第15話・モエ


 『───────────ガチャン』



 それは、ティーカップが落ちて割れる音だった。

 豪華な装飾品や調度品で彩られた部屋の女性たちの視線は、その音源へ向く。


 「……申し訳ありません、すぐに片付けます」

 

 アローの追放後。

 アスモデウス本家に務めるメイド・モエ。彼女は割れたカップを片付ける。

 すると、うんざりしたような声が掛けられた。


 「モエ、いい加減にしなさい。貴女、最近おかしいわよ?」

 「……いえ、そんなことは」

 「そうですか? 顔色も悪いですし、お休みした方がいいんじゃないですか?」


 声の主は、モエの主であるリューネとレイア。

 厚い化粧をし、宝石や美しいドレスを着た彼女たちは、見た目と同じ位、心も変わってしまった。

 

 ここはアスモデウス本家・『婦人たちの間』

 サリヴァンの愛人たち専用の、お茶会を楽しむ部屋である。

 

 現在、12人の愛人たちがティータイムを楽しんでいる。

 話の内容は、宝石の話やドレスの話題、町の美味しい飲食店や、他の領土で開かれる晩餐会の出席のこと、新しいドレスを新調しただの、セレブな話題ばかり。

 その会話にリューネとレイアは当たり前のように参加し、笑っている。


 リューネとレイアが手に入れた未来は輝いてる。 

 だが、モエが手に入れた未来は暗黒だった。


 「申し訳ありません……失礼します」



 モエは割れたカップを片付け、ティーカートを押して退室した。

 


 **********************

 


 アローとモエの出会いは、10歳の頃。


 庭師の父と、病弱な母の元に生まれたモエ。

 母はモエを産んですぐに亡くなり、モエは男手一つで育てられた。


 家に居ない父の代わりに、小さいながらもモエは必死に家事をこなし、仕事を終えて帰って来る父のために、美味しい料理を作ろうと頑張る。だが、モエが10歳の頃父は病死。モエは天涯孤独になった。

 

 アローの父ハイロウは、長年庭師として働いていたモエの父の死を悼み、残されたモエをメイド見習いとして引き取ることを決意した。

 そして、息子アローの専属メイドとして、婚約者のリューネとその妹レイアの友人として、共に成長してくれることを期待し、その期待は見事に果たされた。


 引き取った当初から家事の基本は出来ていた。

 あとはハイロウの屋敷に居るメイドから細かな作法や言葉遣いなどを習い、すぐに一人前のメイドとしてアローの傍で共に過ごした。

 

 ねぼすけのアローを起こし、朝食の世話をし、部屋の掃除をし、アローに無理矢理外に連れて行かれ、リューネとレイアと一緒に近くの山を駆け回り、ドロドロになって屋敷に戻り、メイドにこっぴどく叱られる。

 いつの間にか、アローたちと過ごす時間は、メイドのモエではなく友達のモエとして、一緒に居ることが多くなっていた。


 だが……その関係は、少しずつ変わる。

 いや、モエの中だけで変わる。


 モエは、アローに恋をした。

 だが、アローに出会った時、すでにリューネは婚約者。

 小さい頃は婚約者という意識はなかったが、徐々に、徐々に理解していった。


 アローは、モエのご主人様。

 リューネは、アローの大事な婚約者。

 お互いが納得し、将来を共に歩むことが決まっている。

 

