侵略

 考えてみれば当たり前だ。

 今までこの部屋に誰かを上げたことなどなかったから意識することもなかったが、築ウン十年の木造アパートなのだ。

 どたばた暴れ回った上に小一時間ぺちゃくちゃと喋り続けて、音が漏れていないはずがない。


 俺は羞恥で顔が赤くなるのを意識しながら、縺れる手でドアチェーンを外し、鍵を開けた。

 せめて誠心誠意謝らなくては。


 そう思った、俺の目の前に。


「すみませんでし……え?」


 虚ろな顔の男がいた。


 先ほど、ドアスコープ越しに見た男の顔。

 成程、思い返してみれば、それは確かに下の階の住人の男に間違いない。

 だが、記憶を更に辿ってみれば、その男性は先程見たような気弱そうな顔をする人間だっただろうか?

 どちらかと言えば、始終機嫌悪そうに世の中を睨みつけ、時折昼間から酒の匂いを振りまいているような男であったはず。


 そうだ。

 これは気弱そうな顔なんかじゃない。


 目は焦点を失い、口元は半開き。

 頬は力なく垂れ下がる。

 これは、つい小一時間前に見たばかりの顔。


 幽霊男と同じ顔だ。


「えっ……と」


 呆気に取られた俺が声を失っていると、表情を失くしたその男はドアの端を掴み、強引に開いた。

 そして、その横から、同じように表情を失くしたもう一人の男が現れる。

 目の前の中年男と比べれば年若い、長身を猫背で曲げた不健康そうな体つきの男。

 

「え……ちょっ」

 ドアスコープの死角に隠れていたらしいその男は、確か二つ隣の部屋の住人のはずだ。

 無言のまま足を踏み出し、俺の肩に手を伸ばしてくる。


 そちらの部屋にまで声が伝わっていたか?

 怒られるのか?

 いや、それにしては明らかに二人の様子がおかしい。 

 咄嗟に身を引いた俺を追って、まるで感情を伺わせない虚ろな顔をした男が二人、土足で部屋に上がり込んで来る。

 

「いや……あのっ」


 ここで焦ることなく男たちの動きを見切り、華麗に攻撃を加えて無力化することができたなら、どんなにカッコよかったことだろう。

 恐らく男であれば、誰しも一度は妄想したことがあるのでなはいだろうか。漫画や映画の主人公のように、相手がこうきたらこう、こうきたらこうやって反撃して……。

 断言してもいいが、実際に暴漢に襲われたら、絶対にそんな動きはできない。


 俺は為すすべなく長身の男に腕を掴まれ、後ろ手に極められて拘束された。

 さらにもう一本の腕が首に回される。


 締められる。


 唐突に訪れた死の予感に、項が粟立った。

 必死に体全部で暴れるが、男の腕はまるで鉄の芯が入っているかのように微動だにしない。

 そうこうしているうちに、もう一人の中年男が、懐から何かを取り出した。

 懐中電灯ほどの大きさの、黒い何か。

 先端から、パチパチと青白い光が弾けている。


 スタンガン!?


 嘘だろ。

 何で一般人がそんなものを持ってる?

 しかも。

 おい。

 何でそれを俺に向けて近づける?


 やめろ。

 やめろよ。


 呼吸もままならない頭が靄のかかったようにぼやけ、目に涙の膜が張る。

 俺が、そのまま数秒後に訪れるであろう激痛を予感し戦慄した時。


「佳祐、何やってんの?」


 あまりにも呑気な声が、聞こえた。


 見れば居間の扉を開けた不二子が、玄関口で二人の男に襲われている俺を、不思議そうな目で見つめている。

 まずい。

 今こっちに来たら……。

 

「……ん……にげ……」

 何とか声を絞り出す俺を、不二子は相変わらずきょとんとした目で見つめている。

 いや。

 え?

 この状況見てノーリアクション?


「あ~。ひょっとしてなんかヤバい系?」


 気まずそうに呟いたその言葉で、ようやく気付いた。

 そうか。

 こいつらに、不二子の姿は見えないんだ。

 死神的な何か。

 さっきまで普通に駄弁りまくってたから忘れていた。


 二人の男は、突然現れたこの不気味な少女に目もくれない。

 なら……!


「ん! んうぅ!!」


 俺は目を見開き、身を捩りながら不二子に視線を送った。

 こいつなら、この状況を何とかしてくれるかもしれない。

 藁にも縋る思いで、自分が今まさにピンチであることを必死にアピールする。

 

 それを見た、不二子は。


「…………」


 唇を尖らせて。


「ひゅ、ひゅひゅう~♪」


 ……目を逸らした。


「んんぐうぅぅぅ!!!」

(はぁぁあああ!?!?)


 いやいやいやいや!!

 マジで!?

 スルーすんの!?

 助けてくんねぇの!?


 不二子は下手糞な口笛を吹きながらトコトコと歩き、必死に視線を送り続ける俺を無視してキッチンスペースを通り抜けた。

 

 こいつ、マジか!?

 何かあんだろ。その胡散臭い死神的な何かで、何か出来ることあるだろ!!


 そんな不二子の動きなどなかったかのように(当たり前だ。見えてないのだから)、下の階の住人であるはずの中年男が、いよいよその手に持った凶器を俺に押し当てようとしてきた。

 再び込み上げてきた絶望的な恐怖に縮みあがった俺の耳に。


「ていっ」

「がっ!!」


 間の抜けた声と、くぐもった悲鳴が聞こえ、体にがくがくとした振動が伝わった。

 見れば、俺の体に向けられていたスタンガンの先端が、何故か俺を拘束している男の体に押し当てられている。

 そして、それを青白い肌をした棒切れのような腕が掴んでいた。


 がくがくと痙攣する男の腕が力を失う。

 俺は緩んだ拘束を力づくで引きはがすと、目の前で呆然と立ち尽くす中年男の股間を蹴り上げた。

「むぐ」

 男が膝を突く。

 俺は蹲った二人の男から転がるように距離を取ると、盛大に咽こんだ。


 口からぼたぼたと垂れ堕ちる唾液がフローリングを濡らしていく。

 ずきずきと頭が痛み、視界がぼやけた。


「うわ。大丈夫?」

 その後ろから、相も変わらず呑気な声で不二子が問いかけてきた。

 こいつが、中年男の背後から腕の向きに力を加え、狙いを逸らしたのだ。

 そのおかげで助かった。

 けど。

「……おま……なん、で」

 何で一回見捨てようとした!?


「いや。あんたこそ何私のこと巻き込もうとしてんのよ。私が見えてるあんたと会話なんかしたら、あいつらにも私が見えちゃうかもしれないじゃない」

「……??」

「だから、縁よ、縁。あんたが私を見える理由とおんなじ」


 つまり、不二子の姿があいつらに見えないのはまだ縁がなかったからで、縁を持った俺とコミュニケーションを取ったところを見られたら、その時点であいつらにも姿が見えるようになっていた可能性がある。

 だから俺を無視していた、と。


 あれ。でも、その理屈で言うと……。


「……女」

「女?」


 蹲る二人の男が、不二子の姿を視認していた。


「……やば」

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