春霞瑞獣伝 後宮にもふもふは必要ですか?/九江 桜
九江 桜/角川ビーンズ文庫
一章 爵禄も辞すべきなり
「この
顔を
「お……っ、お待ちくださいませ」
「ならん。これは決定
日に焼けた
皇帝のみが着用を許された
他人に命令し慣れた
真っ
ただ纏う空気に張りつめた
彩華は、今すぐに
そう思えば、人慣れない彩華が
生まれて十六年。春霞宮からほとんど出たことのない彩華でも、皇帝が禁止した
それでも言わなければならないことがあり、彩華は目が回りそうな緊張を
「へ、陛下のご決定に異議を申し上げるつもりなど、ございません」
王朝交代という事態を考えれば、朗清の命令は当たり前であり、公主も例外ではないという主張に異議はない。
それでも、彩華には今の朗清の言葉を受け入れられない理由があった。
だからこそ
「一つ、一つだけお答えください。
接収ならまだ、この皇帝の離宮、春霞宮にいる者たちは
新たな宗室に接収されるというのなら、公主である彩華が住む
それを朗清は取り潰すと告げたのだ。
春霞宮自体がなくなるのなら、春霞宮に生きる者たちはどうするつもりなのか。追い出して終わり、で済まされる話ではない。
先帝であった
その後、先帝は逃げた先で生活の
その
「口ではなんと言っても、不服そうだな」
朗清は
朗清は、説明を
すると官服でもある赤い
「わたくしは
彩華と身長が変わらず、若い顔に
「なんでもこの離宮、三代前の皇帝の
三代前、つまり彩華の祖父の代の記録はあっても、母に下賜されてからのまともな記録が見つからないと、安世は
「ですので、経費は建造時の状態を維持する前提で算出させていただきました。まぁ、公主の領地代わりにというのでしたら、宗室に返していただくことになりますが、返されたところで
一方的な言い分に彩華が
その姿は皇帝というには洗練された風情がない。ただ、確かに人の上に立つことを知る指揮官の威風があった。
「安世の言うとおり、無駄に
短く息を
本当に返還を拒否する嘆願に
なおも発言しようとした途端、左右に並んだ兵たちが
重ささえ感じそうなほど殺気立った空気に、喉が動かなくなる。戦いの場に身を置いてきた者たちの無言の威圧が、
彩華はあまりの恐怖に
ただでさえ、見知らぬ男性ばかりで
先帝である叔父にも忘れ去られ、公主の位を失くす今になっても、守りたいもの一つ守れない。そんな
「え……?」
彩華たちがいるのは、春霞宮の前庭にある
採光のため大きく開いた金烏館の
「あれは……馬? 白馬、ではないですな。何やら模様が、
「
馬体には黒い肌が
彩華を見つけ近寄ろうとした星斗は、突然の
「りゅ、
「おい、あいつ絶対そうだって! あの龍馬だ!」
龍馬とは龍と馬の間に生まれる
星斗の斑模様は確かに遠くから見れば
口々に
「陛下、陛下。いったいあの馬がどうしたというのですか?」
「あれを、見たことがある。都藍陽包囲前の戦場だ。
「なんと、勇名を
「わからん。国軍を調べても、撤退を指揮したことになっている将は別人だった」
思わぬ話に彩華が
「あの龍馬は、何故ここにいる?」
「せ、星斗は、元もとこの春霞宮で生まれた者にございます。知人の武官が戦場に立つ際、貸し
「なるほど、元から宗室に近い者か。俺が藍陽に入る前、戦場に出ることはない、そうか。あれだけの
彩華は
下手に答えて、今なお都にいる知人に害が
「陛下、良くご覧なさい。額にある星のような白い模様。これは龍馬などではなく、
兵の向こうで、安世が忠告の声を上げた。
彩華は星斗を見た目で悪く言う安世に、不服を申し立てようと振り返り、柱から身を乗り出す兵たちの威容に身が
「言われてみれば、的盧か。戦場では額当ての馬具に
忠告を聞きながらも、星斗への関心を失わない朗清に、彩華は少しだけ
