不眠

 俺は自らの過去を語り終え、深々と溜息をついた。

 魂から絞り出すようで、それでいて、栓のイカれた蛇口から垂れ落ちる滴のような言葉が、六畳間の中に染み込んでいた。

 俺はきっと、こうやって誰かに己の人生を吐露することを望んでいたのだ。

 重く、冷たい、常に俺の頭上にのしかかる暗い影。

 それを誰かに、知ってほしかった。


 数秒、沈黙が流れ、キッチンスペースから微かに響く冷蔵庫の低い音だけが、空虚な空間を埋めていた。

 俺の話を聞き終えた不二子は、ごろりと寝返りを打って横向きになると、その呪詛のように垂れ流れる重たげな黒髪をひと房指で弄び、いかにも眠そうな眼をこちらに向けてこう言った。


「話、終わった? ねえ、なんか甘いもの食べたいんだけど」


 ……………うん。

 わかってた。

 すげぇメンドくさそうに相槌打ってたもんな、さっきから。

 俺も空気読んで最後のほう巻きにしちゃったよ。

 おかけで肝心な部分を言いそびれてしまったが、こいつが気にしてないならわざわざ言い直すこともない。


「あ、あれあったでしょ。一口まんじゅう。さっき見つけちゃったのよ。あれちょうだい」

「……はいはい」

「あと麦茶お代わり」

「…………」


 俺はその唯我独尊に返す言葉も見つからず、のろのろと立ち上がって再びキッチンスペースへと足を運んだ。

 シンクの上には、確かに先日買ってそのままにしていた10個入りの一口まんじゅうが置いてある。賞味期限は……ギリアウト。

 まあ、いいか。

 適当な平皿にそれをあけてパックを捨て(見えないようにゴミ箱の奥に押し込む)、ついでに麦茶をピッチャーごと持って行く。

 卓袱台の上にそれを置くと、不二子がのそりと起き上がった。


「え? わざわざよそったの? 何よ、気が利くじゃない」

「全部食べていいぞ」

「全部はいらない。あんたも食べれば?」

「……食欲ねえんだよ」

「自首するなら早いほうがいいわよー」

「…………」


 その話蒸し返す?

 どうでもよさそうな振りをしておいて、やっぱりこいつは俺の罪を糾弾するつもりなのだろうか。


「あ、そうだ。ねえ、知ってた? 自首って、事件が警察にバレる前にしないと意味ないんだって。でもさ、じゃあ嵐の孤島とか雪山のコテージとかで起きた殺人事件を名探偵が解決したときはどうなの? 罪を暴かれた犯人が我先に警察に連絡すれば自首したことになるわけ?」

「知らねえよ」

 そんなわけないか。


 やはり礼の一つも言わず、それでも満足そうな顔で饅頭を頬張る不二子に釣られ、俺もつい皿に手を伸ばしてしまう。

 口元に運んだところで賞味期限を思い出したが、もう気にしなくていいかと、結局そのまま食べてしまった。


 それをちらりと見た不二子が皿を自分の方に寄せたところで(さっき全部はいらないって言わなかった?)、俺はもう一つ、彼女に聞いておかなければならないことを思い出した。

「なあ」

「ん?」

「お前、いつまでいんの?」

「…………は?」


 その、心底こちらを馬鹿にしたような視線を受けても、不思議ともう怒りは湧いてこなかった。

「あのね。部屋に上げた女の子に『お前いつ帰るの』とか考え得る限り最悪の質問よ。激萎えよ、激萎え」

「いや、そういうのいいから。用事ないなら帰れよ、お前」

「何よ、いちゃ悪い?」

「ええ?」


 不二子は卓袱台に肘をつくと、その薄い頬をぺたりと押し付け、拗ねたような目をこちらに向けてくる。

 仕草ポーズだけなら可愛い部類に入るのだろうけど、隈の濃いぎょろりとした目でそれをやられても普通に怖いだけだった。

 ていうか、皿に髪の毛がかかりそうなんだけど……。


「悪いっていうか、……ああ。仕事はいいのかよ、お前。幽霊退治」

「平気よ。さっきので今日のノルマは終わりだから」

「ノルマ制なの?」

「んー。でも、一応夜明けまでは勤務時間だから、まだ帰れないのよ。私、私たちのことが見える人間って初めて見たの。あんた、折角だから時間来るまで相手しなさいよ」

「あっそ。……まあ、いいけど」


 この時の俺の心理状態は、自分でもよく分からない。

 ただ、俺はこの奇妙な侵入者を、どうやらそこまで拒んでいないようなのは確かだった。

 

 真夏の夜の夢。


 俺は随分前から、赤黒い夢の世界に逃げ込んでいたのだ。

 現実から、目を背けて。


 先ほど不二子が俺に投げつけたまま部屋の端に転がっていた時計を拾い見れば、時刻は二時前。……あと三時間くらいか。

 もう少し、このおかしな幻想に付き合うのも悪くない。

 俺はハンガーラックの下に置かれたスクールバッグから、普段愛用している眠気覚ましのミントタブレットを取り出すと、二粒を口に含んだ。


 不二子が目敏くそれを捉える。

「何よ、それ」

 俺は少し考えると、もう一粒を振るって取り出し、「いるか?」と差し出した。

「ん」

 受け取った不二子が、細い指の先にその真白い錠菓を摘まみ、物珍しそうに矯めつ眇めつする。


「なんか小さいわね。ま、いいか。私、って結構好きなのよね」


 何の疑問も抱かず、初心者には絶対にお勧めしないウルトラハードの粒を噛み砕いた音の数秒後、涙目で悶絶した不二子に襲い掛かられ、俺の部屋がさらに散らかっていった。


 ……まあ、分かっててやったんだけど。

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