 そのことを祝福しつつ、モエの心は痛みを発していた。

 なぜ自分ではないのか。だが自分はセーレ家のメイド、しかもアローはご主人様。ご主人様に恋するメイドなんておかしい。そう考え自分を無理矢理納得させた。


 そんな思いを抱えたまま17歳に。

 心身共に成長し、メイドとしてアローを支える毎日。

 徐々に領主としての仕事を覚え始め、セーレ家の次期当主としてアローは逞しくなっていく。

 その姿はモエにとってとても眩しく映る。


 そして、アローとリューネが結婚する9ヶ月前、その出会いがあった。

 アローの人生を狂わせ、リューネとレイアを寝取った忌まわしき男。



 サリヴァン・アスモデウスとの出会いが。



 **********************



 サリヴァンとの出会いは、恋を知らないリューネとレイアにとって劇薬のような物だった。

 レイアは甘い言葉に惹かれ、恋を知らないリューネは、決められて納得した婚約者よりも、自分の中から湧き出る恋心を取り、アローを捨ててサリヴァンを選んだ。


 モエは最初から分かっていた。

 リューネとレイアがサリヴァンに惹かれ始めていることに。

 恋を知らないリューネが、サリヴァンのアプローチに揺れていることに。


 このままでは、リューネはサリヴァンを選ぶとモエは理解した。

 長い付き合いだからわかる。リューネは直情的だから、自分の中に湧き上がる心に素直になるだろうと、モエは理解していた。

 アローのために、無理矢理にでも止めるべきだった。セーレ領土へ、引きずってでも連れて帰るべきだったのだ。


 だが、ここでモエは迷ってしまった。


 もしリューネがサリヴァンの求婚に答えれば………婚約は破棄され、モエにチャンスが来るのではないか、と。

 冷静に考えれば、そんなことはあり得ないのに。


 そしてリューネとレイアはサリヴァンを選び、アローを捨てた。

 だが、この瞬間モエは激しく後悔した。

 リューネとレイアがサリヴァンを選べば、アローは悲しむだろうと。リューネとレイアを任された自分は、アローの信頼を裏切ってしまったということを。

 

 モエの中に生まれた欲望が、アローから大事なモノを奪ってしまった。

 そんなモエが、アローと結ばれる資格などあるワケがないと、モエは本気で思っていた。


 モエは悔いていた。

 アローを思うが故に、モエは苦しんだ。

 もうセーレ領には帰れないと嘆き、そんな価値も自分には無いと言い聞かせた。


 帰ることも出来ないモエに残されたのは、メイドとしての技術。

 サリヴァンに頼み、メイドとして働くことしか出来なかった。

 モエは、全く気が付いていなかった。ここでセーレ領土へ帰るべきだったのだ。



 事態が、最悪の方向へ進んでいることに。



 **********************



 アスモデウス本家のメイド服を着たモエは、サリヴァンにお茶を出していた。

 サリヴァンの表情は何故か嬉しげで、手には一枚の書類があった。

 すると、ドアがノックされ、リューネとレイアは、サリヴァンの執務室に入ってきた。


 「やぁ、少し……残念な話がある」

 「どうしたの? そんなに改まって?」

 「大事な話ですか?」

 「ああ……」


 サリヴァンは執務机で腕を組み、目を伏せる。


 「リューネ、キミの元婚約者アローに、スパイの疑惑がある」

 「………アロー? ああ、アローね……スパイの疑惑!?」

 

 モエの表情が固まった。

 リューネは、アローのことを忘れていた。


 「実は、アローが所用でアスモデウス領から去った後から、アスモデウス本家の重要書類がいくつか紛失してるんだ。疑いたくないが、状況からアローとしか考えられない……」

 「……それ、本当なの?」

 「ああ……申し訳ないが」

 「じゃあ、私が直接確かめるわ。セーレ領に行く」

 「お姉ちゃん、私も行く……サリヴァンを苦しめるなんて、許せない」

 

 モエの思考は、停止していた、

 2人の瞳は怒りで燃えていた。

 

 「待ってくれ。証拠の書類を抑えればアローを罪に問える手筈を整えてる。現在、四大貴族の三家に確認をとり、現当主アローの処遇を決定する」

 「現当主? ハイロウ様は?」

 「ああ、彼は過労で亡くなった」

 「ふーん」

 「そうですか」


 リューネとレイアは特に感情を浮かべなかったが。


 モエは真っ青になり震えていた。

 自分を引き取り、二人目の父親として育ててくれたハイロウの死。そしてアローのスパイ疑惑。どれも信じられなかった。


 「君たちの元婚約者だ。死罪だけは勘弁してやりたい」

 「どうでもいいわ。でも、ちゃんと謝罪はして貰わないとね」

 「そうですね。このアスモデウス家に泥を塗った罪は償って貰いませんと」


 こうして、アローの処遇は決定した。

 その処遇は、セーレ領の没収と72の地域で全くの未開発地域である『マリウス領』への追放。セーレ領はアスモデウス本家が管理する事で決まった。


 その決定を受け、リューネたちはセーレ領へ出発した。

 モエは同行し、一目でもいいからアローに会いたかった。

 

 

 そんな資格なんて、既に無かったのに。



 **********************

 


 久し振りに会ったアローは、少し痩せていた。

 ちゃんとした食事をしてるのだろうか、忙しくてロクに食べていないのは直ぐにわかった。

 