凶馬を見て不快を
一身に注目を集めた星斗は、
彩華は星斗を落ち着かせるため立ち上がると、金烏館の
「
背後に
その上、柱の間に並んでいたはずの兵まで動き出す。黒い
彩華も身が竦む思いがする朗清たちの動きに、元から
「あの、あちらでお待ちくださいませんか? 落ち着かせて、廏に
「そうか、廏があるのか。
明らかに廏を見たいという気配を
朗清を連れて行くのは危険との判断だ。
彩華としても
「その、あのような模様の馬は他におりません。もう一頭馬を飼育しておりますが、そちらはとても
彩華は
そんな彩華の努力を
「そんな…………っ」
得体のしれない
比して彩華と数少ない春霞宮に仕える老人たちは、顔色を
「珍獣たちが、
朗清を
先ほどの星斗も、馬小屋に
「た、大変! 老趙はともかく廏の
彩華はもはや朗清たちのことなど眼中外に置いて、金烏館を飛び出した。向かう先は庭園と前庭を繫ぐ二門。
「さ、彩華さま……っ」
二門を開けようとした彩華は、背後からかけられた老女の
そこには、朗清を先頭に金烏館にいた兵も文官も全員が
「ぁ、あ、皆と言ったのは春霞宮の者を呼んだだけで……。ど、どうぞ金烏館でお待ちください。珍獣たちが興奮してしまいます」
「何をそんなに
「陛下がご覧になるものはございません。何より、皆さまの身を案じてのことにございます」
「身を? 無用だ。どうするかは俺が決め──」
朗清が何かを言おうとしたが、二門越しにも響く
彩華は
「な、なんだこれは……」
足を
二門は前庭よりも高くなっており、二門の階段を登ると庭園にある
閣は四方に出入り口があり、庭園の景観を楽しむための建物だ。そのため壁はなく、柱が並ぶ広間になっていた。
が、本来の
構っていられない彩華は、庭園に通じる二門閣の戸をいっぱいに開いた。
「……………………は?」
眼前の光景に絶句した朗清の
「命じずともすでに、
建造時、最も
「庭園の形は保っていても、もはや人の住む場所ではないのでは? 珍獣の飼育とはありましたが、いったい、どれだけの珍獣がこれほど立派な庭園をここまで
「そうだな。庭園ではなく、もはや珍獣園と言っていいんじゃないか、これは? それに修繕費をどうやって工面しているのかと思えば……」
朗清は別の木材で
言いたいことはあるが、彩華は
見知らぬ人間が大勢入ってきたことに警戒し、姿を隠したのだろう。
その動きは良く訓練された兵士の動きだったが、姿の見えない猛獣に、切っ先が定まらない。
朗清は
「安世、後ろにいろ。どうも昔一度だけ聞いた、
「虎? 虎が都の中にいるのですか? な、なんたること」
安世が責めるように見るが、彩華は本心から反論した。
「皆さまに
「虎が都にいることを否定しないのですかな!」
安世が声を高くした
「
言うも
「なんだと……っ、この!」
武人としての反射か、朗清は大きな
途端に、
「白黒の縞は毒蛇ですぞ!」
「おとなしい性格なので、何もしなければ
「何を言っているんだ! 危険な
自らが払ったためか、朗清は彩華を
「
彩華が
引いた気配を察したのか、朗清を確かめるように蛇は彩華の首周りに身を
瞬間、朗清の目が限界まで見開かれる。
「……っ、双頭の、蛇? しかもなんだ、その色は。白黒の縞じゃなかったのか?」
彩華は左手で双頭蛇の二つの頭を
生来とても
彩華が双頭蛇の心中を
「…………
委蛇とは、その姿を見て生きていた者は世に
確かに双頭蛇は、
それでも為政者となった朗清からすれば興味深い存在らしく、双頭蛇を
伝説の獣に出会えたという夢を
二門閣の正面には、人工の小川を
不意に、溜池のほうを指して一人の兵が声を上げる。
「おい、
「いや、あれは
「それはただの
「こっちの池には
「なんだあいつ?
