人間

「すまないね、佳祐。僕はどうやら浮かれているらしい」

「浮かれてる?」

 口元に僅かな微笑を湛えたまま、叔父は俺の顔を覗き込んだ。

 浮かれている人間というのは、こんな顔をするものなのだろうか。

 

「ああ。長年の悲願が、とうとう今日――」

「あら、まだ済ませてなかったの?」


 叔父の声を遮って、俺の背後から女の声が聞こえた。

 その声に俺が振り返れば、薄暗い室内の中に、とろりとした金髪が浮かび上がっている。

 その下に覗く日本人離れの美貌と、紫のジャージに押し込められたグラマラスな肢体。


「やあ、貞子。ご苦労だったね」

「どういたしまして。まあ、お安い御用と言っておこうかしらね」


 すたすたと、俺の右後ろに歩み寄った金髪の美女――貞子を、俺は諦念にも似た心境で睨め上げた。

「あんたら、グルかよ」

「怒らないで、佳祐くん。そもそも、あなたが最初からこの人を頼っていれば、私だってあんな真似しなくて済んだんだから」

「はぁ?」

「まあ、グルっていうのはホントね。この人、色々と『見える人』なのよ。私の仕事、手伝ってもらってたの。おかげで成績も楽々上がったわ。その代わりに、この人のことも手助けしてあげてるの」


 貞子は困ったような笑みを浮かべて、ずっと倒れていたせいで乱れていた俺の髪を払い、丁寧に整えた。手つきだけは優しいはずなのに、そこから感じる冷気が背筋をぞわりと撫で上げ、俺は咄嗟に後ずさる。

 それを追って僅かに宙を泳いだ手を、貞子はすぐに引っ込めると、ただ無言で、再び困ったように微笑みを寄越した。


「おや、嫌われてしまったようだね、貞子。こちらへおいで」

「やあよ。二重の意味で。今のあなたに触ったら、私まで吸い取られちゃいそう」

「もう一つの意味が気になるところだが……。まあ、今はよしとしよう」


 吸い取られる?

 また一つ謎の言葉を吐いた貞子は、豊かな胸を支えるように腕組みをし、一歩下がって俺と叔父から距離を取った。

 尻餅をついた状態でそれを見上げた俺に、叔父は胡坐をかいたまま正対し、再びあの奇妙な微笑みを浮かべてこちらの顔を覗き込んだ。


「佳祐。今の君の脳裏には様々な疑問が乱れ飛んでいることだろうと思う。そして僕は、その全てに答えを用意することが出来る」

 そんなことを言う叔父に、俺はどうしても目を合わせることが出来ない。

 それなのに、伏せた視線の外側から、紡ぎ出される言葉に乗って光が発せられるように、正体不明の圧力プレッシャーが俺の全身を圧している。


「僕は以前から貞子たちのような存在がいることは知っていた。彼女たちの持つ、魂に干渉する力。それはね、決して彼女たちにしか扱えない力ではないんだ。現にこうして、僕はその力を彼女たち以上に使いこなすことが出来ている」

「古来、宗教家と呼ばれる存在のうちの幾人かは、この力を扱っていたのではないかと、僕は考えているんだよ、佳祐」


 その言葉の、一音一音が、光の波となって俺の体を柔らかく打つ。

 俺の体の輪郭が、少しずつ溶かされていく。


「僕はね、佳祐。『人間』になりたかったんだ」


 人間に、なる?

 この人、人間じゃなかったのか?


「僕が、というより、この世に生きる『人間』と呼ばれている生き物たちが、だね。僕にはとてもそうは思えない。僕らと野猿と、一体どれほどの違いがあるのだと思う?」

「ああ。犯罪だの戦争だのがなくならないなんて、ヒューマニズムやらモラリズムを口にするつもりはないよ。僕の目には自己愛にしか映らないね、ああいうのは」

「そうではなく、根本的に」

「この世界の『人間もどき』は、存在として不完全なんだ」


「ある者は知性が足りない。ある者は力が足りない。ある者は勇気が足りない。ある者は優しさが足りない」

「多様性と言えば聞こえがいいが、そんなものは、みなが賢しらに自らの欠点を見せびらかして個性ぶってるだけだよ」

「足りないものを埋めようともしない」

「怠慢だ」

「世界各地で説かれる道徳や美徳も、そうなればいいなという願望でしかないんだ」

「宮沢賢治は慧眼だったね。『サフイウフモノニ、ワタシハナリタイ』。あれはね、佳祐。決してそんな『人間』にはなれやしないと、よくよく分かっていたから言えるセリフだよ」


「僕らはね、割れたビスケットの欠片なんだよ、佳祐」

「皆が皆、それぞれ『人間』の一部パーツを持ってはいるが、それは決して『人間』そのものではない」


 執拗に俺の名前を呼ぶ叔父の言葉は、いよいよ俺の体を透かして意識に直接語りかけているかのようだった。

 徐々に視野が狭くなっていく。

 貧血を起こした時の症状にも似たそれは、俺の思考を溶かし崩していった。


「僕は『人間』のパーツを集めた」

「そのために貞子たちの持つ力を身に着け、他人の持つ魂の一部を自分に取り込んでいった」

「あの『虚ろな顔』はその副産物でね。『旭の会』は彼らを飼育し管理しておくための養豚所だったんだよ」

「僕は魂を集めた」

「善も悪も」

「仁義礼信智も貪瞋痴慢疑見も」

「忠義忍耐慈悲勤勉節制博愛純潔も」

「傲慢憤怒嫉妬強欲暴食怠惰色欲も」

「『人間』を構成する欠片を、片っ端からね」


「『塊魂』というゲームを知っているかい、佳祐?」

「僅か5センチメートルの星の王子が、地球上の色々なモノを集めて夜空に星を浮かべるゲームだ」

「始めは王子の大きさに見合った小さなモノしか集まらない。消しゴム、電池、クレヨン。徐々に塊が大きくなっていくと、果物やクッション、植木も取り込めるようになる。やがて動物や人間も巻き込んでいき、ついには建物や山でさえも纏めて一つの巨大な塊を作っていくようになる」


「僕の魂も、どんどん膨れていった。そして次第に、『真なる人間』に近づいていった」

「あらゆる波長の光を集めると真白に近づいていくように、自らの重力によって星が自然と球形をなしていくように」

「円く、円く、白く、白く、そして、おおきくなっていった」


「けどね、佳祐。ただ膨れ上がるだけじゃ意味がないのさ」

「そこには終わりがない。際限なく膨れ上がった力はいずれ破裂し、拡散してしまう」

「どこかで『完成』しなくてはいけないんだ」

「ゲームには必ず『終わり』があるように」


「だから僕には、君が必要だったんだよ、佳祐」


 熱に浮かされたように、きらきらと光る瞳で叔父は俺の眼を深く覗き込んできた。



「復讐を果たし、人生の目的を完遂させた、君の魂がね」



 ……。

 ………。

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