第23話 必要なものは、馬車じゃなく馬です 5

 正直なところを告白すると、マーゴットはあっさり納得した。


「でしょうね。そうじゃなかったら、あんたの頭の中に虫でもわいているのかと疑うところよ。それ、言ってやれば? あの、高そうな鼻をボッキボキに折ってやりなさいよ」


 ナイフを手にしたマーゴットの迫力に、ハロルドの鼻は筋金入りなのでたぶん折れないと思いながらも頷く。


「でも、知らぬ存ぜぬで逃げ出したりしないくらいには、まともなんだろうけど」


 マーゴットの言う通り、ハロルドが、ビヴァリーをいくらかのお金と一緒に道端に投げ捨てたりせずに、ちゃんとしようとしてくれていることは正しいことなのだろう。

 でも、でもやっぱり何かが間違っているような気がする。


「あいつのアレを、細切れにして犬に食わせてやりたい……」


 キッシュを滅多刺しにしそうな形相で、マーゴットはハロルドを呪った。


「でも、犬は喜ばないんじゃ……」


「上品ぶったご令嬢たちなら奪い合うかもしれないわよ? 未来の侯爵様だしね」


「うん……」


 ビヴァリーが、結婚すると言うハロルドの考えに、素直に頷けない最大の理由はハロルドが貴族だからだ。


 ギデオンは、ラッセルやビヴァリーたち家族に対して、いつもとても礼儀正しく親切にしてくれたけれど、本当なら親しくすることなどあり得ない相手だ。


 ハロルドがギデオンの跡を継げば、あの大きな屋敷と広大な領地だけでなく、ギデオンが投資したり手掛けたりしている事業も引き継ぐことになるだろう。


 元準男爵令嬢とは言っても、ビヴァリーの中身は貴族ではない。

 ラッセルが生前言っていたように、貴族らしく振舞ったとしても、中身はただの馬好きの平民なのだ。

 とても侯爵夫人なんか務まるわけがない。


 それに、ビヴァリーは自分が稼いだお金で自分の厩舎を持ちたかった。

 自分のものだと言えるものを、自分の力で手に入れたかった。

 そのためには、競馬のレースでもう少し稼ぐ必要がある。


(それも……妊娠していたら、無理なんだけど……)


 ハロルドにキスされるとうっとりしてしまう自分がいけなかったとビヴァリーは思った。


 あの時、ハロルドを落ち着かせられなかったのは、ビヴァリーの動きが逆にハロルドを煽ってしまったからかもしれない。


 興奮して掛かってしまい、がむしゃらに前へ行きたがる馬を落ち着かせるには、ただ止まれと手綱を引くだけではダメだ。止めようとした動きが、逆に更に馬を興奮させることもある。


 馬と折り合うには馬のことをよくわかっていなくてはならないように、ハロルドが何を考えて、何をしようとしているのかも、よくわかっていなくてはいけない。


 自分より体の大きいものを扱う場合、安全を確保するにはどんな動きをするのか、何に興奮したり怯えたりするのか、熟知していなくてはならない。


 次の機会を期待しているわけではないけれど、扱い方を知っておいて損はない。


(どうすれば、うっとりせずにいられるのか、マーゴットにあとで聞いておこう……)


「ビヴァリー、あんたが気乗りしないのはわからなくもないけど、目標を達成するには手っ取り早いんじゃないの? 侯爵家ならお金も有り余っているんだろうから、厩舎の一つや二つ、あっという間に建てられるだろうし、馬だって好きなだけ飼えるでしょ」


「でも、ギデオンさまには、今でもたくさん助けてもらっているから」


「グラーフ侯爵?」


「うん」


 ラッセルが厩舎の火事で亡くなり、無事助かった馬たちを売り払わなくてはならなくなったとき、ビヴァリーは密かにドルトンをグラーフ侯爵家の館まで連れて行き、ギデオンの留守を預かっていた家令に託した。


 いつかドルトンを引き取りに来るから、それまで預かってほしいと頼み込んだのだ。


 それからしばらくは、色んな場所や職を転々とし、生きていくだけで精一杯だったため餌代を送ることもできずにいたが、二年前に初めて競馬でまとまったお金を手にしたとき、ようやくいくらかを餌代としてギデオンへ送った。


 元気にしていることと、もう少しだけドルトンを預かっていて欲しいことだけを綴り、どこに住んでいるかは書かなかった。


 返事が来ることはないと思っていたけれど、ある日道端で靴磨きをしていた子どもから、いきなりギデオンの手紙を渡されて驚いた。


 ビヴァリーがどこにいるかまではわからなかったようだが、王都中の通りで仕事をしている子どもたちに、ビヴァリーに似た人物を見かけたら手紙を渡してほしいと頼んでいたのだ。


 ギデオンは、今すぐビヴァリーを引き取りたいと言ってくれたが、ビヴァリーは断った。


 ラッセルがギデオンから貰った大事な厩舎や馬を失くしてしまったことが心苦しかったし、辛い思い出が残る場所を目にするのがまだ怖かったのだ。


 だからギデオンには、お金が貯まったら、今では再びグラーフ侯爵領になっている焼け跡に自分の厩舎を作らせてほしいと頼んだ。


 ギデオンはもちろん了承してくれ、ビヴァリーがこれと思う牝馬を見つけ出し、届けてほしいと依頼してきた。


 ドルトンの子どもを作れば、そのうち何頭かはビヴァリーが厩舎を持つ頃にはレースに出せるようになっているはずだし、そうでなかったとしても欲しいという人に売ることもできる。売ったお金は、厩舎を作る資金にすればいいと言ってくれたのだ。