亀がいる池とは別の真円の池を指して
「膝から爪? それは幼子を
「いいえ。ただ騒ぎに立ち上がっただけの
「わぁぁああ! なんだあの大鳥は!」
「あの子は
「赤青黄、黒白、
「いえ、赤みが強いくらいで、ただの孔雀……」
木の上から
押し寄せる
「なんなんだ、ここは……?」
「先ほど安世どのが
「うむ、あぁ。そう、だったな……。いったい、どれだけの種類がいるんだ?」
ふと、彩華は朗清が普通に話を聞いてくれていることに気づく。
発言さえ
「うん、あれはなんだ? あの老人たちが肉で
「いえ、蛇ではなくただの
彩華の答えと同時に姿を現した大蜥蜴を目にして安世が
「あんな大きさ、蜥蜴のわけないでしょう!」
人間と同じくらいの腹回りに、尻尾まで入れれば人の身長など軽く
「ですから、大蜥蜴です。正確には
泳ぐ姿は
「水にまで住めるのか? あれほどの
朗清の呟きに、
いけるかもしれない、と彩華は一人息を
「陛下、珍獣に関する記録は、
老人たちと相談して決めていた
話し合いを仕切り直そうと、彩華は
そんな目で見上げられた朗清は、言葉に詰まった。
やはり、金烏館で
「よろしいのでは、陛下? この状況でございますし、記録をすぐに用意するだけの人手もおらぬようですし? 待つ間に話を聞くならば、ここよりも前庭のほうが安全かと」
「安世……。お前が言うなら、そうしよう」
何やら朗清と安世の間で、視線だけの意思
不安はあるが、
「陛下、これは思わぬ拾いものでしょう。
「しかし、珍獣は元より葉氏が集めていたものだ。この様子では
「何、瑞祥を疑い検証するなど天に
身勝手な安世の言葉に、彩華は胸に
道具のように利用するだけの打算とは言え、興味を持たれていないよりもましなのだ。珍獣が
ふと彩華は、見知らぬ人間に囲まれるより、手のかかる珍獣たちとすごすほうが、ずっと心
気づいてしまえば現状が重く
「ふぁぁああ……っ、な、何かが、わ、わたくしの
「落ち着け、安世。これこそただの蜥蜴だ。よく見れば、
「いやいや、陛下! なんですかな、この大きさ。わたくしの二の
金烏館へ続く
思えば二門閣と二門をしっかり閉じずに庭園に向かってしまった。
「また何かわからない生き物がいますぞぉ」
どうやら動物が得意でないらしい安世は、うんざりした様子で外を指差した。
地面に四つ足をついて飾り窓を見上げるのは、全体的には赤毛で、腹と足が黒く、顔には白い模様の入った
甘えるように短く甲高い声を発する猫熊は、
その猫熊が、
次の
人間はもちろん突然の雷鳴に身を硬くしたが、安世の袖を嚙んでいた鰐蜥蜴も、大きく口を開けて全身に力を入れていた。
「なんだ、今の雷鳴は? 今日は雲などなかっただろう!」
「ま、まさか……、今の雷鳴は…………」
袖を取り
「雷鳴のような鳴き声を持つ、四足の獣、
「ほ、本物の…………!」
安世の言葉に兵たちがざわめく。
「いえ、ただの猫熊と鰐蜥蜴、と申し上げても聞いておりませんね。雷鳴の正体は……」
彩華が窓から腕を出すと、羽ばたきが近づき、
彩華の腕にとまって首を伸ばす鳥の
安世は、新手の珍鳥の姿に
「ひぃ、あれは……っ。
「鴆? あの羽を
確かに羽は青紫にも見えるが、鴆のような毒などないことを彩華は知っていた。
「そんな、違います。この子は
「ん? なんと言った?」
聞き慣れない
「鸚哥、鸚哥という南方の鳥です。毒などございません」
雷鳴の音に本能を
「驚かせてしまい、大変申し訳ございません。お
厳しい視線から逃げるように鰐蜥蜴と猫熊も回収した彩華は、雷鳴の発生源がわかっているので
逆にその落ち着き
「えぇ…………、それで、だな……」
最初と同じように、平敷の座に
なんだあの公主と聞こえた気がした彩華だったが、朗清が動いたのでそちらに集中する。
ただ、慣れない人間の相手に
