第17話 港町パールフェロール

「さあ、て」


 ブラッドはぐちゃぐちゃの船長室──といっても、もともとさほどものがないのだが──のほぼガラクタと化した家具を端に寄せると、無事だった机を中央に運ぶ。そして引き出しから地図を出して地形を確認した。


「だいぶ流されたな……ひとまず寄港するしかないか。ここからだとパールフェロールがいいか」


 その港パールフェロールは都から離れ、かつ要所ではないため中央の目が届きにくい。それを良いことに、汚職が蔓延しているし、ならず者どものたまり場にもなっている。こういった街に目をつけて、ブラッドたちは食料などを調達するのだ。

 ひとまずは水だ。無事だった水樽もいくつかあったが、三日持てば良いほうだ。あとは食料。腹が減っては船は動かない。

 

「パールフェロール港に向かう。まずはマストの点検、破れた帆の修繕だ」


 船長室を出ると、無事で元気のある船員に指示を出す。いつも任せているパーシヴァルとジーンがまだ寝ているから、自分でやるしかない。


「せんちょー、腹が減ったっすよ〜」

「生芋をかじっておけ」


 泣きそうな声で言う船員に、それしか言えない。料理を一手に背負っているジョシュアもダウンしているからだ。


(にしても……三人が三人、アンジェラを?)


 一切触れようとしなかったというのに、切羽詰まると本音が出るのかもしれないと思った途端、なんだか胸がざわつく気がした。

 



 三日かけてたどり着いた港町では、食料と水と資材を手分けして買い付けることにした。

 船の財布でもあるジーンが居ないせいで手間取ったが、なんとか船員たちに指示を出し終わる。


「ひゃっほう! 久々の陸だ〜! 酒、女!!!」

「羽目を外しすぎるなよ」


 久々の陸地に嬉々として飛び出していく船員に続き、ブラッドも船から降りようとしたとき、アンジェラが視界に入る。


(あぁ、そうだ。こいつをどうするか考えていなかった)


 聖女かどうかがはっきりするまで、逃げられては困るのだ。今までは船の上で逃げようがなかったが、陸続きになってしまえば、逃亡は可能だ。


(船員も足りないし、……縛り付けておくか?)


 そう考えたがあまり気乗りがしなかった。

 どうしたものか。悩むブラッドの前で、アンジェラは街を見て目を輝かせている。どうやら船を降りようとはしないようだ。寄港することは知っていたはず。ならば逃げようと計画していても不思議でないのに。


「逃げないのか?」


 わからないことは尋ねるまでだ。人の心など、読めはしない。

 アンジェラはきょとんとしたあと「……あぁ!」と初めてその事に気がついたようだった。考えもしていなかったらしい。

 ブラッドは苦笑いをする。


「お前は一応誘拐されたんだが」


 そう言うと、アンジェラは目を見開いた。


「……そうでした!」


 そして一気に真っ赤になる。ブラッドは耐えきれずに噴き出した。

 恥ずかしそうにするさまを見ていると、なんだかひどく愉快で……どこかくすぐったいような気分になったのだ。

 だが、それはかなり久々の感覚だ。記憶を探り、最後にそれを言葉にしたときのことを思い出す。


(……『可愛い』……?)


 今まで道具のように思っていた少女に向ける感情としては似つかわしくない。

 ブラッドはわずかに戸惑う。


「……で、どうする? 逃げるのか?」

「……逃げようにも逃げられません。わたし、ここがどこなのかも知らない。それに……」


 アンジェラは口をわずかに尖らせる。

 騒ぎが起こったときに大変なことになるという自覚はあるらしい。憂いの浮かび上がった顔を見て、少々意地悪だったかと反省したブラッドは、ふと思いつく。


「それなら、一緒に行くか?」


 ジョシュアやパーシヴァルが寝ている以上他に見張りができそうな人間がいない。

 ならば自分が見張りを務めればいい……と軽い気持ちで言っただけだったが、とたんアンジェラの顔は輝いた。あたりにぱっと光が舞ったような気がして、ブラッドは目を瞬く。


「い、いいんですか!?」


(これは、……このままでは目立つな)


