第五章・【羊の王と堕ちる豚】
第36話・出荷寸前
「ど、どういうことよ!!」
「サリー、わ、私たちが……なぜ!?」
サリヴァンの口から語られたのは、アスモデウス領の財政難の始まりと、リューネとレイアの一時帰郷だった。その事実にリューネとレイアは心底驚いた。
「すまないリューネ、レイア。君たちにはセーレ領に戻って欲しい。その……君たちの故郷でもあるし、セーレ領の内情を知るためには君たちを送るのが一番だからさ」
「で、でも、私たちは故郷を捨てたのよ!? 今更どんな顔をして帰れば……」
「そ、そうですよ。両親だって私たちを許すはずがないですよ!!」
「すまない。だがこれは決定事項だ。受け入れてくれなければ、離縁を覚悟してくれ」
「そ、そんな……」
「り、離縁……うそですよね、サリー」
「すまない……必ず迎えに行く、だから今はセーレ領へ戻ってくれ」
リューネとレイアは、まさか自分たちがこんな目に遭うとは考えていなかった。
大事な話と言うからサリヴァンの正妻の事だと身構えたが、そんな甘い話では無く、まさかの帰郷についての話だった。
他の愛人についても同じだった。ある者は一時帰郷、ある者は別宅への移動、そしてある者は………離縁状を突き付けられた。
リューネとレイアは、ここでようやく気が付いた。アスモデウス領の財政難が、思った以上に深刻だと言うことを。離縁状を突き付けられないだけマシだと考えるしか無かった。
セーレ領への帰郷は一週間後。それまでに支度をして出発をしなければならない。
リューネは甘えるような声でサリヴァンに言う。
「サリー、せめて今夜は……」
「すまない、すぐに仕事に戻らないと……」
サリヴァンはそれだけ言うと、すぐに部屋を出て行った。
集まった愛人達は何も言わず、一人、また一人と部屋を出て行く。
最後に残ったリューネとレイアは、お互いの顔を見て項垂れる。レイアはリューネに言った。
「姉さん……どうするの?」
「………」
リューネは、何も答えなかった。
**********************
リューネは自室で荷物の整理をしていた。
ちなみに、モエとアミーもセーレ領へ向かうことに。モエは故郷でもあるが、アミーは「こっちよりそっちの方が面白そう」という理由からで、今はレイアの荷物整理を手伝っている。
リューネは自宅に帰ることも考えたが、ハオの町にある宿を利用することにした。父母の顔などほぼ忘れていたし、今更どんな顔をして戻れば良いかわからない。それに、離れていても今のリューネはアスモデウスなのだ。セーレと袂を分けた以上、必要以上の世話にはならないつもりだった。それがリューネのプライドであり、貴族としての意地だった。
「モエ、貴女はどうするの? セーレの屋敷に帰るの?」
「いえ。私もリューネ様のお側に」
「そう……好きになさい」
「はい」
リューネは、殆ど着ることの出来なくなった服を選び、モエに指示をして鞄に詰める。
モエは黙々と作業をしながら、今回の件について考えていた。
「………リューネ様、セーレ領への帰郷はいつ頃まで……?」
「………取りあえず、三月ほどね。サリーがアスモデウス領を立て直したら、遣いを寄越すと言っていたわ」
「そうでございますか……」
おそらく、その遣いはやってこないとモエは悟った。
**********************
離縁状を突き付けられていないだけ、リューネとレイアはマシだとモエは考えていた。
この一時帰郷は、離縁と何ら変わりが無い。アスモデウス領を立て直してから遣いを送ると言うことは、立て直せなければ一生遣いなど寄越さないという事なのだ。むしろ、子供を産んでも居ないリューネとレイアを呼ぶ理由はもうない。
もしアスモデウス領を立て直したなら、リューネとレイアを呼ばずに新たな愛人を娶るか、残ってる数人の愛人だけを囲い生きていけば良い。今残ってる愛人は、子供を産んでいて尚且つその子供は男である愛人だけだ。
少し考えればわかる。サリヴァンはこれを機に、リューネとレイアを捨てるつもりなのだ。他の愛人にしてもそうだ。サリヴァンはきっと、空気の入れ換えをするような感覚で愛人の整理をしたのだ。
「はぁ……あんな田舎に帰らなくちゃいけないなんて。つまらないわね」
「…………はい」
そんな事にも気が付かないのか、リューネは椅子に座り、タルトを貪っている。
その姿があまりにも憐れで………滑稽に見えた。
「モエ、支度が終わったらレイアの様子を見てきてちょうだい」
「畏まりました」
だけど、それはモエも同じだ。
リューネのメイドである以上、モエも出て行かねばならない。
未練など欠片も無い。あるのは故郷への思いとアローに対する贖罪の気持ち。
もし叶うのならば、モエはアローに謝りたい。アローを探しに行きたい気持ちで一杯だった。
何故、モエは気が付かないのか。
モエはアローを裏切ったのに、何もしないで見送ったのに。
アローに会えば、アローを探せば、アローに謝れば全てが元通りになる。何故かモエはそう信じていた。
都合の良い幻想に縋るモエもまた、とても憐れだった。
**********************
「アミー、お茶」
「はい、レイア様」
レイアは、リューネほど楽観視していなかった。
この一時帰郷が長くなると覚悟し、これからの立ち回りを考えるくらいは利口だった。
アミーの注いだぬるめの紅茶を啜りながら、アミーに聞く。
「ねぇアミー、私はどうするべきかしら?」
「え、ど、どう……とは?」
「簡単よ。このままアスモデウスに居るべきか、それとも新たな道を探すか……」
レイアはまだ若い。姿は以前とは比べ物にならないくらい醜く脂ぎっても、やり直すことは十分可能な年齢だった。
それはリューネも同じだが、プライドの高い姉は決してアスモデウスから逃れようとしないだろう。サリヴァンが迎えに来るまで、セーレ領で過ごすだろうとレイアは考えていた。
どの道、レイアに残された道は多くない。アスモデウスの迎えを待つか、惨めにセーレ領で待つかだけ。そう考えながら、レイアはお茶を一気に飲み干す。
「おかわり」
「はい」
「それで、どう思う?」
「ええと………レイア様が信じる道を進めば、それでいいと思います」
「信じる、道?」
「はい。僅かですが思い出したのです。私の大事な|友人(・・)が、いつもそう言ってたのを。長い銀髪を翻し、自信たっぷりに……」
「ふぅん……」
レイアは、アミーの記憶などどうでもよかった。
自分の信じる道。そんなものはない、あるのは貴族となり贅沢な暮らしを堪能してきた自分だけだ。用意された黄金の道を歩いてきた。そして今、真っ暗で先の見えない道がいくつか分かれている。
「…………ふぅ」
レイアは、どの道を選ぶのか。
どんな道を選べば、黄金の道に舞い戻れるのか。
「…………」
アミーは、レイアの背後で暗い笑みを浮かべた。
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