「その、膝にいる
朗清の問いに、彩華は良心の
「頻繁というほどではございませんが、本日におきましては初めて見る人の多さに驚き、
もしかしたら、雷鳴を本当に猫熊の力だと考えているのかもしれないことは、反応を見れば想像がつく。もし本当だと信じて
彩華の言葉を
「
「はい。
彩華の答えに、安世が
「つまり、あなたなら、珍獣たちの世話も操縦もできると?」
その間に、また何ごとかを考える安世が、朗清へと耳打ちをする。
応じて朗清は、
「……それも、一つの手、か」
「そのとおり。これならば一挙両得。庭園を見た時には
安世の言葉選びから、あまり良い相談ではないらしい。
朗清も決断を迷うらしく、難しい顔で
「陛下も故国からの申し入れに
朗清の反応の
「これも、
「そう、だな……。使える手が増えると思えば、悪いことではない」
彩華も内心で、朗清の言葉に
この際、珍獣たちが
元から公主としても忘れ去られた存在だった。春霞宮を所有する名分以外に公主の座への
できれば、珍獣たちの飼料の
彩華も猫熊を撫でる手を止めて、朗清からの言葉を待つ。
「後宮へと入れ、
静まり返った金烏館に、朗清の声が
朗清の言葉は、申し入れではなく命令だ。上位者のみに許される
後宮に入れる、つまり妻とするという発言に、兵の間からも
「瑞獣、のみ……?」
思わず
「今のところ、
つまり、
それでは、半分も連れて行けない。
その上、安世は二門閣の中で
「…………この春霞宮は、どうなるのでしょう?」
彩華は取り乱しそうになる自身を
春霞宮が存続する可能性があるなら、と。
「取り潰しは変わりませんが、
彩華が珍獣を生かすため余人へと
しかも安世は二門閣で言っていた。凶兆に手を
凶兆に手を出したと処分される人間が出れば、凶兆と言われた珍獣はどうなるのか。
罪もない、ましてや凶兆という無実の
考えた
そんな彩華の気配の変化に珍獣たちは
すると安世が、威嚇する珍獣から身を引いて、
「現状陛下に
彩華は公主として
後宮で皇帝のために身を
ないが、ただ、それだけだ。
心配も不安もなくなると同時に、今体に寄り
「位が上がっても、禄が増えても、それじゃ意味がない……っ」
彩華は自分にしか聞こえない声で心中を
公主の位も妃嬪の位もいらないから、春霞宮の存続と珍獣の助命を申し入れたいというのが彩華の本心だ。
それでも皇帝から直接命令された後宮入りを、拒否することはできない。
この場で拒否したところで、皇帝に対する不敬を理由に並ぶ兵に殺されるだけだ。
そうなってしまっては、春霞宮の取り潰しを
「さて、後宮入りとなると、先帝のほうにも使者を発さねばなりませんな」
「あぁ、すでに両親は……。後見は先帝本人なのか?」
拒否することなど考えていない、できないとわかっている朗清と安世の会話に、彩華は思い余って声を上げた。
「私は、亡父の
彩華の言葉は、太陽の
「…………はぁ?」
「先々帝であった父の祖廟は、宗室である葉氏皇帝の廟にございました。ですが今、宗室の祖廟はすでに高氏のもの。宗室ではなくなった今、父たる先々帝を
昭季公主と呼ばれたように、彩華は季が示す、四番目の子女。上三人の姉はすでに
葉氏として先々帝を祀ることができるのは、未婚の彩華のみ。
祖廟守は先祖の霊を慰めると同時に、災いを起こさぬよう、
「祖廟守、祖廟守……か。孝徳の志、だな」
確かめるように
親への
許されるが、後々の
皇帝の命令とは言え、祖廟守の申し出を
瑞獣を大義名分として得ながら悪評がついては、瑞獣を手にする意味が半減してしまう。
「考えましたね……」
舌打ちするように口を
注がれる朗清の視線に、彩華は
「
この日、
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