「……ただし」


 なんとなく落ち着かなくなったブラッドはあたりを見回した。そしてちょうどよく破れて落ちていた船首帆ジブを拾い上げるとアンジェラの頭にかぶせた。


「!? な、なにするんです!?」

「騒ぎになりそうだからな。……女ってだけで触りたがるやつがいっぱいだ」

「それなら、男物の服を貸してください」

「男物?」


 アンジェラの体に視線を落としたブラッドはすぐに首を横に振る。

 発達途中の少女であればあり得たかもしれないが、アンジェラは成熟した女らしい体つきをしていた。隠すには全身を覆うような服を着せるしかない。むしろ今の修道服のほうが体の線がわからないだけマシだろう。


(それにしても……こんな……だったか?)


 ブラッドは改めてアンジェラを見て首を傾げた。

 最初にどうして気づかなかったのかわからない。あの時、ナタリアだったか……あの娘が修道院の中で一番美しかったと確信していた。


(いや、これは、間違いなく──)


 目が離せないでいると、アンジェラは顔をひきつらせ、後ずさる。小動物が怯えるような仕草に、


(これは……他の男に見せたくないな。やはり船首帆ジブを使おう)


 そんな想いが湧き上がり、ブラッドは顔をしかめる。理解できない感情だった。頭を振って思考を切り替える。


「まあ……おとなしくしておけば、俺が守ってやるから心配するな」

「ま、守って……!?」


 アンジェラはそれっきりうつむいて黙り込んでしまった。どうしたのだろうと思って船首帆ジブに隠れた顔を覗き込むと、その顔は真っ赤になっていた。



 *



 港町パールフェロールの深い入江には、たくさんの船が泊まっていた。

 そして、波止場は様々な人種で賑わっていた。肌の白いもの、褐色のもの、黒いもの。髪の黒いもの、金色のもの、赤いもの。瞳の色だって色とりどりだ。

 船の上には北方の者が多かったのか、肌の白い者しかいなかったが、帝国はこれほどの人種を呑み込んだ、途方もなく広いものなのだと初めて実感する。

 石畳の道を、喧騒をかき分けるように歩く。露店が立ち並び、様々な品が籠からあふれんばかりに並んでいた。

 色鮮やかな果物に野菜、見たことのないくらい大きな魚、獣の皮……かと思うと、細やかな細工の工芸品なども置いてある。帝国中の文化が一ヶ所に集まったかのよう。

 なんて豊かなのだろうと圧倒される。


「キョロキョロしてるとはぐれるぞ」

「あっ、すみません」


 アンジェラは小走りで追いつくと、ブラッドの後ろをそろそろとはぐれないように歩いた。彼はアンジェラに合わせてくれているのか、ずいぶんとゆっくりと歩いた。

 そうしながら、


「あの香辛料はジョシュアが欲しがりそうだ」

「パーシヴァルが酒が足りないと言っていたか」

「ジーンがインクが切れそうだと文句を言っていたな。あとは紙が溶けてしまったんだった」


 と、次々に物を買い付けていく。見た目に似合わない手際の良さに感心していると、果物の露店の前でふたつオレンジを買ってアンジェラに一つを手渡した。


「わっ……だめですよ!」


 指が触れるか触れないかのぎりぎりの行為にアンジェラのほうがヒヤヒヤする。


「俺はそんなに鈍くない」


 だが、ブラッドはニヤリと笑った。


 これほどアンジェラを恐れない人間は初めてだ。ナタリアよりもだった。あれだけの被害にあっていながら、不思議でしょうがない。


(ああ、でも眠れない人だから、かしら)


 被害が少ないからこそのことだろうか。だとしてもアンジェラはそのことにずいぶん救われている。


『逃げないのか?』


 先ほど問われたが、逃亡することがまるで頭になかったのは、きっとそのせいなのだろう。

 手の上のオレンジからは爽やかで甘い香りが漂う。それは鼻から体に入り込み、やがて胸にまで染み込んでいく。

 いつの間にか、アンジェラはあの船に乗っているのが苦痛ではなくなっていた。それどころか居場所を見つけたような気さえしていたのだった。

 

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