭用に、酸っぱくないワインも届けているわ」


 ハロルドは、かつて軍で一緒だったらしい司祭とよほどウマが合うらしく、働ける年齢になった孤児たちの今後について、住み込みの務め先だけでなく、通いの勤め先も選べるように、孤児院を増築しようという話までしているようだ。


「急に慈悲の心に目覚めたのかしらね?」


「ハルは……自分より弱い人たちには、優しいよ。ただ、偉そうなだけで」


「まぁ、口先だけで何もしないヤツラよりはマシだけど」


「実は……来年、厩舎が本格稼働し始めたら、一人か二人、孤児院から来てもらおうかと思っているの」


「それは喜ぶわね、きっと! こんな空気の綺麗なところで息が吸えるだけでも、幸せよ」


 マーゴットは大きく息を吸いこんで、広い空を見上げる。


「テレンスも、きっとこういうところで広い庭を持ちたいと思っているでしょうね。メアリの身体のことを考えたら、王都暮らしがいいとはとっても思えないもの」


「だったら、ギデオンさまのところの庭師に弟子入りしたらどうかな? 確か、跡を継いでくれる人がいないって困ってたから……」


 ビヴァリーの提案に、マーゴットは大きな目をさらに見開き、満開の笑顔になった。


「いいわね、それ! 話してみるわ」

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