「私だったら、養女でも何でもいいから、侯爵さまのお世話になるけれどね。ほんと、ビヴァリーは馬鹿正直っていうか……もうちょっと世渡り上手になりなさいよ」


 呆れ顔でビヴァリーを叱ったマーゴットはハッとしたように、顔をしかめた。


「ダメだわ。養女になったら、あの偽物天使と兄妹になるじゃない! 妻ならまだ色々と対抗手段はあるけれど、ビヴァリーが妹なんてことになったら、あの男……奴隷のように扱いかねないわ」


「奴隷って……ハルはそんなことはしないと思うけど」


 ハロルドは、大体において偉そうではあるけれど、馬には優しいし、自分より弱い相手に乱暴なことはしないのだが、マーゴットの目にはすっかり邪悪な悪魔に見えているのだろう。


「少佐は、尊大ではあるが残酷ではない」


 一応、ハロルドのために言い訳しておこうかと思ったとき、唐突に低い声が響き、マーゴットが飛び上がった。


「それに、聞く耳を持たないときもなくはないが、間違っているとわかったら、ちゃんと改める。ごまかしたり、見て見ぬふりをしたり、卑怯な真似はしない」


 ビヴァリーの代わりに、ハロルドを擁護したのはいつの間にか階段に座り込んでいたテレンスだった。


「テレンスっ! その図体でいきなり現れたら、驚くでしょ」


「少し前からいたんだが、話に夢中だったから声をかけそびれた」


 マーゴットの抗議にぼそっと反論したテレンスは、テーブルの上に並んだおいしそうな料理を見るといかめしい顔を綻ばせた。


「食ってもいいか?」


「ダメって言っても食べるんでしょ」


「その場合は、見つからないようにこっそり食べる」


「その体で目立たないように行動するのは無理でしょ」


「そんなことはない。軍では、主に諜報活動をしていた」


「うそっ!?」


「本当ですかっ!?」


 マーゴットとビヴァリーが驚いている隙に素早くキッシュの皿を確保したテレンスは、大きな口へ丸ごと一切れ押し込んだ。


 あっという間に咀嚼し、スープで流し込んだテレンスは、まだ全部は切り分けられていないホールへ手を伸ばしかけたが、ぴしゃりとマーゴットに叩かれて手を引っ込める。


「まぁ、もっぱら脅して吐かせる手法だが」


「でしょうね。間違っても色仕掛けは無理ね」


 恨めしそうにキッシュを見つめるテレンスの皿に、マーゴットはホールの四分の一ほどのキッシュを切り分けてやった。


「普通の軍人じゃ、一週間で『ビリー』を見つけられない。まぁ、グラーフ侯爵がおまえから届いた手紙や馬のことを教えてくれなければ、もう少し手こずっただろうがな。少佐が年を取ったら、あんな紳士になるのかと思うと、興味深かった」


「ギデオンさまと会ったんですか?」


 驚くビヴァリーに、テレンスはほんの二時間程度だが、と頷いた。


「近いうちにおまえにぜひ会いたいと言っていたから、少佐と結婚するならちょうどいいだろう。暮らしぶりを報告したら、やはり養女にすると言い張っていたし、形は違えども娘にはなるわけだから、喜ぶんじゃないか?」


「それは……どうかな。養女にするのと、お嫁さんにするのとでは話が違うと思うけど」


 ギデオンはとても親切だし、心からビヴァリーのことを心配してくれているのだとわかってはいるが、それでもやはり貴族だ。


 ビヴァリーが拭いきれない不安を口にすると、あっという間にキッシュを平らげ、二杯目のスープを飲み干したテレンスが太い眉を片方引き上げた。


「グラーフ侯爵は少佐より寛大だし、自分が何を求めているかよくわかっている。娘でも嫁でもかまわないだろう。家族になるのなら。それで、おまえはいつ正直に少佐に話す気だ? ビヴァリー」


 黒い瞳に見据えられて、ビヴァリーは言葉に詰まった。

 テレンスは、仕方がないヤツだと言うように大きな溜息を吐く。


「グラーフ侯爵は、少佐が父親のせいで賭け事を忌み嫌っていることを知っているから、おまえの消息については厩舎で働いているようだとしか話していない。俺からも、少佐には伝えていない。命令は、おまえを見つけることだけだったから、おまえがどんな仕事をしていたのかも話していない。俺の仕事は、少佐が求めるものを差し出すことであって、求めていないものを差し出すことはしない。余計な雑音が、判断を狂わせることもある。目の前に本人がいるのなら、直接聞くのが一番だろう。他人のことを完全に知ることは不可能だからこそ、誰かの意見に左右されるべきではない。自分の目で見て、耳で聞き、肌で感じてこそ、本当に相手を知ることができる」


 テレンスはもう一度大きく溜息を吐くと、美味しそうな卵色のキッシュが載った皿を渋々、ビヴァリーの目の前にずいっと押しやった。


「少佐は勇猛な軍人だが……ある種の女に弱い」


 ぼんやりしていたら名残惜しそうに見つめているテレンスに食べられそうだ。

 ビヴァリーは取り敢えずフォークを突きさして奪われないよう確保した。


「その女の前だと、正常な判断力を失い、臆病風に吹かれて及び腰になる。泣かれると致命的だ。うろたえて、我を忘れてとんでもない行動に出る。最悪なのは……そうなっていても、自分がかなりの重症であることに気付いていないことだ」


「……馬鹿なんじゃないの?」


 マーゴットの言葉に、テレンスは難しい顔のまま頷く。


「その通りだ。しかし、どんな男も惚れた女の前では、似たようなものだろう。それが初恋の相手ともなれば、瀕死の状態になりかねない」


「つまり……」


 マーゴットとテレンスにじっと見つめられ、ビヴァリーは引きつった笑みを浮かべながら、小さな声で呟いた。


「それはないと思うけど……」

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