 だが、そのことを指摘することは出来ない。

 そんな資格はないし、モエはすでにアスモデウス本家のメイドだ。


 信じられないことに、リューネはアローの頭を踏みつける。

 レイアは、信じられないくらい冷たい笑みを浮かべてる。


 「私、変わったのよ? こんなに綺麗なドレスに宝石、貴方の婚約者のままだったら、一生縁が無かったでしょうね。だからサリーには感謝してる。私とレイアは、あの方の妻として支えて行くわ」

 「さようならお兄ちゃん、楽しかったよ」


 それは、別れの言葉。

 ずっと一緒だったリューネとレイアは、死んでいた。

 ここにいるのは、アスモデウス家次期当主サリヴァンの愛人だ。


 「モエ‼ お前もなのか·······」

 「······はい。ご主じ······アロー、さま」


 自分に向けられた言葉。

 モエは、鍛え抜かれたメイドの顔で答えた。

 表情を殺し、平べったい声で答えた。


 

 こうしてアローは捕まり、連行された。



 **********************



 次に再会したアローは、怨嗟の瞳を向けていた。

 モエの仕事である、アローへの食事配膳。もしかしたら言葉を交わせるという思いは、儚く散った。

 

 「食事です」

 「………」


 モエはトレイを小枠から出す。

 するとアローは立ち上がり、そのトレイを全力で床に叩きつけた。


 「よく顔を見せれたな、裏切り者が」

 「………」


 当たり前の言葉。

 モエはアローを裏切った。自分の中に芽生えた欲望に勝てず、リューネとレイアをサリヴァンの元へ送った。


 「殺してやる……絶対に殺してやる!!」

 「……はい、殺して下さい」

 「っっ!! この、クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 殺されたかった。

 怖さとアローへの思いから、自分で死ぬことなど出来なかった。

 だがモエは、アローから全てを奪ったに等しい。


 「全部、全部失った!! リューネとレイアも、セーレ領も、父上も!! ぜんぶサリヴァンのせいで失った!! 何が鉱山だ!! ふざけやがってチクショォォォォっ!!」

 「………」

 「ずっと一緒だったのに……お前も金と宝石に目が眩んで俺を裏切った!! ずっと一緒だった絆よりも金に目が眩んだ!! 父上だってお前を信じてたのに……」

 「………」


 否定できない。

 金と宝石なんか興味は無い。だが、アローを裏切った事実は変わらない。

 ハイロウも、セーレ家も、何もかも裏切ったのは間違いない。


 「それでは、失礼します」

 「………」


 それだけを返すのが精一杯だった。

 もう、何もかもが遅かった。



 「死んじまえこの裏切り者がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」



 心からの怨嗟の叫びが、モエの心を貫いた。



 **********************

 


 アローの処分が下され、再び地下牢へ。

 食事を配膳したが、またもや床のシミになった。


 「失せろ、クソ女が」

 「はい、失礼します」


 これが、きっと最後の会話。

 もう昔には戻れない、完全な終わりの言葉。

 モエは地下牢を出て、職務中だが自室へ戻った。


 必要最低限のモノしかないシンプルな部屋。

 自分の物は極力持たない、モエの性格が出てる部屋だ。


 「………はぁ」


 全て、モエが悪いのは分かってる。

 もし、余計な欲望に囚われなかったら。もし、リューネとレイアを止められず求婚を許しても、モエだけはアローの傍に帰ることが出来たら。


 今更、何を考えても遅い。

 自分は傍観してただけ、結局は何もしなかった。


 「………私、死んだ方がいいのかな」


 なぜ、アスモデウス本家でメイドをしてるのか。

 メイドの技術を磨いたのは、アローのためだったのに。


 「………ばか、みたい」



 モエの瞳から、一滴の涙がこぼれ落ちた。



 **********************



 アローがマリウス領に送られ1ヶ月が経過した。

 モエは自分で死ぬことすら出来ずに、今日もメイドとして働いている。


 リューネとレイアのために、紅茶を煎れる。

 サリヴァンのために、紅茶を煎れる。


 アローと違い、モエは全てを失ったワケじゃない。

 親友であったリューネとレイア、父親代わりだったハイロウ、愛していたアローは失った。

 だが、モエにはメイドの技術が残された。


 今日もモエは、メイドとして働く。

 傍観者として、ただ流されるままのメイドとして。

 長いものに巻かれる、弱者として。

 


 心を殺し、裁きが下るその日まで。

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