いってきました、ポルトガル!
ハンソン喜子
ボンディア ~はじめに~
昨秋、私達夫婦がポルトガル旅行に出向いたきっかけは、結婚25周年記念スペイン旅行に端を発し、いずれの国も興味を持った夫の選択によるもので、私の要望を取り入れてもらって、行程作りも全て本人に任せ、翌年の再訪スペインの時に2都市訪ずれたことに始まります。そして、両国ともに魅せられた私が再訪を希望したのでした。
今回は、再訪のリスボンとポルトを含め、11ヶ所に滞在して世界遺産巡りをしながら、その近隣へも足を延ばし、前半1週間で約1300kmの車旅、後半は列車で移動し、最終地リスボンに3泊の後、帰路に就きました。
隣国スペインが大半を占めるイベリア半島の西端に位置するポルトガルの建国は12世紀。日本の方が遥かに古いわけですが、人が住み始めたのは、遡ること25000年前、その後も、さまざまな種族が居住し、ローマ時代、イスラムの支配下の後、キリスト教奪回の動きがヨーロッパで始まり、国土を取り戻したフランス人貴族が、その報酬として、今日、ワインで有名なポルトの地域を与えられたとのこと、その時に、フランスからぶどうの苗が持ち込まれ、それが、世界に名だたるポートワインつくりの始まりだそうです。
この貴族の息子が初代ポルトガル国王となり、南へ進軍し、今のポルトガルの国土が出来上がりました。国名の由来も、このポルトという地名に由来するものです。
車旅で感慨深かったのは、日本の地形以上かと思われるような数え切れないほどの山々と谷、そして、そこに架かる橋の数。これらの高架橋がなければ、谷を下りてまた上ってという果てしない距離になるところ、多方面に延びる充実した高速道路とともに、動乱の時代が長かったとは思えないポルトガルの国土開発への熱意と技量を見たように思いました。
スペインの山々や荒涼とした起伏の多い大地を駆け巡る高速道路にも感嘆しましたが、ポルトガルの地形はそれを上回る起伏だったように思います。そうした山々の間を走っていると、あちらこちらに点在する街が遠めに見届けられます。
よくぞ、移動手段の限られた遠い昔に、山の上に城を構え、城壁をめぐらせ、街を築いていったものだとため息が出るほどでした。特に、生きるうえで重要な水はどのように引いていたのか。
これが、ローマ人の技なるもの、もしくはそれ以前からあった技術なのか、スペインのセゴビアで見たダイナミックな水道橋なるもの、ヨーロッパにおいて、かつてローマ人が支配したところには、規模は違えど、山や丘の上にあるような街には、水道橋が敷かれていたのだとわかりました。
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